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本条家当主継承戦  作者: 京町ミヤ
第五章 『大掃除会』
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第百九話 Elena Gardener

 どのくらい時間が経っただろうか。


「はい、あーん」


「……………………」


 夕食をスプーンですくい上げ口元に運ばれ、それを拒否するべく唇を固く閉ざしてから、どのくらい時間が経っただろうか。


 現在、アーサーに食事をとらせようとしているのは、昼間に会った女性とは別の少女だった。


 オレンジに近い茶髪を前下がりボブに切り揃えた、青と緑でグラデーションがかった三白眼の瞳。口元と体型を隠すようなぶかぶかのコートを着ているが、そこから覗く肢体はかなり細い。


 何より特徴的だったのは、大きな黒いリボンがついたカチューシャだ。顔を近付けられると、リボンが当たりそうになる。


「ほら、口を開けろ」


 アーサーがずっと口を噤んだまま、食事を拒んでいる事に苛立ちを感じ始めたらしい少女は、ムッと唇を尖らせた。


 しかし、アーサーはそれ以上に不満を抱いている。縛られているので自由に身動きは取れないので、顔を背けて少女から逃れる。


「この年であーんされても嬉しくないんだけど。縄外してくれる?」


「駄目。縄解いたら逃げるだろ」


「チッ」


 だからといって、この少女から「あーん」をされるいわれはない。アーサーは顔を背けたまま舌打ちするが、少女が引く様子もなく……。


「嫌なら()()を呼ぶけど」


 という言葉を受けて、アーサーは思わずたじろいでしまった。


「…………」


 そして、思い出す。誘拐されてからずっと、()()と呼ばれている女性に「あーん」をされた時の事を。


 「はぁい、お口を開けて? それとも、口移しがよろしくて? 私の唇を堪能するチャンスよ」なんて言葉を並べながら、ぐいぐいとアーサーの口に食べ物を運んでくるのだ。


 綺麗な女性だし、正直いい匂いもするな、なんて思っていたが、あそこまでされると逆に萎えるというもの。からかわれているのが目に見えていて、アーサーにとっては煩わしくもあったのだ。


 ()()と呼ばれている女性からより、淡々と食事させようとしてくる少女の方が、まだマシかもしれない。


「…………ん……」


 そう決断したアーサーは、渋々差し出されていた食事を口にした。何かの野菜らしいが、味付けがされていなくて、独特の苦味だけが口の中に広がる。


「やっぱり美味しくない」


「文句言うな」


 むっ、と唇を尖らせながら、少女は言い放った。


「安心しろ。お前が大人しくしていれば、依頼主が警戒する事もない。こっそり説明してやった通り、私達は『大掃除会』のためにここへ来ているんだ」


「分かってるよ。でも、僕の安全は保証されていても、エレナは違うでしょ」


 『大掃除会』とは、そういうものだ。父親から少しだけ聞かされた程度の知識と、少女から聞かされた話でしか推察出来ないが、少なくともアーサーが殺されるような事はないだろう。


 しかしそれは、アーサーの話であり、彼を助け出そうと必死になっているエレナは別だ。監視カメラの映像を見る限り、かなり消耗している様子。不安は募る一方だった。


 少女も、映し出されているカメラの映像を見上げながら言う。


「『狂犬のエレナ』か……部下の心配をするとは、いい主だ────」


「その二つ名で呼ぶな」


 アーサーが低い声でそう言うと、少女は不思議そうな表情を浮かべながら、視線をアーサーに戻した。


「エレナは僕の……」


言いかけて、アーサーは口を閉ざしてしまう。


「…………」


 アーサーはエレナを家族のように思っているが、彼女はそうではない。アーサーの従者として育てられ、従者でなくては『エレナ・ガードナー』という一人の人間として生きられない。


 たとえ心の中でエレナを家族のように思っていても、それを口にする事は出来ないのだ。


「……僕の、何?」


 突然黙り込んだアーサーを不審に思ったのだろう、少女は首を傾げながら問う。


「……お前に言う義理はないよね。それより食わせるなら早くしてくれる?」


「横暴……」


 結局は、無理矢理話を逸らすしか出来なかった。口元に運ばれる食事を淡々と流し込むようにして、アーサーはカメラの映像越しにエレナを見つめた。




※※※※




 遠くから、声が聞こえていた。

 それは、エレナ・ガードナーがまだ名のない子どもだった頃の記憶だ。


 物心ついた頃には、自分は一人、路地裏で蹲っていた。寒くて、その日を生きているのかも分からない。本能に従って、食べられるものを探す。


 ごみを漁り、拾って、奪って。一日一日を乗り越えてきた。


 その中で、大人は敵だと確信した。

 近寄るな、と物を投げられる。かと思いきや、捕まえようと追いかけてくる。おぼろげだが、そんな毎日が当たり前だった。


 似たような境遇の子ども達が、次々消えていく。どうしていなくなったのかは分からなかったが、「捕まったら終わりだ」と身の危険を感じて、ともかく捕まらないように必死だったのを覚えている。


 そのために、何人のひとを殺めたのか。

 覚えていなかったが、相手が動かなくなればこちらの勝ち。そう認識していた。


 いつしか『狂犬』と呼ばれるようになっていたが、それが自分の事を指すのだと知ったのは、かなり後の事である。






 今から十年前。転機が訪れた。


 拠点としている路地裏の奥に、二人の男が現れた。

 一人は、帽子を被っていた。薄らと、金色の髪が見える。


〈――――なぁ、本当にここにいるのか? 例の『狂犬』は〉


〈応とも。間違いない〉


 そしてもう一人は、サングラスをかけた黒髪の男だった。


 二人共、皺一つない綺麗なスーツを着ている。おそらく、金持ちなのだろう。

 そんな二人が、何故こんなところにいるのかは分からないが、いい予感はしなかった。


 今までにも、何人もこの路地へやって来て、自分を捕まえようとした。先日も、返り討ちにしたばかりだ。


〈捕獲は僕がやる。君は引っ込んでいなよ〉


〈そうかい。相変わらずなようで何よりだ〉


 やはり、捕まえる気だ。下手に動かれる前に、先に仕留めてしまおう。


 即座に決断を下して、勢いよく地を蹴った。狙うのは帽子を被った男だ。


〈上からくるぞ〉


〈分かっているさ〉


 けれど、二人には気配を悟られていたらしい。ぱちっ、と帽子を被った男と目が合った。青と紫が混じった、美しい目だった。いつか見た、宝石というもののようで、一瞬だけ怯みそうになる。


〈単調な攻撃だな、アレを使うまでもない〉


 見惚れていると、帽子を被った男が手にしていたステッキをかざした。瞬間、バチンッ! と頭に衝撃が走って、意識を失った。






 目を覚ました時、思うように身体を動かす事が出来なかった。不思議に思って視線を動かすと、逃げられないように支柱に括り付けられている。


 顔を上げると、先程の男二人がこちらを見下ろしていた。攻撃を受け、捕まったらしい。


〈放しやがれこの野郎!!〉


 かろうじて動かせる足をじたばたとさせて、男達を睨む。けれど、どちらも動じる様子はなかった。帽子を被った男に至っては、おかしそうに笑っている。


〈元気な事だ。ガキのくせに僕の攻撃を食らってぴんぴんしてやがる〉


〈坊主、今暴れたら骨が折れるぞ。大人しくしてような。あ、ビスケットは好きか?〉


 サングラスをかけた男が、ジャケットのポケットに手を伸ばした。何が出てくるんだ、と警戒したが、男が見せたのは小さな箱の中に入った、甘い匂いのする食べ物だった。


〈な、何だそれ……〉


〈俺のおやつ。腹が満たされたら少しは大人しくなるだろ。ほれ〉


 一つ差し出されたので、おそるおそる食べてみる。サクサクとしていて、ほんのりと甘い。ぱぁっ、と顔を輝かせて、サングラスの男を見上げた。


〈うっ……美味い!! お前いい奴だな!〉


 食べ物をくれる人はいい人だ。自分の中での基準はそれだった。


 帽子を被った男が、〈何ちゃっかりポイント稼いでるわけ?〉と目を細めていたが、サングラスの男は頭を撫でて、ビスケットをもう一枚くれる。やっぱり、いい人だ。


〈おやつ一つで懐くなんて可愛いもんじゃないか。ちゃんと子どもらしい一面もあって安心したぞ。坊主、名前は何だ?〉


〈さぁ? んなもんねぇよ〉


〈じゃあ、お父さんとお母さんは?〉


〈なんだそれ?〉


〈そうか、分かんねぇか。教えてくれてありがとな。それ全部食べるといい〉


〈やったー!!〉


 質問の意図は分からなかったが、お腹を満たせるのなら何でもいいや、と差し出されたビスケットを頬張る。


〈やっぱりついて来て正解だったな。お前に任せていたら、こうはいかなかっただろう〉


〈はんっ、言っておけ。ジャスティス、お前は外で待ってるユリシーズとアメリアと合流しとけ〉


〈一人で大丈夫なのか?〉


〈僕を誰だと思ってるわけ? 余裕さ〉


 二人の会話を聞く限り、他にも誰かいるらしい。極度の空腹状態から抜け出した今、普段よりかは冷静になれていた。


〈おっさん、行っちまうのか?〉


 帽子を被った男と残されるのは嫌だった。行かないでくれ、と見上げるが、ジャスティス、と呼ばれたサングラスの男は、


〈用事が出来ちまってな。すぐ会えるから、こっちのおっさんで我慢してくれ〉


 と困ったように笑いながら言った。


〈仕方ねぇな〉


 どのみち、拘束されている以上逃げる事も叶わない。諦めて大人しく言う事を聞くか、と溜息をついた。


〈ねぇ、何なの君達。僕まだおっさんとか言われる年齢じゃないんだけど〉


〈俺もだっての〉


 二人はそう愚痴をこぼしながら、いくつか言葉を交わしていた。ジャスティスが去っていってから、帽子を被った男に視線を向ける。


〈なぁおっさん〉


〈だから、僕はおっさんじゃないし。チャーリー様とお呼び〉


〈わ、分かった……?〉


 チャーリー、というのが帽子を被った男の名前らしい。覚えられるか不安だな、と思いながらも、とりあえず返事をしておく。


〈お、意外に物分かりはいいじゃないの。さては賢い方だな、お前〉


〈さぁ……。でも、俺はアンタに負けた。これからどうなるのかも分かんねぇし、ひとまず様子を見ておくんだよ〉


〈そう。まぁ、話が通じるならいいや。僕とジャスティスは、君を保護しに来たんだよ〉


〈ほご……?〉


〈ちょっと目を見せろ〉


 チャーリーに言われて、顔を上げる。すると、ぐいっ、と目を開かせられる。


〈……やっぱり、魔眼持ちだな〉


〈まがん……?〉


〈特別な力だよ。僕は、君と取引がしたくてここに来たのさ〉


 そっと手を離して、チャーリーは縄を解き始める。抵抗しない、と分かってくれたようだ。


〈必要なものは全部与えてあげよう。その代わり、僕の元で働きなさい〉


〈ヤダ〉


〈……まぁ、最初からオーケーが貰えるとは思っていなかったさ。こほん……今よりずっといい暮らしが出来るぜ〉


〈アンタの元で働くってのがヤダね〉


 このチャーリーという男に関して、いい印象を抱いていない。どうせ働くというのなら、ジャスティスの方がいい。


〈可愛くねぇクソガキだなぁオイ。そんなにジャスティスの方がいいって言うのかよ〉


〈うん〉


 即答すると、チャーリーは眉をつり上げて苛立ちをあらわにした。


〈ハァー!? ムカつくんですけどー!? もういい、何が何でも僕がしつけてやるんだからな! いくぞほら!〉


ぐいっ、と手を引かれて、路地を後にする。ここへ来る事は、二度となかった。






 チャーリーに連れられて、ジャスティスと合流する。他にも男が一人と、女が一人いたが、会話をする事はなかった。車に乗せられて、ある屋敷に連れてこられた。いわく、チャーリーの住んでいる場所らしい。とても大きくて、ずっと見上げていると首が痛くなりそうだった。


 チャーリーに〈こっちに来い〉と言われて、おそるおそる足を踏み入れる。中も広い。初めて見る光景に目が廻りそうだった。


〈アビゲイル〉


〈あら、おかえりなさい〉


〈コイツ、綺麗にしてやって〉


〈…………〉


 慌てて出迎えに来たらしい黒髪の女は、じっとこちらを見つめていた。名前はアビゲイル、というらしい。


 よくよく見ると、チャーリーと似た瞳をしている。しかしその表情は優しく、チャーリーとは似ても似つかなかった。


 数秒、こちらを見つめていたアビゲイルは、ゆっくりと視線をチャーリーに移す。


〈チャーリーの隠し子……?〉


〈違う。んなわけないでしょ。事情は後で説明するから、綺麗にしてやって。ゲストルームで待ってるから〉


〈分かったわ〉


 おいで、と今度はアビゲイルに手を引かれて、屋敷の奥へと移動する。チャーリーどころか、ジャスティスとも離れてしまった。これから何をされるのか想像もつかないが、不思議と恐怖心は浮かんでこない。


 ある部屋に入ると、アビゲイルが手招きして近くにくるように指示を出した。


〈ばんざーい、って出来る?〉


〈ん〉


〈えぇ、えぇ、上手だわ。…………あら〉


 服を脱がすと、アビゲイルは驚いたように目を見開いた。そして、確認するように聞いてくる。


〈貴方、女の子だったのね〉


〈? そうだけど……〉


 性別なんて気にした事はあまりなかったが、自分は女だ。その事実を知るなり、アビゲイルはにこにこと顔を綻ばせる。


〈まぁ……それじゃあ、おめかししなくちゃね〉






 ドキドキ、と心臓が音を立てていた。鏡で見た自分の姿が、まるで別人のようだったからだ。アビゲイルに連れられて、また別の部屋に連れてこられる。


 コンコン、と扉を叩いて、アビゲイルは部屋に入る。


〈遅かったな、アビゲイル〉


〈ふふっ、チャーリー達を驚かせたくて。じゃじゃーんっ!〉


 アビゲイルが拍手をしながら、ひらひらとした布がたくさんついた服を着た自分をお披露目する。ちくちくと視線を感じる、少し恥ずかしかった。


〈ん? 女の子だったのか?〉


〈嘘でしょ。名前何にしようか考えてたの全部無駄になったわ〉


 似合っているぞ、と褒めてくれるジャスティスの傍らで、チャーリーは何かを考えこんでいる。しばらくして、思いついたように指を鳴らした。


〈……あ。エレナ、でどうだ〉


〈何が?〉


〈お前の名前だよ〉


〈……いいんじゃねぇのか?〉


 名前はないし、別に何でもいい。短い名前なら覚えられるだろう、と首を縦に振った。


〈じゃあ決定な。今日からここで暮らせ〉


 今日から、自分は『エレナ』という名前らしい。

 この時は、何も感じなかった。ただ、これまでとは違う環境になって、利用されるんだろうな。と他人事のように感じていただけだった。


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