第百六話 ティータイムに付き合ってくれよ
「────では、契約内容を確認しましょうか」
一度聞けば忘れられないような涼やかな女の声が、部屋の中に響く。細く長い指を見せつけるかのように、契約書の書面をなぞりながら、女は語り始める。
「かの御子息の誘拐の手筈は済んでいるわ。あとはここまで連れてきて、狂犬ちゃんを引きずり込む」
すっ、と契約書が差し出される。ここに名前を書けば、契約は成立する。
事前に説明も受けていたし、何より信頼する人物から紹介された女だ。心配事なんて何もないはずなのに、サインをする事を躊躇ってしまう。
今なら、戻れるはずだ。
そんな考えが頭に浮かんだ頃、察したように女はくすりと笑った。妖艶な笑みを張り付けながら、女は言う。
「ご心配なさらないで。妹貴の結界術は一流だもの……狂犬ちゃんの体力を削り取るだけの備蓄も備わっているわ」
そして、コツコツとヒールの音をわざとらしく鳴らしながら、近付いてくる。
滑らかな手つきで肩に触れられ、女はそっと耳元に口を寄せた。その際に、甘い香りが鼻の奥に届き、くらりと頭が揺れる。
「卿は何も心配なさらなくて大丈夫なの。ただ、愛しの彼女の事だけを考えていればいい……私達は、卿の手足なのだから」
甘い声で囁きながら、頬に手を添えられ、無理矢理顔を合わせられてしまう。美しい、整った顔立ちの女が、じっ、と瞳を覗き込んでくる。
「ほら、私の目を見て。嘘なんてついていないでしょう?」
どこか青みがかった緑の瞳が、にっ、と細められる。怪しさがあるが、男がたじろぐほどにまっすぐだ。女の言う通り、嘘はついていないらしい。
女の瞳を見つめ返していると、女は満足気に口角を上げて顔を離した。そして今度は、ペンを握っていた手に、自身の手を重ねてくる。
細くしなやかで、これまた美しい手だ。
「大丈夫よ、貴方の愛する人は……」
つぅ、と手の甲をなぞられ、くすぐったさを覚える。その反応を楽しみながら、女はもう一度耳元で囁く。まるで、トドメの一撃を刺すかのように。
「エレナ様は、貴方の行いを肯定してくださるわ」
────その言葉を聞いた直後、男は契約書にサインをしていた。
※※※※
十一月下旬。今年、大々的に行われる会議は残すところ二回となり、それぞれ家族と過ごしたり来年の準備をしたりと忙しくなってくる季節。
会議の参加形式は基本的に開催場所であるホテル本条に訪れる前提であるが、時期によっては海外で行われる事ももちろんある。
さらに、欠席連絡さえ入れていれば会議そのものに参加しなくても問題ないと言われている。とはいえ少しでも交友関係を広げたりするには、そういった場に現れていた方が都合がいいので、そこは個人の判断だ。
あとは、代理で出席する場合。事情により表舞台に出られない者、はたまた会議そのものを出禁にされている者は、従者の者に代理で出席させているのだ。
そしてそれは、思いがけない形で目の当たりにする事も。
「あれ、チャーリーさん?」
会議室に入って、一華が座る席の隣の席に座っていた男性。本来、英国国主のアーサーが座るその場所にいたのは、アーサーの父であり先代当主のチャーリー・ウェールズだった。
アーサーと似た金髪に、室内でも頑なに外そうとしない帽子。皺一つない紳士服を着こなしているが、足を組んで背もたれにもたれ掛かる姿勢は数年前に見たものと変わらない。これから会議が行われるし、すでに半数以上の国主が集まっているというのに、悠々自適である。
そしてその姿勢は、一華に気付いてからも直される事はない。
「やぁ一華ちゃん、久し振り。最後に会ったの何年前だっけ」
ひらひらと手を振りながらそう挨拶をするチャーリーの隣に腰かけて、一華は答えた。
「二年くらい前じゃないだろうか。元気そうで何よりだ」
チャーリーがアーサーと当主の座を交代したのは、二年程前の事。母の代わりにイベントに顔を出した事のある一華は、チャーリーとも面識があったのだ。
とはいえ、アーサーがウェールズ家当主になってからは、チャーリーと会っていなかった。彼は当主の他に学園の経営もしていると聞いた事があるし、きっとそちらの方で忙しくしていたのだろう。
しかし一華は、純粋に疑問を抱いていた。代理で来る事は珍しくはないが、先代当主が出てくるというのはあまり聞かない。
アーサーに何か用事があったとしても、彼の従者であるエレナに来させればいいだけの話。つまり、エレナにもここに来られない用事があるという事。
勘ぐるようにチャーリーに視線を向けていた事に気付いたらしい、当人はくすくすと笑いながら指摘した。
「アーサーはどうした? って顔だな」
「まぁ、気にはなるが……」
「アイツはな……」
そう、一度言葉を区切る。まさか、深刻な事態に巻き込まれているのでは、と一抹の不安を抱いたものの────
「風邪こじらせて寝込んでやがんの! あっははは! いい気味だざまぁみろ!」
「…………」
風邪で寝込んでいるらしい。早く回復しますように、と自国にある屋敷で眠っているであろうアーサーに念を送っておく。
それにしても、チャーリーの大笑いは止まる様子をみせなかった。ゲラゲラと腹を抱えて笑ったかと思いきや、今度はバンバンとテーブルを叩きながら悦に入っている。
そんなチャーリーにじろりと視線を向けながら、一華はあの事を口にした。チャーリーが人生の汚点としている、あの事を。
「まだ根に持ってるんですか? インフルエンザで寝込んでいる時に当主入れ替わりの決戦を申し込まれて負けた事」
「あぁムカつくね。おかげで僕は十三の子どもに負けた事になったし、意識不明で救急搬送されるしで、マジ散々な目にあったわ」
聞いた話によると二年程前、アーサーはチャーリーに当主入れ替わり決戦を申し込んだそうだ。
チャーリーがインフルエンザに罹り、高熱で寝込んでいる最中に。
入れ替わり決戦はその場ですぐ行われるという掟があるらしいので、チャーリーは意識が朦朧としている中で戦おうとした。
しかし得意の攻撃魔法術を一発放って、意識不明の重体で病院に運ばれて行ったそうな。
タイミングが悪かったのかもしれないが、アーサーとしてはそれが狙いだったのだろう。晴れて、アーサーは新たな当主に十三歳の若さで就任する事となった。
「けれども僕は、まだまだ現役なんでね。風邪で寝込む我が子に代わって来てあげた、というわけさ」
「はぁ……」
チャーリーが語る分には、不自然な事は何もないように思える。しかし、エレナの話題が上がらないのが疑問だ。少々不自然にはなってしまうが、ここままエレナはどうしたのか、聞いてみようと口を開けるも、
「あら、チャーリーさんじゃない」
「おやおや、お久し振りです」
「やっほー。皆元気そうだね」
ステファーノ、エドヴァルドが会議室に入ってきた事により、会話を切るしかなくなってしまった。
会議が終わった後にでも改めて聞けばいいか、と頭の隅で考えながら、参加者が全員揃ったようなので、一華は「では、会議を始めよう」と声を張った。
※※※※
会議が滞りなく終わったので、一華はテーブルの上に置いていた書類を纏め始める。
すると、隣に座っていたチャーリーが、
「一華ちゃん、この後暇だろ? ティータイムに付き合ってくれよ」
と、一方的に言ってきた。
「暇といえば暇かもしれないがだな……」
「そうだ。エドヴァルド君とステファーノちゃんもおいでよ。君等から見たアーサーの話聞きたいし」
「はぁ……」
「えぇ……」
一華、エドヴァルド、ステファーノの返答を聞こうともせず、チャーリーはさっさと会議室を出ていってしまう。
チャーリーの従者であるユリシーズ・ガードナーは「ば、場所は後程連絡致しますので! 予定、空けておいてください! どうか! お願いします!」と早口で言い残して、先に出ていったチャーリーの後を追った。
一方的に約束を取り付けられた三人は、困惑のあまり顔を見合わせてしまう。
「相変わらず、こっちの都合はお構いなしだわねぇ……」
「この感じ、何だか懐かしく感じてしまいます」
「私もだわ」
ステファーノ、エドヴァルドとそれぞれ口にしているが、チャーリーの誘いには応じるつもりらしい。書類を纏めても、席を立つ様子はなかった。
「でも、チャーリーさんの淹れる紅茶って美味しいのよね。一華ちゃんも行きましょうよ」
「はい、ぜひ」
暇というわけではないが、特別急ぎの仕事があるわけではない。交流も大事だ、と一華は思う事にした。
数分後、ユリシーズから白羽宛にメッセージが届いた。場所はホテル本条内にある一室。国主達が交流の場に用いる事が多い場所だった。
一華、エドヴァルド、ステファーノ。そして白羽、アクセル、ジュリオの六人で指定された場所へ向かうと、丁度、チャーリーが紅茶を淹れているところだった。
「お、ベストタイミングだな。流石僕」
うんうん、と満足気に頷きながら、チャーリーはユリシーズにカップをテーブルに運ぶように指示を出す。そして、一華達に視線を戻した。
「ほら、全員着席。人数分淹れたから、和やかに楽しもうぜ」
(和やかに……?)
一華は、ユリシーズに視線を向けた。
ユリシーズ・ガードナーはチャーリーの従者を務めている男性で、エレナの養父でもある。亜麻色の髪を清楚に整えた、口髭が特徴的な男性だ。
チャーリーは「和やかに楽しもうぜ」と言っているが、ユリシーズの顔色はすこぶる悪い。正直、今にも倒れてしまいそうだ。
一華が口を開こうとした、その時。
「単刀直入に言おう。アーサーが攫われた」
「!」
チャーリーの口から、思いもよらない言葉が飛んできた。
ティータイムは建前だったか、と一華は表情を引き締めて、「詳しく教えてください」とソファーに腰を下ろしながら言った。
全員が席についたところで、チャーリーは改めて説明を始める。
「アーサーとエレナは今日の会議に参加するため、一週間前に家を出た。日本に到着した、という連絡を最後に音信不通になったんだが……」
そこで、チャーリーはテーブルの隅に置かれていたダンボールを一華の前に差し出した。
「昨日、荷物が届いた。見ていいぞ」
おそるおそる、一度開けられた形跡があるダンボールを開ける。その様子を、エドヴァルドとステファーノも覗き込んできた。
「ッ!?」
そして中身が顕になった瞬間、一華は思わず身を引いてしまった。
「髪の毛……」
ぽつりと、ステファーノが呟く。扇子で口元を隠しているので表情は伺えないが、かなり動揺しているらしい。一華同様に、ゆっくりと身を引いた。
ダンボール箱の中身を見つめたまま微動だにしなかったエドヴァルドは、ふむ、と考える素振りをとって口にする。
「これはもしや、アーサー様の……」
開けた時は驚いてしまったが、改めてよく見ると、エドヴァルドの考察の通りかもしれない。
透き通るような美しい金髪に、結ばれていたであろうピンクのリボン。それは、普段アーサーがつけていたものに酷似しているような気がする。
そして、それは正しい解釈だったらしい。チャーリーは一度頷いた。
「多分な。髪飾りに発信機つけてたのバレたかな……ともかく、これじゃあアーサーの居場所も分からない」
「犯人に心当たりは?」
「ありすぎて分からねぇ。けど、金じゃないかもな。一切の要求もなし」
何者かが、アーサーを誘拐した。しかし、ウェールズ家に対する要求は一切なく、アーサーのものと思わしき毛髪だけが送られてきたという。
「身代金目的の誘拐ではないとすると……エレナの所有している『魔力視の魔眼』って説が、一番有力かもなぁ。過去にも、アーサーを餌に魔眼を狙う奴はいたし、実際アーサーの傍にいたエレナとも連絡がつかなくなってる」
先日、ステファーノから「コレクターの動きが怪しい」と言われたばかりだ。加えて、エレナの有している魔眼も、何度も狙われてきたらしい。
今回もその手の犯行なのだろうか、と一華は考察を巡らせる。
すると「あ、そうだった」とチャーリーが思い出したかのように言った。
「一回家に電話がかかってきたらしいんだよ」
「誰からですか?」
「エレナ本人から。その時僕は屋敷にいなくて、エバが出たそうなんだけど……」
エバ、というと、アーサーの母────つまり、チャーリーの妻にあたる女性だ。彼女は三日前、エレナ本人から言われたのだという。
〈アーサー様を攫った奴等を皆殺しにして帰ります〉
と。
エレナは粗暴な印象が染み付いているが、家族や目上の人への態度や言葉遣いは弁えている人だ。
普段の彼女なら〈アーサー様が攫われた。必ず助けて帰ります〉と言っていただろう。つまり、そこまで気が回らない状態になっている、という事らしい。
「犯人の動機や目的は憶測の話だし、アーサーとエレナの居場所も分からねぇ。いよいよ二人の安否が心配だ」
「すぐに探し出さないと」
「そうなんだが……。…………」
チャーリーは、どこか話す事を躊躇うかのような素振りをとった。少しの沈黙の後、チャーリーは語り始める。
「エレナは昔、『狂犬』という名で知られていた。いわゆるストリートチルドレンで、保護しようにも何人もの大人があの世へ送られ、手をつけられなかった状態だった。君達は表面上のエレナをよく知っているだろうし、粗雑な子だが今は君達に対しても粗相をしないように躾てある。けど、抑え込むだけじゃいつかは爆発するだろう?」
だから、とチャーリーは語気を強めて、
「アーサーに害をなす不届き者は容赦なく殺していい、と伝えてある」
と高らかに言い放った。
たしかに、抑圧ばかりではいつか爆発する。だから対象を絞ったのも理解出来る。
だが、それは本当に正しい事なのだろうか。一華の頭の中に、そんな疑問が浮かんできた。
「家に電話をかけてきた、という事は、実は相当深刻な状態だろう。あの子なりの、SOSかもしれない」
とはいえ、チャーリーとユリシーズも親として、アーサーとエレナの事を心配しているのだろう。
「頼む、アーサーとエレナを助けてやってほしい」
「どうか、お願いします」
当然、一華は助ける気概だ。決意をあらわにするように、強く頷く。
「勿論だ」
「アーサーちゃん達のピンチとあらば、ね」
「えぇ。断る理由はありません」
ステファーノとエドヴァルドも、続いて頷いてくれる。
安堵した表情のチャーリーとユリシーズを後目に、エドヴァルドはアクセルに視線を向ける。
「それでは早速、情報を集めます。アクセル、準備をお願いします」
「御意」
ユリシーズにパソコンを借りて、エドヴァルドは現在得ている情報を入力していく。
スウェーデン国主、エドヴァルド・ロヴネル・イェンス・ヴィッレ・アルバート。彼が国主の座についたのは五年ほど前のこと。彼はたった五年で、五大権という地位にまで上り詰めた。
中、遠距離からの狙撃能力もさる事ながら、エドヴァルドの一番の力量は独自の情報収集能力にある。
短時間でありとあらゆる情報を掴み、それを元に交渉していく。チラッ、と画面を盗み見るも、彼等の母国語らしく、一華には読み取る事が出来なかった。
数分後、エドヴァルドはぽつりと呟いた。
「……日本にいるようですね。場所は……広島?」
「そのようだな。間違いない」
パソコンの画面には、たしかに広島県東部に赤い点が記されている。この赤い点が、アーサーのいる場所なのだろうか。
「現地に監視カメラがないか……ハッキングしてみますね」
そんな事も出来るのか、と一華は心の中で感心した。そんな簡単な事ではないはずなのに、エドヴァルドは慣れた調子で文字を打ち込んでいく。
そして、監視カメラの映像らしき画面が表示された。椅子に括り付けられている金髪の少女(正確には少年だが)────たしかに、誘拐されたアーサーの姿がそこにあった。
映像を確認したチャーリーも、静かに頷く。
「アーサーだ。髪が短くなってるの数年ぶりだな……。エレナはどこにいる?」
「少し離れた位置にいるようです。とはいえ、手持ちの機材で把握出来るのは、これくらいですね。あとは現地に行ってみないと、何故エレナさんが未だにアーサーさんを助け出せていないのか、説明がつきませんからね」
エドヴァルドの言う通り、エレナには人間離れした嗅覚と、魔力を持ち合わせる人間の痕跡や位置を把握出来る『魔力視の魔眼』がある。
それなのに、アーサーを取り戻すまでに時間がかかっているという事は、何か原因があるはずだ。
しかしそれは、現地へ向かってみないと分からないらしい。そして、現地へ行くのは────
「アクセル、すぐに行けますね」
「はい!」
「ジュリオ、アクセルちゃんのサポートを」
「かしこまりました」
アクセルとジュリオは確定したようだ。二人がいれば心強いな、と一華も立ち上がる。
「私も行きます」
瞬間、チャーリーが目を見開いて制止した。
「おいおい、一華ちゃんは留守番していなさいよ。何かあったらどうすんのさ、僕が」
「大丈夫だよ。広島には何度か赴いた事があるし、道案内も必要だろう」
「でしたら僕が……」
普通で考えて、ここは白羽だけを向かわせるのが得策かもしれない。一華が大々的に動いているとなれば、別の勢力から狙われる可能性だってある。
この時に万が一、一華が負傷したとなれば、責任は救助隊として現地に向かわせたチャーリーにある事になってしまう。
それに何より、先週白羽と離れて寂しい思いをしたのに、また離れ離れになるのは不服だった。
……とはいえ、こちらを口にするとからかわれるのが目に見えているので、伏せておく。
「じっと結果を待つのは性にあわない。チャーリーさんも、それを分かってて来たんでしょう」
「ご明察。褒美に飴をやろうか?」
「結構だ」
口では一華の身を案じているが、チャーリーはもとより自分の都合を優先する人物だ。もう引き止める事はしなかった。
「アーサーさんとエレナさんを助けます。絶対に」
自分の身を引き締めるためにも、一華は目標を定める。何としても、二人を助けなくては。
そんな、責任感を抱きながら。
※※※※
一華、白羽、アクセル、ジュリオの四人は、それぞれ準備をするべく一旦解散する事にしたらしい。
公に動かない事を条件に、一華の同行も許可されたので、一華の準備は主に変装になってしまったが。
一華は「刀を持っていく」と言っていたが、白羽に「それだと一華さんだ、ってバレます。刀は我慢してください」と制していた。
その傍らでアクセルとジュリオが「白羽君も顔が広いと思うのですが……」「それを言うなら貴方もじゃないですか」「ジュリオさんに言われたくないです」と小声でやり取りをしていたり。
まぁ、仲はいい子達ばかりなので、揉める心配はないだろう。それに、一華には刀がなくとも、自分の身を守れるくらいには鍛えている。
何より、白羽、アクセル、ジュリオがいるのだから、身の安全に関しては問題ないだろう。ステファーノは自分の中でそう片付けて、四人を見送った。
ジュリオがいない間、ステファーノは一人ホテルに残って、部屋で過ごすつもりだ。それは、隣にいるエドヴァルドも同様だろう。
しかしステファーノもエドヴァルドも部屋には戻らず、チャーリーと向かい合ったまま、出された紅茶を口に運んでいた。
「…………」
ステファーノはじっ、とチャーリーを見つめる。本当に、自分の子ども達を心配しているのか怪しいくらいに、チャーリーはふてぶてしく紅茶を飲んでいる。
ユリシーズは分かりやすいほど憔悴しているというのに。相変わらず、何を考えているのかよく分からない人だ。
そんなステファーノの怪しむ視線に気付いたらしいチャーリーは、水色のグラデーションがかった紫の瞳を動かして、口の端を持ち上げる。
「なぁに、ステファーノちゃん。随分熱烈な視線を向けてくれるじゃん。何か文句がおあり?」
「文句、というか疑問なのだけれど……」
手にしていた扇子を広げて口元を隠してから、ステファーノは純粋な疑問を口にした。
「どうして自分達で動こうとしないの? 仮にも自分の子達でしょう?」
「私も、疑問に思います」
ステファーノ同様に、エドヴァルドも不信感を抱いていたらしい。紅茶を飲み干し、外していたガスマスクを付け直しながら言った。
「ユリシーズさんはともかく、チャーリーさんは余裕がありすぎるように思います。何か、裏がおありですか?」
「まぁ……ね。ユリシーズ」
チャーリーがくい、と顎をしゃくって催促すると、ユリシーズはジャケットのポケットから一通の手紙を取り出した。先程のダンボール箱同様、一度開けられた形跡がある。
「アーサー様と思わしき毛髪と共に、この手紙が送られてきたのです」
差し出された手紙を受け取って、中身を確認する。隣に座るエドヴァルドにも見せながら、ステファーノは内容を読んでいった。
「!」
最後まで視線を通した瞬間、ステファーノは思わず息を飲んだ。そして、エドヴァルドが最後に書かれている部分を口にする。
「『大掃除会』……」
「そ。だから、本当は動きたくなかったんだよ」
『大掃除会』とは。年に二回を目安とされる、影のイベント。
裏の世界の名家、及び組織を監視する絶対中立組織『協会』の名の元、「裏の世界、そして表の世界にとって悪とされる邪魔な存在を消す」事を目的とされたイベントだ。
勿論、禁忌にでも触れない限りは、『協会』の目には止まらない。それでも、かなりの数の者が禁忌に触れようとして、処罰されていると聞く。
公に発表される事のないイベントだが、チャーリー宛の手紙の差出人は「主催・第三席」と記されている。
この手紙がチャーリーの元へ来た、という事は────。
「ぶっちゃけて言ってしまうと、アーサーの無事は約束されているも同然」
『協会』の目的は、裏の世界、そして表の世界にとって悪とされる邪魔な存在を消す事。それでなくとも、『協会』は何者にもつかない、純白の組織と言われているのだ。
ターゲットを始末する準備も用意周到に。ターゲットの思惑に巻き込まれた者達に危害を加える事は、絶対的に禁止されている。
だからこそ、チャーリーは「アーサーの無事は約束されている」と言いきれるのだ。
では何故、一華達に今回の事を説明したのか。答えは一つだった。
「ただ、エレナの方が心配なんだよ。放ったらかしにしていたら一般人にも危害が及ぶだろうし、二人の扱いをよく知ってるアクセル君達にお願いしようと思ってたんだが……」
そこまで言って、チャーリーは首を傾げる。
「一華ちゃんって、あんなでしゃばる子だったっけ」
「いつもあんな感じでは……」
チャーリーの疑問に、エドヴァルドは呟いた。しかしステファーノは、彼女の事情を少しだけだが知っている。そして、幼い一華の事も。
「一華ちゃんは……もっと、大人しい子だったわ」
「だよね!? 少なくとも、あんな感じじゃなかったって」
「少なくとも、何でもかんでも自分で解決しなくちゃ、って姿勢じゃなかったわよね」
一華の幼少期を知るのは、チャーリーも同じ。成長すれば人は変わるとはいえ、一華がここまで厄介事に首を突っ込むようになったのは、ごく最近の事だ。
ステファーノの記憶が正しければ、彼女が十五歳の頃から。口癖のように「強くなる」、「私がちゃんとする」と言い出すようになった。
心境の変化や、成長どころの話ではない。プレッシャーが大きくなっているからか、はたまた何か一華の心を大きく変える出来事があったのかは分からないが、見ていて不安になる。
「この間のパーティーでも、ちょっとでも気を休めてあげたかったのだけれど……」
「ま、環境が環境だからね」
幼かった一華の成長は喜ばしい事だろうが、素直に喜べない自分がいた。不安に思っているのはチャーリーも同じらしく、憂うように目を細めている。
エドヴァルドの表情は相変わらず読めないので分からないが、何かしら思うところはあるのだろう。静かに、耳を傾けていた。
しんみりとした空気が続く。そろそろ話題を変えないと、とステファーノは一度咳払いをした。
「それにしても、アーサーちゃんが広島にいるのは意外だったわ」
「広島と言えば、ユリシーズ。お前ついこの間広島行ってたんじゃなかったか?」
「はい……白羽君も来ていましたよ」
いくつかの名家当主が集められる会議は珍しくない。ステファーノだって、そういった会議に出席する事は多々あるし、当主の肩書きを有する者の義務でもある。
「他には?」
エドヴァルドが問いかけると、ユリシーズは指を折りながら思い出していく。
「ヴェランデル家に、トルストイ家、それからフライリヒラート家。あとは……」
従家ばかりの会議か、とステファーノは耳を傾けながら、残りの紅茶を飲み干した。ユリシーズはまだ口を動かしている。
「ヒューズ家と、花愛家と……」
「ヒューズ家ですって!?」
「うわ、びっくりした……」
ヒューズ家。その名前が出た瞬間、エドヴァルドは前のめりになって反芻した。びくり、とユリシーズは身を引きながら、「まぁ、そんな感じです……」と締めた。
「エドヴァルド、ヒューズ家を知っているの?」
「ヒューズ家当主、ケイレブ・ヒューズといえば、その界隈ではかなり有名な悪質コレクターですよ」
「何ですって!?」
最近、コレクターの動きが怪しいとステファーノは睨んでいた。
純粋なコレクターなら咎められる事もない。しかしエドヴァルドの説明によれば、よくない手口を使うタイプのようだ。
そして、それはおのずと現状に結びついてしまって────
「まさか、エレナの魔眼を狙っている奴は、コレクターの誰かだとでも?」
結果的に、その結論に至った。
ともすれば、『大掃除会』の目的とも繋がってくる。
アーサーも、身の安全が百パーセント保証されているわけではない。
暴走したエレナが、一般人に危害を加える可能性も充分にある現状。
全てが繋がったのに、何も解決出来ていないのだ。
「厄介、とは言いませんが……面倒な事にはなりそうですね……」
エドヴァルドが呟く。現場に向かった従者の身を案じるかのように。
ステファーノも、「どうか無事で」と祈った。




