第百十六話 貴方方の提案に乗りましょう
エレナは数分後、落ち着きを取り戻したらしく、嗚咽は聞こえなくなっていた。「では行きましょうか」と気を取り直した瞬間、エレナは白羽の背中に顔を埋めるようにして、ぴったり張り付いてしまったのだ。
「あの、エレナさん……何故僕の背中に張り付いているのでしょう……」
「そうですよ。一華様が嫉妬なさいます」
「ジュリオさん……!」
やはりジュリオには見透かされているらしい。エレナもその言葉でハッとしたらしく、さっと白羽の元を離れた。
そして、またもや顔を隠すかのように一華の背に張り付いてしまった。
「だからといって、一華様に抱き着いていいとは言ってないんですよ」
ジュリオに目を細められているのが伝わっているのか、エレナは小さくぎくり、と肩を揺らした。
しかし、エレナがこうなっているのにも理由があるはずだ。首だけを動かして、一華は背中に張り付いているエレナに問いかける。
「どうしたんだ? つらいようなら――――」
「は、恥ずかしくて顔上げられねぇんです……」
と、エレナは小さく回答。一華の言葉を遮ったとしても、耳を澄まさなくては聞き取れないほどの小さな声で。
「こんな、馬鹿みたいに泣いたの初めてで……あと、言葉遣いとか色々……怒られると思うと……」
どうやら、恥ずかしさでいっぱいいっぱいになっていたらしい。エレナにも可愛らしい一面があるではないか、と一華はエレナの事はお構いなしに振り返って、俯いていた顔を掴んで無理やりあげさせた。
「ヴァッ!?」
目も赤くなっているし、涙で濡れた跡も薄らと残っている。しゅん、とした面持ちであるためか、やはりどこか小さく見えるが……
「よし、いつものエレナさんだ」
背筋を伸ばして一華を見下ろすのは、いつもの通り。何より、アーサーを取り戻すという役目がある以上、落ち込んでなどいられないのだ。
「ふふっ、目が赤いですね」
「うっ……」
ジュリオに指摘されて、エレナは顔を赤くしていたが、今度は一華の補助なしに背筋を伸ばして言った。
「あの……来てくれて、本当にありがとうございます。めっちゃ、心強いです」
改めて礼を言うのは、やはり気恥ずかしいらしい。いつもよりもしおらしい、どこか控えめな笑みだった。
心強いのは、一華の方もだ。
『狂犬』としての彼女は意思疎通が図れないのが難点だが、『狂犬』も『エレナ』も確かな実力の持ち主である事に変わりはない。
きっと、アーサーの事も迅速に救い出せるはずだ。そんな予感を抱きながら頷きを返すと、それまで静かに事の成り行きを見守っていた『アルト』の声が一行の耳に入ってくる。
「……もういいか。大事な話がある」
大事な話、という言葉に、一華を含めた全員の視線が『アルト』に向けられる。
「ここには監視カメラがない。雇い主から私達の姿は見えていないから安心しろ。今の内に話をしておきたい」
「まず、ウェールズ家当主様は無事よ。髪の毛こそ切っちゃったけど、五体満足で元気に過ごしているわ」
引き継いで説明する『ソプラノ』の言葉に、はっとエレナは息を飲んだ。
「そうだ、アーサー様はどこに!? すぐ助けに行かねぇと」
「話は最後まで聞いてよ。闇雲に走ったって、辿り着けないように私達が仕組んでいるんだから」
「……お前等のせいだったのか!?」
「本当に元気ね……貴方の体力は底なしなのかしら」
エレナに掴みかかられても『ソプラノ』は終始涼し気な表情で話していた。
「今は大人しく話を聞きましょうね」とジュリオに引きはがされても、エレナは『ソプラノ』を睨みつけたままだ。
そんな鋭い視線を浴びながらも、やはり『ソプラノ』の表情は変わらない。
「順を追って話をしましょうか。まず、私達の目的は『お金』。暗殺者なんだから当然よね。そして、私達の雇い主……ケイレブ・ヒューズ卿の目的は『魔力視の魔眼』と『停止の魔眼』」
その言葉に、一華は疑問を抱く。アーサーを人質にとれば、エレナが助けにやってくるので、そこを狙えばいい、と理解出来るが、白羽に関してはそもそも共通点があるとも思えない。
白羽にも覚えがないようで、一華の視線に対して、静かに首を振っていた。
「雇い主は『愛するエレナを取り戻す』と言っていた」
「…………?」
『アルト』がそう言うと、それぞれ思案していた一華達の視線が、一斉にエレナに向けられる。しかし当の本人も、理解が及んでいないらしい。首をぶんぶんと振っていた。
「な、何の事だかさっぱり……」
ともすると、“エレナ”という名の女性と混同しているのか、一方的に好意を寄せられているかのどちらかになる。
今の発言だけでは何とも言えないが、アクセルだけは違った。独自の情報網を有する彼には、思い当たる節があったらしい。
「ケイレブ様は……二十年ほど前に亡くされた奥様の形見を手に入れようとしているのですか?」
「そうなるわね。……ケイレブ卿の亡くなった奥様は、『魔力視の魔眼』を有していたそうよ。だから、『魔力視の魔眼』を持っている狂犬ちゃんを捕まえて、魔眼を回収する。英国国主はそのための餌だった、というわけね」
「な、なんで……どういう事なんだよ……」
『ソプラノ』から経緯を説明されたエレナは、ぴたりと動きを止めて呆気に取られている。
通常、魔眼は親子間で継承される。白羽やジュリオのように、魔眼そのものを移植するケースも存在するが、それには高額な手術代や相応のリスクが伴うとされている。
アクセルのように親から継承された場合にも、いくつかパターンがあるらしいが、彼の場合はもともと魔眼を有していた母から、特別な魔法術儀式を執り行い継承。
そしてもう一つ、継承者が儀式を行わずに死亡してしまった場合には、血縁者にその力が宿ると言われているのだ。
エレナは以前、知らない内に魔眼を持っていた、と話していたので、おそらくは後者かと思われる。本人もその思考に至ったようで、主犯格であるケイレブの子であると悟ったようだ。
「じゃあなんだよ、俺の父親がラスボスだったって事か!?」
「それは少し違う」
しかし『アルト』曰く、やや齟齬があったらしい。静かに否定してから、エレナ本人ですら知り得なかった真実を告げられる。
「お前は、ケイレブの妻エレナと、他の男との間に生まれたんだよ」
「ヒューズ家当主ケイレブ様と、奥様の間にお子さんはおりませんでした。というのも、奥様は出産後に体調が急変したそうで……その後死亡しています」
情報として知っていたアクセルが、引き継いで説明する。
「奥様の所有していた魔眼は、唯一血縁関係のあった貴方に継承された。それを知ったケイレブ様が、奥様の魔眼を取り戻すために躍起になっている、という事かと」
「……んだよ……そんなの、知らねぇよ……」
拳を握り締めて、エレナは呟く。
「そんな事で……アーサー様を……! こんな事なら、さっさと捨てておけば良かった!」
エレナにとっては、“そんな事”だ。敬愛するアーサーを人質に取られており、目的が自身の眼だという。彼女の怒りも理解出来るが、ここで立ち止まり続けるわけにもいかない。
「ともかく、早くアーサーさんを助けに行こう。詳しい話はそれからだ」
そう話題を戻して、一同が頷いたのを確認してから、一華は『ソプラノ』と『アルト』に視線を向けた。
「雇い主のいるところまで案内しろ」
「それはちょっと、オススメ出来ないかしらぁ」
「……また金か?」
「いいえ、そうじゃないわ。ケイレブ卿とアーサー卿は、今同じ建物内、同じ部屋にいると考えられる……そして、この一帯には監視カメラが無数に設置されているの。だから、拘束されている私達と貴方達が一緒に行動していたら、ケイレブ卿がアーサー卿の事を殺してしまうかもしれない」
『ソプラノ』の指摘は正しいように思える。アーサーの命を第一に考えると、それは避けなければならない事態だ。
「提案があるの。貴方達にとっても、悪いものじゃないわ」
しかし、だからといって『ソプラノ』の提案にのれるほど、彼女達の事を信用しているわけではない。むしろ、彼女達が一華達を罠に嵌めようとしている可能性の方が高いのだから。
(だが、アジトの中の様子も分からないし……)
何より、結界がある以上、アーサーを救い出そうにも目的地まで辿り着けない。
「まずは聞こう。決めるのはその後だ」
一華がそう口にすると、『ソプラノ』はにんまりと口角を上げた。
「まず、私が一人で拠点へ戻る。卿の目的は、あくまで魔眼だもの。表に出てくる事はないでしょう。その間に、貴方達は妹貴と一緒に別ルートから侵入する。監視カメラのない道を通れば、バレないはずよ」
「私達に手を貸して、貴方方にどんなメリットがある」
即金も用意出来ない事は、彼女達も重々承知しているはずだ。それなのに、何故手の平を返すような提案をするのか、一華には理由が分からなかった。
「……そうね。本当の依頼人からのお仕事を達成出来る」
「本当の依頼人……?」
「守秘義務があるから言えないのだけれど……私達にとってメリットしかないのよ。ケイレブ卿から巻き上げたお金と、正規の依頼料……懐が潤うなんて話じゃないわ。なんとしてでも、任務は達成したいの」
まさか、ケイレブが本当の依頼人でなかったとは。
二人を雇っている本当の依頼人が知りたいところだが、どうやら口にする気はないらしい。
悩む一華の瞳を覗き込むように顔を近付けて、『ソプラノ』は微笑む。
「さぁ、どうする?」
青緑色の瞳に見つめられて、一華は思わず息を飲んだ。
彼女は、一華達の味方というわけではない。危険だと分かっているのに、信用してもいいのではないか、と思わせられる不思議な目力を感じる。
慌てて目を逸らして、一華は言った。
「……結界が張られている以上、彼女達の話に乗るしかないように思える。他にいい案があれば言ってほしい」
決定権は一華にあるとしても、ここは白羽達の意見を仰ぐべきだろう。
最初に口を開いたのは、ジュリオだった。
「現状、ないでしょうね。こちらには結界を解ける者がいません。魔眼持ちは、魔法術が使えませんから」
一華以外、全員魔眼を有している。そして、一華は魔力そのものを持ち合わせていない。結界を解けるのは、『ソプラノ』と『アルト』のみ。
「……敵は、貴方達の他に何人いる?」
「私達二人だけよ。実は私達、強いから」
「罠は張ってあるのか?」
「いいえ。アジトの中には張っていないわ」
一華の質問に、『ソプラノ』はつらつらと答える。嘘はついていないようだが、やはり信用する事は出来ない。しかし現状、他に方法はなく――――
「コイツの言葉をすべて真実と仮定すれば、まだ勝機はあるように思えます。アジトの中に入れば、『魔力視の魔眼』でアーサー様の居場所を探る事も出来るはずです」
「目は大丈夫なのですか?」
「あと一、二回くらいなら大丈夫かと! それに、匂いも辿れますから!」
エレナの能力があれば、アジトのどこかにいるアーサーを探す事は容易だろう。近くに行けば、一華だって気配を探る事が出来る。
(……やるしかないか)
他に手はないようだし、ここは『ソプラノ』達の提案に乗ってしまうのが最善かもしれない。一度心を落ち着けるべく息を吐き出してから、一華は唇を動かした。
「……そうだな。分かりました、貴方方の提案に乗りましょう」
「そう言うと思っていたわ。それじゃあ、拘束を解いてくださるかしら」
にんまりと口角をあげる『ソプラノ』。
拘束が解かれた彼女はぐい、と身体を伸ばしてから『アルト』に視線を向ける。
「それじゃあ妹貴、ちゃんと案内して差し上げるのよ」
「うん」
「ところで……」
と、『ソプラノ』の視線が、アクセルに移される。
「信頼の証にハグをしてもよろしくて?」
「駄目です。早く行ってください」
「もう、冷たいひと。こんなセクシー美女に言い寄られるなんて、すっごく贅沢な事なんだからね。あとでエッチな事させてくれ、って言われても…………喜んで相手をするからちゃんと心の準備しておくのよ!!」
「早く行ってください!!」
アクセルに言い寄っていた『ソプラノ』は、走り去る途中でも振り返って投げキスを残していく。よほど気に入ったらしい。
『ソプラノ』の姿が完全に見えなくなった頃、沈黙を破ったのは『アルト』だった。
「……玉の輿に乗れて姉貴も幸せ者だな」
「冗談でもやめてください」
「お前は姉貴を見ても何も思わないのか? あんな美女そうそういないぞ。羨ましいなこの野郎。姉貴があそこまでアプローチしてるんだから乗ってやれよ」
「どうして私が悪いみたいになってるんですか!?」
「じゃあ聞くが、姉貴のおっぱいを見てもなんとも思わないのか? 本当に? これっぽっちもいやらしい目で見ていないと?」
「ですから、」
「これは自慢だが姉貴の美貌は女でも三度見するレベルだぞ。マジで何とも思わないのか!?」
「それは、」
「さてはお前胸派じゃなくて尻派か!? 姉貴は尻もすごいからな! 姉貴をナメてんじゃないぞ!!」
「もう分かりましたから! 勘弁してください!」
赤くなった顔を隠すように手で覆ったアクセルは、スウェーデン語でつらつらと自身の胸の内を明かした。
〈認めればいいのでしょう! 怖い恥ずかしいとは思いつつも気になりますよ! 私だって胸を押し当てられたらドキッとしますよ! だってすごく柔らかかったし、いい匂いするし、ビビるくらいに綺麗な人なんですから! えぇ認めますとも! 最高でしたよ!! これで満足ですか!!〉
再び、少しの沈黙が訪れる。
凄まじい早口、そしてスウェーデン語。聞き取れた者は、一華を除いて他にいなかったらしい。
「……あの、何て言ったんですか?」
「すごい早口で、ところどころしか聞き取れなかったのですが……」
「僕も、スウェーデン語はまだ覚えられていなくて……一華さんは聞き取れましたか?」
「いや、私も聞き取れなかった」
(事にしておかないとな……)
エレナ、ジュリオ、白羽と首を傾げているところを見て、アクセルは安心している様子。むしろ、これを狙っていたはずなので、一華も知らないふりをしておく。
聞き取れなかったのは、アクセルに詰め寄って自白に追い込んだ『アルト』も同様だったらしい。舌打ちをして、不満気に眉を寄せていた。
「まぁいい。姉貴は走って行ったし、ここからカメラを避けて通るとなれば少し時間がかかる。そろそろ行くぞ」
「あぁ、そうしよう」
気を引き締めていかないと、と一華は緩んでいた警戒心を高める。先導する『アルト』に続いて歩き始めると、後ろからエレナが声を発した。
「で、アクセルさん。さっきなんて言ったんだ?」
「何も言っていません」
「流石にそれは嘘でしょう……」
エレナとジュリオも気にはなっているらしい。たしかに、あそこまで取り乱すアクセルはそうそう見れたものではないし、一華だって言葉が分からなければ「教えてくれ」と詰め寄っていたかもしれない。
(女性恐怖症とは言っていたが……目が合わなければ大丈夫なようだな……)
事情は、聞いた程度なら知っている。要因となった女性の事も知っているが、それは口外しないように言われている。けれども、一華は心の中で思ってしまうのだ。
(元凶となった人と似ている気がするが……あの手の女性に好かれるのは何なんだろうな)
十年ほど前だったか。アクセルを襲ったという女性も積極的なタイプだったと聞き及んでいる。
「一華さん、難しい顔をしてどうしたんですか? 何か、気になる事でもありますか?」
と、白羽に顔を覗き込まれて、一華の思考が弾け飛んだ。小さく息を飲んで、あぁ、と答える。
「いや……難儀なものだなぁ、と……」
白羽がどこまで知っているか分からない以上、一華の口から説明する事は出来ない。
一華が誤魔化すように笑うところを、『アルト』はじっと見つめていた。




