第百十八話 理想を叶えるなんて無理な話だよ
白羽達がアーサーとエレナを無事救出したと報告している間に、アーサーはふと一華に問いかけた。
「ねぇ一華」
「ん?」
「これだけ聞かせて。どうして、僕を助けに来たの?」
「それは、アーサーさんとエレナさんが心配で――――」
「本当にそれだけ? だとしたら、相当馬鹿だよ、君」
アーサーの問いに即座に答えた一華だったが、ぴしゃりと言い放たれて、思わず押し黙ってしまう。その間にも、アーサーは続けて「それって、本条家当主のする事なの?」と重ねて質問をしてくる。
「……当主のする事、と聞かれれば、違うだろうな。でも、私はよく知る二人を助けたかったんだ」
一番の理由は間違いなく、アーサーとエレナを助けたい、だった。
けれども、一華が強引に同行した理由はもう一つある。正直に言わないと、アーサーは納得いかないだろう。意を決して、一華は告げた。
「でも、……早く、周りに認めてほしいんだ」
それは、当主になる前から抱いている願いでもあった。
そのためには、どんな努力をも厭わないし、どんな困難にも立ち向かう覚悟がある。
「知っての通り、私の母は表の世界の出身で……その娘である私の事をよく思わない人もたくさんいる。だから、“私でも出来るんだ”って、証明したい。強くなって、皆が求める存在にならないと、って思っているんだ」
「……やっぱり馬鹿だよ、一華は」
なんだって、と一華が言う暇もなく、アーサーは苦笑をもらして言った。
「そんなに必死になったって、認めない人間は認めてくれないよ。自分の意見と合わない人は、排除してしまえばいい」
「極端な話だな……」
「そうだよ。一華にはそれが出来る権力がある。“君のような若い当主は信用出来ない”。君のその一言で、僕は国主という立場を失うんだよ。権力の使い方が下手くそだ」
「……私は、自分の意見と合わないからといって、苦手な人を排除したくはない。たとえ、どんなに嫌いな人でも……そうなるに至った理由があるはずだ。だから、それを受け入れたいと思っている」
「思っている、って事は、受け入れられなかったんだ」
「……察しがいいな。あぁ、思いっきり殴ってしまったよ」
年下なのに、どうしてこうも鋭い指摘をしてくるのだろうか。
「理想とは程遠いよな」と自虐的に笑っていると、アーサーも同調して一笑する。
「理想を叶えるなんて無理な話だよ。ましてや、理想のレベルが高すぎる。全部自分で解決しようとしてたら、身が持たなくなるよ。もっと従者を上手く使えばいいんだ」
アーサーの言う通り、本来ならばそれこそが当主として正しい姿なのだろう。
けれども、一華は他者を犠牲にする事が苦手なのだ。
答えを返す事が出来なくて黙り込んでいると、アーサーは、
「……なんてね。ここだけの話、僕だってエレナの事は従者として見ていない。家族だと思っている。だから、危険な場所に送りたいとは思わないさ」
と、口にした。
やはり、それが正しい感覚だよな、と一華は心のどこかで安心感を抱いてしまう。
「それが嫌なら、他の人間を使えばいい。暗殺者とかね」
「……彼女達だって、今を生きている人間だ」
「……一華は優しいね。でも、それは君にとって枷でしかないでしょ」
「……否定は出来ない」
けれども、一華は人に頼る事が苦手だ。従者でも、暗殺者でも。誰かが犠牲になるくらいなら、自分で行動した方がいいに決まっている。
「でも、私のせいで周りの誰かが傷つくのは嫌だよ。とても、心が痛くなるからな」
「……気持ちは分かるよ。でも、傷つくのはいつだって他者を想って行動した人だ。君の鼻の怪我だって――――」
「傷ついたとしても、私は君達を助けに行った事を後悔していない」
怪我をする事には慣れているし、心の底から後悔などしていないと断言出来る。アーサーにもエレナにも、罪悪感を抱いてほしくない。だからこそ、一華はアーサーの言葉を遮って口にした。
「後悔するとしたら、食事をとってから新幹線に乗ればよかった、と思っている事くらいかな」
「…………」
一華の想いが伝わったようで、アーサーはそれ以上何かを口にしようとはしなかった。
けれども少ししてから、
「……向こうに着いたら、何か奢ってあげる。決算はパ……父さんがやるだろうし、僕個人からのお礼としてね」
「……ありがとう」
年下の子に奢ってもらうのは気が引けたが、アーサーの気持ちを無下にしたくはない。ありがたく奢られよう、と微笑んでいると、一華等の耳に軽快な声が届いた。
「Good morning! お疲れ、みんな」
「チャーリーさん!? どうしてここに……」
声の主は、ホテル本条で待機しているはずのチャーリーだった。音もなくその場に現れたチャーリーは、ひらひらと手を振りながら説明してくれる。
「新幹線で帰ってくるのも面倒だろうと思ってね、このチャーリー様が迎えに来てやったよ。転移魔法術でパパッと送ってあげる。感謝するといい」
「ありがとうございます!!」
「うざ……転移魔法術なら僕も使えるのに」
感謝するといい、という言葉に対して素直に礼を述べたエレナに反して、アーサーは苛立った様子で呟く。聞き逃さなかったチャーリーは、によによと目を細めてアーサーに詰め寄った。
「あれぇ、同時転移は三人が限界じゃなかったっけアーサーちゃん? 僕は余裕で皆まとめてホテルまで送れちゃうけど、お前にはまだ無理じゃなかったっけ、んん~?」
「うっざ!!」
「そうツンツンすんなって。パパが迎えに来てやったんだ、もっと喜べよ」
「なんかムカつく。父さんじゃなくてユリシーズがよかったな」
「このクソガキ……」
ふん、とそっぽを向くアーサーだが、一華から見えた彼の表情はどこか嬉しそうなものだった。チャーリーがその事に気付いているかは定かではなかったが、彼はアーサーの頭をわしゃわしゃと撫でると、手を叩いて全員の注目を集める。
「とりあえず、ホテルまで戻ろうか。はーいみんな集合、魔法陣の中入って入って」
タンッ、と靴音が鳴らされると、チャーリーの足元を中心に魔法陣が出現した。
全員が魔法陣の中に入ったのを確認してから、チャーリーは指を鳴らす。すると景色が一転して、目の前にホテル本条の文字が映った。
「……うわっ」
転移魔法術を体験するのは初めてだった一華は、思わず声を漏らしてしまう。
直後、唐突な吐き気に襲われて口を覆った。
「……チャーリーさん、急に気持ち悪くなったような気がするんだが……」
「移動距離が長かったり、慣れてないと酔う事があるんだよ。すぐ治まるさ」
チャーリーの説明を受けて安心した一華は「そうですか」と相槌を打って、唾液を飲み込む。
「チャーリー様!」
と、ホテルから一人の男性が慌てた様子でこちらに向かってきた。チャーリーの従者でエレナの養父のユリシーズだ。
「どこに行っておられたんですか! 電話を切るなり外に出ていかれて……もう何日も眠っていないんですから、皆さんがお戻りになるまで仮眠を――――」
そこまで言って、ユリシーズはぴたりと言葉を詰まらせる。
「皆さん……それに、アーサー様とエレナちゃんも! 無事だったんですね!」
「ユリシーズさん!」
一華達、そしてアーサーとエレナもいる事を確認したユリシーズに、勢いよく飛びつくエレナ。それを受け止めて、ユリシーズは涙を浮かべながらエレナを抱き締めた。
「本当に無事でよかった……大きな怪我はしていませんか?」
「うーん……足が痛いな。……あ、ヤベェ、血が出てきた」
「エレナちゃんんんんん!?」
包帯に血が滲んでいくのを見て、ユリシーズはぎょっと目を剥く。
「走っちゃ駄目でしょう! すぐに治すからこっち来なさい!」
「は、はーい……」
ユリシーズは魔法術が扱える。エレナの傷もすぐによくなるだろうと、抱えられ連れていかれる彼女の姿を見送った。
一華同様、エレナとユリシーズの背を見送ったアーサーは、隣に立っていたチャーリーを見上げて言った。
「……徹夜してたんだ。僕が徹夜しようとすると怒るくせに」
「お子様は早く寝ないと大きくなれねぇぞ」
そう言って、チャーリーはアーサーの頭をぽんぽんと撫でる。
「元気があるなら、シャワー浴びてきな。後始末は僕がやっといてあげるから」
「ホント、上から目線で腹立つ」
つん、と唇を尖らせて、アーサーは一人ホテル内に入っていく。
「……眠れないほど、心配してたんですね」
今度は一華が指摘すると、チャーリーは気恥ずかしそうに帽子を下げて顔を隠した。
「これで、ようやく安心して眠れるよ。一華ちゃんこそ、酷いくまだ。ちゃんと眠っているのかい?」
「……正直、今にも意識がなくなりそうだ」
緊張が解れたせいだろうか。正直に告げると、チャーリーはくすりと笑って肩を竦める。
「僕も昼頃まで寝るつもりだし、一華ちゃんも休んでいったらどうだい?」
「そうだな……そうさせてもらおうか、な……」
そこで、ふらりと足の力が抜けた。隣にいた白羽が支えてくれたので事なきを得たが、耐えられずに目を閉じてしまう。
「一華さん!? 大丈夫ですか!?」
「従業員の方を呼んできます」
「無理をさせちゃったみたいだね。……疲れたら気絶するみたいに眠るところまで零に似ちゃって……」
すぅすぅと寝息を立て始める一華を見下ろして、チャーリーは呟いた。
「君達は本当、無理をする事が好きだよね……」
※※※※
広島に古くからある旅館『かづき』は、花愛家の者が経営している。
観光地からは距離があるものの、広く静かな温泉があると有名なので経営に困ってはいない。
そんな『かづき』は現在、改装工事のため休業中である。
営業が再開するのは明後日から。支配人である花愛恭介は各所の点検を終え、招いていた客人を待つ。
正午になると、客人は姿を現した。
一人は桃色の髪を清楚にまとめあげた、凹凸のはっきりしたスタイルの女性。大きなトランクケースを足元に置いて、ドレスワンピースの裾を摘まみ上げて膝を折った。
「こんにちは、恭介さん」
一度聞けば忘れられない声をしているその女性は、恭介を見上げてにっこりと微笑む。
「さ、妹貴も挨拶なさい」
「……こんにちは」
桃色の髪の女性の後ろから顔を覗かせたのは、オレンジの髪をした小柄な少女だった。大きな黒いリボンのカチューシャをつけており、ぶかぶかのコートが印象的だ。
妖艶な笑みを浮かべる姉とは違い、まだあどけなさが残る妹は、挨拶の言葉を口にするなり恭介の返事も聞かずに姉の後ろに隠れてしまう。
「ごめんなさいね。妹貴は男性が苦手なの」
「気にせんでええよ。それにしても、相変わらず二人共可愛いのぉ。来てくれんさってありがとの。それから改めて……『大掃除会』に御協力ありがとう。お疲れ様、『ソプラノ』ちゃん、『アルト』ちゃん」
『ソプラノ』と『アルト』は、恭介が所属する中立組織『協会』が雇った仕事人。年に数回、不定期で開催される『大掃除会』は裏の世界では重大イベントでもある。
『協会』の掲げる理念は『悪党滅殺・世界平和』。今回、悪質なコレクターの一斉摘発を目的として開催された『大掃除会』は、任務達成率八割を超える結果だった。
(まぁ、本来の目的は達成出来んかったが……)
どれほど緻密に作戦を練っても、予想外の事は起きるもの。あとで文句が上がる事が懸念されるが、恭介にはどうしようもなかった話で貫き通すつもりだ。
「報酬は口座に送ってある。せっかく儂のところに来てくれたんだ。他に欲しいものはないか?」
「じゃあ……」
うーん、と考える素振りをとって、『ソプラノ』は真っ赤な唇を弓なりに曲げて言った。
「お小遣い、欲しいなぁ」
「はははっ。えぇよぉ。いくら欲しい?」
「…………」
一連の流れを、『アルト』は冷めた目で見ていた。
恭介からお小遣いを貰った『ソプラノ』は、ニコニコ笑顔を浮かべてその場で回っている。
「やったぁ! 恭介さん大好き~!」
「嬉しい事言うてくれるのぉ。そのかわり、一つ頼まれてくれんか?」
「あら、なにかしら」
「ウェールズ家とガードナー家への慰謝料……儂の代わりに渡してきてくれんか?」
恭介にはどうしようもなかったとはいえ、目的を達成出来なかった以上何を言われるか分からない。関係者の多い現地へ赴きたくはなかった。
「まぁ、そんな事? もちろん構わないわよ」
恭介の頼みを、『ソプラノ』は快諾してくれる。そんな彼女を窘めるように、『アルト』がぐいぐいと姉の服の裾を引っ張った。
「姉貴、いいのか? 説明はしてあるとはいえ恨まれているだろうし、刺されるかもしれない」
「名家当主の方々と会えるなら充分すぎるくらいだわ。それに、恭介さんが口利きしてくださるんでしょう? 大丈夫よ」
抜け目のない子だ、と恭介は肩を竦めた。
「もちろん。ウェールズ家当主とは面識があるけぇのぉ」
「ほらね。私一人で行ってくるから、妹貴は先に帰ってなさい」
「……分かった」
『アルト』はどこか納得のいっていない様子だったが、大人しく引き下がる。『アルト』は『ソプラノ』が運んでいたトランクケースを受け取り、『ソプラノ』も恭介から慰謝料の入ったケースを手にして、くるりと踵を返した。
「それじゃあ、いってきま~す」
「ほいじゃあ、頼んだぞ」
門の前に出て、二人を見送る。
と、上着のポケットに入れていたスマホが鳴り響いた。
画面には『二条蝶花』と表示されていて。
「…………」
面倒だな、と思った恭介はスマホの電源を落としてしまった。




