第十四話 本条四音
《墓地》
──九月二十五日。
午前十時。四音は左手に刀を、右手に小さな紙切れを握り締めながら山道を進んでいた。
継承戦が終えるまでは休学を認められているとはいえ、堂々と平日の朝に道を歩くのは忍びなかった気もする。四音の表情は決して明るいものとは言えず、まるで死地に赴く戦士のような面持ちで足を進めていた。
(まぁ、間違いじゃないんだけど……)
ふと立ち止まり、右手に握り締めていた紙切れに視線を落とした。
『朝十時、墓地の奥の裏山で待つ』
そう書かれた手紙が、今朝方四音の枕元に置かれていた。継承戦が始まって五日。今日の今日まで誰も動こうとしなかったというのに。まさか自分が一番に闘う事になろうとは思わなかった。それも相手が──
「やぁ四音君。時間ピッタリ。流石、成績優秀な真面目君だね」
二宮だとは予想だにしなかった。
二宮はにっこりと笑ってそう言うが、彼の言葉が皮肉だという事は鈍感な四音にでも分かる。彼の纏う雰囲気は、すでに殺気立っていたのだから。
「……直接呼んでくれても良かったんですよ」
「そうしても良かったんだけど、周りに騒がれちゃ困るからね。それに、果たし状みたいで面白いでしょ」
ちっとも面白くない。その言葉を飲み込んで、四音は気を引き締める。二宮はいつ動いても可笑しくない。彼の武器である花槍を見据えつつ、口を開いた。
「どうして僕をここに呼んだのですか?」
「ふふっ、面白い事を聞くね、君は。刀を持って来ている時点で、答えは分かっているものだと思ってたよ」
引き続いて笑みを浮かべているが、四音の手にしている刀を見る視線は冷めきっている。
「邪魔者はさっさと消した方がいい。子どもでも理解出来る事だよ」
「……兄さんは、僕を殺しますか?」
四音の問いに、二宮は予想外の質問に面を喰らったかのように目を見開いた。
「…………。」
沈黙。すぐに答えが返ってくると思っていたが、二宮はただ黙ったまま微動だにしなかった。しかし、やがて息を大きく吐いて、
「闘う気がないなら帰れば?」
そう、冷たく言い放った。そこに先程までの穏やかな笑みはない。静かな殺意を隠す事なく放ち、目を細めて続ける。
「この五日間、誰も行動しなかった。なら僕が動くしかないんだよ。長子はいつだって先陣をきって行動しなくちゃいけない。例えその気がなくてもね。君には、この辛さは分からないだろうけど」
「……どうして僕なんですか?」
「だって君は次男じゃないか。腹が立つんだよね、上の立場なのに何もしない奴って。それとも……僕を殺して長男の苦しみを味わってみるかい」
「兄さん。僕は、勝負を受けた限りは誠心誠意受けて立ちます。覚悟は、勿論おありですね」
静かに、四音が刀を構えた。それに続くように、二宮が花槍を構える。
「へぇ……君でも一丁前に挑発とか出来るんだ。じゃ、始めようか」
長男と次男。初めの戦いは、男の年長者が。
静かながらも、確かな殺意を持った挑発を終えると、二人はほぼ同時に駆け出した。
──第一戦目 長男・本条二宮 VS 次男・本条四音──
※※※※
──十年前。
四音の母、三条金代は本条家に忠誠を誓った筈の、三条家の血を引く人だった。現三条家当主の鈴の妹で、教師として働いていたらしい。しかし情報としての事柄以外、母個人の記憶なんてないに等しい。幼い時に死んだ、というのもあるが、母と何かを話した覚えもなければ遊んだ覚えもないからだ。
母は病弱な姉につきっきりだった、と言えば聞こえはいいだろう。実際には、四音は見限られていたのだ。そう、五歳の頃には理解してしまった。
凡人に毛が生えたくらいの中途半端な、才能ともいえない才能。自分でもそう思うし、だからこそ努力を積み重ねたつもりだ。その時は結果も出せたし、努力すれば報われると信じてやまなかった。それを嬉々として伝えた時に、母は呆れたように目を細めて言い放ったのだ。
「大した人間でもないのに自慢気に語らないで」と。
母から言われた言葉は、今でも心の奥に絡みついている。
ただ一言「頑張ったね」と、「凄い」と言って欲しかっただけなのに。
母からの愛情が欲しくて、でも姉の事も大切だからずっと一人で我慢して。
我慢しても、努力しても欲しいものは得られなくて、四音は誉れを望む事は許されないのだと、そう解釈した。
やがて母がこの世を去ると、突然父に連れられて本条家の屋敷で生活する事となった。父からの関心もなく、兄妹達と深く関わるでもなく、孤立するでもなく。いわばここでも、四音は“普通”の存在だった。
八歳の頃になって、暇潰しがてらにと剣道を習い始めると、父の関心が少しだけ自身に向いた気がした。父も剣道を嗜んでいたし、どこか嬉しかったのだろうか。それでも指導してくれるでも、褒めてくれた訳でもないが。
だがその時、記憶に残っている事がある。
当時七歳の妹である一華が、素振りをしていた四音に言った言葉だ。
「剣道をやってる四音兄さん、かっこいい! 私も強くなりたいし、剣道始めてみたいな」
本人にとっては何気ない、素直な感想だったのだろう。目を輝かせて述べるなり、その場を去っていってしまった。だが四音にとっては暗闇の中に現れた一筋の光のように明るく、暖かく、優しかった。思わず涙が出そうになったのをよく覚えている。
四音が今でも剣道を突き詰めてこれたのは、紛れもなく一華の言葉があったからこそだ。結果を求める事はしていないが、それでも嬉しく思う。努力する事を苦だとは思わなくなっていた。
一華のようにカリスマ性がない訳でもない。
二宮のように何かに対する欲求がない訳でもない。
三央のように秀でた才能がない訳でもない。
五輝のように先を見据えていない訳でもない。
六月のように社交的でない訳でもない。
七緒のように野心がない訳でもない。
八緒のように全てを許せる優しさがない訳でもない。
九実のように愛嬌がない訳でもない。
何かに突出しているでもない、至って普通。それが本条四音という人間だ。
だがそれは、一歩間違えれば悪い方向へと感化されかねない。
五輝と六月に唆され、父を殺める企てに乗ってしまったように。己がない人間は、その場の状況にあっさりと流されてしまう。
四音自身が、痛い程に理解している。そんな彼が今の今まで“突出した才能を持っていない本条四音”で在れたのは、彼自身の“才能”である。
──一華が認めてくれたこの存在を、もっと強く、誰かに僕という存在を焼き付けたい。誰か一人でもいい。少しでもいい。僕だって、確かな存在があると。
この刀で、培ってきた力で、当主になりたいと。
当主になって、認めてもらいたい。
そんな単純な理由でも、それが四音にとっての全てだった。しかしそれは四音にとって満足できる結果でも、誰もが納得するとは思えなかった。当主になりたくない、といえば嘘になる。
そこで四音は気が付いた。
当主にならずとも、己が実力を示せば良いのではないだろうか、と。
そうと決まれば、後は行動するのみだ。
目の前の兄を倒して、前に進む。
そうしたら。……そうしたら。
一華を、助けてあげられる。道標を掲示してくれた彼女の為に。自身の父によって、彼女の人生の歯車を狂わせてしまった償いを。
『僕が勝てば。当主の権限を一華ちゃんに委託する』
それが本条四音の、本来の目的だ。




