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本条家当主継承戦  作者: 京町ミヤ
第一章 新たな当主
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第十六話 謝罪がこの世で最も嫌いよ

  《本条家屋敷・四音の部屋》


 ──九月二十六日。


 四音が目を覚ましたのは、翌朝の事だった。

 毒自体はもうとっくに分解されていたが、頭が痛くてまだ意識がぼんやりとしたままだ。四音は痛む頭を抑えつつ、ゆっくりと身体を起こす。そっと首筋に触れると、少し前まであった編紐がなくなっていた。


(負けたのか……)


 不思議と、悔しいといった感情は湧き上がってこなかった。どこかで分かっていたのかもしれない。自分は負ける、と。

 結局は四音には、五輝や六月の言ったように覚悟が足りなかったのだろう。重い溜息を吐いていると、そっと部屋の襖が開かれた。


「あら四音。目が覚めたのね」


「ね、姉さん……」


 車椅子からゆっくりと下りて、三央は四音の隣に腰を下ろす。そして四音の顔を覗き込んで、


「もう身体は大丈夫なの?」


 と問うてくる。


「は、はい。僕はどれくらい眠っていたのでしょうか?」


「丸一日よ。顔色も大丈夫そうね。ひとまず安心したわ」


 朗らかに笑みを浮かべる三央。心の底にすとん、と落ちる優しい声色に安心感を覚えてしまう。それと同時に、酷く申し訳なく思ってしまって。


「……すみません、姉さん」


 気が付けば、謝罪の言葉を口に出していた。三央は薄らと目を見開いてから、


「……どうして謝るの?」


 と、そっと顔を覗き込んで来る。顔を曇らせ、突然謝った四音を心配しているのか、その表情はどこか引き攣っているように見えた。


「不甲斐無い弟で……姉さんにも恥をかかせてしまいましたね……」


 すみません、ともう一度謝罪を口にする。今度は三央が小さく息を飲むのが分かった。眉尻を下げて困ったように笑う。


「おかしな事を言うのね、四音は。相手が二宮兄さんだったのでしょう? 仕方がないわよ」


「いえ……僕が未熟なせいです。僕なんかが弟で……ごめんなさい……」


 布団の上でぎゅっ、と拳を握り締める。自分のような小さな存在に、三央は優しく声を掛けてくれた。二宮はそもそも、一華以外の他の兄妹に関心がないに等しいので、実質三央は四音が頼れる唯一の存在とも言えるだろう。


 しかしそんな姉は幼い頃から身体が弱く、継承戦では不利ともいえる。父の暴挙を止めたかった。三央を守りたかった。目的の為に五輝達の誘いに乗ったのに、結局自分は何も出来ないまま敗北してしまったのだ。

 その事実が、大きな波となって押し寄せてきた。


「四音……。…………」


 三央が小さく溜息をついた次の瞬間、四音の頬に痛みが走る。パシンッ、と乾いた音が響いて、四音のぼんやりとした意識がそちらに向いた。

 それは、病弱な姉の弱々しい平手。しかし四音の意識をはっきりとさせる程には、力強い気がする。


「どうして、そんな事を言うの……」


 三央の声は至極小さいものだった。俯いてしまったので表情はよく見えなくなってしまったが、よく目を凝らすと小刻みに肩が震えている。


 確かに自身の言動を思い返せば、少し卑屈になっていたかもしれない。悔しさは感じていなかった筈なのに。三央の前になると、どうしても後悔の念が漏れてしまった。


 ……少し、甘えたかったのかもしれない。「貴方は頑張ったわ」と言ってほしかったのかもしれない。励ましてほしかったのかもしれない。結果として、三央を少し怒らせてしまったようだが、四音の卑屈な発言が気に入らなかったのだろう。


「姉さん……」


 ぷるぷると震えている三央の手を見つめ、四音は口を開いた。否、開こうとして三央に被せられた。




「分かっているのなら、どうして謝るの?」




 ……。


 …………。


 ………………?


「…………え?」


 長い沈黙の末、四音は呆けた声を出す事しか出来なかった。

 そんな四音の反応を無視して、三央は淡々とした声色で続ける。


「自覚があるのでしょう? 私の顔に泥を塗ったという自覚が。私、謝罪がこの世で最も嫌いよ。するのもされるのもね」


 着物の袖で口元を隠して、三央は冷たい視線を四音に向けた。普段なら穏やかに見えるたれ目の目が、四音の背筋を凍らせていく。


「貴方は自分を殺した相手に、謝罪のみで事を済ませますか? 違うでしょう。生まれてきた事を後悔させる程の拷問を施して、内臓を引き摺り出して、その身を焼き尽くし、人目に晒して嘲笑う。そうして初めて謝罪が成り立つの。私はそんなの嫌よ。心から私に謝りたいのなら、腹を斬る覚悟でその言葉を口にしなさい」


 言っている事が滅茶苦茶だという事しか、理解出来なかった。だが三央は滅多に冗談を言う人ではない。ましてや彼女の冷めきった視線は見た事がないのだから、四音にも彼女の本音であるという事は感じ取れた。


 すっ、と立ち上がり、三央は四音から背を向ける。


「あ、ね、……姉さん……」


 ここで謝罪の言葉を口にすれば、更に怒らせてしまうだろう。どういった言葉を口にすれば分からず、四音は絞り出すような声色で姉を呼んだ。


「気安く姉さんと呼ばないで。この木偶の坊が」


 三央は吐き捨てるように言った後、襖を強く閉められ一瞬大きな音が鳴る。だがその後に訪れた静寂が、四音の胸を締め付けた。

 叩かれた頬が今になってじんじんと響いている。


 十八年間、知らなかった姉の一面を見たダメージは大きかった。それも、四音がトラウマに感じている母親と似た姿を見せられたのだ。動揺どころでは済まなかった。呼吸が浅くなるのを感じながら、四音は布団から這いずるように抜け出す。


「……ぁ、あぁ……」


 がんがんと激しく響く頭痛も忘れて、机の引き出しをひっくり返してある物を探す。その間にも段々と顔色が悪くなり、今にも倒れてしまいそうだったが本人は気が付いていない。


 姉の言葉が、母の言葉に重なる。


 自分は在っても無くてもいい存在だと。役立たずだと。不要だと。半端者だと。能無しだと。封じ込められていた哀惜が溢れ出てしまう。


 指先が震え始めて。忘れられない恐怖が、蘇る。


「ぁぁああっ……あああああぁぁぁぁ…………!!!!」


 一際大きな音を立てて、引き出しの棚が倒された。中身は勿論、衝撃に耐えられずに飛び出てしまう。


 認められていた筈なのに。確かにそれまで自分という存在があった筈なのに。たった一瞬で、全て壊れて消えてしまった。


 床に散乱した写真やノート、文房具の中からそれ(・・)を見つける。覚束無い足取りでそれ(・・)が落ちている場所まで歩き、力が抜けたようにへたり込んだ。


 だがそれ(・・)は既に目の前にあった。戸惑う事なくそれを手に取り、カチチッ、と音を鳴らして銀色に光る刃を露わにする。振り下ろそうと身を引いた時だった。


「何してんのよ、きっしょ」


 それ(・・)──カッターナイフを持っていた手を掴まれて、四音は我に返ったかのように動きを止めた。とはいえ自分がこの後どうしようとしていたのか、それはしかと頭に残っていたまま。四音は振り返る事もせず、弱々しい声を絞り出した。


「…………離して、六月ちゃん……」


「離してもいいけど、アンタはそれでいいの? 手、怪我しちゃったら……また(・・)竹刀握れなくなるんだよ」


 普段は衣服に隠れて見えていないが、四音の両手首には何度も自傷した痕がある。今回しようとしていたように、自責の念をぶつけるようにして自身の身体を傷付ける事は、いつの間にか癖になっていた。


 母に叱られた時、テストの点数が低かった時、試合に負けた時。失敗する度に許しが欲しくて。許されたという実感が欲しくて堪らなかった。


 分かりやすく実感を与えてくれたのが、自傷行為だった。誰にも知られないように行ってきたのだが、運悪く六月には知られてしまっている。部屋から突如響いた物音と、四音の嗚咽に驚いてやって来たのだろう。顔が見えないので表情は想像もつかなかったが、窘める声はどこまでも優しいものだった。


「本当に、それでいいの?」


「……いいよ。どうせ僕には……生きる価値すらないんだ……」


 だがもう、四音にとってはどうでもいい事だった。どうせなら、殺された方がマシだったかもしれない。今の四音はそう思い詰めるしか出来なくて。

 そんな四音の態度に苛立ったのか、六月は無理矢理カッターナイフを取り上げると、露わになっている刃先を四音に向けた。


「……僕を殺すの?」


「そうしたいのは山々だけど。アンタには死を与える価値もないわよ。次自分を卑下するような事言ってみな。その長くて鬱陶しい髪の毛切り刻んであげる」


 六月がどうして怒っているのか、四音には理解出来なかった。


 それこそ数日前まで(今もそうだが)六月は四音の事なんてどうでもいい、といった発言をしている事の方が多かった。だからこそ四音は彼女の気に障らないように気を付けてきたつもりだった。


 だが目の前でカッターナイフを握り締める彼女はどうだろうか。今にも泣きそうな表情で言葉を紡いでいる。


「……六月ちゃんが……よく分からないよ。君は、どうして……」


「目的があるからに決まってんでしょ」


 何を今更、と言いたげに六月は吐き捨てるように言った。


「アンタにもあるんでしょ。だから渋々アタシ達の案にのった。簡単に自分の意思捻じ曲げてんじゃないわよ! バカ四音! バカバカ! アンタの兄妹は……三央だけじゃないんだから!」


 それだけ言い切ると、六月は腕を下ろしてカッターナイフの刃を仕舞う。そしてくるりと四音から背を向けて、散らばっていたノートを纏め始めた。


「む、六月ちゃん……?」


「こっち見んなバカ! さっさと片付けなさいよ!」


 恐る恐る顔を覗き込めば、六月はふいっ、と顔を逸らして早口気味にそう言った。いつもと変わらない彼女が見せてくれた優しさ。きっと励ましてくれたのだろう。


「……ありがとう」


「……うっさい。それにさっきの、一華の受け売りだし」


「でも僕に伝えてくれたのは六月ちゃんじゃないか。ありがとう」


「二回も言うなっての!」


 心なしか、そっぽを向いている彼女の耳が赤いような気がした。そんな彼女の後ろ姿を一瞥した後、四音も片付けに専念するのだった。


(別に、後でもいいか……)


 そんな事を、頭の片隅で思いながら。


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