第98話 エル・エスコリアル宮殿へ
信長一行はマドリードの宿を出て郊外に向かった。
今日も沿道には大勢の見物人が詰めかけている。
暇なのか、子供達は町を出るまでついて来た。
見た目は少し違うが、子供はどこの世界でも子供であるらしい。
「幸村君」
勝二がその事に気づき、幸村を呼んだ。
「一体何だ?」
「あれを」
問いかける幸村に列の後ろをそっと示す。
「あれは!?」
目に入ってきた光景に驚く。
「あの子供!」
幸村がパンをあげた、物乞いらしき子供であった。
他の子供達は町の境で引き返したが、その子はどこまでもついて来ている。
「あれからこっそりとパンをあげたのですよね?」
「まあ、な」
折角あげたパンを周りの大人達に奪われてしまい、申し訳なく思った幸村は、後で隠れて渡したのだった。
その子はパンを手渡され、心配そうにキョロキョロと辺りを見回し、誰にも奪われそうにないとわかって初めて安心してかじりついた。
「敢えて下衆な勘ぐりをすれば、いつになるのか分からない次の助けを待つより、一度助けてくれた人を頼った方が確実だと考えたのかもしれませんね」
「そうかもな。この国は物乞いだらけだしよ」
日本と比べ、その存在は至る所で目にした。
「町の建物は立派だが、住んでいる者が飢えていたら元も子もないだろ」
「確かにそうですね」
勝二は頷いた。
「しかし、いつまでついて来る気だ?」
まだトコトコと行列の後ろを歩いている。
勝二は心配になった。
寝る場所があるのかという問題である。
「宮殿の近くにあの子の家があり、町まで通って物乞いをしているなんて事はありませんよね……」
「だろうな」
ここまで随分と歩いた。
引き返すように言うべきか、カルロスに相談すべきか、そんな事で迷っていると、先頭を歩いていた当のカルロスが告げる。
『エル・エスコリアル宮殿が見えてきましたよ!』
そう言って道の先を指さす。
「おぉ!」
「あれが!」
なだらかな斜面が続く一画に忽然と現れた、幾つかの塔を備えた左右対称の巨大な建築物。
遠目に見てもその威容が理解出来る。
しかし一行は腑に落ちない。
「あれが王の住まいなのか?」
彼らがそう思ったのには理由がある。
「タンジェの町のように壁に囲まれている訳でも、我が国の城のように石垣、堀がある訳でもなく、どうやって王を守るのだ?」
攻められればひとたまりもないように感じた。
『皆さんの国の城とは違って見えるのも当然です。エル・エスコリアル宮殿は元々は修道院ですから』
ある程度は日本語を解するようになったカルロスが説明する。
『スペイン王家の墓所であり、カルヴァン派による宗教改革に対抗する為の研究施設として、現国王陛下が建築を指示されました。今からおよそ20年前の事で、その完成も目前です』
「20年前だと!?」
気の長い話に思われた。
壮大な計画なのか、進みが遅いだけなのかは話を聞くだけでは分からない。
そうこうしているうち、宮殿へと至る一本道に差し掛かった。
両脇は美しい花をつけた草木のある庭園となっており、その中を真っ直ぐに伸びた長い道が走っている。
「手入れの行き届いた庭だ」
「花も我が国とは趣が違うのだな」
山茶花に似て、大輪の花を咲かせている草があった。
深紅から始まり桃色、白、黄など色とりどりで、かつ甘い香りを漂わせている。
一行は庭園の中を進み、宮殿の入り口、大きな門を構えた場所に着いた。
「どうすんだよ?」
あの子供はまだついて来ていた。
ぼんやりとした顔で庭園の花を眺めている。
このまま宮殿に入ってしまえば、それきりとなりかねない。
もしかしたら親が心配しているかもしれず、見て見ぬ振りは取れなかった。
カルロスに事情を話して取り計らってもらおうにも、信長と話しており邪魔出来ない。
「ひとまず我々の一員として宮殿に入れてしまいましょう」
「どうやって?」
保護しておけばとりあえずは安心だ。
「我々があの子と一緒にいれば大丈夫ではないですか?」
「そういうもんか?」
日本の城とは見た目が違うが、れっきとした王の住む場所であろう。
そんなところに身元の知れない者が入れるのか幸村は疑問に思ったが、さりとて代案もない。
「知っている顔の方がいいでしょう。幸運にもパンの残りがありますから、幸村君、頼みますよ」
「分かった」
勝二は取ってあったお昼用のパンを袋から取り出し、水筒と共に幸村に手渡した。
保存性を高めているのだろう、そのパンは硬くボソボソで、水を飲みながらでないと飲み込むのが難しい。
西洋人は唾液の分泌量が多いらしく、ボソボソのパンでも困らないようだが。
と、そこに信長の声が響く。
「勝二!」
「只今!」
勝二は急いだ。
「信長様がお呼びですから私は行きますね。後は幸村君にお願いしますよ」
「仕方ねぇな」
「何か羽織る物を宜しく」
「分かったぜ」
残された幸村はボリボリと頭を掻き、羽織る物とパンを懐に忍ばせてあの子供の下に向かった。
早くしないと行列も終わる。
土産の品もあるので進みが遅く、だからこそ子供の足でもついて来れたのだろう。
「おい」
ボーっとした顔で左右の花を眺めている子供に声を掛ける。
幸村の声で我に返ったようで、ハッとしたように顔を向けた。
愚鈍ではないようで安心する。
「食べるか?」
そう言ってパンを差し出す。
今度は回りをキョロキョロとする事もなく、ひったくるように受け取り、嬉しそうに頬張った。
大きく口を開けて頬張り、良く噛みもせずに飲み込もうとする。
「ゆっくり食わねぇと腹を壊すぜ」
水筒の栓を外し、渡してやる。
その子はグビグビと音を立てて水の飲み、瞬く間にパンを平らげた。
「よし、食ったな。で、帰るのか?」
幸村は来た道を指さす。
しかし反応がなかった。
「俺達について来るつもりか?」
今度は宮殿に向かう一行を指す。
するとその子は首をコクコクと振る。
その様子に幸村は盛大な溜息をついた。
「仕方ねぇな」
今度は服を取り出す。
「これを着ろ」
動作で着方を示した。
と言っても着ている服の上から羽織るだけである。
子供の着ている服はあちこちボロボロなので、そのままでは警備の目を誤魔化せないだろう。
無事に着終わった。
「帯を巻いてやるからじっとしてろよ?」
自分の帯を見せ、同じ物だと理解させ、巻いてやった。
抵抗する事もなく大人しいモノだ。
「近づけば頭なんかは臭うが、傍目には分からねぇだろ」
黒髪黒目のラテン系が幸いし、パッと見では区別がつかないように思われた。
風呂など入っていないのだろう、臭いは仕方ない。
「良し、行くぞ」
自然と幸村は子供の手を握り、歩き出す。
その子は嫌がる素振りも見せず、彼の横をチョコチョコと歩いた。
「お前……」
幸村は呆然とした。
思ってもいなかった事態である。
門番の目を無事に突破し、その子を連れて宮殿へと入ったのだが、室内ではその子の発する臭いが気になり、体を洗わせようとした。
急に嫌がり始め、駄々をこねるなと無理やりボロボロの服をひん剥いたところ、嫌がった理由を知る。
「女だったのかよ……」
胸のふくらみはなかったが、あると思っていた物もなかった。




