第十話 これは大奥……ですか?
《ホテル本条・小会議室》
「はぁぁぁぁ!? クソジジイめが!! 許せねぇ!! マジクソ!!」
「はしたないですよエレナさん」
地団太を踏みながら怒りを露わにしたアーサーの従者、エレナ。それを静かに制したジュリオの声色には確かな殺気が籠っている。
本来ならば、ここで声をあげてはいけないのだが、あまりの衝撃に黙っている事が出来なかったようだ。それに、たとえ従者が口を挟んでも大目に見てくれる──というか気にしない人がほとんどだから問題ない。エレナはジュリオに窘められながらも、堪え切れない怒りを口にしていた。
「ああぁぁぁクソめ!! 死ね!!」
「もう死んでますよ」
「驚きですね。まさか、『五大権の総入れ替え』だなんて……」
アンドレイの従者であり妻のアリーナ・ティトゥレスクは、口元に手を添えて静かに驚きを口にする。
アクセルが述べた契約書の最後に書かれていたという記述。それは『自身が当主になった暁には、五大権の総入れ替えを約束する』とあったのだ。つまり、現五大権である権力者を隅に追いやり、銀治と協力関係にあった反発組を五大権とする、という意味合いだろう。
そもそも五大権とは、トップについている国主が決める四人の事。今の今までは零の意向で、実力で順位が動いていた。資産、武力、家系等々。要素は数多くあるが、それを制する者が上へと這い上がれる。それこそ、ここ数年は五大権の入れ替わりがないが、6からはかなり順位が変動していると聞く。
ステファーノ達とて、順位の変動に文句をつける気はない。だがそれが仕組まれたものならば。本筋である本条の息女を跳ねのけてまで得た地位で好き勝手されては黙っていられない。それを見越していたからこそ、ステファーノ達は一華を当主に立たせたかった。継承戦が始まった以上、彼女が己の力で勝ち上がるしか方法はないのだが。
「こんな事になるなら、数予さんに頼んで推薦状なり書いといて貰えば良かったわね……」
「無理だろうな。零ならともかく、数予さんには実質権限はなかったからな」
「無性に腹が立って来たわね……」
「……あぁ悍ましい……愚者はどこまでも愚者という事ですか……全く汚らわしい……」
これまで一言も言葉を発しなかったマティスが、ステファーノに便乗するかのように静かにそう言った。彼の後ろに立っている従者はこれまでの話にも動じた様子を見せずに、一度頷いてマティスの言葉に同意を示す。
「ともかく! 早急に銀治と手を組んでいた奴等を見つけるべきじゃないのか!? アクセル・ヴェランデル! 当然、把握は出来ているのだろうな!?」
こればかりは我慢ならないといった様子で、机を強く叩いてエッダは立ち上がった。その拍子にアーサーの前に置かれていた紅茶に波紋が広がる。アクセルが答えるよりも先に、アーサーがやれやれ、と呆れたように言った。
「落ち着きなよ。摘発も大事だけど、今はあくまで継承戦がメインだよ。トップが本条家である事は、余程の事がない限り変わらない。僕達は継承戦が終わるまで現状を繋ぎ止めていればいいのさ」
「だがアーサー・ウェールズ。瀬波銀治を殺した犯人も分からない今、やる事が多すぎるぞ。私達とて暇じゃないのだ」
継承戦の審査及び監視。反発組の抑止、把握。銀治殺害の犯人の調査。加えて各々の常務。とてもじゃないがこの少人数で成す事は出来ない。
それはアーサーも当然分かっているし、目の前の仕事量に溜息をつきたい気持ちは皆一緒だった。
「全員一旦ストップしろ。埒が明かねぇ。銀治が何者かに殺されたのはむしろ好都合だと捉えておけ。仕事が一個減ったと思って喜ぼうぜ」
「喜べるか!」
梓豪の言いたい事も分かる。一華を当主にたてたいと思っているステファーノ達からすれば、銀治の存在は邪魔でしかなかったのだから。エッダはまだどこか不服そうではあったものの、梓豪に諭されたのもあってか渋々席に座り直した。
そのタイミングを見計らって、でしたら、とエドヴァルドが手を挙げる。
「この際、瀬波銀治に関する調査からは手を引いてしまいましょう。彼に関する事は瀬波家、もしくは各条家が動いてくれるでしょうし……その情報を買収した方が楽かと思われます」
「簡単に言ってくれるな、エドヴァルド・ロヴネル・イェンス・ヴィッレ・アルバート。確かにそちらの方が楽ではあるだろうが、信用に欠ける。虚偽の情報を噛まされて損をするのはこちらだぞ」
「では、嘘を見抜けば良いのでは? 利用するようで申し訳ございませんが、幸いにもこちらには『掌握の魔眼』をお持ちの方がいらっしゃいますからね」
エドヴァルドの言葉に、ジェームズの後ろに立っていた従者、ヘンリーが少しだけ眉を顰めた。ステファーノは実を言うと、彼等の事をよく知らない。
ジェームズは先代が急死して、先月当主になったばかりの若い青年だという事しか知らないし、従者であるヘンリー・ウォーレスは彼の幼馴染だという情報しか持ち合わせていない。
無表情な事に関しては珍しいものではないが、にしては随分静かな青年だ。しかし見ている限りでは、ジェームズより慣れている空気を纏っている。利用される事を恐れているのか、ヘンリーはうんともすんとも言わなかった。
「……まぁ、その時はその時で話し合えばいいだろう。あまり新人をからかうな、エドヴァルド君」
一切の返事をしなかったヘンリーに代わってか、静かに事の成り行きを見守っていたファリドがそう口添えした。ファリドに指摘されたエドヴァルドは、ガスマスクの向こうでくすくすと笑う。
「ふふっ、すみません。決してそういうつもりではなかったのです。許して下さいね」
「……いえ、謝る必要はございません。こちらこそ、無礼をお許しください」
ヘンリーは何か気掛かりな事がある様子だったが、静かに一礼してそう口にした。
「さて、これで銀治さんの件は終わりですね。継承戦の監査は五大権と決まっていますので、エッダさん達は反発組の把握と監視をお願いしたいです」
「あぁ」
エッダの返事を受けて、エドヴァルドは視線を梓豪に向けた。梓豪から見れば視線が合っているのか定かではないだろうが。ここからは主導権を彼に引き渡すらしい。
「よし。じゃ次は、継承戦の情報の共有だな」
情報の共有、と言ってもルールの説明は昼間に受けている。ここで共有するのは継承権を持つ者達のパーソナリティと今後予測される行動くらいだ。だが、確認の為には丁度いいだろう。
「そんじゃ順番に行くか……」
──次女・一華。父は本条零、母は綾谷数予。唯一正当な継承権を持つ音城学院高等部二年生。己に厳しく、他人にも厳しく。しかしそれを嫌味にしない、圧倒的カリスマを持ち合わせる少女だ。刀を武器とし、剣道の大会で優勝経験もある。
現在は一条白羽の元、身の安全が確保されている。若干脳筋気質な彼女と、頭脳明晰な白羽が手を組んでいるというのは有利に違いない。
──長男・二宮。音城大学病院の外科医。父は瀬波銀治、母は冴鐘円。
治癒魔法の腕は勿論、槍術にも長けているとの事。短い期間だったが中国、ロシア、フランスに留学経験があり、語学も堪能らしい。
人命を救う事に専念しているものの、派閥争いや金のやり取りにはかなり手を汚しているという噂もある。
──長女・三央。ドレミ・シャープの専属デザイナー。父は瀬波銀治、母は三条金代。
身体が弱く常に車椅子での生活を強いられているが、魔法の扱いにおいては群を抜いている。
争いは好まない性格のようだが、過去に学校でとある問題を起こし停学・退学処分になった経緯がある。
──次男・四音。音城学院高等部三年生。父は瀬波銀治、母は三条金代。
小、中、高と剣道の大会で全国優勝を修めており、剣の腕では一華を凌駕していると言っても過言ではない。現在は五輝、六月と共に行動している様子。
姉の三央と同じく争いは好んでおらず、兄妹の中では比較的まともな思考を持っていると言えるだろう。
──三男・五輝。音城学院高等部二年生。父は瀬波銀治、母は鴫札子。
IQ200を超える天才だが、これといった功績はなし。銃器の扱いに長けており、知略を駆使した中距離からの攻撃が主だが、戦闘能力値自体は低め。
行動の出方も現在は不明だが、継承戦が始まる以前から六月と何かを探っていたという情報が入っている。
──三女・六月。音城学院高等部一年生。父は瀬波銀治、母は鴫札子。
裏の世界でも数える程の人数しか扱えないという御札を使用した封印術、捕縛術に長けている。サポートメインとなるが、兄である五輝と手を組んでいるようなので注意が必要。
感情的に動く部分がある為、衝動的な行動にも同様に注意が必要と思われる。
──四男・七緒。音城学院高等部一年生復帰予定。父は瀬波銀治、母は冴鐘円。
とある事情で日本を離れていた双子の兄。二宮とは年の離れた兄弟でもある。
著しく倫理に欠けているにも関わらず慎重な性格で、行動が読めない。自身と同じ位の大きさの斧を扱い、近距離での戦闘に長けている。
──四女・八緒。音城学院高等部一年生復帰予定。父は瀬波銀治、母は冴鐘円。
同じく七緒と共に日本を離れていた双子の妹。
兄と違い穏やかで礼の備わった少女だが、七緒以上に警戒が必要と思われる。使用武器は弓とナイフ。状況把握と気配の察知に敏感の為、奇襲作戦は通じないだろうとの事。
大まかな解説を終えると、ジェームズがおずおずと手を挙げた。
「奥様が多いですが……これは大奥……ですか?」
「ぶふぉっ、んんっ」
真顔でそう問うたジェームズの言葉に、マティスが吹き出した。普段「優雅に、美しく、淑やかに」をモットーとしている彼が、机に突っ伏して身体を震わせている。余程ツボに入ったらしい。そんな彼を後目に、ステファーノが補足した。
「日本は基本的に一夫一妻制よ。銀治さんがちょっと特殊だっただけで……」
「まぁ確かに、これだけ見るとそう聞きたくなりますよね」
ジュリオも同調しつつ苦笑いを浮かべる。とはいえこの場にいる全員、日本語をマスターする為に日本の時代劇やドラマ、アニメ、漫画を嗜んできたので、ジェームズの言いたい事は分かるのだ。一瞬弛んだ空気を引き締めるべくわざとらしい咳払いをした梓豪は、再度資料に目を通しながら口を開く。
「ま、結婚して離婚してを繰り返しては、親権は自分にある、と子供を引き取った……って形だからな。……改めてすげぇな、アイツ……」
梓豪の隣で、ステファーノも思わず同意してしまう。
そんな一方で、「そういえば……」とアンドレイが口を開いた。
「この四男と四女の双子ちゃん。彼等はどうして日本を離れていたのかな?」
「留学ではありませんか? 長男の二宮さんも経験してますし……二宮さんと七緒さん、八緒さんは血の繋がった正真正銘の兄妹。この時点では彼等の母親が生きてようなので、母親の意向ではないでしょうか」
「……いいえ。いいえ、違いますよ……」
エドヴァルドの考察を蹴り、それを静かに口にしたのはマティスだった。先程まで笑っていたとは思えない凛とした声で、誰も知らなかった事実を────
「彼等は……彼は……母親殺し、ですよ」




