第二十二話 もう失いたくない
上着を羽織っているにもかかわらず。肌を突き刺すような寒い風が一華と五輝の間をすり抜けていく。五輝の胸倉を掴み殴り掛かろうとした一華を、直前で白羽は抑え込んだ。五輝は白羽の行動を読んでいたのか、その場から一歩も動かない。目の前に当たりそうになった拳があるにもかかわらず、表情一つ変える事もなかった。
静けさに包まれた墓地で、一華が低い声色で言う。
「五輝君。私はとても怒っている」
「見りゃ分かる」
「そうだろうな。君は賢い。だから君が面白半分に私を侮辱したとは到底思えない」
「じゃあ何で手が出る」
「怒っているからに決まっている。戦いの最中で負けを認めるのはまだ構わない。だが……私はまだ何もしていない」
五輝が考えもなく一華に敗退しろという訳がない、というのは重々承知の上だった。
継承戦を中止させよう、手を組もう、そう言われれば素直に頷くつもりでいた。だが五輝は一華に負けろという。敗北の二文字が何よりも嫌いな、一華にだ。
「私が無力だとでも言いたいのか。答えろ」
声を荒げる事はない。ただ静かに、声に怒りをのせて五輝に問う。五輝は一華の殺気をひしひしとその身に感じながら、答えた。
「さっき、お前は俺に言ったな。俺は賢いと」
「あぁ言った」
「なら、お前は俺より強い。兄妹の中で誰よりも強いと思う。まさしくゴリラだ」
「今冗談はいらない」
「五輝君、一華さんに説明するなら結論より先に経緯を話した方がいいよ」
一華を押さえつける白羽のアドバイスを聞いて、五輝はやれやれと溜息をついた。結論が一華にとって都合が悪い場合、こうして手が出る事を白羽は知っていた。彼女の母親の死を知らせた時もそうだったから。
「『霞』の目的は継承戦、および正当な後継者である一華と九実の始末。お前等以外の人間には本条家の人間の血が流れてないから、俺達に害はない。だからこそ継承戦という混乱に乗じてお前等を殺そうとしてる。継承戦は普通殺し合いだからな」
盛大に舌打ちして拳を下ろすと、白羽が拘束を解いてくれる。
五輝の言う事も尤もだ。血統を重んじる国主達だからこその考えという事も理解出来る。だからこそ解せなかった。
「これは私達が話し合ってどうこう出来る問題じゃない。二条さんや梓豪さん達に訳を話して、継承戦を中止してもらうべきだ」
「最後まで聞けよ。継承戦は中止するべきじゃない」
「何故だ」
部外者の介入が分かっているのならば、まずはそちらから対処するべきではないのか。しかし五輝は、それを善しとしていないらしい。
「現時点では九実に被害が及んでいないからだ。継承権を放棄しているから、急いで始末する必要性がない。それよか一華の方が厄介だからな。お前には負けた奴等と一緒に『霞』の対処を任せたい」
「ふむ。継承戦に集中していると見せかけて、相手の裏を突く作戦だね」
一華が負けたとしても白羽が一華の継承権を持って参加出来る。更に言えば特別ルールの件は数人にしか認知されていないし、『霞』もまだ把握しきれていないのではないだろうか。
一華が継承戦で有利な状況にあるからこそ、あえて一華に敗退してほしいという事は掴めたが、納得は出来なかった。
「明日夜九時に、三央と八緒が動く」
「!」
五輝から聞かされた情報に、一華と白羽は揃って息を飲んだ。
「そこで確実に一人は脱落させる」
「何をする気だ?」
「異例塗れの継承戦を、俺がド派手にぶち壊してやるんだよ」
「……作戦を聞こう」
今までの口振りから、五輝は継承戦で勝ち残る事が目的ではないと受け取れる。七緒と八緒も意外だったが、もしかすると五輝とも手を組む事が出来るのではないだろうか。味方は一人でも多い方がいいし、何より彼がいると心強い。
そして何よりも、大切な兄妹を守る為ならば、手段を選んでいる場合ではなさそうだ。
「────。」
継承戦はまだ始まったばかりだが、今までの動きが慎重すぎたともいえる。だからこそ五輝はここで波乱を巻き起こすつもりなのだろう。五輝の口にした作戦は、一華をそう思わせるものだった。
口を挟まず、静かに五輝の作戦を聞き終えた一華は、いまいち腑に落ちない、といった様子で五輝に問い掛ける。
「一つ聞きたい。何故、二宮兄さん達に協力を申し出ない? 皆で協力すれば──」
「無理だ」
一華の言葉を遮って、五輝はきっぱりと言い放った。
「お前は俺と同じで全部知ってる。全部知っているからこそだ。アイツ等は……一生分かり合えない」
五輝の声色が、一瞬冷たく感じられる。五輝はジャージのポケットに手を突っ込んだかと思うと、そのまま背を向けて歩き始めてしまった。
「なんかあったら手紙で連絡しろ。間違っても重要な内容をスマホで送んなよ」
「あぁ……」
一華はしばらく、五輝の背を見つめていた。隣に立つ白羽は何も言わない。気を使ってくれているのか、はたまた掛ける言葉が見つからないのか。静寂に耐えられずに、一華はわざとらしく息をついた。
「私達も戻ろうか、白羽さん。長居していては、それこそ誰かに見られてしまう」
「……そうだね」
墓地を後にしてからも、一華も白羽も口を開く様子はなかった。五輝が提案した作戦については、一華としてもメリットの方が大きい。だからといって、すぐさま首を縦に振れる内容でもなかったのだ。
次の戦いまで、時間は残されていない。早く決断しなければと思えば思う程、深く迷う一方だった。
歩き始めて数分経った頃、何気なしに白羽は一華に話を振った。
「彼、一華さんに似ているね」
「えっ」
そんな事初めて言われた、と目を丸くして呆けた声を出してしまった。はて、五輝とどこが似ているのだろうか。疑問に思っていると、白羽は柔らかく微笑んで教えてくれる。
「何となくだけどね。一華さんは彼の作戦をどう思った?」
「……正直、腹が立った。あれじゃあまるで……。…………」
それ以上、言葉は続かなかった。口を噤んで、少しだけ俯きがちになってしまう。けれども白羽は察したように、一華が口に出来なかった言葉を引き継いでくれた。
「分かるよ。きっと彼は……誰も信用していないのでしょう」
「……あぁ……そうだな。……白羽さん聞いてくれないか?」
いいよ、という返答を聞いてから、一華は話し始める。
白羽と出会ってまだそれ程時間は経っていないが、従者として寄り添ってくれている彼になら、一華の本音をこぼしてもいいのではないかと思ってしまったから。話を聞いてくれると、思ったから。
「私は二宮兄さん達の事、大切な家族だと思っている。……幼い頃に父を亡くして、母とはまともに会話をした事の方が少なかったからな。家の中に気兼ねなく話せる人がいて、些細な事で喧嘩したり、何気ない会話で笑ったりして……私は楽しかった」
「……うん」
「でも、二宮兄さん達は違うんだと思う。兄さん達はきっと……あの家が嫌いなんだと思う。……私が当主になりたい本当の理由を教えるよ」
少しの緊張感を胸に、一華はその場で歩みを止めた。それに合わせて止まってくれる辺り、白羽はやはり優しい。ぎゅっ、と拳を握り締めてサングラス越しに薄らと見える彼の瞳を見据える。
「兄さん達を、解放してあげたいんだ。」
「…………」
無言で白羽は頷く。少し動揺しているらしいが、それよりも続きを聞いてくれるらしい。
「あの家にいる限り、兄さん達の人生は制限されてしまう。好きな職業に就いても、学校に通っていても……本条家の名を持つという理由で、将来結婚する相手や、住む国や場所も……全部、全部決められてしまう。兄さん達は元々何の関係もない人達なのに……兄さん達は望んで本条家にいる訳じゃないのに……だから……」
話したい事がぐちゃぐちゃになって、自分が何を言っているのか分からなくなってくる。気が付けば視線は完全に下を向いていて、白羽が今どんな顔をしているのかも見えなくなっていた。
「……一華さんは、」
ぐいっ、と白羽との距離が縮まった。不意の出来事で頭の処理が追い付かず、白羽の胸板に鼻をぶつけてしまった。けれどそんな痛みよりももっと、胸が苦しくて仕方がなかった。呼吸する事も忘れて一華は目を瞬かせる。
「一華さんは、二宮君達が大好きなんだね」
「……あぁ。私は、九実君の言葉を利用しただけだ。最低な奴だよ、私は……」
心の奥底で、一華はずっと二宮達と闘いたくないと願ってばかりだった。ステファーノの前では「覚悟は出来ている」と言ったが、所詮は虚勢を張っただけに過ぎない。
縋るように白羽の上着の裾を握り締めて、声を震わせながらずっと胸に抱いていた事を口にする。
「継承戦なんて、本当はやりたくないよ。兄妹で殺し合いなんてしたくない。大好きな家族を、もう失いたくない」
口に出していく内に、「どうしようもない事だ」という現実も同時に突き付けられているような気がして、一華はいよいよ泣き崩れてしまいそうだった。
どんなに期待されていても、どんなに固い意思を持とうと、どんなに強くても、一華はまだ十六の少女だ。
父がこの世を去った時も、涙が枯れそうになるまで泣いていた母に代わって、自分がしっかりしないといけないのだと、泣きたい気持ちを押し殺した。
母がこの世を去った時には、傍にいる事すら叶わなくて、哀しみに浸る事も出来ずに継承戦が始まった。
そして今度は、残された家族と殺し合わなくてはならないなんて。これ以上誰かを失うのかもしれないと考える程、怖くて堪らない。そんな恐怖をこぼす相手も余裕もなくて、自分の中で閉じ込めてしまっていた。
今にも泣きそうな声で言葉を紡ぐ一華を、白羽は優しく抱き締めてくれる。背中を擦ってくれる手が温かくて、初めて感じる感触だった。
「大丈夫だよ。一華さんと僕とで、誰も死なせずに終わらせるんでしょう」
爽やかで透き通った声で紡がれる言葉が、流れるように一華の中に入ってくる。
「五輝君がいなければ、『霞』が関わっている事も知らなかった。白羽さん、私……本当は、一人では何も出来ない人間なんだよ……」
周りからどれ程持て囃されようと、一華はそれに満足していない。求める結果に辿り着ける気がしなくて、とてつもない不安に駆られる。
けれども白羽は苦笑をこぼしながら言った。
「誰だってそうだよ。僕もそう。人間は支え合って生きている、ってよく言うでしょ。足りない分はいくらでも補い合えるよ」
「白羽さんは優しいな。私に、出来るだろうか……」
「出来る。貴女なら出来るさ。今まで超絶頑張って来たから大丈夫だよ」
冗談めかしながらも、まっすぐに励ましてくれる白羽を見上げる。
微笑みを浮かべる彼は、どこまでも優しい視線を一華に送っていた。いつも必ずかけていたサングラスを外して。
右は空色に近い青、左は柔らかい黄色だった。左右色の違う美しい双眸から目が離せなくて、呼吸をする事すら忘れてしまいそういなる。一華が見惚れていると、ふっと身体が解放された。サングラスをかけ直した白羽は、一華の手を取って歩き始めた。
「さ、帰りましょう。風邪ひいちゃうからね」
「あ、あぁ……」
もう少し見ていたいとも思ったが、白羽にも目を隠すようにサングラスを掛けている理由があるのだろう。少しの間でも見られた事が喜ばしく感じられるし、素直に諦めようと決め込んだ。
白羽に手を引かれながら、隣に並び立って歩く。明日は五日ぶりに継承戦に動きが出る……そういう仕組みだ。
一華は静かに、決意を胸にした。




