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本条家当主継承戦  作者: 京町ミヤ
第一章 新たな当主
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第一話 またあとで

 《音城大学病院・405号室》


 ──九月十四日。


 白い病室の中、白いベッドの上に横たわる水色の髪の女性がいた。血色の悪い頬は痩せこけており、腕も握ってしまえばぽっきりと折れそうな程に細い。今にも死にそうに感じられて不安だったが、女性は静かに目を閉じて穏やかに呼吸を繰り返している。

 学校帰りに女性のお見舞いに来た少女は、ベッドの横に置かれている簡易椅子に腰掛けてぼんやりとしていた。数分後、女性が起きない事を悟った少女は、女性の身体が冷えないようにそっとタオルケットをかけてやる。


「また来るよ、母さん」


 最後にそう言い残して、少女は病室を去った。


 少女は腰まである艶やかな黒紅色の髪を高い位置で結い上げ、朱色の組紐で結んでいる。鋭い黄金のつり目は、厳しいながらも穏やかで、彼女の美貌の要とも言えるだろう。加えて、一切化粧を施していないにも関わらず、長い睫毛をしていた。少女にしてはやや高身長だが、すらりとした美脚と豊満なスタイルは彼女の武器ともいえよう。

 灰色のカーディガンを腰に巻き付け、ブラウンのブレザーとスカートが歩くたび風に揺れた。彼女が肩から下げているスクールバッグに刺繍されている校章から、都内の有名高である音城学院の生徒である事が伺える。悠然と病院の廊下を歩くその姿は、まるで戦場で先陣をきる騎士のようだった。


 名を本条一(ほんじょういち)()という。『裏の世界』を仕切る本条家当主の血を引く、唯一の正当な継承者である。


 一華はナースステーションに立ち寄り、ある人を呼び出してもらう。

 近くにあった椅子に腰を下ろし、背筋を伸ばして人が来るのを待つ。彼女の纏う静かな空気を感じてか、静かな病院内が一層静かに感じられる。そんな中、朗らかに話しかける青年が現れた。呼び出してもらった人物である。


「やぁ一華ちゃん。何か用かな?」


 聞くものを魅了しかねない、透き通った声の青年は、青いインテークの髪を揺らして首を傾げた。血のように赤い瞳も、少し高い鼻筋も、形の整った唇も。全てが彼の魅力なのだろう。すれ違った看護師や患者達が振り向いて一瞥していく。確かに、彼は間違いなく美青年の部類だ。加えて、人目を惹きつける不思議な魅力を持った一華と並び立っていては、更に目立つ事だろう。


 彼の名は本条(ほんじょう)二宮(ふみや)。本条家の長男にして、ここ、音城大学病院の外科医だ。


「呼び出したのは二宮兄さんじゃないか」


 少し低い一華の声が病院内に小さくこだまする。二宮はそうだった、と軽く笑い、胸ポケットから一枚の名刺を取り出した。それを受け取った一華は、知らない名前に目を瞬かせて問う。


「誰の名刺だ?」


「僕の患者さんなんだけどね。ぜひ三央ちゃんに服のデザインをお願いしたいらしくて」


「直接渡せばいいじゃないか」


 わざわざ自分を介さなくても、と言いたげに眉根を寄せる一華に、二宮はわざとらしく肩を竦めた。


「本当はそうしたいんだけどね。生憎、今日は帰れそうにないんだ」


「そういう事なら仕方ないな。分かった、しっかりと渡しておこう」


 ブレザーのポケットに突っ込んでいた定期入れの中に、名刺が折れないように丁寧に仕舞う。幼い頃から一華は力加減というものが苦手なので、集中しないとすぐにものを壊してしまうという困った癖があるので気が抜けない。

 整った眉を顰め、軽く唇を尖らせて名刺をしまうその姿に、二宮は少し笑いそうになる。しかしここで笑ってしまっては一華に小突かれて(かなり強め)しまうので、表情をいつものままに固めて、彼女を直視しないようにして待つ。


「よし。他に用はないな」


 名刺を入れた定期入れを、ブレザーのポケットに仕舞い込んだのを確認してから、二宮は頷いた。用事が終わったのならこのまま帰ろう、としたところ、二宮に問われる。


「お母さんの調子はどう?」


 一華の母・本条数予は、端的に言ってしまえば精神を病んでしまっている。事の始まりは十二年前の一華の父、零の死からだ。当主の座を継ぎ、国主になるには一華は幼すぎる。当時五歳だ。


 その為、一華に代わって妻である数予が第九十九代目当主となったのだが、当主になるという事はそれすなわち『裏の世界』のトップに立つという事。彼女は、その精神力を持ち合わせていなかった。


 数予が本条家の一員になった事を良く思わない者達からの誹謗中傷に耐え切れなくなり、会議中に半狂乱になって癇癪を起こしてからというもの、入院生活を余儀なくされている。それは一華が小学校に上がる前なので、もう母がどんな人柄だったのかすら記憶にはない。


 週に一度、学校帰りに顔を見せに来るが、数予の体調、気分次第で一華への対応は変わる。気分が優れていれば普通に対話出来る。穏やかで優しい、まさに母と呼べる女性になる。

 気分が優れていなければ物を投げてくる。泣き叫びながら、一華に罵詈雑言を浴びせる醜悪な女性になる。

 はたまたある時は一華の事を零だと思い込む時もある。「あなた」と呼び抱き締めてくる。その愛情が一華に向けられたものではない為、正直辛いが母の事を思えばなんともない。自分が耐えれば良いだけなのだから。


 二宮の問い掛けからしばらく黙り込んだ末、一華は苦笑いを浮かべて答えた。


「さぁ。今日はずっと寝ていたよ」


「……そうかい」


 二宮も、何も言う事はなかった。

 彼も一華の心情は察しているのだろう。あえて触れないようにして、一華を見送ってくれた。


「気を付けて帰ってね」


「あぁ。兄さんも頑張ってくれ」


 二宮に軽く手を振って早足気味にその場を去る。コツコツ、とローファーの音が強く響いて聞こえた気がした。




 病院を出て、一華は真っ直ぐに次の目的地への道を確認する。

 二宮から受け取った名刺を渡す為に、病院から少し離れた衣服店、ドレミ・シャープに向かって歩き始めた。


 ドレミ・シャープという衣服店は、全てオーダーメイドで受け付けてくれる、世界的に有名な店だ。少々値段は張るものの、どれも最高の仕上がりに仕立ててくれるという。

 何より評判なのが一針一針丁寧にあしらわれた刺繍だ。専属のデザイナーによりデザインされたものを、手作業で製作するのだという。その専属デザイナーもまた、海外からも腕を買われている凄腕だ。


 心地よいベルの音を響かせて店内に入ると、すぐにその姿は見つかった。

 赤っぽい茶髪を肩下まで伸ばし、柔らかい印象を受けるたれ目の、二宮と同じ血のように赤い瞳。淡紅藤の着物を着こなした、絵に描いたような大和撫子の印象を受ける女性。車椅子に座り、手元のスケッチブックにさらさらと何かを書きこんでいる。


 彼女は本条三(ほんじょうみ)()。本条家の長女にして、世界的に有名だという専属デザイナーである。


 仕事中の彼女の邪魔にならないように、一華は店内の端の方に寄った。店内を見渡すと、三央がデザインしたらしい、華やかで美しい花や鳥の絵が飾られていた。


 一華には絵心がないので少し羨ましく感じられる。ふと目が留まった百合の花の絵に目を留めた。その絵の真下には、同じ模様のワンピースが展示されていた。

 鮮やかな赤い生地に、美しく咲き乱れる百合の花。オフショルダーの派手な服は一華には縁のないものだ。しかし、こうして眺めているだけで心が穏やかになる。買い物やおしゃれが好きな人の気持ちが、少しは理解出来たかもしれない。


「それ、私の中のお気に入りなのよ」


 ふと、声が一華の耳に届いた。仕事に区切りがついたらしい、三央は車椅子を動かし一華の隣までやって来て話し掛けてくれる。


「そうなのか。目を惹かれたから見てたんだ」


「そう。やっぱりお店の前に出してもらおうかしら……」


 ふむ、と考え込む三央に、一華は定期入れから一枚の名刺を取り出した。勿論、名刺を折らないように細心の注意を払う事を忘れない。三央は二宮と違い、ただじっと、温かみのある優しい瞳で一華の手元を見つめていた。


「二宮兄さんから預かってきた。三央姉さんにデザインを頼みたいらしい」


 一華から名刺を受け取った三央は、一華の手元を見守っていた優しい眼差しを消して、無表情で名刺を見つめた。三央はたまに、何を考えているのか分からない、冷めた目付きをする事がある。が、面と向かって何かを言うでもないし、三央の思案している事は一華には分からない。


「……確かに受け取ったわ」


「あぁ。……嫌なのか?」


 スマホのケースに名刺を仕舞う三央は、一華の問いを受けて可笑しそうに一笑した。


「前に一度、断ったお客さんなのよ。けれど、お兄様からの紹介とあらば嫌でも受けなくちゃいけないでしょう?」


 確かにそれは不機嫌にもなるだろう。今にも舌打ちしそうな雰囲気の三央に何と声をかけるべきか迷っていると、彼女を呼ぶ声が店内に響いた。その声は一華もよく知っているもので、三央と同時に声がした方へと視線を向ける。


「姉さん。このカーディガンだけど……って、一華ちゃん! 来てたの!?」


 肩口まで伸びた茶髪を一つに束ねた青年が、試着室から出てくる。深く青い瞳は海のように煌めいており、どこか光のない瞳を瞬かせて青年は一華を凝視した。

 一華や二宮、三央とは違い見る者を一瞬で引き付ける華やかさはないものの、無駄が削り取られた男らしい容姿や所作は、彼によく似合っている気がする。


 本条(ほんじょう)四音(しおん)。本条家の次男にして、一華と同じ音城学院に通う兄だ。


 一華は三央の車椅子を押して、四音の元へと移動する。


「四音兄さんこそ。ここにいるのは珍しいな」


「今度の品評会で出す新作を試着してもらっていたの。見栄えも問題なさそうね」


 四音は身長百八十を超えるしっかりした体躯の持ち主だ。長年嗜んでいる剣道によって培われた腕の筋肉を、より美しく見せる服を着こなした四音はまるでモデルのように見受けられる。


「似合っているぞ」


「あ、ありがとう……なんだか恥ずかしいな……」


 気恥ずかしそうに頬をかく四音をよそに、三央は手元のスケッチブックに何かを書きこんでいく。流れるようにペンを走らせた後、スケッチブックを閉じて穏やかな笑みを浮かべた。


「四音、着替えて構わないわ。ありがとうね」


「いえ。姉さんのお力になれたようでなによりです。一華ちゃん、一緒に帰る? 少し待ってもらう事になるけど……」


「まだ寄る所があるから、今日はいいよ」


 四音の誘いを断る事は申し訳なかったが、今日の内に済ませておきたい買い物があるのだ。本当は病院帰りにすぐ向かう予定だったのだが、頼まれてしまっては快諾する他ない。しかし急がねば、今度は夕飯の時間に間に合わなくなってしまう。


「一人で大丈夫?」


「遠い所ではないから大丈夫だよ。私用だから付き合わせてしまうのも申し訳ないし」


「そっか。じゃあ、気を付けてね」


「なら四音。裏で待っていなさい。これを纏めたら終わりだから、私と帰りましょう」


「分かりました」


 三央と四音の会話を聞き流しつつ、一華は壁に掛けられている時計に目を向ける。時刻は五時半を指していて、少しだけ焦りが浮かんできた。


「それじゃあ、またあとで」


 三央と四音に手を振り、一華は急ぎ足で店を後にした。

 頼まれていた用事は済ませたので、あとは私用を残すのみだ。まだ日が長い方だとはいえ、ちらほらと街灯が点き始めているし、すぐに暗くなるだろう。


 一華の私用、とは学校で使うノートの買い出しだった。残り数ページしかない事に気が付いたのは今日の授業の最中で、切れてしまう前に用意しておかないといけない。街のほぼ中心にあるショッピングモールで文房具を買う為に、人の波に沿って早歩きで進んだ。


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