第九十九話 父親としての頼みだ
早道が引き金を引いた。
泉の足元に、銃弾がめり込んでいる。
早道は怒りのあまり発砲したようで、肩で息をしていた。
泉もそれまで浮かべていた笑みを引っ込めて、手にしていた銃を構えた。住宅街の近くで発砲するとは、余程触れられたくないところだったらしい。
早道は泉を睨みつけたまま、口を開いた。
「何度でも言ってやる。零様も数予様も一華お嬢様も、本条家当主の器ではない」
まるで、自分に言い聞かせるかのような言葉だった。素直に、彼女達の事を認めればいいだけなのに、と泉は内心で呆れていた。
とはいえ、この状況はまずい。
早道と戦う事になれば、泉の負けは目に見えている。自衛、そして、少しの間迎撃出来るか否かだ。
だが、泉は挑発をやめるつもりはなかった。
「日和っているくせに、よく言いますね」
これだけは、指摘してやると決めていた。
自分と似た状況にある白羽と亜閖のために、少しでも自覚させてやらなくては。そうでなくては、二人まで道を踏み外してしまう。
それは、何としても阻止したい事だった。
「知っているんですよ。貴方、白羽君と亜閖ちゃんの前では“一華お嬢様は、何としても守り抜かなければならないんだぞ”なんて、いい父親面しているそうじゃないですか」
泉の指摘に、早道は「何故知っている」といったふうに顔を引きつらせる。
早道はもともと、蝶花の指示に従って行動する男だった。しかし結婚して子どもが生まれた頃から、息子達の前ではいい父親を演じている、と噂が流れていた。
白羽と亜閖の耳にも、その話は届いている。それを本人は知らなかったようだが、取り繕っても無意味だという事を教えてやろう、と泉は続けて言ってやる。
「白羽君も亜閖ちゃんも、貴方からの言葉が嘘だって気付いてますよ。本当は、そんなこと微塵も思ってない、ってね」
「そんなはずはない!」
早道が、声を張り上げた。
「そう、一条家の教えを子どもに繋ぐのは俺の義務だ、嘘なんてついていない!」
「認めた方が楽ですよ。誰も、今さら幻滅したりしません」
「うるさい! 俺は、本当に……たしかに、本条家当主に忠誠を誓ったんだ! 一条家の教えだって……白羽や亜閖に繋いでいってほしいと思っている!」
早道の中にも、葛藤があるのだろう。
ふさわしい当主に仕えたくて、蝶花の言葉の通りに行動するのも。
父親として、子ども達に誇り高い一族の教えを守っていってほしいと願う事も。
きっと、どちらも本音だ。その二つの想いがせめぎ合って、一条早道はどっちつかずの態度でいるのだろう。
泉の前では、「一華は本条家当主にふさわしくない」と言えるが、白羽と亜閖の前では言えないのだろう。父親としてのプライドか、僅かに残った良心がそうさせているのかは分からないが。
「それ、父さんの前でも言えますか?」
蝶花の前でも、一条家の教えがどうこう、と口に出来るのだろうか。純粋な疑問でもあったが、早道は「言えない」と自覚していたようだ。
「ッ、黙れ! 若造が偉そうに口をきくな!!」
あきらかに激昂した様子で、引き金を引く。
「────ねぇ」
否、引こうとしていた。
早道が発砲する前に、第三者の声が聞こえてきたのだ。
泉も早道も、その気配を感じ取れていなかった。慌てて視線を声の主に向けると、その人物は飄々とした様子で校舎の塀に腰かけていて。
「そろそろ近所迷惑じゃね? 警察、呼んじゃうよ。銃を持った男共が暴れてる、ってね」
と、言ってのけた。
銃を構えている光景を見ても、少しも動じていない。それに、気配が全く感じられなかった。確実に裏の世界の出身────それも、暗殺を生業としている者だろう。
「なっ……誰だ、コイツは!?」
「貴方は……」
早道は初対面だろうが、泉はその声に聞き覚えがあった。
「しがない暗殺者ですよ〜、っと」と言いながら、その人物は塀から飛び降りる。軽やかに着地して、泉と早道の真ん中に割って入るように移動した。
黒い髪に緑色の瞳。微妙にズラされた眼鏡は、泉の知人を彷彿とされるが、彼女とは全く違う雰囲気を兼ね備えた男性だ。
表情は穏やかで、常に笑みが張り付けられているが、その目は一切笑っていない。まるで、役を羽織っているかのように淡々としている。
銃口を向けられているというのに、声をかけてきた時と変わらない調子で言った。
「こんなところでどうしちゃったわけ? 喧嘩なら仲裁してやるぞ」
「不要だ。関係ない奴は引っ込んでいろ」
「まぁ、この件に関しては関係ない奴なんだけどさ……オレとしても、騒がれると今後仕事がしづらくなるわけよ。ほら、日本って特に厳しいし」
その様子からは全く困っているようには見えないが、男性はくるくると指に髪を巻きつけながら口にする。
そして、
「君等の事情ってあれっしょ? ホンジョウ・イチカ様につくイチカ派と、新たに正統な後継者を用意したい革命派で対立してんでしょ?」
と話題を振った。
男性の問いに、早道ははっ、と鼻で笑う。
「革命などではない。従者として当然の進言だ」
「御冗談を。正統な後継者とは、零様と数予様の御息女であられる一華様の事を指します」
「気になったんだけどさ……アンタ、仮にホンジョウ・イチカ様以外の当主をたてたいとして、候補は誰なわけ?」
男性の質問に、早道は「無関係の者に話す気はない」と一蹴した。泉はことの全容を知っているが、第三者である男性の疑問も頷ける。
いわゆる本条家の正統な当主である零の子どもは、一華ただ一人。零の兄妹はもう妹しかいないが、すでに嫁いでいる。
一華のいとこ、万希生を養子とするのか。否、蝶花達はそれを認めないだろう。
各条家と呼ばれる泉達と、四方家と呼ばれる万希生達の家同士の対立もあるため、万希生が当主に選ばれる可能性はゼロに近い。
それは、目の前の男も理解しているようだ。「うーん」と悩む素振りをとったまま、自身の考察をわざとらしく口にする。
「オレならねぇ……あぁでも、これじゃあ筋が通らねぇなぁ。仮にホンジョウ・レイ様が生きていたら、アンタらの企てにも筋が通るんだけどなぁ……」
まるで、カマをかけているかのようだ。
「……ふん、戯言を」
早道はそう呟くように言って、構えていた銃を下ろしてしまった。
「どちらにせよ、まだ動くつもりはない。蝶花様からの伝言も預かっていた。泉君から、お嬢様に伝えてほしい」
「何ですか」
「……“子どもを作る時は気を付けろ”と」
直接言えばいいのに、とは思わなかったが、早道づてに伝えられるのは些か不服だった。
それに、その忠告は何だ?
「どういう意味ですか」
「さぁ。君が言ったように、俺は日和っているからな。蝶花様にも、詳しい事は聞かされていないんだ」
まぁ、そうだろうな。と泉は心の中で思った。
ジャケットの下のガンホルダーに銃をしまいながら、早道は「だが……」と続ける。
「白羽や亜閖とは、これまで通り仲良くしてやってほしい。これは、父親としての頼みだ」
「……言われなくとも。二人に罪はありませんからね」
泉がそう言うと、早道は軽く笑みを浮かべた。そればかりは、ただの父親の姿だった。
早道がその場から去っていく。ひとまずは安心か、と泉は息をついて、突如現れた男性と向き直る。
「『イージ』さん……ですよね」
確認するべく問うと、男性は「そそっ。覚えててくれてサンキュー」と頷いた。
「お仕事ですか? 継承戦からそんなに経っていないのに、ご苦労様ですね」
「それはお互い様だろ。今、後輩が当主様と一緒にいるらしくてさ。外の様子を無線で知らせてくれって言われてたんよ」
「そうでしたか。では、一華様は貴方の後輩と一緒、という事ですかね」
一華は学校に到着して泉と分かれる際に「中で待ち合わせしている人がいる」と言っていた。おそらく、その待ち合わせの相手が『イージ』の後輩なのだろう。
どうりで、泉に詳しく説明しなかったわけだ。暗殺者と一緒に調査する、と正直に言えば、泉が反対すると思ったのだろう。
自分の中で合点がいって、泉は「成程……」と肩を竦めた。
そんな泉の様子を見ていた『イージ』は「アンタは護衛?」と聞いてきたので、慌てて答える。
「ですね。一華様から、白羽君が不在の間、傍にいてほしいと言われたので」
「おや、随分積極的なお誘いじゃないの」
「他意はありませんよ。……まぁ、こういう事を予測しての事だったのかもしれませんが……」
まさか、早道まで出てくるとは思わなかった。白羽不在を狙って、何かちょっかいをかけてくるのでは、と思っていたが、こうも露骨だとは。
相変わらず、父の行動は読むのが難しい。
「……なぁ、アンタはどうして、当主様に仕えてるんだ? あの男の言葉を借りるなら、相応しくないんでしょ?」
ふと投げかけられた『イージ』の問いに、泉は思わず目を開いた。
理由なんて「一華が主だから」以外にないと思うのだが。わざわざ理由を聞く意図が分からない。
とはいえ、早道を追い払ってくれたと言っても過言ではない『イージ』を相手に、「そんな事を言われても」と口にするのははばかられた。
泉は「貴方が求めているものかは分かりませんが……」と前置きして、自身の心の内を語り始める。
「私は正直、物事に一生懸命であればそれでいいと思います。たとえ、表の世界の人間が当主代理になったとしても、彼女は充分やり遂げていらっしゃいました」
どんなに後ろ指をさされようと、数予は当主代理として立派に務めあげただろう。傍で彼女のサポートをしていた泉は、彼女も本条家当主の一人であったと認めていた。
ある時を境に精神を病んでしまい、仕事をするのも困難となったが、それでも泉は「立派な当主だった」と言える。
そして、現在泉が仕えている一華も同様だ。
自分の事は二の次で、常に前を向いて進み続けている。そんな姿を見て、泉は心が痛む時がある。
けれども、それを口や態度に出してしまっては、一華の意思を砕いてしまう事になりかねない。それはきっと、一華のためにならないだろう。
泉は、本条家当主の秘書として、可能な限りのサポートを続けていく所存だった。
「私は、一華様の頑張りを否定したくない。仕えているというか……もう一人、妹の面倒を見ている気分でもあります。一華様は、これから当主になっていくのですよ」
「……そっか」
一華は、まだ当主になって一ヶ月程度しか経っていない。現時点で、彼女が当主として相応しいかなんて評価出来なかった。しかし、彼女の頑張りは嫌というほど伝わってくる。
一華が最初の宣言で「数で評価したくない」と言ったように、泉も彼女の努力を早々に評価したくなかった。
「まぁ、父さんに従いたくない、という反抗心もあるからかもしれませんがね」
「誰かに仕える心があるんじゃん。なら大丈夫だよ」
少しだけ気恥ずかしくなって、泉が付け加えるように言うと、『イージ』はくすっ、と一笑した。それから「そういえば」と『イージ』はまた話題を変更する。実は暇なのだろうか。
「この間の傷は大丈夫なのか? 同僚から聞いたけど、結構酷かったんだって?」
『イージ』が指摘したのは、継承戦の時に負傷した怪我の事だった。変装して敵に扮していたのだが、その際にばっさりと背中を斬られてしまったのだ。
あの後、一週間程休みをもらって、治癒魔法術でさっさと治してもらったが、実はまだ身体に違和感が残っている。泉が早道と戦いたくない理由の一つでもあったのだが、早道には気付かれていなかったようで安心した。
「もう治してもらいました。休んでいる暇はありませんからね」
「そこまでオレと一緒かよ。……困ったらこれに連絡しな」
そう言って、『イージ』は懐から名刺を取り出した。電話番号しか書かれていない。
せめてコードネームだけでも書いておいてくれないのか、と苦言を呈しながら泉は名刺を受け取る。
「売名……ってか、宣伝ね。それ、オレ個人に繋がる番号だから、困った事があったら依頼してきなよ」
「お金は取るんですね」
「ま、それが商売だしな」
「使う機会があるかは分かりませんが……まぁ、受け取っておきますよ」
手渡された名刺の裏に「『霞』の『イージ』さん」とメモをしていると、ガシャンッ、と音が響いた。
突然響き渡った音に、泉と『イージ』は同時に顔を上げる。
「……何か、起こっているようですね」
「だな」
事と次第によっては、泉も学校内に侵入するべきだろう。
『イージ』が耳に装着していたインカムで連絡を取り合うとの事なので、それを待つ。
『先輩、外からの状況を教えてください』
「結界は解けたみたいだな。外から見ても異常はないぞ」
簡素なやり取りは、泉の耳にも入ってきた。『イージ』はそれだけ伝えると、泉の方に向き直って、状況を教えてくれる。
「起こった、というより収束したっぽいな。もうすぐ、当主様も戻ってくると思うよ」
「そうですか。それはよかった」
『イージ』からの報告に、泉はほっと息をつく。口振りからして、一華も無事なのだろう。
「あぁ。じゃ、オレは用事が出来たから、これで失礼するぜ」
「ありがとうございました。助かりました」
「おう、じゃあな」
校舎の塀の上まで跳躍して、『イージ』は学校の敷地内に入り込んで行ってしまった。
泉はこのまま、一華が戻ってくるまで待つつもりだ。
「…………」
やっぱり待つだけでは退屈なので自身も侵入しようか、という考えが頭を過ぎるが、泉は慌てて首を振ってかき消した。
一華は無事に帰ってくる。
彼女の事は心配だが、信じて待つ事も大切だ。
そう言い聞かせて、泉は姿勢を正して一華を待つのだった。
※※※※
「創世魔法術?」
今しがた『ナージ』から説明された単語を、一華は反芻した。
「はい。部下の一人が、そのような魔法術を使用出来るのです。その気になれば、新たな星を創る事も出来る危険な魔法術です」
いわゆる、禁忌の一つだろう。
魔法術に疎い一華でも、『ナージ』の口振りからある程度を察する事が出来た。
星を創り出す、それは宇宙を解明する事とは訳が違う。この世の理を大きく変化させてしまう、といった事象については、然るべき機関から厳しく監査される。
しかしそれは、一華が聞いてもいい内容なのだろうか。疑問を抱いた辺りで、『ナージ』は付け加えるように言った。
「ただ、その部下は魔力量が雀の涙ほどしかないので、せいぜいこの学校の建物分の世界を創造する事が限界でしょう」
「そうなのか?」
「はい。五回行って、その内四回は魔力不足で倒れているので……星はおろか国を生み出す事も出来ません」
「それは良かったと言えるのだろうか」
「微妙なところですね……。とはいえ、創世魔法術自体は強力なものです。この学校と全く同じ世界を作り出し、『アーチ・ロット』を誘い込む。その先で、迎撃準備をしていた部下達が足止めしてくれているはずです」
多く見積っても、十分程度。『アーチ・ロット』の実力を一華は詳しく知らないが、『ナージ』達の部下ともあれば心配はいらないのかもしれない。
彼女の部下達が足止めをしてくれている間に、『ナージ』は発動している結界の解除を行う。『ナージ』はてきぱきと準備を進めて、結界の術式の解読を進めている。
「とはいえ、『アーチ・ロット』が気付くのも時間の問題ですから、急がないといけませんね。急がないと……」
『ナージ』の横顔に、うっすらと焦りの色が見えた。結界を解いたはずが失敗したり、思わぬ敵に遭遇して困惑しているのもあるだろう。
一華はそんな『ナージ』の肩に手を置いて、落ち着かせるように言った。
「……落ち着いて。大丈夫だから」
「……すみません、少し焦っていたようです」
『ナージ』ははぁ、と息を吐き出して気持ちを切り替える。そしてもう一度、結界の解除を試みた。
術式の上に炭のような粉末をまぶし、指先で文字を描く。浮き彫りになった文字が淡い光を帯びて、静かに飛散していった。
「…………出来た……?」
少しの間を置いて『ナージ』は確認するように呟く。
「全身を刺すような気配は消えたな。成功したんじゃないだろうか」
一華も同意するように口にすると、『ナージ』はインカムを通じて誰かと連絡を取り始める。
「先輩、外からの様子を教えて下さい」
『結界は解けたみたいだな。外から見ても異常はないぞ』
「ない……良かった……」
報告を受けて、『ナージ』は安心したかのように肩を竦めた。今度は別の結界が発動したわけでもなさそうなので、一華も一安心である。
「お疲れ様」
「当主様……ありがとうございます」
『ナージ』に労いの言葉をかけ、二人でほっと息をついていると――――
「おやおや、解除されてしまいましたか」
安堵したのも束の間、『ナージ』の部下の魔法術にかかっていた『アーチ・ロット』の声が聞こえてきた。
いつでも応戦出来るようにと、鞘に収めず手にしていた刀を即座に構え、『アーチ・ロット』をまっすぐに見据えた。
結界の解除を終えた『ナージ』も、すぐさま立ち上がり一華の隣で警戒している。服こそぼろぼろになっているが、深手を負っている様子がないので、一華達は相手の出方を伺うしかない。
それをいい事に、『アーチ・ロット』は袖をひらひらと揺らしながら口角を上げた。
「まだまだ未熟そうですが、解除までの動きが早い。流石、と言っておきますよ」
「当然。貴方の後釜だとは言わせません」
「左様ですか。では、あとは仕上げといきましょうか」
何をするつもりか、と一華と『ナージ』は身構える。しかし『アーチ・ロット』が仕上げと称して用意していたのは結界や魔法術による攻撃ではなく――――
「! 光野さん!?」
人質だった。




