第零話
この世には『表の世界』と『裏の世界』がある。
『表の世界』とは。日本で例えるのなら、内閣が政治を行う。会社がある。学校がある。いわゆる世間一般的な、生活を営む世界だ。
そして『裏の世界』とは。各国の代表である『国主』と呼ばれる存在が集う世界。そこから派生して『闇』として扱われる組織が多々あるので、『裏の世界』は一つの国であるといっても過言ではない。
同じ世界に存在しているが、『表の世界』と『裏の世界』は互いに不干渉が暗黙のルールでもあるので、あまり交わる事がない。よって、『表の世界』に住むほとんどの者が『裏の世界』について知る事はないだろう。
では、『裏の世界』に集う国主達を束ねる者とは誰か。
『裏の世界』を築き上げ、圧倒的な実力とカリスマを持ち合わせた存在。
誰しもが認める『裏の世界』の王こそが――本条家の当主である。
※※※※
――十二年前
第九十八代目当主・本条零が逝去した。
日本の東京に建つ広く大きな屋敷に、何百という人が集まっている。
その人々の容姿、格好は様々だ。白人もいれば黒人もいるし、スーツの男性もいれば格式高いドレスを身にまとった女性もいる。
浮かべる表情も様々だ。涙を流す人、悔しそうに歯ぎしりする人、服の袖に隠して嘲笑する人。共通している事といえば、その場にいる全員が黒い服である事位だ。
滑らかな木で作られた棺桶の中に横たわる端正な顔立ちの男性。癖一つない黒紅色の髪は美しいままで、肌も艶やかに感じられる。死んだ人間とは到底思えない出で立ちだった。
その男性と同じ、黒紅色の髪をした幼い少女は、棺桶の中で眠る男性を無言で見つめていた。その目に悲しみもなければ喜びもない。ただ静かに、「あぁ、父は死んだのか」と事実だけを受け止めていた。父であった男性をじっと見つめる。まるで、その姿を黄金の瞳に焼き付けるかのように。隣で顔を覆って涙を流す母に代わって、その亡骸をしっかりと見つめた。
「母さんは、私が守るからね。父さん」
幼い少女は誰にも聞こえない小さな声で、そう呟いた。
程なくして。第九十八代目当主・本条零の死去の後、新たな当主として妻の本条数予(旧姓・綾谷)がたてられた。と、同時に再婚する事となる。
数予の幼馴染でもある、瀬波銀治が新たな夫として迎えられた。彼には七人の連れ子がおり、曰く彼には前妻が三人いて、全員病で死別したとの事。
元々数予は表の世界の住人で、零との結婚にいい顔をしなかった者達が多くいた。零以外に正当な本条家の血を引く者は、齢五の幼い娘だけ。到底、当主として仕事を出来る年齢に達していなかった。よって、娘が成長するまで、という制約で彼女が新たな当主に就いたのだ。その制約があっても、一部の国主達は納得していないようだった。
本条家の当主を王のように扱っている派閥からは、血を引かない数予の存在は邪魔でしかない。そんな中、国主の家系でもない、裏の世界に少し関りがあるだけの男との再婚は認められる筈がなかった。ましてや連れ子が七人もいるなんて、確実に権力と資産目当てではないか、と反対する者の方が圧倒的に多かった。しかし、夫を亡くした傷を少しでも癒す為と言われれば、誰も何も言えない。
本条家の正当な当主は、零の血を引く幼い娘一人だけ。娘が成長するのを待つしかないものの、その間に裏の世界は混沌を極める事となるだろう。
まとめ役のいない世界に、安定など存在しない。
「一華。皆と仲良くするのよ」
本条一華。正統なる本条家の血を持った、唯一の子である。
数多の期待を向けられているとは知らず、ただ目の前の事実を受け入れるだけで精一杯だった。
母が新たな当主。新たな父。新たな兄。新たな姉。新たな弟。新たな妹。
世界が変わったのだと、瞬間的に悟った。
同時に、大変な事になるな、とも。幼いながらも理解する事が出来た。