第百十九話 厄介な力を持って生まれたみたいだね
無事に帰ってきた。そう、本当の意味で実感したのは、ホテルに到着してからの事。
気が抜けた瞬間、猛烈な安心感とともに眠気に包まれ、一華は気絶するかのように眠ってしまった。
そして、一華の目が覚めたのは、十五時を過ぎてからの事だった。
「……寝過ごした!?」
「大丈夫ですよ、一華さん」
すぐ隣から、白羽の声がする。顔を彼の方へ向けると、おかしそうにくすくすと笑っていた。
「報告はアクセルさんとジュリオさんがしておいてくれたそうです。皆さん、もう帰られました」
「そうか……申し訳ない事をしたな」
「休ませてあげて、と言われたので、起こさないでいたんです。体調はどうですか?」
「問題ないよ。ありがとう」
挨拶も出来なかった事は悔やまれるが、心遣いは嬉しかった。あとで連絡を入れておかないと、と頭に留めて、一華は起き上がる。
「チャーリー様はまだホテルにいらっしゃるそうです。一華さんが起きたらでいいから、部屋に来てほしい、との事です」
「分かった。すぐに準備しよう」
「伝えておきますね」
顔を洗って身嗜みを整えてから、白羽とともに指定された個室へと向かう。
ホテル本条内で話し合いや、何らかの取引がされる場合には、宿泊部屋ではなく小部屋が使われるとの事。
扉をノックすると、すぐさまチャーリーが顔を覗かせた。
「やぁ、一華ちゃん。今回はありがとうね」
「いえ。私の出番はとくにありませんでしたが……とにかく、アーサー君とエレナさんが無事でよかったよ。それで、要件は――――」
と、そこで。一華達の背後に忍び寄る何者かの気配が感じられた。
振り返ると、そこには一人の女性がいて。一華と目が合うと、「あら……」と彼女は声を漏らした。
「ふふ、気付かれちゃったわね」
「ソ、『ソプラノ』!?」
ケイレブ・ヒューズに雇われていたという暗殺者、コードネーム『ソプラノ』がそこに立っていた。今回はダークレッドのスーツに身を包んでいたが、胸元は大きく開けられていて。やっぱり大きいんだな、と一華は感想を抱いた。
そんな事はさておき、何故彼女がここにいるのだろうか。『ソプラノ』の手には大きなスーツケースがあって、少しだけ警戒しながら視線を向けた。
「はぁい。どうしてここに、って顔ね。『協会』から預かってきたお金を持ってきました~」
そう言いながら、手にしていたスーツケースを掲げて見せる。
「『協会』……?」
「一華ちゃんにも、説明しておこうと思ってね。まぁ座りなよ。その子はもう敵じゃないからさ」
「……分かりました」
チャーリーは『ソプラノ』がここへ来る事も知っていたらしい。催促されて、三人は部屋の中に足を踏み入れた。
宿泊部屋や、会議室に比べれば小さな部屋には、中央にテーブルとソファーが置かれているだけで、他に目立ったものはない。本当に、密会をするために作られたかのような部屋だ。
ソファーに腰掛けるなり、『ソプラノ』は背筋を伸ばしてスーツケースをテーブルの上に置いた。
「私達『コーラス』姉妹組は、『協会』からの依頼で動いていたの」
「『協会』……」
「悪党滅殺・世界平和の理念にもとづき行動する、中立組織の事ね。彼等の仕事は多岐にわたるけれど、今回は私達暗殺者に向けられた依頼……『大掃除会』が開催されていたの。依頼内容は『ケイレブ・ヒューズの暗殺』。彼は、悪質な魔眼コレクターだったの」
「では何故、すぐに殺さなかった。アーサーさんとエレナさんが巻き込まれた理由はちゃんとあるんだろうな」
「もちろんよ。今年の『大掃除会』は、悪質コレクターの一斉摘発。でも、連続して死人が出れば警戒心も高まるし、仕留めるのも難しくなる」
だから、と『ソプラノ』は言葉を切って、にこりと笑みを張り付けた。
「同日、同時刻に動くの。全て決められた通りに、私達はお仕事したまで……もちろん、アーサー卿の安全を最優先にしていたわよ。指定された時間になるまでは、ケイレブ卿に私達は味方だと思わせておく必要があったし、お小遣いもたくさん欲しかったからね」
「…………」
合理的と言えば、合理的なのだろう。
しかし、一華は素直に受け入れる事が出来なかった。必要だったといっても、アーサーは誘拐され、エレナは理性を失うほど追い詰められていたのだから。
アーサーとエレナが無事だったのも、『ソプラノ』等が任務を達成出来たのも結果論でしかない。
「……それで、救われた人がいるんだな」
「当然よ。それが『協会』の仕事だもの。でも、全体の任務達成率は七十パーセントくらいらしいわ。それでも、高い方なんだけれどもね」
「……チャーリーさん達は、どう思っているんですか?」
視線を向けると、紅茶を飲んでいた彼は「え?」と顔を持ち上げる。
「今回、攫われたのは貴方達のお子さんです。結果的に救われた人がいたとしても、それでいいと思っているんですか」
重ねて問いかけると、チャーリーは手にしていた紅茶のカップを置いて、溜息交じりに言った。
「……答えは、納得せざるを得ない、だよ。納得出来ない部分があっても受け入れるしかない。僕達は、そういう場所に立っているのだから」
でもね、と一拍置いてから、チャーリーは目を細めて続ける。
「こういう言葉は安っぽくて、あんまり言いたくないけど……エレナが懐いてるアクセル君とジュリオ君なら、なんとかしてくれる、って信じてたしね。悪い想像はしない方がいい、身が持たなくなるからね」
「…………」
悪い想像はしない方がいい。
一華もそんなふうに考える事が出来れば、少しは気を張らずに済むのだろうか。
膝の上で静かに拳を握り締めて、「そうですか……」と小さく口にする。
「それにしても、現地に詳しいであろう白羽君がいればさらに安心だと思って君達を呼んだけど……まさか、一華ちゃんまで付いていくとは思わなかったよ」
「私も驚いちゃったわ。当主様とお会いする機会が出来て光栄だけれど……緊張しちゃったわ」
『ソプラノ』はそう言って微笑みながら、テーブルの上に置いていたスーツケースの鍵を開けた。
「それはそれとして、話を戻させてちょうだいね。これは、貴方達に渡すように言われていたものよ。慰謝料や口止め料も含まれているから、よろしくね」
「うおっ……」
そして、中身を見せられた瞬間、一華は思わず身を引いた。
札束が入っていたのである。いくら入っているのかなんて想像もつかないが、ドラマでしか見た事のない場面が、目の前で繰り広げられている。
一華の反応が想像と違ったのか、『ソプラノ』は「あら」と首を傾げる。
「大金を見るのは初めてかしら?」
「あぁ……心臓に悪いな」
改めてじっと見つめていると、寒気に襲われた。大きなお金の管理は他の者の管轄であるため、一華はやり取りが行われる現場を直接見る事がなかった。実際に目の当たりにすると、何故だか恐怖心を抱いてしまって。とうとう目を逸らしてしまった。
チャーリーはというと、スーツケースの中身を覗き込むなり、不満気に眉を寄せる。
「少なくない? これ本当に謝る気持ちあんの?」
「そういう話は私じゃなくて『協会』に言ってちょうだい」
ばっさりと切り捨てて、『ソプラノ』は立ち上がる。チャーリーの要望に耳を傾けるつもりはないようだ。
「それじゃあ、私はこれで失礼するわ。そうだ、当主様」
「なんだ?」
「貴方にこれを。私の連絡先よ。受け取ってほしいわ」
「はぁ……どうも」
差し出された名刺を受け取ると、『ソプラノ』は嬉しそうに笑みを深めた。美しい笑みを目の前で見たせいか、はたまた心地良さすら抱く声のせいか、じんわりと頬が熱くなったような気がする。
「あとは、あのたくましい殿方達にも渡しておきたいのだけれど、全然見つからないのよね。もしかして、もう帰っちゃったのかしら」
『ソプラノ』の言うたくましい殿方達、というと、アクセルとジュリオの事を言っているのだろうか。たしか、白羽の話ではすでに自国へ戻ったそうだが、わざわざ彼女にそれを伝える事はしなかった。
「まぁいいわ。また会える事を願っているわね」
「出来れば、敵でないと嬉しいんだがな」
「あら、それは依頼人次第だわ」
それもそうだ、と一華は口の端を持ち上げる。
『ソプラノ』は誰かに雇われて行動する暗殺者。敵にも、味方にもなりうる存在なのだから。
「それじゃあ、失礼するわ」と残して、『ソプラノ』は部屋を後にした。
しん、と部屋の中が静かになると、チャーリーが帽子を被り直しながら口にする。
「一華ちゃん。君は何をそんなに焦っているんだい?」
「……そんなふうに見えていますか?」
「ステファーノちゃんも言ってたよ。『何でもかんでも自分でやろうとする子じゃなかった』ってね」
やはり、無理矢理ついていった事は不審に思われていたようだ。一華は誤魔化すように拳を握り締めながら「そうだったのか」と口にする。
焦っている自覚はあった。
早く認めてもらいたい。ゆえに、先走った行動を取ってしまったと、事態が収束した今なら分かる。
「軽率な行動をしたとは言わないよ。零もそんな感じだったし」
「……実は、アーサー君にも似たような事を言われたんです。『それって、本条家当主のする事なの?』って。でも、私は知っている人が攫われたと聞いてじっとしていられるほど、冷静な人間ではない」
父もそのような思いを抱いていたのかは分からないが、一華はアーサーとエレナの危機を知らされて、じっとしている事は出来なかった。その行動を取った事に後悔はしていないが、「立派な当主とは言えない」と指摘されているような気分になって、一華は小さく息を吐き出す。
「出発する前、その気になればチャーリーさん達は私を引き止める事が出来た。今回、私は特に何もしていない……白羽さん達に任せっきりだった。それでも何故だか……無理矢理にでもついて行ってよかった、と思っているんだ」
「ならそれでいいんじゃないかな。僕からはネチネチ言うつもりもないさ。ありがとね、二人共」
チャーリーはそう言って話を終わらせるなり、ソファーから立ち上がって一華の鼻先に指を伸ばした。
「僕からのお礼。きれいさっぱり治してあげる」
「いいのか?」
「お安い御用さ。一週間くらいは倦怠感とか出るけど、早く治った方が都合もいいんじゃない?」
チャーリーは魔法術士の中でもかなりの実力者だと聞いた事がある。攻撃や防御はもちろん、怪我を治す回復魔法術にも長けているという。
せっかくだし、彼の言葉に甘えてしまおう、と一華は頷いた。
「お願いします。助かるよ、まだ痛みが残っていてな」
「折れてんでしょ? 痛いに決まって――――」
チャーリーの指先に魔力が集中し、淡い光を帯びる。しかしその瞬間、チャーリーは顔を顰めた。
「……?」
「チャーリーさん? どうしたんだ?」
まさか、想像より酷い事になっていたのだろうか、と思って聞いてみると、チャーリーは怪訝そうに眉を顰めたまま問うた。
「ねぇ、誰かに応急処置とかしてもらった?」
「ジュリオさんに手当てしてもらって、『ソプラノ』に痛み止めをもらったんだが……」
「へぇ……」
確認をとるなり、チャーリーは指を離してしまった。淡い光が収束して、「もう終わったのだろうか」と一華は首を傾げる。
「……特に変化が感じられないんだが……」
「最初はそんなものさ。すぐによくなるよ」
そういうものなのか、と一華はまだじんわりと痛みの残る鼻に触れてみる。やはり痛かった。
(まぁ、すぐに治るんだからいいか)
「ありがとう、チャーリーさん」
礼を言うと、チャーリーは「いいって事よ」と笑みを浮かべた。
※※※※
『協会』から支払われた慰謝料の一部を一華に渡して、小一時間ほど話をしてから解散となった。その頃には鼻の痛みも治まっていたらしく、「本当にありがとう」と笑って、部屋を後にした。
一華と白羽が部屋を出てしばらく経ってから、ユリシーズが疑問を口にする。
〈……何故、魔法術を発動させなかったのですか?〉
一華の鼻の怪我を治してやろうと、チャーリーは魔力を患部に流し込んだ。そして、魔法術を発動させる前に治療をやめてしまったのだ。一華と白羽はともかく、魔法術の心得があるユリシーズは気付いていたらしい。
〈聞いて驚け。すでに完治しかかっていた〉
〈はい!?〉
事実をそのまま伝えると、ユリシーズは信じられない、といったふうに目を見開く。
〈半日前に負った怪我が、もう回復していると言っているのですか!? 魔法術も使ってないのに!?〉
〈そう。魔眼持ちの四人には不可能だし、アーサーの実力じゃあそこまで治せない。『ソプラノ』ちゃんから貰ったっていう痛み止めでもないだろうし……、あれは間違いなく、自分自身の回復力で治したものだ〉
〈そんなまさか……〉
〈……厄介な力を持って生まれたみたいだね、あの子は〉
チャーリーは小さく呟く。
少しだけ、一華に同情してしまった。
(人並外れた力は、時として枷になる。使いこなせるといいんだけど……あの様子じゃ、一華ちゃん自身気付いてないみたいだし……)
もう少し様子を見てみるか、と。チャーリーはすぐに知らせようとはしなかった。今はまだ、余計な不安材料を与えない方がいいと思ったから。
いまだに戸惑った様子のユリシーズを呼びかけて、チャーリー達も部屋を後にしたのだった。




