第百三話 二人とも仲がいいのね
週末。白羽が帰ってくる日である。
一華は駅までやって来ていた。白羽の乗っている新幹線はまだ到着していないらしく、彼の姿は見当たらない。待ち合わせ場所である支柱にもたれかかり、一華はきょろきょろと辺りを見渡してみる。
同時に、今朝の出来事を思い出していた。
『一華さんに会いたいです』
白羽から電話がかかってきた、と思いきや、突然そう言われたのだ。一華は慌ててジャージから私服に着替え、全力疾走で駅までやってきた。乱れた髪をトイレの鏡で直してから、現在に至っている。
(会いたい……会いたい、かぁ……)
一華も、すぐにでも会いたいと思っていた。そんな矢先に、白羽から連絡があったので、つい張り切ってしまった。
電話をした時には気持ちが昂っていて伝えられなかったので、「私も会いたかった」と真っ先に伝えたい。
一週間しか離れていなかったのに、こんな気持ちになるなんて初めてだった。一秒でも早く会いたい。恥ずかしいが、ハグをしてもいいだろうか、と考え出したら止まらなかった。
数分おきに、そわそわとした様子で辺りを見渡してしまう。そして、たまに口角が上がってしまった。
(それにしても、早く着きすぎてしまっただろうか)
舞い上がっていたとはいえ、時間は間違えていない。そろそろ到着していてもおかしくはないが、と一華は待ち合わせ場所の近辺を歩き始める。
広島からの新幹線はすでに到着しているようなので、そろそろ出てくるはずだ。人も多くなってきたので、大人しく待ち合わせ場所で待っていようと踵を返す。
すると、途端に視界が暗くなった。
「だーれだ」
そんな声とともに。
もしや、と一華は顔を綻ばせたが、すぐに気を引き締める。
「…………ん?」
一華の知っている声よりも、はるかに低かった。白羽はもっと、清涼感のある声をしているのに、今しがた一華の耳に届いた声は、重く圧があるように感じられる。
つまり、一華に目隠しをしてきた人物は、彼女にいたずらをしかける彼氏、その人ではないのだ。
「何者だっ────」
慌てて手を振り払い振り返る。
その姿を捉えた瞬間、一華は動きをぴたりと止めてしまった。
「って、ニコラウスさん!?」
よく知った人物だったのだ。
一華にいたずらをしかけたのは、ニコラウスという名の男性だ。黒い髪に赤い瞳をした、威圧感のある男性だが、よく知っているので恐怖感はない。現にニコラウスは「やぁ」と笑みを浮かべている。
そしてそのまま、一華はニコラウスの隣に立っている高身長の女性に視線を移した。
「に、カミラさん!?」
「はぁい。久し振りね、一華ちゃん」
青黒い髪を清楚に纏め上げた、黄金の瞳が特徴的な女性。カミラ、という名の女性は、にこりと笑みを浮かべて手を振った。
まさかここで二人に会えるとは、と一華が口を開こうとした瞬間、背後から誰かに抱き着かれてしまう。
「ぅおっ!?」
「一華さん、ただいま」
「白羽さん!」
白羽だった。背後から勢いよく抱き着いてきた彼は、満面の笑みで一華の肩に顔を埋める。
久し振りに感じる温もりだ。一華も思わず、頬を緩めてしまった。
「あらあら、二人とも仲がいいのね」
しかし、一瞬で現実に引き戻される。そうだ、カミラとニコラウスの前だった。
「あ、こ、これは……」
この距離感はもう言い訳出来ないだろうが、建前上否定しておきたい。が、白羽に抱き着かれている緊張のせいもあってか、上手く言葉がまとまらなかった。
「……というか、お二人はどうしてここに?」
結果、話を逸らす事しか出来なかった。
カミラはカミラで、一華が誤魔化したと分かっているのか、それ以上追求する事はしてこない。笑みを浮かべたまま、一華の質問に答えてくれた。
「私達も会議に呼ばれてね。せっかくニコラウスと二人きりなんだもの。一華ちゃんに顔を見せて、ちょっと観光して、お土産をたくさん孫に貢ぐ……じゃなかった、買ってあげようと思ってね」
「そうだったんですね」
「えぇ。見知った顔ばかりだったけれど、妙に物々しい会議だったわ。ちょっと私の愚痴に付き合ってくれない?」
カミラの視線が、一華達より後ろに向けられる。カミラの視線の先に気付いた白羽が、慌てて一華を解放する。温もりが離れて寂しい気もしたが、やはり人前では恥ずかしいので安心感も抱いていた。
「貴方も一緒にいかが? 一条絵理さん」
「一条……?」
カミラの視線の先を追うと、その女性はたしかに後ろに立っていた。
薄暗い水色の髪をショートカットに切り揃えた、小柄な女性だ。一条、と呼ばれたが、彼女が白羽の母にあたる人なのだろうか。
「…………」
絵理、と呼ばれた女性は、どこかぼんやりとした瞳で一華を見つめていた。しかし挨拶をしてくる様子も、にこりと笑いかけてくる様子もない。
「一華さん、僕の母です」
最終的に、白羽が紹介する形となった。
「そうか。はじめまして、本条一華です」
「……はじめまして」
一華が手を差し出すと、絵理はそっとその手を握り返してくれた。とても冷たい手だったが、一華よりも小さくて細い手だ。
「当主に即位したそうね。お祝いの言葉が遅くなってごめんなさい」
「いえ。ありがとうございます」
「白羽の事、よろしくね」
何だか、少し距離を置かれているような気がした。言葉の一つ一つは友好的なはずなのに、その声には一切の感情が込められていない。恋人の母に好印象を抱かれていない、というのはショックでもある。
絵理はというと、簡素な言葉を一華に告げてから、視線をカミラの方に向けた。
「私はこの後、人と会う予定がありますの。お誘いは嬉しいのですが、今回は遠慮しておきます」
「そう。じゃあ、また今度」
「白羽、先に帰っているわね」
そう言い残して、絵理は一華達に一礼して去っていく。
「…………嫌な女……」
その後ろ姿を見て、カミラはぽつりと呟いた。一瞬、聞き間違いかと思うほど低い声だった。
白羽の方を見上げてみると、彼はカミラの声に気付いていなかったのか、特に変わった様子は見受けられない。
絵理の姿が見えなくなると、カミラはぽんっ、と手を叩いて、笑みを張り付ける。
「さ、行きましょうか一華ちゃん、白羽君。ダブルデートよ」
「ダブル……」
「デート……」
何とも甘美な響きだが、一華と白羽、そしてカミラとニコラウスではかなり年齢差がある。親子程に年齢の離れたカップルのダブルデートとは、ダブルデートと言えるのだろうか、一華は疑問を抱いた。
けれども、そんな一華の心情を知らないカミラは、ニコラウスに手を差し出してはしゃいでいる。
「ほらほら、手を繋いで行きましょう! ニコラウス、手、手!」
「恋人繋ぎか?」
「そうよ!」
「あい分かった!」
どちらかと言えば強面なニコラウスは、終始満面の笑みでカミラと会話していた。そして恋人繋ぎで、歩き始める。
「相変わらず仲良しだな」
思わずそう呟くと、白羽も「ですね……会議中もあんな感じでした」と首を縦に振った。会議中もあの調子、とは如何なものだろうか、とは思ったが、「あの二人は基本自由だからな……」と嘆く事しか出来なくて。
けれども結婚して、子どももいて、孫もいる二人が、若いカップルのような距離感でいるのは、正直憧れてしまう。それだけ、お互いの事が大好きなのだろう。
「何だか羨ましいな。アクセルさんと接する機会の方が多かった私としては、彼の御両親、と言われると少し驚いてしまうが……」
「…………」
一華の呟きに、白羽はぴたりと固まった。何か変な事を言っただろうか、と白羽の顔を覗き込んでみると、彼は困惑した様子で眉根を寄せていて。
「一華さん、今なんと仰いました?」
「何だか羨ましいな、と」
「その後です」
「……えっと、何だったっけ。アクセルさんの御両親だと言われると驚きだよな、というような事を口にしたはずだが……」
たしか、そんな旨の呟きをしたのだが、一華は少し前に言った言葉を一言一句正確に思い出す事は出来なかった。
けれども、確かめたかった部分は聞き取れたらしい。白羽はかけていたサングラスをかけ直しながら、
「……え、アクセルさんの御両親なんですか?」
と聞いてきた。
「そうだぞ。カミラ・ヴェランデルさんとニコラウス・ヴェランデルさんだ」
「嘘ぉ……いえ、似ていると言えば似ているのですが……」
一華も初めて聞かされた時は驚いたので、白羽が困惑する理由も分かる。カミラとニコラウスは他人の目をまったく気にしておらず、カミラはニコラウスの腕に抱き着いた。
そして、ニコラウスもそっとカミラに身を寄せる。
「うふふっ、ニコラウスってば。そんなにくっつかれたら歩きにくいわ」
「カミラだってくっついてきてるじゃないか」
「だって久々のデートなんですもの。恋人気分を少しでも味わっておきたいわ。今は当主とその夫でも、親でも、祖父母でもなく」
「恋人的な!」
「そうっ!」
「「あははははっ」」
仲睦まじい光景である。微笑ましいな、と微笑む一華の隣では、白羽が「嘘ぉ……」と未だに現実を受け入れられていない様子でいた。
「二人共、早くいらっしゃい!」
「と、とりあえず、僕達も行きましょうか」
「そうだな……」
カミラに呼びかけられたので、一華達も二人の元へ行く事にする。駆け出そうとする白羽の袖を掴んで、一華は手を差し出した。
「…………」
「手を繋ぎたい」と口にする事が恥ずかしくて、察してくれと言わんばかりに手を差し出す事しか出来なかった。
白羽は差し出された手を握って、
「恋人的な、ですね」
と笑いかけてくれる。恋人繋ぎをするのは先日の遊園地デート以来だ。やはり緊張してしまう。
ドキドキ、と高鳴る鼓動を抑えて、一華達もカミラ達の後を追った。




