第百二十二話 いまいち話が見えてこないけど
四音は屋敷の一室で本を読んでいた。
テーブルを挟んで、向かいでは六月がスマホを触っていて。その隣では八緒がお茶を飲んでいて。二人の向こうでは、五輝が座布団を枕にして寝そべっていた。
休日の昼らしい、穏やかな時間だ、と四音はリラックスしきっていた。
そして、区切りのいいところまで読み終わった時の事。六月が声を弾ませて言ったのを境に、静かな一時は終わりを迎えてしまう。
「このアイシャドウ、超オシャレー! ねぇ五輝、買ってくれない? 今月のお小遣いなくなっちゃった」
「我慢するか自分で稼げ」
「ケチー! 株投資で結構儲けてんの知ってるんだからねー!!」
「なんで知ってんだよ」
「いっつも食い入るように投資アプリ見てるからよ! ねぇ、可愛い妹のためにプレゼントしてよ〜! ねぇ〜!」
「我慢を教える事もお兄ちゃんの役目なんだぜ、妹ちゃんよ」
「えぇ〜!?」
六月は、五輝にはとことん甘える気質がある。寝そべったままの五輝の身体を揺らしながら、六月は「いいじゃん買ってよ〜!」と強請り続けている。
それに便乗するかのように、お茶を飲んでいた八緒がずい、と五輝に近付いた。
「五輝お兄ちゃん。私も欲しいものがあるんだけどなぁ〜?」
「嘘だろ、話聞いてなかったのか」
「ほら、私のお部屋って殺風景でしょ? だから、可愛いクッションとか欲しいなぁ、って思ってるんだ〜」
「自分で買え」
「このクッションいいと思わない? にょーん、って沈んでいく感覚、五輝お兄ちゃんもクセになると思うなぁ」
「もう持ってる」
「いいなぁ。欲しいなぁ?」
「あげないし買わない」
「五輝お兄ちゃんのケチ〜」
「ケチだよね! ね、四音!」
「えぇっ!?」
突然話を振られて、四音は大きく反応してしまう。
五輝が株の投資とやらでいくら儲けているのかは知らないが、それに漬け込むのはよくない気がする、と四音は妹達を窘める事にした。
「で、でも……五輝君のお金なんだから……集るのはよくないと思うよ」
「じゃあ四音が買ってくれるの?」
「本当〜? 四音お兄ちゃんってば太っ腹〜! 嬉しいなぁ〜!」
六月にはじっとりと目を細められ、八緒はきらきらとした眼差しを向けられる。
四音はアルバイトもしていないし、貯金はしているとはいえ余裕はない。
「……………………五輝君……」
「口挟むなら説得しきれよ」
助け舟を求めると、五輝は呆れたように溜息をついた。けれどもやはり、妹達に買う気はないらしく、
「買ってほしかったら誕生日まで待つ事だな」
と手を振った。それに対して、六月と八緒から「「ケチー!!」」とブーイングの声が上がる。
何度も「ケチ」と言われて苛立ったのか、五輝は勢いよく身体を起こして眉を吊り上げた。
「ケチケチケチケチうるせぇな! 貯めた資金を何倍にもする、っていう俺の楽しみは誰にも邪魔させねぇからな!!」
「学生には分からない楽しみ方だわ」
「五輝お兄ちゃん、独特だよねぇ」
たしかに、学生の楽しみではない、と四音も心の中で頷いた。とはいえ、五輝のお金をどう扱おうが、彼の自由だ。何も言うまい、と四音は本を閉じる。
「そうだ、六月お姉ちゃん。一緒にアルバイト探そうよ。経験にもなるし、学生のうちにやっておきたかったんだ〜」
「頑張るしかないかなぁ……。とりま、探してみるわ」
五輝に強請る事は諦めたようで、六月は手にしていたスマホで求人を探し始める。しばらくすると手を止めて、声を発した。
「あ、近くのコンビニ、求人出してる。ここって、関西弁の超イケメンがいる、ってクラスの子が騒いでたところじゃん。応募しちゃおっかな〜」
「えぇ〜。私は興味ないかな〜」
「マジ? そういえば八緒ってどんな人がタイプ?」
「うぅん……スキンヘッドかな!」
「スキンヘッド……なんで?」
「かっこいいじゃん。恋愛的な意味合いで言うなら、年上の人がいいかも。四十代くらいから、男性らしさというかが出てくるよね。スキンヘッドじゃなくても、顔に刻まれた皺とか、髭とかにキュンってするかも!」
「マジか。具体的な人はいないの?」
「いるよ。ジョンっていうの」
「誰それ?」
「アフリカにいた時にお世話になった人だよ。大柄でスキンヘッドでかっこいいんだ〜。なんていうか、『こういう人ならいいなぁ〜』って思っちゃったかも!」
「へぇ〜いいじゃん! もっと聞かせてよ!」
バイトの話はいいのかな、と二人の会話に耳を傾けていた四音はツッコミたくなった。それは五輝も同様だったらしく、「バイトはどうしたんだよ」と指摘した。
「あとでー!」
「はぁ……」
もう一度、呆れたように溜息をつく五輝をよそに、六月は「それでそれで?」と八緒に迫る。
「二十六歳の息子がいるんだって」
「既婚者!?」
「奥さんとは死別したらしくてね。だから……いけるかなぁ、って!」
「もうちょっと真剣に考えない!? なんかちょっと……びっくりなんだけど!」
「たしかに、お姉ちゃんには相談しにくいかも。第一、ジョンだって私の事をそういうふうには見てないもん。だからこれ、お兄ちゃんにも言ってないんだ」
「え、そうなの?」
「というか、お兄ちゃんって好きな人もいた事ないし、いきなり『私より年上の息子がいる男性を狙ってる』なんて言ったら卒倒しちゃうよ」
「たしかに……アタシもまだびっくりしてるもん」
四音も驚きである。
八緒の男性の趣味は、想像とかなりかけ離れていた。
女子同士の会話に割って入るのもはばかられたが、気になったので四音はおそるおそる口にした。
「その、アプローチしようとか、告白とかは考えていないの?」
「うぅん……」
四音の質問に、八緒は首を捻る。
「あんまり分かんないなぁ。今は、年上の男性いいなぁ〜、っていう想いを楽しんでいたいかも」
「それでもいいじゃん! アタシ、恋バナ大好きだし、進展あったりしたら聞かせてよね」
「いいよぉ〜!」
「やったー!」
本人がそれでいいのなら、それでいいんじゃないだろうか。まだまだ掘り下げたいところはあったが、四音相手では八緒も話しにくい部分があるだろう。
そろそろ部屋に戻ろう、と立ち上がった瞬間、襖がゆっくりと開かれ、七緒が入ってきた。
「あ、お兄ちゃん」
「よっ……」
八緒が呼びかけても、七緒はどこか元気がない様子だった。きょろきょろと部屋の中を見渡し、四音の存在に気がつくと、静かに歩み寄ってくる。
「四音、来て」
「なんで僕……」
「いいから、ちょっと来て」
強引に腕を引っ張られて、部屋の外へ連れ出されてしまう。
そんな二人の後ろ姿を見て、部屋に残された三人は
「……変な奴」
「なんなんだろ……」
「あんなお兄ちゃん初めて見たかも〜」
とそれぞれ口にしていたのだが、四音と七緒の耳には届いていなかった。
腕を引っ張られて、四音がいた部屋から少し離れた場所へと移動する。ぴたりと足を止めた七緒に、四音は問いかける。
「どうしたの、七緒君」
「聞きたい事があるんだけど……」
そして、七緒は要件を口にする。それは、四音がまったく予想だにしていなかったものだった。
「ほ、ほぼ初対面の女の人に、『好き』って言うのは……アリ?」
「…………」
話が見えてこない。
いきなり何を言い出すんだろう、と四音は困惑した。
しかし七緒は、薄らと頬が赤くて落ち着きがない様子。もしかして、と四音は切り出した。
「一目惚れ……って事かな……? いまいち話が見えてこないけど」
「そう、多分それ! なんていうか……今俺の部屋にいるんだけど……いや、最初そんなふうに意識してなかったんだけどさ! 笑った表情に、心臓がバックーン! ってなってさ! なんか、なんかヤバい!! 顔すっごい熱いし、気付いたらニヤけそうになるんだよ!」
「……恋だと思うけど……」
「やっぱりそーなの!?」
四音だって詳しい事は分からないが、七緒の話を聞く限り、彼は誰かに恋をしているのだと思う。
いよいよ自覚してしまったらしい七緒は、真っ赤になった顔を冷ますように、ぱたぱたと手で扇いでいた。
「どーしよ……こんな事恥ずかしくて八緒に言えねぇよ……」
「それが相談したい事? そういうのなら、六月ちゃんの方が詳しいと思うけど……五輝君だって経験豊富そうだし……」
少なくとも、自分に相談する事ではないと思うのだが。
しかし、七緒はきょとん、と目を丸めて指摘する。
「だってお前、彼女いるじゃん」
「…………な、んっ!?」
思わず、四音は肩を揺らした。
たしかに、四音には恋人がいる。いわゆる遠距離恋愛で年に数回しか会えていないが、頻繁に連絡は取り合っているし、経験もあった。
しかし、恋人がいるという事は、家族を含め誰にも言っていない。慌てて七緒に詰め寄って、彼の口を塞いだ。
「しぃーっ! 誰にも言ってないんだから! 黙ってて、分かった?」
七緒が頷いたのを確認してから、四音は手を離す。
「ともかく、今すぐに相談するなら相手がいる四音しかいねぇと思ってよ……。どうしたらいい、早く伝えちまった方がいいのか」
「そもそも、部屋にいるってどういう状況なの? そこから説明してくれないと分からないよ」
「それもそうだな……。実は────」
七緒の口から状況が語られようとしたその時。
屋敷が揺れた。
「きゃぁぁあっ!?」
「「!!」」
それとほぼ同時に聞こえてくる、六月の悲鳴。四音と七緒は、慌てて彼女達がいる部屋へと戻った。
「どうした!?」
襖を開けると、中の惨状が目に飛び込んでくる。
天井が破壊されており、青い空が隙間から見えていた。天井を突き破ってきたであろう青黒い髪の男は、部屋の中央に置かれている机の上に立っており、静かに様子を探っている。
「あ、アンタ誰よ!? なんで天井突き破って────」
〈見つけた〉
混乱する六月にはお構いなしで、侵入者は駆け出した。男が向かった先には、七緒がいる。
「七緒君!」
四音が声を張り上げるよりも先に、男は七緒に飛びつき、ナイフを振りかざす。
「くそっ、何すんだよテメェ!」
男の手首を掴み、攻撃を防いだ七緒。しかし勢いに負けたのか、そのまま押し倒されてしまった。
〈七緒様、今の音は……ッ〉
と、見た事のない金髪の女性が現れた。男の知り合いなのか、その姿を見た瞬間に顔を引き攣らせて息を飲む。
女性に気付いた七緒は、〈ジョゼットさん、四音……茶髪の男の傍にいて!〉と叫んでから、今度は四音に視線を向けた。
「四音! その子を守ってくれ!」
「!」
先程、七緒が言っていた人は、彼女の事らしい。状況は掴めないままだが、只事ではないと、四音は七緒の言う通りに行動する。
「ちょっと、どういう状況なの!?」
「客人でない事は確かだ。一応聞くが、暗殺者の類じゃねぇよな」
屋敷の屋根を突き破り侵入した青黒い髪の男は、突然七緒を襲った。そしてもう一人、四音の後ろにいる金髪の女性の存在。
困惑する六月を片手で諭しながら、五輝は問いかける。
「コイツは、その女の人の婚約者の従者。名前はたしか……ジャゾン・メルシエだったっけか?」
青黒い髪の男は、ジャゾンというらしい。
顔立ちや、言語を聞く限り日本人ではない。自身の名前が七緒の口から出ると、ジャゾンはぴくりと反応した。
〈何を言っているか分からないが、今俺の名前を呼んだな。気安く呼ぶな、この変態が〉
〈変態だぁ? 誰に向かって言ってやがる。ド健全少年ですけど?〉
〈ド健全少年は初対面の女を家に連れ込んだりしない〉
〈たしかに……って、そんな話は置いといてだ。そんなにジョゼットさんを取り戻したいのか?〉
〈当然。グラシアンの婚約者を取り返しにきて何が悪い〉
「ねぇ、なんて言ってるの……?」
四音と六月には、七緒とジャゾンが何を話しているか理解が及んでいない。静かに状況を見守っていたが限界だ、と言わんばかりに、六月は小さく口にした。
「あの人は、ジョゼットさん……? を取り戻しにきた、って言ってるよ」
「え、なに。七緒、アンタ誘拐してきたの!?」
「違ぇよ! コイツ等から匿ってたの!」
訂正してから、七緒はジャゾンの腹部を蹴り上げ立ち上がる。そして、堂々とした出で立ちで述べた。
〈勘違いすんなよこの眉ナシ野郎。女に手をあげるのはド畜生のする事だ。政略結婚でも、俺には一切関係なくても、俺はジョゼットさんを助けるって約束した〉
四音には、七緒が何を言っているのか分からない。しかし、何か、訴えかけているようで。
〈諦めて帰りな。そうしたら見逃してやる〉
〈それはこっちのセリフだ。今なら、グラシアンを殴った事を許してやってもいい〉
〈断るね〉
〈そうか〉
反して、ジャゾンという男の表情は、終始嘲っているかのようだった。
四音が決意を固めた、その瞬間。五輝が愛用の銃を片手に口にした。
「状況は分かった。面倒くさそうだが手を貸してやる」
「分かったの!? アタシ、七緒が何言ってるのか全然分かんなかったんだけど!?」
「六月お姉ちゃん、フランス語分からないんだね」
「分からないわよ! 英語だって怪しいのに!」
僕も分からない、と心の中で呟いていると、ぐいっ、と腕を伸ばしながら八緒が言った。
「じゃあ……私と五輝お兄ちゃんの方がやりやすいかな」
「待てよ! これは、俺が持ち込んだ事だ。俺が────」
七緒の言葉を遮って「お兄ちゃん」と。
諭すように、八緒は微笑んだ。
「ジョゼットさんを助けるって約束したんなら、ジョゼットさんの傍にいてあげないとだよ。ここじゃあ、巻き添え食らっちゃうかもだし」
「でも……」
「それに、かっこいいとこ見せてアピールしないと。ねっ?」
「…………」
流石は双子と言うべきか。
八緒はこの一瞬で、七緒がジョゼットに対して抱いている想いを察したらしい。
七緒は、どこか恥ずかしげに唇を尖らせて、八緒から顔を背けてしまう。そして、
「八緒、五輝。頼んだぜ」
そう、口にした。
「任された〜!」
「任せときな」
大きく頷いた二人を一瞥してから、七緒は四音等の方に視線を向ける。
「四音と六月も逃げろ。俺はジョゼットさんと裏口から出る」
「一緒に行く。アタシにも何か協力させてよ」
「うん。固まって行動した方がいいと思う」
七緒に手を貸す、と決めていたのは、四音と六月も同じだった。
「……ありがと」
七緒はジョゼットに〈逃げるからついて来て〉と呼びかけて、彼女の手を引いて裏口へと駆け出す。
武器がないのは心許ないが、部屋まで取りに行っている余裕はない。四音と六月も、そのまま七緒の後を追った。
去っていく七緒等の姿を一瞥してから、ジャゾンは五輝と八緒に視線を移す。
ジャゾンは手にしていたナイフをポーチに仕舞い、新しく双剣を取り出した。どうやら、五輝達と戦う意思があるらしい。
ジョゼットを捕まえる事を優先すると思っていただけに、彼の行動は意外だった。
〈追わなくていいのか?〉
〈場所は分かっている。焦る必要はない〉
〈なるほど。発信機でも仕掛けてんのか〉
七緒は「匿っていた」と言っていたし、屋敷に戻る前に細心の注意を払っていたはずだ。
ジャゾンは本条家の屋敷に侵入してきたのだから。それも、目当ては主の婚約者。普通、ここにいるとは考えもつかないはずだ。
とすれば、ジョゼットに発信機の類が仕込まれている可能性が高い。実際その通りだったらしく、ジャゾンは〈当然だろ〉と呟いた。
〈……面倒な女だ。大人しく、グラシアンの言う事を聞いていればいいのに〉
〈互いに寄り添ってこそ、愛が生まれんだよ〉
どちらかの言う事を聞くばかりの関係なんて、それこそ主従のそれではないか。食い気味に反論すると、虚をつかれたように八緒が目を瞬かせた。
〈五輝お兄ちゃんでもそういう事言うんだね〜。意外〉
〈結構ロマンチストなんでな〉
苦笑混じりに言ってから、五輝は横目で八緒に問う。
〈さて、八緒。どうする〉
〈五輝お兄ちゃんは援護射撃。私は今日は拳。部屋まで取りに行ってる時間ないでしょ?〉
〈だな〉
ポジションだけを決めて、迎撃態勢を整える。
ジャゾンも双剣を構えたと同時に、八緒は駆け出した。




