第百五話 僕の勘だ
とある国、とある地域、とある場所、とある時間にて。
「――――報告は以上です。」
此度、作戦の中心となって行動していた『ナージ』は、報告を終えて締めくくった。質の良い材質で作られたアンティーク調のデスクの上に肘をついたまま、ボスである『レージ』は何度か頷く。けれども、いつものような「ご苦労様でした。下がっていいですよ」という言葉が聞こえてこない。
まさか、何かミスがあったのだろうか、と『ナージ』の中に焦りが芽生え始めた頃。
「………………が……」
ボスが、何かを呟いた。
マスカレードマスクによって顔の半分が隠れているので、普段はその表情が読めなくて困っていたものだが、その日は違った。
「『アーチ・ロット』……そうか……ようやく尻尾を掴めそうですか」
「ッ」
明らかに、喜んでいた。口角が上がりきっている。見た事もない『レージ』の感情の昂りように、『ナージ』は思わず息を飲んだ。
「よくやりました、『イージ』、『ナージ』。任務成功、おめでとうございます」
その声色も、どこか喜びが滲み出ている。賛辞の言葉が『ナージ』と『イージ』に送られるが、『ナージ』は些か納得がいかなかった。
「……ですが、『アーチ・ロット』を逃してしまい……」
『霞』が唯一捕まえる事が叶わない脱退者『アーチ・ロット』。その姿を目視し、刃を交えたというのに、『アーチ・ロット』の首を持ち帰る事が出来なかった。『ナージ』にとっては、任務失敗も同然である。
けれども、『レージ』はこれっぽっちも気にしていないらしい。
「構いませんよ。今の姿を捉えただけでも上々です」
ですが、と『ナージ』は食い下がるが、『レージ』は聞いていなかった。
「そうか、日本にいたか……誰かに雇われている、という噂もあったが、それはそれとして消息が掴めた事は大きい……」
よほど、『アーチ・ロット』の行方を掴めた事が嬉しいらしい。ぶつぶつと呟いている内容を耳にした『ナージ』は、その気迫に圧されて黙り込むしかなかった。
その状況を見兼ねたのか、溜息混じりに『イージ』が口を開く。
「ボス、『アーチ・ロット』の件もだが、各条家についても伝えておきたい事がある」
その報告に、『レージ』は途端に口を閉ざした。それまでの感情の昂りが嘘のように、普段のボスへと戻ってしまった。
「奴等、『ゼロ』さんが生きている事に勘づいた可能性がある。それから、モンガオカ・キワコ、という女が二条家当主の傍にいた」
「門ヶ丘?」
「桜門ヶ丘魔法術士養成学校の学長らしいが……先代学長は桜家当主だった。あそこは小さな学校であまり有名ではないが、歴史だけなら日本一だ。違和感がある」
「門ヶ丘、という家門は聞いた覚えがありませんね……偽名の可能性が高い、という事か」
『ナージ』も、門ヶ丘という家門は聞いた事がない。それは、『霞』の者達にとってありえない事でもあった。
名家同士の直接的な関わりがある当主達ですら、全ての家門を把握しているわけではない。
しかし、『霞』という組織では、どんな小さな家門の情報も逃さない。いわば、裏の世界において二番目に情報を持っている組織なのだ。
そんな彼等が聞いた事のない家門がある、となれば、ある種一大事でもある。
『レージ』は、即座に指示を出した。
「『イージ』、門ヶ丘喜和子の素性を調べあげてください。親兄弟や交友関係、これまでの経歴も全てです。各条家の派閥についても、改めて調べてください」
「御意」
「『ナージ』、君はここに残りなさい。話があります」
「……はい」
もしかして、お説教だろうか。『ナージ』はどこか他人事のように感じながら、『イージ』が部屋を出るのを待つ。
バタンッ、と扉が閉められてから、『レージ』は「さて」と口火を切った。
「感想を教えてください」
「感想?」
「お姉さんに会った、感想を」
「…………」
『ナージ』は、薄く目を見開いた。
自身の家族の事が気になって、こっそりと調べた事がある『ナージ』だが、当然、それを口外するような事はしていない。
『ナージ』だって、「光野姫愛」という名前の姉がいる、という事実しか知らなかった。
しかし『レージ』は、『ナージ』に姉がいる事を知っているかのような口振りだった。『ナージ』が組織に加入する際に調べたのか、はたまた『ナージ』が調べていた事を知っていたのか。
どちらにせよ、『ナージ』は正直に話さなくてはならないのだろう。観念して、『ナージ』はゆっくりと口を開いた。
「……会ってよかったと思います。私とは、住む世界が違う人なんだ、と確認が出来ました。姉が、表の世界で生きていて……綺麗でいてくれて、とても安心しました」
無言で話を聞いてくれているボスに、『ナージ』は続けて言った。
「私は暗殺者です。ですが、『アーチ・ロット』にも言われた通り……私は先輩達に比べて普通の感情が生きている節があると自覚しています」
「あ、そんな事ないですよ」
「えっ」
しかし、即座に否定の声をあげられてしまった。しかも否定するところ、そこなんですか? と『ナージ』は思わず問いかけてしまいそうになる。
そんな彼女の困惑に気付いていないのか、『レージ』は淡々とした様子で言う。
「正直、感情の失い方というか……壊れ度合いは貴方がトップクラスです。演技している者達が可愛く見えますよ」
『レージ』は冷静に分析しているが、とてもそうは思えなかった。
姫愛が人質に取られた時も、一華に止められるほど動揺して、我を忘れてしまっていた。
それなのに、『ナージ』の感情が失われている、と『レージ』は言うのだ。そんな事はないはずなのに。
「まぁ、私には何の支障もありませんから、別にいいんですがね。他の幹部なんて、襲撃されたらキレたり、情報漏洩なんかもやらかしていますからね。外で盗み聞きしている『3』と『8』は特に酷い」
「…………」
『ナージ』は思わず、扉の外に視線を向けた。外から「パイセン! やばやばな感じっす!」「クソッ、テメェは気配を消すのが下手なんだよ!」という声と共に、足音が遠ざかっていったが、まさか盗み聞きしていたのだろうか。
相変わらず、あの二人は騒がしいな、と『ナージ』は感想を抱きながら、『レージ』の方へと向き直る。
『レージ』も呆れたように溜息をついていたが、『ナージ』からの視線に気付いたのか「こほん」とわざとらしい咳払いをしてから、話を戻した。
「私を含め、君達は表の世界での居場所を失った。失った理由は似たり寄ったりでも、時代は変わっていくのです。組織の在り方も変わっていくでしょう」
そして、『レージ』は言い放つ。『ナージ』が予想だにしていなかった事を。
「脱退したければどうぞ。今なら、光井姫子としても戻れるでしょう。また、あの一週間と同じ────」
「嫌です」
が、『ナージ』は即座に断った。
『霞』は組織を抜ける時、情報漏洩を防ぐために殺されてしまう。『レージ』が時代に合わせて組織の在り方を変えようとしていても、『ナージ』は脱退するつもりもない。
「私は、ここで生きていきたいです」
「どうしてですか?」
「私を拾ってくれたのは『イージ』先輩です。ここにいていいと言ってくれたのはボスです。だから、ここが私の生きる場所です」
「暗殺者として生きるより、女子高生として生きる方が、君にとって幸せだと思いますよ」
「……そんなの、分かりません。私は、ここにいたいんです」
「ここにいたい」という言葉しか出てこなかった。それほどまでに、『ナージ』はこの組織が大好きなのだ。
「私、ボスや先輩達の事が大好きです。脱退しろというのなら、命令に従います。でも……もし、私に選択権があるというのであれば……ここにいさせてください」
脱退だけは、したくなかった。また、生きる場所を奪われるのは嫌だった。深く頭を下げて「お願いします……」と懇願するが、『レージ』は何も言わない。
おそるおそる顔を上げて、
「それとも、もう私は不必要な存在でしょうか……」
と問いかける。
けれども『レージ』は、ふっ、と口の端を上げて言った。
「いいや、そんな事はないよ。君は『霞』にとって必要な存在だ。試すような事を言って悪かったね」
「い、いえっ! ちなみに、脱退したい、と言った場合はどうするおつもりだったんですか?」
「え、情報漏洩を防ぐために確実に殺しますけれど」
「やっぱり、そうですよね」
冗談でも「脱退したい」と言わなくて正解だった、と『ナージ』は胸をなでおろした。
「でも、身内の事を勝手に調べたのは良くない。『アーチ・ロット』にもバレていただろう? 少しは反省しなさいね」
「は、はい……すみません」
たしかに、それは浅はかだったかもしれない。組織の情報網を使ったので『レージ』や組織の仲間はともかく、何故『アーチ・ロット』にまで知られていたのかは疑問が残る。
まさか、内通者がいるのだろうか。
そんな予感が『ナージ』の脳裏を過ぎるが、慌ててかき消す。
「話はこれで終わりです。君が大好きだという先輩達の元へ行っておいで」
「は、はいっ! 失礼します」
内通者がいれば、『レージ』が把握しているだろう。自分が下手に詮索するべきではない、と『ナージ』は区切りをつけて、部屋を後にしたのだった。
────『ナージ』の足音が遠ざかってから数分後。その男は姿を現した。黒紅色の髪に、黄金の瞳をした男だ。
呼び出しに応じて『霞』の拠点に訪れた男を見上げて、『レージ』は口火を切った。
「とうとう動きましたね」
「何を言う。奴等はもともと動いていたぞ。一条白羽が一条絵理と会議に同席した、という話も怪しくなってきたな。おそらく、仕組まれたものだろう」
「と、言いますと?」
「一華と白羽を離させたかったんだ。護衛のいない一華と会う事は容易いだろうしな」
「ですが、一華様はかなりの実力者です。正直、護衛が必要なのか怪しいくらいに」
「だが精神的には脆い。二条蝶花はそれを知っている。一華が、兄妹達を頼れない事も。唯一想定外だった事といえば、それこそ一華が強くなっていた事、ではないだろうか」
「二条蝶花にとって、一華様の実力は想定外だった? それはおかしい、彼女の強さは我々も知っています」
「何を言う。継承戦の時も、今回も、一華はただの一度も本気を出していない」
「!?」
「あの子が本気で剣を振るえば、武器の方が壊れると九条氷利は言っていた。本気で拳で殴れば、相手は爆散して即死すると言われているくらいには強いぞ」
「とんだ殺戮兵器ですね」
「僕の娘に対して失礼な物言いだな。まずお前から処分してやる」
「悪かったですって! そ、それより! 可愛い娘様の強さ自慢はまだあるのでしょう」
「当然だ、聞け。一華が本格的に鍛え始めたのは中学生の頃だ。きっかけは九条香月に傷付けられた事。初めて、強い殺意を抱いたのだろうな」
「あぁ……あの事件ですね」
「一華の師は三人。一人はファリド。奴は僕の母から剣術を教わっていたからな、本条家秘伝の技を一華に教えてくれたよ。
もう一人はカミラ。拳での戦いにおいて彼女より強い者はそうそういない。ただ、『筋肉が全て解決してくれる』などと言うタイプで、一華の趣味まで筋トレに侵されていたが……」
「そこだったかぁ……。で、あと一人は誰だったんです?」
「…………」
『レージ』の質問に、男は黙り込んだ。
まるで、その人物の事を思い出しているかのように。
「僕が、一番嫌いな男だよ」
彼が「嫌い」と断言する男。『レージ』が思い当たる人物は、ただ一人しかいない。
「あぁ、そうでしたね……」
もうこの世にはいない男だ。『レージ』とも面識があった一華の三人目の師は、終始利用されるだけであった。
けれども、それを分かっていて一華の師となった。目的があったとはいえ、深く恨んだ相手の娘の師匠を務めるとは、『レージ』には信じられない根性である。
『レージ』もまた感傷に浸っていたが、それも男から告げられた言葉によって打ち消される。
「娘自慢はまた今度だ。次に動きがあるとすればヒューズ家だ」
「どうして断言出来るのです? それに、ヒューズ家ですって?」
「僕は今回、広島で行われた会議を傍聴していただろう。会議自体も物々しい雰囲気だったが、ゆえに参加者が大人しくしていてくれたからな」
男がそこまで言うなんて、一体何があったのだろうか。『レージ』は疑問を抱いたが、それは男からの情報書類を読めば分かる事なので、この場で問いかける事はしなかった。
それよりも、次の展開が気になる。
「会議後、ヒューズ家当主の行方が分からなくなった。何か起こるに違いない、僕の勘だ」
「貴方の勘は、嫌な方へ当たりますからね」
何かが起こる、それは確定しているようだ。『レージ』は溜息をついて、男に言った。
「まぁ、動きは見ておきますが、おそらく私達が動く事はありませんね。すでに、『大掃除会』が始まっているようですから」
「どこも面倒な行事で溢れかえっているな。まぁいい。いつもの事だ」
どこか気怠そうに言った男は、「では、そろそろ帰る」と窓枠に足をかける。窓から出ていくつもりなのか、と呆れつつ、言い残した事を男に伝える。
「零、彼が『一度会いたい』と言っていましたよ」
男────零は、『レージ』から伝えられた伝言に、目を瞬かせる。
「……そうか。また、嫌な未来でも見たかな。年内にこちらから赴く、と伝えておいてくれ」
「分かりました」
もう用はないな、と口にして、『レージ』の返答を待たずして部屋を後にしてしまった。窓から飛び降りたが、以降物音が聞こえなかったので、もうアジトから離れているのだろう。
ようやく仕事が終わった、と『レージ』は椅子にもたれかかりながら息をつく。
とはいえ、他にも仕事は山積みだ。気分を入れ替えるためにお茶でも淹れるか、と『レージ』は重い腰を上げたのだった。
これにて第四章完結となります。
第五章の準備期間に入るため、一ヶ月ほど更新をストップさせて頂きます。




