第百四話 また、一緒にいられますよ
「そういえば、会議には誰がいらっしゃっていたんですか?」
駅の近くにあるカフェに立ち寄り、注文したコーヒーがやってきた頃合いで、一華はそう質問する。
答えてくれたのはカミラだった。
「メンツを見る限り、一部の従家が呼ばれていたみたいね。エカテリーナちゃんも来ていたわよ」
一部の従家、というと、白羽達一条家が呼ばれたのもそれが理由だったのだろうか。会議の内容は流石に言えないのか、カミラは「そんな事より……」と話題を逸らす。
「二人は付き合ってどのくらい経つの?」
いきなり話題が急転した。カミラは最初「私の愚痴を聞いてほしい」と口にしていたのに。
「あの、カミラさん。愚痴の方は……」
「私の愚痴なんてどうでもいいわよ。それより、どうなの?」
一体どういう事なのだ、と一華は困惑した。
カミラとは幼い頃から何度か会っているが、未だにこのテンションにはついていけない。
再度、「どうなのよ、ねぇ」と詰め寄られたので、一華は渋々答える。
「……継承戦が終わった後から……」
「まぁ! 継承戦で仲が深まった感じ?」
「……かな?」
「一華ちゃんは白羽君のどんなところが好きなの?」
「えっと……」
質問攻めである。会議での質疑応答の方がマシだ、と感じられるほど、カミラの圧が凄まじい。
話を逸らそうにも、何故か一華の隣に座る白羽までわくわくとした様子でこちらを見ている。縋るように、カミラの隣に座っているニコラウスに視線を向けるも、彼も同様に一華の返答を待っているようだった。
三人からのきらきらとした眼差しを受けている一華に逃げ場はない。観念するか、と一華は素直に答える事にした。
「か、かっこよくて……」
「うんうん」
「紳士的で……」
「ほうほう」
「でもちょっと強引で……」
「あらあら」
「まっすぐ、私と向き合ってくれるところが……大好き」
本当ならば、白羽と向かい合って言いたかったが、未だに面と向かって言う勇気はない。けれども、会話の流れですんなりと口にする事は出来た。
……とはいえ、かなり恥ずかしい。
赤くなった顔を俯かせていると、白羽に服の袖を掴まれた。そして、
「僕も大好きですよ」
と、告げられる。
「…………」
一華は必死に唇を結んだ。気を抜くと口角が上がりそうになる。それだけは何としてでも阻止せねば、と心を引き締めるも、ひくひくと唇の端が動いてしまう。
「……う、嬉しい……」
とうとう笑みが堪えきれなくなってしまった。誤魔化すように口にすると、向かいからカミラの悲鳴のような歓声が聞こえてくる。
「きゃぁぁあっ! ニコラウスどうしましょう、可愛い、なんて可愛いの! 尊い!」
「あぁ、尊いな……蒸発しそうだ……」
「生でこんな神々しいNL浴びちゃって……どうしましょう私まで若返る……心が潤う……」
「流石に、家ではこういかんものな」
「「ありがとう」」
カミラとニコラウスはひとしきりはしゃいだ後、何故か一華と白羽を拝むように手を合わせた。
「拝まれた……」
「逆に気まずいですね……」
込み上げていた気恥ずかしさも、ここまで来ると冷めていくような気がする。とはいえ、あのままでは一華の顔の火照りは一向に治まらなかっただろうし、助かったと言えば助かったのである。
その後、カミラは昂っていた心を落ち着けるかのようにコーヒーを口に運んで、しみじみと言った。
「ごめんなさいね、変にはしゃいじゃって。でも、私も安心したわ。一華ちゃんは、一人だと頑張りすぎちゃうところがあるもの」
幼い頃からの一華を知っているからこそ、カミラは人一倍心配してくれる。一華に修行をつけてくれた人の一人として、そして、身内として何かと気にかけてくれていた。
一華と白羽が仲良さげにしているのを見て、安心したのだろう。
カミラは視線を白羽に移して、
「白羽君、一華ちゃんを守ってあげてね」
と優しく口にした。
「勿論です」
白羽の力強い頷きに、一華も安心感を抱いてしまう。白羽の返答を聞いたカミラは、一華に視線を戻して、
「一華ちゃんも、白羽君の事を守ってあげてね」
と口にする。
「はい」
もとより、そのつもりだ。
家族同様に、白羽も大切な人なのだから。
一華が頷くと、カミラは満足そうに笑みを浮かべた。
※※※※
それから数十分。カフェでコーヒーを飲みながら歓談を楽しんでいると、おもむろにカミラが時間を確かめて立ち上がった。
「それじゃあ、私達はそろそろ行くわね。あとは、二人で楽しくデートしてらっしゃい」
「楽しめる時に楽しんでおくのが一番だぞ」
「はい。お二人も楽しんで」
「ありがとうございました」
カミラとニコラウスは、カフェを出てからも仲睦まじく恋人繋ぎで去っていく。歩いていった方向から察するに、駅の方へ行くのだろう。
とはいえ、これからは彼女達二人の時間だ。一華が深く考える事ではない。
そう心の中で割り切って、一華は白羽を見上げた。
「白羽さん。その……言っておきたい事があるんだ」
「はい、何でしょう」
口火を切った一華の言葉を、白羽はじっと待ってくれている。
何から伝えようか、と一華は迷った。
一華をよく思わない、各条家の者達の驚異から守ろうとしてくれた事。
暗殺者『アーチ・ロット』が音城学院に結界を張っていた事。
帰ってきてすぐ会おうと言ってくれて嬉しかった事。
どれもこれも、白羽に直接伝えたいと思っていた事柄で、いざ一番に伝えるとしたらどれがいいのか分からない。
迷った挙句、一華は、
「やっぱり私は、白羽さんの事が大好きだよ」
と、選択肢になかった言葉を口にしてしまっていた。
「一週間離れていただけなのに、会いたくて仕方なかった。まだ、一緒にいた時間は少ないはずなのに……隣にいるのが当たり前になっていて……。その……さ、寂しかった」
正直に伝えると、白羽は微笑んだ。サングラス越しに見える目が、優しく細められていて。その眼差しに、一華は安心感を覚えてしまう。
「僕もです。そんなふうに思っていてくれて、とても嬉しいです」
そして今度は、白羽から手を差し出される。これは、手を繋ぎたい、という意思表示なのだろうか。
一華は躊躇う事なく、白羽の手を取った。
「また、一緒にいられますよ」
「あぁ」
とても長く感じられた一週間。会えなかった時間を埋め合わせるかのように、一華はそっと白羽の手を握る手に力を込めた。
※※※※
カミラとニコラウスは恋人繋ぎで、はしゃぎながら街を歩いていた。人通りの多い道を通り抜けてから、先程まで一華達と共にいたカフェの方面へと戻る。
遠くの公園に、一華と白羽がいた。
ベンチに腰かけて、楽しそうに話をしている。
カミラとニコラウスは顔を見合わせて、そっと近付いていく。
一華と白羽の元へ――――ではない。
一華と白羽の会話に聞き耳を立てている、ピンクゴールドのロングヘアーの女性の元へ。
「カップルの甘い時間を盗み聞きなんて、無粋だと思わない?」
「っ!?」
カミラがそう声をかけると、ピンクゴールドの髪をした女性はびくり、と肩を揺らして振り返った。
ビビットピンクの瞳が特徴的な女性は、カミラとニコラウスを交互に見つめながら、動揺をあらわにしている。
彼女の顔を見た瞬間、カミラは「ん?」と眉を顰める。
「あら、貴方……どこかで見た顔ね」
そうは呟くものの、どこで見たのかは思い出せない。カミラが唸っている間に、女性は立ち上がって、スカートの裾を摘み上げて一礼した。
「お初にお目にかかります。私、桜門ヶ丘魔法術士養成学校の学園長を務めております、門ヶ丘喜和子と申します」
「門ヶ丘……?」
女性――――喜和子が名乗った門ヶ丘という姓。裏の世界出身の家名は、そこそこ耳にする機会がある。
しかし、門ヶ丘という姓は、間違いなく初めて聞く名だった。
〈知ってる?〉
〈いや、聞いた事のない家門だが……〉
隣にいるニコラウスに問いかけるが、彼も思い当たる節はないらしい。ということは、最近新たに出来た家門なのだろうか。滅多に新しい家門は増えないので、仮にそうだとしたらカミラの耳にも入っているはずなのだが。
(とはいえ、妙な既視感があるのよね……)
カミラの知り合いに似ているだけかもしれないが、肝心のその人物が思い出せない。
一旦、彼女に感じている既視感は忘れる事にして、カミラはにこやかに問いかける。
「こんなところで何をしていたの?」
「本条家当主様を見かけたので、ご挨拶に伺おうと思っていたのですが……とても、声をかけられる雰囲気ではなかったので、つい盗み聞きをしているような感じになってしまいました……」
「まぁ、そうだったの」
喜和子の言う通り、カップルの間に入って挨拶する事もはばかられるのは事実だろう。
一華を知る人ならば、見かけたから挨拶しておこう、と思うのが普通だろうが、今はプライベートの時間なのだ。
挨拶しようにも、タイミングを見計らうか、諦めて去るかのどちらかしか選択肢はない。けれども、カミラは知っていたのだ。
「でもおかしいわね。貴方、駅からずっと着いてきていたじゃない」
喜和子の目的は挨拶等ではない、と。
指摘された喜和子は、ぎくっ、と顔を引き攣らせる。どうやら、何か良くない目的があって一華達を尾行していたのは間違いないらしい。
「気付いていらしたのね……」
「えぇ。一条絵理さんと、何やら怪しげな密談をしていたところもバッチリよ」
カミラは、一条絵理という女性にいい印象を抱いていない。
一見友好的で、心優しい母親、というイメージのある彼女だが、「絶対腹黒い」とカミラの直感が告げているのだ。そして、カミラの直感はだいたい当たる。それは、いとこである零からのお墨付きだった。
「本当に、各条家って敵しかいないのね」
「私は、各条家の人間ではありませんが……不審に思われるのも仕方ありませんわ。以後気をつけます」
「そう。その方がいいわよ」
「それでは、失礼します」
喜和子は一度だけ、一華達の方に視線を向けたが、すぐさまカミラ達から背を向けて去っていく。
完全に喜和子の姿が見えなくなったところで、ニコラウスが口を開いた。
〈……すまない、カミラ。少ししか聞き取れなかったのだが、彼女は追わなくていいのか?〉
〈えぇ、大丈夫よ。牽制はこんなものでいいでしょう〉
ニコラウスは、完璧に日本語を理解しているわけではない。むしろ苦手だ、と公言しており、基本的にパーティーや会議に参加する事もないくらいだ。
それでも、今回ニコラウスと一緒に日本へ訪れたのは、会議に集められたメンバーに、従家、という肩書き以外統一性がなかったからだ。
これは何かある、と踏んできたが、どうやらここでもカミラの直感が当たってしまったらしい。
〈白羽君も一華ちゃんの傍に戻ったわけだし、各条家の子達も、また大人しくなるはずだわ〉
各条家が、今の本条家に対していい思いを抱いていないのは知っている。門ヶ丘喜和子、という女性が何を企んでいるのかはともかく、白羽が近くにいれば大丈夫だろう、とカミラは息をついた。
〈それにしても、君がそこまで神経を張りつめているのも珍しいな〉
〈……まぁ、ね。一華ちゃんは、零の娘……私にとっても、可愛い娘だわ〉
――――あれは、一華が生まれてすぐだっただろうか。突然、零はカミラに告げたのだ。
「頼みがある。お前も、一華の事を気にかけてくれないか」と。
初めは言葉の意味が分からず「当たり前じゃない」と笑っていたものだが、零の死後になってその言葉の重みがひしひしと伝わってきた。
おそらく、一華に降りかかる障壁を、一つでも取り除いてほしい、という意味合いだったのだろう。少なくとも、カミラはそう解釈していた。
〈あの零が頼んできたんですもの。只事ではないわ〉
〈……成程〉
〈それに、二条家当主はあの女と繋がっていた可能性が高いの。第一、四条家の娘が、アクセルを傷付けたのよ。到底、許せる存在じゃないわ。本音を言えばぶっ殺してやりたいわよ〉
〈…………〉
カミラの意見に、ニコラウスは黙り込んでしまう。カミラにとっても、ニコラウスにとっても、思い出したくもない出来事だ。
けれども、考えれば考えるほど、カミラの頭の中で繋がっていく。カミラの大切な人達を苦しめた、あの女と、二条家当主、そして四条家の娘。
そしてそれは、カミラ達だけでなく――――
〈ヒューズ家の事も、トルストイ家のあの事件も、〉
〈カミラ、少し考えすぎだ。悪い方向にな〉
と、ニコラウスがカミラの両肩に手を置いた。ぽん、という軽い衝撃と共に、それまでカミラの頭の中に浮かんでいた考察が一瞬にして弾け飛ぶ。
〈あ……そうね……。たしかに、これは憶測に過ぎないわ〉
ニコラウスの言う通り、流石に考えすぎだ。悪い方向に。
けれども、カミラはつい思ってしまうのだ。
〈でも、そう考えてしまうくらい、奴等の動きは異常なのよ〉
〈異常……か……〉
カミラは、すでに冷静な思考を取り戻している。少なくとも、憶測で話はしていない。それはニコラウスも承知の上らしく、カミラの言葉を小さく反芻した。
〈だが、一旦落ち着こう。今のカミラには、リフレッシュが必要なはずだ〉
〈そうかもね……。付き合わせてごめんなさいね、ニコラウス。行きましょう〉
〈あぁ〉
カミラも、一華と白羽のいる方向へ視線を向ける。
先程までは楽しそうに話をしていた二人だが、今は真剣な話をしているらしい。どちらの表情も強ばったものだった。
(まだ若いのに……)
本当なら、まだ自由な時間がたくさんあるはずなのに。カミラは、心の中でそんな想いを抱いていた。
カミラ、とニコラウスに呼びかけられて、カミラは返事をする。
ちゃんと、正しい判断をしなくては。
そう自分に言い聞かせてから、カミラはニコラウスの手を握った。




