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本条家当主継承戦  作者: 京町ミヤ
第五章 『大掃除会』
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第百二十四話 またお会いしましょう

 七緒と、六月と着ていた服を入れ替えたジョゼット。二人は、時計塔の下まで戻ってきていた。


〈ジョゼットさん、知ってる人はいるか?〉


〈いえ……〉


 きょろきょろと辺りを見渡し、静かに首を横に振るジョゼット。休日で人通りも多いため、知り合いを見つけるのも困難だ。


 危険だが、もう少し人が少ないところへ移動してみよう、とジョゼットに提案しようとした、その時だった。


〈ジョゼット……?〉


 知っている声がした。

 二人同時に振り向くと、そこには美しい金髪の男性が立っていて。


〈お……〉


 その姿に、ジョゼットは唇を震わせた。

 そして、七緒も驚きのあまり目を見開く。


〈お父様!?〉

〈マティスさん!?〉


 フランス国主、マティス・サンジェルマン――――ジョゼットの父がいたのだから。


 マティスは七緒が一緒にいる事に気付くと、はて、と首を傾げた。


〈七緒君……どうして君が一緒に? グラシアン君はどうしたんだい〉


〈それは……〉


 ジョゼットがわけを話そうとした瞬間、〈ジョゼット!〉と名を呼ぶ声が聞こえてくる。それも、聞いた事のある声だった。


〈ジョゼット。今までどこに行っていたんだい〉


〈ぁ……〉


 その姿を目にした瞬間、ジョゼットの顔がさっ、と青ざめた。まるで別人のような表情と言葉遣いで、ジョゼットに駆け寄るグラシアン。咄嗟に七緒が間に入ると、グラシアンは一瞬だけ顔を歪めた。


 どうやら、グラシアンが会う約束をしていた相手はマティスだったようだ。そして、彼の前では猫を被っている様子。


 その場で立ち止まったグラシアンは、にこりと笑みを張り付けてジョゼットに手を差し出した。


〈初めての日本で迷子になって、怖かっただろう。さぁ、こっちへおいで〉


〈…………〉


 伸ばされた手を見て、ジョゼットは思わず後退る。あまりにも優しい笑顔が、怖くて堪らないのだろう。胸の前で組まれた手が微かに震えていた。


〈大丈夫。俺がついてるから、安心して〉


 グラシアンが手を出してこようものなら、その前に殴りかかる準備は出来ている。ジョゼットに励ましの言葉を送ると、彼女はどこか不安げな表情を残しつつも、力強く頷いた。そして、父マティスに向き直る。


〈お父様。彼との婚約を、なかった事にしてください……〉


〈…………〉


 ジョゼットからの要望に、マティスの目が薄く開かれる。

 婚約破棄の申し出に即座に反応したのはグラシアンだった。


〈どうしてだい? ジョゼット、不満があるのなら言ってほしい〉


 よくもまぁぬけぬけと、と七緒は舌打ちした。睨む七緒を無視して、グラシアンはジョゼットに優しく語りかける。


〈俺は君の事を、心から想っている。もしも君に想い人がいるのだとしても……俺は目を瞑ろう。家同士の結婚を、なかった事にするのは────〉


〈いやですっ! 私はもう耐えられません! お願いしますお父様、私は……〉


〈…………〉


 困ったように眉を下げるグラシアンと、悲鳴にも近い声色で訴えるジョゼットを交互に見つめてから、マティスは唇を動かす。


〈ジョゼット……家を出ていく時、何と口にしたか覚えているかい〉


〈え……?〉


〈政略結婚は覚悟している。そう言っていたね、ジョゼット〉


〈……そ……それは……〉


〈他に恋人がいてもいい、とグラシアン君は言ってくれていますが……それでも不満があるというのですか?〉


〈私が不満に感じているのは、想い人がいるからではなくて……その……彼が……〉


 ジョゼットの顔から、だんだんと血の気が引いていく。これまで受けてきた仕打ちを伝えるにしても、グラシアンがいる前で口にするのは想像を絶する恐怖が伴うはずだ。


 もしも、婚約破棄を認められなかったら。


 そんな考えが、ジョゼットの頭の中にあるのかもしれない。


〈怒らせるような事をしてしまったんだね。どうか、許してほしい。ジョゼット、君は優しい人だから、きっと我慢させてしまっていたんだね。これからは気を付ける、どうか俺を許してほしい〉


 よほど外面がいいらしい。

 七緒やジョゼットに見せた暴力的な面を感じさせない、根っからの好青年のような態度だ。マティスは、そんな彼の本性に気付いていない。


〈ジョゼット。家同士の結婚は、そう簡単に破棄出来るものではない……それは、何度も教えてきた事です。それを理解した上で婚約破棄を望むのなら、ちゃんとした理由を説明しなさい〉


 とはいえ、マティスは七緒に救いの手を差し伸べてくれたひとだ。

 きっと、わけを話せば分かってくれる。七緒はそう信じていた。


〈マティスさん。俺は部外者だけど、一つ言わせてもらってもいい?〉


〈……何でしょう〉


〈たとえば、ジョゼットさんがそこの野郎からDVを受けていたとしても……マティスさんは、政略結婚だから受け入れろ、って言うのか?〉


〈……それは……〉


〈マティス様、俺は断じてジョゼットに手をあげたりしていません! ただ、一緒に暮らしていて、お互いにすれ違いがあるだけかもしれない。――そうだろう、ジョゼット〉


〈ひっ……〉


 七緒を押しのけて、グラシアンはジョゼットの肩を掴んだ。


〈おい、ジョゼットさんに触んな〉


〈部外者は黙っていてくれ! ジョゼット。もう一度、よく考え直して〉


〈…………〉


 ジョゼットは唇を震わせている。ちらりとマティスの方を見たが、助けを求める事は出来なかったようだ。すぐに視線を逸らしてしまう。


 グラシアンに肩を掴まれ、すぐ目の前にいる状況では打ち明ける事は難しいはず。加えて、


〈痛い目に遭いたくなかったら、発言を撤回しろ。今回だけは許してやるからさ〉


 と、ジョゼットの耳元で囁いたのだから。




 ――――パキッ、とジョゼットの心の中で、何かが壊れる音がした。


 ジョゼットは幼い頃からずっと、「いついかなる時でも優雅に、美しく、淑やかに」という父からの教えを守ってきた。家のために望まない相手と結婚する事も覚悟していたし、ただ耐えればいいのだと自分に言い聞かせてきた。


 けれどもこの瞬間、ジョゼットは思ったのだ。


〈うるっせぇぇえ!! ですのよッ!!〉


 ――――こんなクソ男、殴ってしまえばいいのだ、と。




 重い音とともに、グラシアンの身体が宙に浮いた。

 七緒もマティスも、殴られたグラシアンでさえも。何が起こったのか理解が追い付かなかった。


 グラシアンが地面に倒れ、殴られた頬をさする。


〈ジョ、ゼット……?〉


 拳を握り締めたままのジョゼットの顔に、恐怖の色は見受けられなかった。むしろ、どこか清々しげな様子だ。


〈はぁ〜スッキリ……しているわけがありませんわ。もう十発くらい殴らせろやくださいまし〉


〈ジョゼット!? いきなり何をするんだ!?〉


〈御自分の胸に聞けばよろしいのでは? 今まで我慢して差し上げていたのです。三倍返しにしても足りませんわ〉


〈待っ、待ってくれ! 落ち着け、落ち着いて話をしようじゃないか!〉


〈お黙りあそばせろや!!〉


 二発目、三発目とパンチを繰り出すジョゼット。彼女の猛攻は留まる事を知らず、地面に血が飛び散っていく。


〈よくもこの私を馬鹿にしてくれましたわね! この! 私を!! 誰だと思っているのです!! ジョゼット・サンジェルマン様だこの野郎!!!! 優雅に美しく淑やかに!! 貴様をぶっ殺してやりましてよ!!〉


〈ジョゼット、ストップストップ! 一旦落ち着きなさい、優、美、淑の意味を間違えています〉


 慌ててマティスが止めに入るが、抑えつけてもなおジョゼットは攻撃をやめようとしなかった。


〈お父様、止めないでくださいまし。私はこのクソ男の玉を潰すまで拳をふるう所存です〉


〈コラ!! 女の子がそんな下品な事言わないの!〉


〈うるッさいわね! お父様のも潰しますわよ!!〉


〈ジョゼットー!!!!〉


「…………」


 七緒は、ニッコリ笑顔で傍観していた。これが俗に言うスカッと展開か、と。


「「…………」」


 少し離れた所では、ジャゾンを背負った四音と六月が「何事……」と言いたげな表情でその様子を眺めていた。


「わぁお、バイオレンス~」


「そんな軽いノリで……」


 そして、別の方角からやって来た八緒と五輝も合流した頃。マティスに宥められて落ち着きを取り戻したジョゼットが拳を下ろし、人の目から逃れるように移動してから、ようやく経緯を説明する事が出来た。


〈えっと……つまり……ジョゼットは、グラシアン君に酷い扱いを受けていたんだね。だから婚約を破棄したい、と……〉


〈そうですわ。……我慢しなければ、とは思っていました。ですが……耐えられなくなってしまいました……〉


 仔細を伝え終えたジョゼットは、申し訳なさそうに下を向いてしまう。


〈ごめんなさい……ごめんなさい、お父様……〉


〈……大丈夫だよ、謝らなくていい。よく耐えたね。偉いよ、ジョゼット〉


 ぎゅ、と俯くジョゼットを抱き締めて、優しく彼女の頭を撫でるマティス。すると堰を切ったように、ジョゼットは泣き出してしまった。ようやく、安心する事が出来たのだろう。七緒も、ほっと息をついた。


「……君達も、迷惑をかけてすみませんでした。娘を助けてくれてありがとうございます……」


「どういたしまして……でいいんかな」


 妙にくすぐったい気分だった。


 気恥ずかしさから逃れるように視線を動かすと、マティスの従者と思わしき女性に拘束されているグラシアンとジャゾンの姿が映った。


「なぁ、アイツ等どうするんだ?」


「こってり絞ります。僕の娘を傷付けたんですから、それ相応の罰を与えるつもりです」


〈ひぇっ……〉


〈…………〉


 無表情のままに言い放ったマティスと目が合い、顔を青くさせるグラシアンと、無言で目を逸らすジャゾン。

 当然の報いだろうと、七緒は鼻を鳴らした。


「……本当は、一華ちゃんに紹介するつもりでいたんですが……帰国する事にします……。ロベール家と話し合わなくてはなりませんからね……。君達からも、説明しておいてくださいませんか……?」


「うん、任せといて」


「……後日、改めて連絡させてもらいますね……」


「マティス様。準備出来ました」


 と、従者の女性が声をかける。

 頷きを返したマティスは、


「……それでは、僕達は失礼します。ジョゼット、行こうか」


 と、ジョゼットの肩をぽんぽんと叩いた。


 ハンカチで涙を拭っていたジョゼットは、〈少しだけ待ってください〉とマティスに言って、七緒のほうへ歩み寄ってくる。


〈七緒様〉


 別れの挨拶か、と思っていると、ジョゼットは七緒に身を寄せて、頬にそっとキスを落とした。


「……」


 一瞬、何が起きたのか分からずフリーズしてしまう。

 頬にキスをされたのだと実感を持てた頃、ジョゼットは頬を赤らめながら笑みを浮かべた。


〈本当にありがとうございます。この御恩は一生忘れませんわ。またお会いしましょう〉


〈あ、あぁ……もちろん、なんだぜ……〉


 唇を当てられた頬が熱を持っている。心臓がばくばくと音を立てるのを感じながら、七緒は「今のは挨拶だ、挨拶」と言い聞かせる。


 ジョゼット達を見送り、完全に姿が見えなくなった途端。

七緒の顔が真っ赤に染まった。


「…………ヤベー……マジで……好きかもしんない……」


「「ふぅ〜ん?」」


 誰にも聞こえないように呟いたつもりだったが、六月と八緒は聞き逃さなかった。ニヤニヤと笑みを浮かべながら、照れる七緒の表情を眺めている。


「お兄ちゃん、あぁいう女の人がタイプなんだね」


「い、いやぁ……あはは……」


「でも……あれは押せばいけるね。視線の動かし方と瞬きの回数、それから最後にお兄ちゃんにキスをした後の表情、挨拶にしてはあまりにも熱っぽかったでしょ。頬の赤みは最も分かりやすいポイントで、他にも気まずそうに指を絡めたり、唇を結んだりしてた……ジョゼットさんは80%お兄ちゃんに気があるよ」


 七緒に負けず劣らず、八緒も観察眼に優れていた。照れるあまり、ジョゼットから視線を逸らしがちだった七緒の代わりに観察していた八緒は、ノンストップで語る。


 その後ろで「怖いんだよお前は……」と五輝は呟いていたが、七緒はそれどころではなかった。


「の、残りの20%で嫌われたらどうする……?」


 恋は熱しやすく冷めやすいと聞く。八緒の考察が正しいとしても、七緒の些細な行動で嫌われてしまうかもしれない。そう思うと、不安でたまらなかった。


「今はまだ、お兄ちゃんの事を危機から救ってくれたヒーローみたいに見えてるはず。次からは、細かい気配りが出来るところをアピールするの。相手はフランスの女性だからね、人間性から改造する気で頑張ろうね」


「おう!!」


 潔い返事をした七緒に、四音は「おう、なんだ……」と苦笑いを浮かべる。そんな四音の隣で、六月が感慨深そうに言った。


「あの七緒がねぇ……なんか、いいなぁ。アタシも応援する!」


「ま、頑張れよ。その前に、狙うなら一華に報告しろよ。家の事とかあるんだろ」


「そうだよなぁ……」


 五輝の言う通り、屋敷の天井に穴があいた理由や、今回の件は話さなくてはならない。そして、七緒がジョゼットに好意を抱いている、という話も。


(うっ……恥ずかしくなってきた……)


 一華と恋バナをしているビジョンが見えない。ちゃんと話せるか、怪しいところだった。


「じゃ、そろそろ帰ろうぜ。眠い」


「待って! あの求人出してたコンビニに寄りたい!」


「いるかも分からねぇ関西弁のイケメンが見たいだけだろ……」


「いいじゃないべつに!」


 五輝と六月のそんなやり取りを聞いていた四音は、「バイトの話、ちゃんと覚えてたんだね」と呟く。


「やる気があるのかは微妙だけどね〜」


「そこ! 聞こえてるわよ!」


 くすくすと笑う八緒に釣られたように、六月の顔にも笑顔が浮かぶ。そんな光景を眺めてから、七緒は口を開いた。


「お前等、本当にありがとな。俺一人じゃ、ジョゼットさんを救えなかった。マジで、感謝してる」


 真っ直ぐな感謝の言葉を伝えると、四人はそれぞれ笑みを浮かべた。


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