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本条家当主継承戦  作者: 京町ミヤ
第五章 『大掃除会』
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第百十三話 貴方をお守りします

 白羽達の気配が遠くなり、戦闘の音も完全に聞こえなくなった頃、一華とアクセルは足を止めた。


「はぁ……やっぱり、マスクをしていると息苦しいな」


 顔を隠すために着けていたマスクを外しながら、一華はアクセルに視線を向ける。


「…………」


 すると、彼は何やら不思議そうに眉を顰めていた。


「アクセルさん、どうかしたか?」


「いえ。少々気になる事がありまして……」


 いつもの無表情とは違う雰囲気に、一華は思わず声をかける。アクセルは前置きして、告げた。


「この辺りから、甘い匂いがしていませんか」


「……言われてみれば……」


 鼻の奥につく、甘ったるい匂いだ。心地よい気もするが、深く吸い込むとくらりと頭が揺れる感覚には、覚えがある。一華は匂いの正体を思い出すべく記憶を辿る。


「わりと最近、これと同じような匂いを嗅いだ記憶がある。香水ではない事は確かなんだが……たしか……」


 そして、ハッと目を開いた。


「思い出した、媚薬だ!」


「……………………」


「あ、いや……その……」


 思いもよらない単語が飛んできて、アクセルは口を閉ざしてしまう。そして一華もまた、じわりと汗が浮かぶのが分かった。


「本当に……そう……言われて……えっとだな……」


 上手いこと説明しないと、と思考を巡らせるが、その間にもアクセルはじっとりとした視線を一華に送ってくる。いたたまれなくなって、一華は顔を赤くさせながら言った。


「違うんだ! そんな目で見ないでくれ!」


「だって媚薬ってそんな……嗅ぐ機会なんてそうそうないですよ!? 私だって母が読む書籍の中でしか見た事ないですもの!」


「本当なんだって! オーストリア国主のザスキアさんから聞いて、実際に匂いを嗅いで飲んだんだ!」


「飲んだんですか!?」


「違うんだ! これにはちゃんと理由があってだな――――」


 誤解を解こうとした瞬間、一華とアクセルはすぐ近くにただならぬ気配を感じて、会話を中断した。


「この話は後だ」


「えぇ。この気配、間違いなく彼女です」


「よし」


 一華もアクセルも、その気配の正体が何か瞬時に悟った。


 暗い路地の奥から、ゆらりと人影が見える。ボサボサになった金髪、男性のような装いをした女性────エレナが、こちらに向かって歩いてきた。


「エレナさん! 私だ、本条一華だ!」


 一華は一歩前に踏み込んで、そう呼びかける。

 しかし、エレナは反応しない。いつもなら、背筋を伸ばして返事をするところなのに。


「…………は……アーサー様は……どこだ……」


 ようやく呟かれた言葉は、それだった。

 やはり、『エレナ・ガードナー』としての自我が薄れつつあるらしい。


 一華はアクセルに、準備をするように目配せする。一度頷き、銃を手に一華の隣に並び立った。


「エレナさん。落ち着いて聞いてください。貴方を助けに参りました」


「あ……?」


 アクセルの声に、エレナは顔を上げてこちらを睨みつける。ギラついた空色の瞳は、いつにも増して鋭さを兼ね備えていて。


 しかしそれよりも驚いたのは、彼女の強膜が真っ赤に染まっていた事だ。一華は息を飲んで、目を見開いた。


「なっ……目が……」


「右目の方は黒くなりつつあります。緊急用の目薬をささなければ失明してしまいます」


 魔眼を駆使し続けると、最悪失明する恐れがあるという。エレナは『魔力視の魔眼』を使い、何日もアーサーを探していたのだろう。


 体力も、精神的にも限界のはずだ。

 早くしないと、エレナが危ない。一華は、焦りを抱きつつ彼女に手を伸ばした。


「そうはさせない。エレナさん、一緒にアーサーさんを助けに行こう!」


 その瞬間、エレナが動く。


「がぁっ!」


「ッ!」


 頭上からの攻撃を躱し、一華はエレナの背後に回る。


「対話は駄目そうだな。少々手荒になるが許してほしい」


 そう断って、彼女の首元に腕を回して締め上げた。


「がぁぁあっ!?」


 そのまま地面へと縺れるように倒れ、一華は力を少しずつ強めていく。エレナは一華から逃れようと激しく抵抗するが、彼女の足も抑え込んで締め上げる。


「あぁぁぁあっ!? がっ、ぐぅっ!」


「骨が折れないのはこの具合だな。このまま落とす」


 力を込めすぎては、首が折れてしまう危険がある。あくまで冷静に、と一華は腕を固定し、エレナが気を断つのを待った。


「うぁぁあっ!! あぁぁ、ぁぁあっ……!」


 エレナはまだ暴れている。しかし、絞り出すような叫びが、だんだんと弱くなっているのを感じ、一華は気を引き締めた。


「アクセルさん、私の鞄の中にロープが入っている。準備しておいてくれ」


「御意」


 もがき苦しむエレナを抑えながら、一華はアクセルに指示を出しておく。一度気絶させてしまえば平静を取り戻す、と聞いたが油断は出来ない。


 アーサーを救い出すには、エレナの存在が必要不可欠。何より、彼女の危機を救うためにも、まずは正気に戻さなくてはならない。


「あ……が……ッ……」


 やがて、エレナの抵抗が止まった。だらん、と腕の力が抜けるのを確認してから、一華はアクセルに視線を向ける。


「アクセルさん、今の内に────」


 捕縛を頼む、と言おうとしたが、続きを口にする事は出来なかった。


 気絶したはずのエレナが、腕を勢いよく振り上げた。裏拳が、一華の額に当てられる。


「一華様!」


「いった……気絶したはずじゃ――――」


 続いて、もう一発喰らってしまった。思わず、エレナの拘束を解いてしまい、攻撃を受けた鼻の辺りを抑える。瞬間、激痛が走った。


「うっ……すまない、逃がしてしまった」


「それより一華様、血が出ています。大丈夫ですか」


 アクセルに言われて、一華は初めて気が付いた。

 ぽたぽたと鼻血が出てきている。口の中も切れてしまったらしく、じんわりと鉄の味が広がった。


 抑えると痛いので、これは折れてしまったかな、と他人事のように感じながら、一華はゆっくりと立ち上がる。


「多分折れた。気にするな」


「気にしますよ!?」


こんな(・・・)もの(・・)()すぐ(・・)()治る(・・)! そんな事より、どうやって捕まえるんだ。気絶しても一瞬で起きてしまう」


 エレナは確かに気絶していた。それは間違いないだろう。


 しかし、一瞬にして攻撃を繰り出せるほどに回復してしまっている。今も、ぎらぎらとした視線をこちらに向けており、出方を伺っているようだった。


 一華の疑問に、アクセルは少し悩んでいる様子で告げる。


「手っ取り早いのは、手足に何発か撃ち込む事ですが……」


 アクセルも、躊躇っているのだろう。

 暴走状態にあるとはいえ、エレナは一華達がよく知っている人だ。普段の彼女を知っているだけに、強硬手段に出られないでいる。


(だがこのままでは……手加減しているこちらが負ける)


 一華達が負けてしまえば元も子もない。覚悟を決めなくてはならないだろう。


「……手段は選んでいられない。なるべく、急所は避けるように頼めるか」


「……分かりました。私がやります。一華様は下がっていてください」


 アクセルは手にしていたロープを置いて、銃を手にした。一人でやる、といった口振りに、一華は即座に食い下がる。


「二人でやった方が早いだろう」


「駄目です。どうか安静に」


 強めに一蹴されて、一華は思わず留まってしまった。鼻血は今も溢れてきているし、頭を打ったせいか眩暈もしている。愛用の刀もないので、足手纏いにしかならないのかもしれない。


 悔しさのあまり、静かに歯を食いしばっていると、一華の心情を察したかのようにアクセルは言った。


「大丈夫ですよ。今度こそ、貴方をお守りします」


「……分かった」


 アクセルの実力はよく知っている。ここは、彼に任せてしまおう。


 一華は、ゆっくりと壁の方まで下がり、向かい合う二人から距離を取った。




※※※※




 エレナがチャーリーに拾われてしばらく経った頃。アクセルとジュリオは、二週間ほどエレナの面倒を見ていた時期がある。以降も、食事に行ったり、手合わせをしたりと交流を続けているので、エレナの戦闘スタイルはもちろん、癖もすべて知っている。


 エレナは普段、毒を塗った鉤爪を使用して闘うが、今回は携帯していないらしい。武器がある、という点ではアクセルの方が有利だ。


(問題は、どう捕まえるか……)


 今はまだ、互いに出方を伺っている状態だからこそ、アクセルは思考を巡らせる事が出来ているが、どちらかが動き出せばそれも難しくなるだろう。


 動けないように足を狙うか、と銃口を足元に向けると、エレナは即座に距離を取った。


(一華様の言う通り、手段は選んでいられない。銃は手に馴染んでいる……確実に当てられる)


 ――――狙うは、エレナの軸足である左足だ。


 アクセルは、引き金を引いた。

 銃口の向きを見ていたエレナは、即座に横へ移動して回避する。


 そして、銃声が合図だったかのように、エレナはまっすぐこちらに向かって来る。続けて三発、アクセルは発砲する。どれも、エレナの身体に掠りもしない。


 後ろで一華が息を飲んでいるが、アクセルは至極落ち着いていた。近付いてくれなくては、捕まえられない。距離をとって狙い撃つ事も考えたが、エレナならば対処してしまうだろう。


 そして、エレナならまず、相手の武器を狙うはずだ。

 予想通り、エレナはアクセルの手にしている銃を狙って手を伸ばす。


 伸ばされた腕を掴み、エレナが飛び込んできた勢いを利用してアクセルは彼女の背後に回りこむ。エレナが振り返るよりも早く、腹部目がけて発砲するが、身体を捩じって避けられてしまう。


(この距離でも駄目か……)


 ぐっ、と眉根を寄せていると、振り返ったエレナがアクセルの喉輪目がけて手を伸ばさんとしていた。掴まれるのはまずい、と銃口を向けると、エレナは一瞬目を見開いて後退した。


 ここがチャンスだ、とアクセルは口角を上げた。


「想定通りだ」


 空中では避けられない。一発、二発、と狙いを定めて発砲するが、どちらもすれすれのところで外してしまった。




 ――――否、外したのだ。アクセルは、全ての弾丸を狙ったところに撃てているのだから。


(着地したら、間髪入れずにこちらに来る。その時が狙い目だ)


 避けられる事を前提に、アクセルはわざと狙いを外していた。全ては、エレナを最低限の負傷で抑え込むため。


 エレナは、弾丸を避けられると確信している。彼女もまた、アクセルのくせを知っているからだ。


 だからあえて、背後に回った時に撃った弾を外したのだ。いつもなら確実に仕留められる一撃を外した――――それはエレナにとってのチャンスだから。


 エレナの足が地面につく瞬間、アクセルは引き金を引く。


 左足に、命中した。


「うぁあっ!?」


 バランスを崩してその場に倒れたエレナの呻き声を聞きながら、アクセルは息を吐き出す。最初に狙っていた通り、彼女の軸足を封じる事に成功した。


「当たったんだな」


 額に浮かんでいた汗を拭っていると、ハンカチで鼻を抑えている一華が歩み寄ってきた。邪魔になるからと置いていたロープを持って来てくれたので、それを受け取って頷く。


「はい。久々に肝が冷えました」


「本当か?」


「本当ですよ」


 正直、エレナが疲弊した状態でなければ、こう上手くはいかなかったかもしれない。今回は運がよかった。アクセルはそう思っていた。


「あ……ううっ……」


 と、エレナがゆっくりと立ち上がった。


 アクセルは慌てて一華を庇うようにして、エレナに銃口を向ける。右足か、否、次は腕を狙うべきだろうか、と策を巡らせていると――――


 ドンッ!! と破裂音が響き、辺り一面に煙が立ち込めた。アクセルと一華、そしてエレナも、突然の事態に息を飲んだ。


「アクセルさん、絶対に吸い込むな!」


「はい!」


 袖口で鼻と口元を覆って、煙を吸い込まないように努める。しかし、反応が少し遅れてしまった上に、煙が一向に収まる気配がない。


 どさっ、と誰かが倒れる音がした。一華はアクセルのすぐ後ろにいるので、倒れたのはエレナだろう。


(催眠ガスの類か……? それとも、)


「くそ……意識が……」


 アクセルの思考を遮るように、一華が小さく呟いた。そして、ゆらりと身体が傾いていく。


「一華様!」


 慌てて、一華の身体を支えるが、すでに彼女の意識はなかった。呼吸は安定しているし、毒性の強いものではないだろうが、早くここから離れなくては。エレナも、すぐ近くで倒れているはずだ。急がないと、と一華の身体を抱えて駆け出す。


 幸い、煙の範囲はそこまで広くなかった。少し離れたところに二人を避難させて、一息ついたところで、アクセルは違和感を覚えた。


 自身は、何ともないのだ。一華が倒れてからは、かなり煙を吸い込んでしまったはずなのに。


(甘い匂いはしていたが、別に何ともない……一華様とエレナさんだけ倒れたのは、一体どうしてだ)


 答えは出てこない。まさか、女性にだけ効果があるものなのだろうか。


 そんな限定的な催眠ガスを使ったとして、何が目的だったのだろうか。何より、誰があのトラップを発動させたのか。謎は深まるばかりだ。


 煙が晴れてきた頃、遠くから複数の足音が聞こえてきていた。


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