第百二十七話 ただいま、と言ったんだが?
「さみぃ〜」と呟きながら、ぷらぷらと街を歩いていた。少しでも寒さを凌ごうと、はあ、と息を吐き出して、手を擦り合わせる。
すると、視線の先に自動販売機が見えた。冬の自販機で買うあったか〜い飲み物といえば、コンポタ一択である。
お金を投入して、ウキウキ気分でコンポタのボタンを押したが、
「あ……」
出てきたのは、おしるこだった。
業者が入れ間違えたんだなぁ、と思いながら、九条氷利はおしるこを手に取る。
「マジかぁ……よりによっておしるこて。苦手なんだよなぁ」
もう一本買うにしても、このおしるこはどうしようか悩みものである。家に置いておいても、月一で来る父は飲まないだろう。それは、泉も同様だ。飲んでいるイメージがないのだから。
「あ、もしかして九条さんですか?」
「ん〜?」
頭を悩ませていると、どこかで聞いた事のある声がした。ゆっくり振り返ると、そこにはふわふわとした水色髪に、赤い瞳をした少年が立っていて。
今しがた氷利に話しかけてきた彼は、本条家五男の九実だ、と瞬時に理解した。
「およ、君は……九実君だよね?」
確認のために問いかけると、九実は笑顔で頷いてくれる。
「はい。お久し振りです」
「おひさ〜。そうだ、九実君っておしるこ好き? コンポタ買おうと思ったんだけど、違うの出てきちゃったんだよね」
「いいんですか?」
「モチのロンだよ。それか、他のがいい?」
「いえ、僕おしるこ好きなんです。ありがとうございます、九条さん」
「いやいや、運が良かったね。あたしも君も」
ほい、と手にしていたおしるこを九実に渡して、氷利は今度こそ目当てのコンポタを買うべく、お金を投入する。
今回は、ちゃんと目当てのものが出てきてくれた。よしよし、と頷いて、缶を軽く振りながら九実に問いかける。
「そだ、九実君はどうしてここに? お友達と遊ぶ予定とか?」
「知り合いに会ってきたところなんです。もう帰るつもりですよ」
「一人で? 世の中物騒だし危ないよ?」
「大丈夫です。気をつけてますから」
「そう?」
しかし心配だ。九実はまだ十歳くらいのはずだし、気をつけていても被害に遭ってしまう事はある。ましてや、境遇が境遇だ。人一倍、誘拐されたり襲われたりする確率は高いだろう。
屋敷までそう遠くはないが、何かあってからでは遅い。
「じゃあ、お姉さんが屋敷まで送ってあげるよ」
そう、提案してみる。
すると九実はきょとん、と目を丸くさせた。
「九条さんは用事があるんじゃないのですか?」
「あたしは適当に散歩してただけだよ。暇だし、お姉さんに任せなさいな」
「……では、お願いします」
屋敷までの道のり、コンポタを片手にゆったりと歩く。九実もおしるこを堪能しているらしく、にこにこと効果音のつきそうな笑みを浮かべていた。なんとも可愛らしい表情である。
しかしふと、九実は子どもらしい表情を消し去って、氷利を見上げた。
「……あの、九条さん」
「ん〜?」
「九条さんって、一華お姉様の従者さんですよね」
「そうだよ〜。一華ちゃんが使う武器の手入れをしたり、必要な武器を用意するのが仕事だよ。白羽君や泉さんみたいに、傍にいる事は少ないんだけどね。意外かな?」
「いえ。残念だなぁ、って思っただけです」
「残念? どういう意味かな」
九実の言いたい事が分からない。まるで、何かを探ろうとしているかのような口振りに、氷利は少しだけ嫌な予感を覚えた。
そして、その予感は的中する。
「……九条さん。一華お姉様を裏切った事ってありますか?」
「……………………」
なんつー質問をするんだ、と氷利は目を見開いた。
血のように赤い瞳が、氷利の心の奥底を見透かすかのように、まっすぐ向けられている。九実はまだ子どもだ、単に気になった質問をしているだけ────とは、到底思えなかった。
恐怖心すら抱いてしまいそうになる、不気味さを兼ね備えている。
これは、逃げられないかも、と氷利はゆっくりと唇を動かした。
「……あるよ」
正直に答えると、九実はじっと目を細めた。
まるで、「早く続きを語れ」とでも言わんばかりの目力だ。
「……一華ちゃんの好きなおやつ、食べちゃった事ある」
「…………」
ぱち、と九実は目を瞬いた。もう、先程のような不気味な目力はどこにも見られなかった。
その隙に、氷利はわざとらしく言ってやる。
「イマドキの小学生は探偵ごっこが流行ってたりする? あたし等の時もやってたけど、そういう事なら付き合うぞ〜」
「……はい。実は、学校で流行ってるんです」
「そっか。楽しいもんね〜、ごっこ遊び系は」
これは、誤魔化したとバレてしまっただろうか。と氷利は一瞬だけ視線を逸らした。
──一華を裏切った事は、ある。彼女の好きなおやつを食べた、なんて可愛いものではない。それこそ、一生許されないような、最低最悪の裏切りをした事がある。
「……さっきの質問だけどね、本当にあるよ。あまりにも酷い裏切りだから、とても言えないけど」
呟くように口にすると、九実は何も言わずに氷利を見上げた。
「一華ちゃんに知られたら、きっと嫌われちゃうからさ……黙ってるんだ。悪い大人でしょ」
「……お姉様は、九条さんの事が大好きなんです。お姉さんのように慕っている、と見ていて思います。だから、嫌ったりしないですよ」
「……だといいなぁ」
出来る事なら、言いたくない。自身の事を姉のように慕ってくれる一華に、嫌われたくない。一華だけではない、氷利の好きな人達にも知れ渡ったら、もう顔を上げて生きていけない気がするのだ。
こんな小さな子に口を滑らせてしまうなんて、余裕がないんだなぁ、と氷利は溜息をつく。
幸いと言ったところか、目的地である本条家の屋敷はすぐ目の前にあった。やっと解放される、と氷利は内心安堵してしまった。
「ほい、着いたよ。それじゃ、またね」
「はい。ありがとうございました」
ぺこり、と一礼して敷地内に入ったのを確認してから、氷利は「あたしも帰るか」とアパートに向かって歩き始める。
途中、設置されていたゴミ箱に空き缶を捨てて、氷利はコートのポケットに両手を突っ込んだ。幾分か温まったとはいえ、やはり寒い。
今日の夕飯はカップ麺にするか、それとも何か作るか。シャワーで済ませるか、お風呂を沸かしてゆっくり入るか。
どうしようかな、とこれからの過ごし方をぐるぐる考えていると、
「九条さん!」
と、どこからか声がした。
思わず立ち止まり、辺りを見渡すと一華の姿が見えた。その後ろには、白羽の姿もある。
このタイミングで会っちゃうか……、という気持ちを心の奥にしまって、氷利は満面の笑みを浮かべて手を振った。
「あ、一華ちゃん! 白羽君もやっほー! 元気にして────」
氷利の言葉を遮って、一華は飛び込むように抱き着いてきた。ものすごい勢いで、数歩よろけてしまったが、なんとか留まる。
「おっとと……どうしたどうした。そんなにあたしに会いたかったのかい?」
からかうように聞くと、一華は氷利の肩口に顔を埋めたまま頷いた。
「あぁ、会いたかった」
「……そっか。嬉しいなぁ」
よしよし、と頭を撫でると、一華はぎゅっ、と抱き締める力を強める。ちょっと痛い。
「氷利さん、すまなかった」
そして、突然紡がれた謝罪の言葉に、「えっ」と息を飲んだ。
「どうしたの、本当に。あたし怒ってないよ?」
「違うんだ……その……」
氷利から身体を離した一華は、視線を下に向けたまま続ける。
「なんて言ったらいいか分からないんだが……。私は、氷利さんを助けたいと思っている」
「…………」
どれだ。どれの事を言ってるのだろう。
心当たりがありすぎて、迂闊に言葉を口に出来ない。いっそ、カマをかけている、という可能性もある。
「……ありがとう。でも、あたしは今、困ってる事なんて何もないよ。あたしは、一華ちゃんのお姉さんみたいなもんだし、むしろ頼ってほしいのさ」
「だが……」
「それに。あたしは……一華ちゃんに助けてもらう資格はないんだよ」
酷い裏切りをしてしまったのだから。本当なら、一華に気にかけてもらう資格も、こうして一華と接する資格もないのだから。
「あたしはだいじょーぶ。だいじょうぶいっ! 今度、また一緒にご飯食べに行こーね!」
「……あぁ」
一華は、諦めたように頷いた。
氷利はにっこりと笑みを浮かべて、「そんじゃーねっ!」と背を向けて歩き始める。
しばらく歩いて、一華達から離れた事を確認してから、氷利は重い溜息をこぼしたのだった。
「……本当に、ごめんなさい……」
そして、誰にも聞こえないようなか細い声で、氷利はそう口にした。
※※※※
一華を屋敷まで送り届けると、「ちゃんと安静にしてくださいね」と念を押して白羽は帰ってしまった。交際している事がバレないためにも、それでいいと言ったのは一華の方だが、少し寂しい気もする。
我儘な自分に呆れながらも、「ただいま」と玄関を開け、靴を脱ぐ。
すると――
「一華ちゃん」「一華ちゃん!」「一華ちゃん……」「一華」「いちかー!」「姉貴!」「お姉ちゃん!」「お姉様!」
ドタドタと騒がしい足音とともに、兄妹達が詰め寄ってきた。
「あ、あぁ……前のめりになって珍しいな……」
こんなに焦った様子の皆を見るのは、初めてに近いような気がする。何かあったのだろうか、と疑問を抱くよりも先に、それぞれ要件を口にしていく。
「ちょっと相談があるの。いいかしら」と三央。
「ズルいぞ三央! 俺が先!」と七緒。
「僕もお姉様に伝えておきたい事がありまして……」と九実。
「一華ちゃんに、謝らないといけない事があって……」と四音。
「うん……めっちゃ驚くと思う」と八緒。
「特に何もないけどお喋りしたい」と二宮。
「同じく!」と六月。
「学校からプリントを預かっている、それだけだ」と五輝。
「……全員ストップ」
頭がパンクしそうだった。両手で兄妹達を制して、一華はとりあえず五輝から差し出されていたプリントを受け取る。
「順番に聞くから……。まずは、プリントありがとう。四音兄さんと八緒ちゃん、謝りたい事とは?」
八緒いわく、「めっちゃ驚くと思う」との事なので、先に聞いておこう、と一華は思ったのだ。
「…………」
そして、その惨状を目にした瞬間、一華は言葉を失った。
穴の空いた天井。綺麗な空が見えてしまっている。襖や障子も破れており、飾られていた置物も砕け散っていた。
何をしたらこんな事になるんだ、と一華が無言で振り返ると、
「「「すみませんでした」」」
と、即座に謝罪の声があがった。
「……まさかとは思うが、兄妹喧嘩でこうなったのか?」
「ではないのだけど……」
「襲撃者が来たから追い返そうと思ってこうなったの」
じっとりと目を細めていた一華だが、八緒からその言葉を聞いた瞬間、はっとした。たしかに、襲われたと言われれば納得のいく状況だ。慌てて、怪我を負っていないか確認する。
「襲撃者だと!? 怪我はなかったか!?」
「うん。それは大丈夫だよ」
「ならいい。怒らないよ」
部屋の修理はしなくてはならないが、そんな事よりも皆が無事でよかった、と一華は息をついた。
しかし、八緒の次の一言で、再び一華の顔から血の気が引いていく事となる。
「でね、簡単に説明するとお兄ちゃんがロベール家の坊ちゃんと揉めてね」
「何をしているんだ!?」
ロベールといえば、アーサーの母の旧姓である。事と次第によっては大問題に発展しかねない。一華は七緒に詰め寄り、肩を掴んで揺さぶった。
「七緒君、まさか相談ってそれか!?」
「いや、あれはもう片付いたから大丈夫」
ぶんぶんと揺さぶられながら、七緒は笑った。笑い事ではない。
「相談っていうのは……」
と、七緒が口にしたので、一華はぱっと手を離した。
「…………」
けれども、七緒は唇を閉ざしたまま、何も口にしなかった。一華には話しにくい事なのだろうか、それとも二人の方がいいのだろうか、と考え始めた頃。
七緒はばっ、と両手で顔を覆って、
「いやん恥ずかしい! やっぱムリ!」
と悲鳴にも近い声で言った。
こんな様子の七緒を見るのは初めてだ。一体どんな相談なのだろうか、と一華は気になって仕方がなかった。
「どうしたんだおい。何があったんだ七緒君。気になるじゃないか」
「なんかすごく恥ずかしい! ムリ! 兄妹に恋愛相談とかなんかヤダ!」
まさかの恋愛相談、と一華は息を飲んだ。それも七緒から。
ますます気になってきた一華の横から、ニヤニヤと笑みを浮かべながら六月がからかう。
「へぇ……やっぱジョゼットさんの事好きなんだ〜」
「なーーーーーっ!!」
なるほど、相手は「ジョゼット」という名らしい。名前が出るなり、七緒は顔を覆ったまま八緒の元へと駆け寄り、そのまま彼女の背に顔を埋めて縮こまってしまった。
「六月お姉ちゃん……お兄ちゃんは恥ずかしがり屋なんだから勘弁してあげて」
「七緒とは無縁の言葉でしょ」
「まぁ、それは後で聞こう。長くなりそうだ」
とはいえ、悩んでいるのなら話は真剣に聞くつもりだ。一華に恋愛のアドバイスなど出来ないだろうが、純粋に気になるのだ。
さて、と一華は九実へと向き直る。
「次は、九実君の伝えておきたい事とやらを聞こうか」
「九条氷利さんにおしるこをいただきました! 美味しかったです!」
「そうか、よかったな」
先程、氷利は屋敷の方から来たので、もしかして、と思っていたのだが、どうやら九実と一緒だったらしい。
あとでお礼を言っておかねば、と頭に留めて、九実の後ろに立っていた三央に視線を向ける。
「三央姉さんは?」
「……………………」
びく、と三央は肩を揺らして、そっと視線を逸らした。彼女も、人の多いところでは言いにくい悩みを抱えているのだろうか。
「後にするか?」
「……いえ、その……」
三央に手を引かれて、兄妹達が集まっていた場所から少し離れた場所で、語り始めた。か細い小声で。
「ある人に告白されたのだけれど、本条家的にはジョーンズ家って縁を持った方がいいのかしら」
「ジョーンズ家……ジェームズさんか?」
「声が大きいわよ。それよりどうなの、私結構やらかしてしまったというか、向こうがその気でいるうちに関係築いていた方がいいかもしれなくて、というか告白の返事ってどうすればいいのか分からなくて、てか相手未成年なんだけどどうすればいいの!?」
「落ち着いてくれ姉さん」
「落ち着いていられないわよ! あの人私の事を美化しすぎているわ! どうやったら初対面でジャケットにお酒をぶっかける女を好きになるのよ! 初デートで大量の荷物持たせて、焼肉食べたいとか言う女の……いやぁぁぁぁ思い出しただけで恥ずかしいやっぱり無理!!」
「三央姉さんまで!?」
三央が恋愛相談というのも、これまた驚きだが、七緒同様に顔を隠しながら部屋を飛び出してしまった。
今までに見た事がないほどの全力疾走である。三央が走っていった廊下に出ると、すでに彼女の姿は見えなくなっていて。
「からかうの、めっちゃ躊躇うんだよね……」
「そっとしておいてあげてくれ」
一華が留守にしていた間に、こちらもかなり色々あったらしい。結論は、それだった。
羞恥からか、部屋でのたうち回っていた三央を居間に呼びつけて、一華達は机を囲むようにして座っていた。
兄妹達から話を聞いて、ある程度の事情は把握出来た。
次は、一華が報告をする番である。
「えっと……私からも、皆にいくつか報告しておく事がある」
そう前置きすると、兄妹達の視線が一斉集まる。真剣に見つめられると緊張してしまうが報連相は大事だ、と一華は口にした。
「私は今、鼻が折れている」
一華から知らされた事実に、兄妹達は前のめりになって驚きをあらわにする。
「何故それを先に言わないの!?」
「魔法術でくっつけてもらっているし、外見だけ先に治してもらったんだ。まぁすぐに治るだろう」
骨折なら今までにも何度か経験があるし、傍目から見れば何ともなさそうなのだから、そう心配される事でもないだろう、と一華は笑みを張りつけて言うが、二宮は納得していない様子で言った。
「そういう問題じゃないよ。もっと自分を大切にして」
「二宮の言う通りよ。一華可愛いんだから、顔の怪我なんて絶対ダメなんだからね!」
「……あぁ。気をつけるよ」
傷なんて、数え切れないほど負っているし、これからも増えていくものだと思っていたが。大切な人に、心配させるのもよくないな、と一華は考えを改めた。
「それから、もう一つ」
一体どんな報告があるんだ、と固唾を飲んでいる兄妹達に、一華は薄らと頬を赤くさせて、
「……ただいま、と言ったんだが?」
と、唇を尖らせた。
兄妹達も話したい事があったのは分かる。しかし、肝心の挨拶がされていない、というのは、一華にとって不服だったのだ。
兄妹達はそんな事か、と笑って、
「おかえり」
と言ってくれた。
ようやく、家に帰ってきたという実感が湧いた気がして、一華も笑った。
これにて第五章完結となります。
六章の掲載時期は未定です。




