第96話 ネーデルランド独立戦争
『陛下!』
執務室の扉を慌て顔の内政官が叩いた。
重大な報せが届き、国王に知らせようと急いでいた。
『どうした騒々しい』
部屋の主の不機嫌そうな声が響く。
仕事を邪魔されるのが不快であった。
国内外から届く膨大な数の決済書類に追われており、悠長に遊んでいる暇はない。
『ファルネーゼ総督によるアウデナールデ攻略、失敗したとの報告です!』
『何?!』
ただでさえ不機嫌そうな顔が余計に酷くなる。
歓迎せざる報告だった。
ネーデルランド総督アレッサンドロ・ファルネーゼに命じ、ユトレヒト同盟に加入した都市を攻めさせていたのだが、当初の目論見通りには結果が出ていない。
南部10州をスペインに帰順させる功を立てたファルネーゼであるが、苦戦を強いられていた。
ネーデルランド、今でいうオランダとベルギーの地域がハプスブルク家の領地となったのは、フェリペ2世の曽祖父であるマクシミリアン1世の治世下である。
マクシミリアン1世の孫であり、フェリペ2世の父であるカール5世は、その治世下において徐々にネーデルランドへの締め付けを強めていった。
そしてスペイン国内から出ようとしないフェリペ2世の時代となる。
当時のネーデルランドではプロテスタントが広まりつつあったのだが、カトリックによる秩序を目指した彼の方針は、異端審問という弾圧の形となって表れた。
それに反発し、1568年、オラニエ公ウィレム1世がスペインに反旗を翻す。
融和を図る工作も行われたが、1579年、北部7州によるユトレヒト同盟が結ばれ、スペインへの対決姿勢が鮮明となった。
プロテスタントの多かった北部7州とは異なり、カトリックの多かった南部10州を纏めたのがファルネーゼである。
『忌々しい|新教徒(カルヴァン派)共め!』
フェリペが罵倒した。
カトリックの盟主と自負する彼は、同じハプスブルク家の一員でありながら、プロテスタントを認めたオーストリア公主、叔父フェルディナントに対しても憤っていた。
しかし、表だって近親者を糾弾する事も出来ない。
勢い、赤の他人であるネーデルランドの新教徒への憎しみが募った。
とはいえ、スペインとネーデルランドは離れており、本国の軍事力を割く事も難しい。
『どうやって新教徒共を黙らせてやろう?』
カトリックの権威を復興させる、そう心に誓っていた。
と、そんな彼の思考を中断させる、荒々しいノックが響く。
『陛下!』
『今度は何だ!』
苦々しい顔で迎えた。
君主の不機嫌な顔に訪問者は怯んだが、さりとて報告せずに帰る事は出来ない。
『タンジェの反乱ですが、日本人の活躍によって鎮圧したとの事です!』
『何?』
朗報であったが意味が分からない。
『日本人とはあの日本人達か?』
『そうです』
カルロスが連れて来る筈の、大西洋に現れた国日本からの訪問客だ。
セビリア滞在中にタンジェで反乱が起き、何を思ったか見物に行くとして、マドリード到着が遅れるとの連絡があった。
その日本人が鎮圧に参加したというから驚きである。
親善を深める為に訪れているのに、何を考えているのか理解が出来ない。
『客人がどうしてそのような事を?』
ふと呟く。
報告ではこの国の軍事力の実際を見たいとあった。
『野蛮人なのではないかと』
報告者が思った事を進言する。
『確かに、贈られた刀剣類は見事な切れ味だったな』
以前、カルロスが持ち帰り、今は宮殿内に飾ってある日本の産物を思い出す。
顔が映るのかというくらいに研ぎ澄まされた剣は、武器への強い執着を思わせた。
『反乱には、ポルトガル商人に雇われた日本人が混じっていたそうです』
『ポルトガル商人?』
奴隷の売買を禁じた織田信長であったが、それを破っていたのが大友という領主だったそうだ。
ポルトガル商人に奴隷を売り、武器を買っていたという。
それに怒った信長は大軍を発し、大友を成敗したのだが、国を失った者達がポルトガル商人の船に乗り、海を渡って来たらしい。
おやと思った。
『先ほど、日本人の活躍によって反乱を鎮圧したと言わなかったか?』
その筈である。
反乱に加わっていたとなると丸きり逆だ。
『反乱に参加していた日本人を、客人の日本人が鎮圧したのでございます』
『何だと?!』
ようやく話を掴めた。
何という偶然なのだろう。
報告者が追加する。
『日本人同士が激突する様は、さながら猛獣達が戦うようであったとの事です』
『ほう?』
アフリカよりもたらされたライオンは、それは見事な体躯をしていた。
ライオン同士が戦う様子は壮観であろう。
ここで名案を思いつく。
『スイスの傭兵団のように日本人を金で雇い、ネーデルランドに送れば良いのではないか?』
『それは素晴らしいアイデアです!』
フェリペ2世は己のアイデアにニンマリした。
「とまあ、ヨーロッパは複雑な状況です」
「成る程」
マドリードへの道すがら、勝二は当時のヨーロッパの状況について説明していた。
「しかし、遠く離れた地をそのように支配出来るモノなのか? 住民が反発するだけであろう?」」
スペインによるネーデルランド支配について信長が尋ねる。
統治はその地に住んでいるか、少なくとも直ぐに駆け付けられる場所でなければ難しい。
船で何日も航海しないと行けない場所の支配など、想像が出来なかった。
「ネーデルランドはハプスブルグ家の領地だったので、同じハプスブルク家のスペイン王室による支配が可能でした。また、フェリペ2世の父君カール5世は神聖ローマ帝国の皇帝でもあります」
「何だそのハプスブルク家とは?」
疑問は湧くばかり。
「ハプスブルク家の説明は長く複雑になります」
「道のりは尚遠い。構うモノか」
「では」
勝二はヨーロッパの政治状況を語る上で欠かせない、重要な王家について説明を始めた。
「ハプスブルク家はスイスのハプス城に端を発し、各王家と婚姻関係を結ぶ事で勢力を拡大していった家柄です」
それは頭が混乱する事請け合いの、複雑過ぎる名門の話である。
しかしながら未来の事は言えないので、勝二は途中で困ってしまうのだが。
すみません、マドリードには着けませんでした。
次話、到着します。
アウデナールデ攻略に失敗した設定です。
史実では成功しています。




