第94話 豊後の仇をタンジェで晴らさんとす
信長らの出現にスペイン兵士が呆然としたのと同じように、反乱軍の足もまた止まっていた。
驚きに目を見開き、何を見ているのかと自問しているようだった。
それもその筈。
「丸に十字!?」
いる筈のない、けれども良く知った旗印がタンジェの町で風にはためいている。
自分達がここに来る事になった原因の一つ。
「島津がどうして!?」
薩摩を治める島津家の旗だった。
兵が着ている鎧も島津の物で、いくつもの戦場で相まみえた代物だ。
それを率いるは、紺色縅の腹巻を纏った偉丈夫で、三尺(約1メートル)はあろうかという太刀を腰にぶら下げ、槍を手にしている。
その姿は間違えようもない。
「家久か!」
島津家の四男家久は、臼杵の町に南蛮船で現れ、城を焼き払った憎き存在だ。
どうしてここにいるのかは分からないが、借りを返すには丁度良い。
そんな事を思っていると、全ての原因を見つけた。
奴隷の売買を禁止し、それを破った君主を豊後から追い出した、許されざる人物。
「信長ぁぁぁ!」
織田信長その人であった。
大友征伐の時そのままに、南蛮から贈られた胴巻を身につけ、傲岸不遜な笑みを浮かべている。
その顔を見た反乱軍は怒りに我を忘れた。
「豊後の恨みぃぃぃ!」
憎き敵目がけて殺到する。
島津の者達が刀を抜いた。
「やはり大友の残党であったか!」
鬼気迫る敵軍の迫力もどこ吹く風、信長は冷静なモノだった。
「異国で故郷の恨みを晴らそうとは、誠に殊勝な奴らよ!」
感心感心と言わんばかりの表情である。
そして腰の鬼丸国綱を抜き、言い放つ。
「この織田信長、直々に冥土へと送ってやろう!」
『馬鹿な!』
セウタ伯は叫んだ。
目の前の光景が信じられない。
『大丈夫でございますか?』
『君は?!』
助け起こしてくれた人物は信長の通訳だった。
『君は参加しないのかね?』
『足手まといだと言われました……』
悲しそうな、とはいえホッとしているような顔である。
荒事には向きそうに見えないので、適所と言えよう。
『それはそうと、どうして君の主は前線に出ているのだね!』
信じられなかったのはその事だ。
自分の場合は止むを得ず敵と交戦しただけだが、信長は自ら敵の前にその身を晒している。
それどころか積極的に敵と切り結んでいる程だ。
彼を守っているのか、数人が周りに配置されているようだが、万が一があってはならない。
『危険だ!』
それを真っ先に心配した。
申し訳ありませんと勝二が謝る。
『若い頃を思い出して血が騒ぎ、居ても立ってもいられなかったそうです』
『何だと?!』
耳を疑う。
『日本では君主が武器を振るうのかね?!』
まさかと思った。
勝二が説明する。
『我が国は統一国家ではありませんので、君主と言ってもスペインにおける地方領主と同じようなモノです』
『そうなのかね? ならば理解出来るが……』
日本の国内事情など知る筈もない。
そんなセウタ伯に信長のエピソードを語る。
『信長様が若くして当主の座を引き継いだ頃、隣国から大軍が押し寄せ、絶体絶命の危機に陥った事があります』
『ほう?』
気になる。
『その時、真っ先に馬に乗って打って出たのが信長様で、家臣は付いて行くのがやっとだったそうです』
『何と!?』
驚くべき行動力だ。
マドリードから全く出ないフェリペ2世にも、少しは見習ってもらいたいと思う。
『運にも恵まれ豪雨となり、奇襲を成功させてその危機を乗り越えられました』
『そのような事があったのだね』
血が騒ぐという言葉を理解出来た。
『彼は自らに降りかかった運命を、自らの力で切り開いてきた訳だ』
『はい』
目の前では不動行光が煌めき、血の雨が降っている。
『日本では君主の多くが戦場に立ち、兵士を鼓舞します』
『本当かね?!』
たとえ地方領主の規模であったとしても、にわかには信じ難い。
『下々に示しがつかないという事でしょう』
『成る程。だからか』
上に立つ者が同じ戦場にいる。
それが士気の高さに繋がっているのだと思った。
『いや、待て』
そんな単純な話ではなかろう。
何故なら。
『どちらも恐ろしいまでの戦いぶりなのだが……』
信長一行だけでなく、反乱軍の方も凄まじい。
士気の問題ではないように思われる。
『あれが日ノ本の兵という事でしょうか』
『て、敵には回したくないモノだ……』
あんな連中を相手にせねばならないと思うと、命がいくつあっても足りない気がした。
「畜生!」
「またしても届かぬか!」
鎮圧軍にはイングランド兵もいる。
多勢に無勢、反乱軍は壊滅しかけていた。
呪詛を吐き、恨みがましい目で信長を睨む。
「ククク。遠い異国の地で土へと還れ」
憎しみを向けられようが信長は一向気にしない。
「どれ、引導を渡してやろう」
そう言ってまた一人、とどめを刺そうした時だ。
「危ない!」
どこに隠していたのか、信長に向け鉄砲を構える者がいた。
気づいた勝二が叫ぶのと同時に銃声が町に響き、その敵兵はもんどりうって倒れた。
硝煙の臭いが立ち込める。
煙は向かいにある建物の屋根から上がっており、ひょこんと重秀が顔を見せた。
「流石は雑賀孫一。良い腕をしておる」
「ばれていたのですね……」
雑賀の鉄砲衆を率いて信長と敵対し、寸でのところまで追い詰めた雑賀孫一。
織田家は彼に莫大な懸賞金を掛けたという。
顕如に仕え、石山城攻防戦でも活躍したが、顕如が城を明け渡してからは、その指示で勝二の家臣となっていた。
知らないモノとして触れないでいたが、やはり分かってしまうのだろう。
結果として仕える主に隠し事をしていた。
その事を思い背筋が凍る。
「心配致すな。とやかく言うつもりはない」
「め、滅相もございません!」
心を見透かされ、勝二は慌てて頭を下げた。




