第十三話 貴女の考えはただの理想論だ
《一条家・リビング》
さて、と椅子に腰掛ける一華の向かいの席には白羽が。隣には亜閖が座っていて、場の空気に緊張感を覚えているのか、その表情はどこか硬いものだった。
これから三人で、継承戦での方針と大まかな作戦を決める。特別ルールの起用によって、本来なら参加権のない白羽も参加するというのは一華も知っている。彼の実力は計り知れないが、味方がいて心強い事には変わりない。
一華は屋敷に戻る、と言ったのだが、まだ安心は出来ないと引き止められてしまったのだ。先日、一華を襲った者達の正体も掴めておらず、再び襲撃に遭った時の事を考慮しての判断でもある。継承戦が終わるまで、一華は白羽の家に身を置かせてもらう事となったのだが、家事もろくに出来ない一華には罪悪感が募っていくばかりだ。
現状一華に出来る事といえば、継承戦で勝利を収める他ない。そう区切りをつける事にして、一華は口火を切った。
「作戦を立てる前に、伝えておきたい事がある」
「何かな?」
「私は……誰も殺さずに、誰も欠ける事なくこの継承戦を終わらせたい」
小さく息を飲んで動揺を露わにする白羽と亜閖に、九実と約束した旨を伝える。
「九実君と、『誰も死なせない』と約束したんだ。継承戦は基本的に殺し合いだ。相手を殺しても咎められないし、むしろ穏便に済んだケースの方が少ない。だが私は、そうはしたくない。兄さん達を守る為に闘いたいと思う」
一華の話を静聴していた白羽は、困ったように眉尻を下げた。サングラス越しに薄らと見える彼の目も、どこか迷っているような気がした。
「……一華さん。僕は戦いの訓練も受けているから、対人戦も遠距離戦もサポートも出来る。けど、手加減程難しいものはないという事を分かっておいてほしい」
「重々承知の上でだ。承知の上で、私からは闘いに行かないのが得策だと思う」
「えっ!? ど、どういう意味っすか一華さん!」
身を乗り出して亜閖は一華を見つめる。確かに、一華の言い方では戦いを放棄する、というふうに聞こえてしまったかもしれない。
「正直のところ、私も手加減は苦手だ。だから私からは何もしない。何もしなくても、兄さん達は動くだろうから……」
考えたくもない事だが、二宮達は兄妹を殺す事に抵抗を持っていないだろう。四音はどうか分からないが、注意するに越した事はない。
そして、一番気を付けたいのは七緒と八緒だ。二人は間違いなく、二宮に恨みを持っている。七緒の性格から考えても、行動しないという事はまずありえない。
「そうだな……闘う兄さん達を見守って、殺しそうになったら止めに入る、という感じで……」
「甘いよ、一華さん」
バシッと切り捨てられるかのように、白羽の厳しい声がした。
「僕も彼等の事は知っている。だからこそ、その考えは甘いと思います」
「白羽さん……」
「真正面から闘えば、一華さんは勝てる。それ程の力を貴女は持っています。でも、一華さんのその作戦では……」
「確かに、一華さんは狙われない前提、って感じがするっす」
一華とて、闘わないといけないとなった時に、二宮達と闘う覚悟は出来ている。が、それでは駄目なのだ。当主になるという目的は変わらないが九実の為に、そして何より自分の為に、兄妹達を殺さずに継承戦を終わらせたい。
だがそれは一華の我儘でもあって、白羽と亜閖を説得させる材料がある訳でもなくて。
「……やはり、厳しいよな……」
そう呟くしかなかった。
白羽は亜閖と困ったように顔を見合わせてから、問い掛けた。
「そうだね。こう言っちゃあ申し訳ないけど、彼等とは血は繋がってないんでしょう? どうしてそこまで肩入れするの?」
「長年一緒に暮らせば、赤の他人でも家族だろう。夫婦だってそうして一緒になるのに、何か可笑しいところがあるか? そもそも、血の繋がりを重視するなら、私の方こそ除け者じゃないか」
本条家の正当な血を引くのは一華だけとなるが、血の繋がった兄妹と見た時に孤立するのは一華の方だ。裏の世界では血統が重視されるが、一華は差別的な目を向けられていた母の姿を知っていたからこそ、血統だけで判断しようとは思えない。
十年以上、同じ屋敷で時を過ごしてきた家族を認められないのが歯痒くて、思わず机の下で拳を握り締める。そんな一華を心配そうに亜閖は見つめていたが、白羽の表情は変わらなかった。
「……部外者の僕が介入するのは間違っていたね。でも僕の主張を変える気はないよ。貴女の考えはただの理想論だ」
サングラス越しの視線が痛い。それでも怯まずに見つめ返していると、白羽は小さく笑みを漏らした。
「……と、これが従者としての僕の意見。主が危険な橋を渡ろうとしていたら止めて、新しい橋を用意する。それが僕の仕事だよ」
「お兄さん……」
「でも、理想論は好きだよ。その理想論を現実にして、人を驚かせるのがこの上なく面白い。だから、僕個人としては貴女の意見に賛成」
それはつまり、一華の意思を汲んでくれるという事だろうか。聞き返す前に白羽は笑みを深めて言った。
「さ。作戦を立てようか。御兄妹を死なせずに、一華さんを当主にたたせてみせる」
「! ありがとうございます!」
白羽と協力して継承戦を勝ち抜く為には、先に彼に一華の決意を理解しておいて欲しかった。理想論だと痛いところを突かれたが、受け入れてくれたようでひとまずは安堵する。隣で亜閖も息をついたのが分かった。
じゃあ、と白羽が仕切り直して、作戦会議が開かれたのだった。
※※※※
男は二度と、この地に帰ってくる事はないと思っていた。否、こんなに早く帰ってくる事になるとは思っていなかった。黄金の瞳を動かして、男は背後に音もなく現れた相手に話し掛ける。久しいな、と。
「貴方がこの地へ来るのは、何年振りですかね」
懐かしむかのように言う相手に、十年二カ月十八日と三時間四十六分振りだな、と答えれば目の前の男は失笑を漏らして、
「継承戦が始まります。裏の世界から身を引いた貴方の耳にも入っていると思いますが」
と、要件だけを口にした。
継承戦、懐かしい響きに感じる。男も昔、そのようなイベントに参加した事があるが、あまり面白いものではなかったとすぐに忘れてしまっていた。
それでも男が、継承戦が開催されると耳にしてやって来た理由はただ一つ。
当然だろう。愛すべき子の晴れ舞台だぞ。と、ただそれだけの理由だ。それを聞いた相手は、呆れたように溜息を零す。
「……それは結婚式で使う言葉では? まぁ、今回は我々も仕事がありますから、傍観に徹して頂ければ幸いです」
彼奴が継承戦に関わっているとは初耳だった。誰かが手を回したのだろうが、それは男の知るところではない。
分かった、と短く返事をして、男は歩き始める。
向かった先は本条家の屋敷から少し離れた場所にある墓地。すでに夜も更け、扉を閉めて人の出入りを禁じている時間帯だ。男以外に人の影はない。
男はまっすぐに歩いて、ある人の石碑の前に立つ。
あぁ、本当に死んでしまったのだな。他人事のように呟きながら、男はしばらく立ち尽くしたまま動かなかった。手も合わせず、線香をあげる訳でもなかったが、男は確かに彼女の死を嘆いていたのだろう。
黄金の瞳が、微かに濡れていた。




