第92話 進軍
『マニャーラ公、その方々はどなたかな? 随分と奇抜な恰好をしているが……』
既に城に集まっていたスペインの諸侯達。
マニャーラと共に現れた信長らに、物珍しさからジロジロとした視線を送る。
珍妙奇天烈な姿であった。
足の指がむき出しになった履物を履き、くるぶしまで隠れるような長さのゆったりとしたズボンを身につけている。
上着は何やら見たような気もする、ガウンのような代物だった。
『貴殿らも良くご存知だろう、あの日本からお越しの客人方だ』
『日本ですと?!』
マニャーラの答えに驚く。
日本の事は重々承知している。
数年前に突如として大西洋に現れ、教皇によって奇跡だと認定された神秘の国だ。
『そう言えば、国王陛下に見せて頂いた日本の産物の中に、あのようなガウンがありましたな』
羽織の事を言っているのだろう。
フェリペに贈った品は鮮やかな刺繍の施された逸品である。
『その日本の客人方がどうしてここに? 陛下が招いている筈ですが?』
日本から使者が来る、本国はその噂で持ち切りだった。
見物しようと各地からマドリードに集まり、町は時ならぬ活況を呈しているらしい。
彼ら貴族はマドリードにも屋敷を持ち、一年のうちのいくらかを過ごしている。
今回、日本の使者を歓迎する為、フェリペ主催の大々的な祝賀会が開かれる事になっており、彼らもまた招かれていた。
さっさとタンジェの反乱を鎮圧し、マドリードへと戻らねばならない。
『我が領地セビリアに到着された折、この反乱騒動だ。その事を聞き及び、我々の戦いぶりを是非見たいと申されてな』
マニャーラが平然とした顔で嘘を言う。
それを訳した物か勝二も困った。
しかし、全てを訳して伝える事を信長に厳命されているので、隠し立ては出来ない。
正確に訳したが、ピクリとも眉を動かさかった。
「伝えろ」
そう言って自分の意見を述べる。
『タンジェで反乱が起きたと伺いました。我が主は貴国の武力を高く評価しており、実際を直接目にしたいと仰せです』
『ほう?』
勝二が訳す信長の言葉に、スペインの諸侯らは気を良くした。
『しかし、陛下が招いた客人にもしもの事があったら我々も困るのだが……』
とはいえ気がかりは残る。
『外海を越える航海には危険が伴います。その危険を冒してここまで来たのですから、今更戦場の一つや二つ、大海原で遭遇する嵐に比べれば何でもありません』
『それは頼もしい』
彼らは貴族であり、領地の経営と領民の暮らしを守る義務がある。
領民の中には突然現れた日本に興味を抱き、一獲千金を求めて船に乗ろうとする者もいるようだ。
無鉄砲な若さがあれば自分も船に飛び乗っていたと思うが、重い責任を背負う今となってはそんな事は出来ない。
そして遠く海を越えてやって来た目の前の者達に、羨ましさを込めた視線を送る。
聞いた話ではあるが、今回日本からやって来るのは織田信長という男で、日本の統一まであと少しというところまで辿り着いていた諸侯の一人らしい。
日本はスペインと違い国がまとまっておらず、諸勢力が相争う群雄割拠の時代なのだそうだ。
その中で勢いを増し、最大戦力となったのが織田信長で、同盟関係を含めれば日本の半分を押さえたという。
順当にいけば日本の統一は間近であるにもかかわらず、その栄冠を後継者に譲り、敢えて海を渡るという危険な道を選んだのだそうだ。
未知へのあくなき探求心とも、豊かな富を求めての事とも噂されている。
そんな噂の男が目の前にいる。
着ている衣服、姿形は奇妙に映るが、意志の強そうな目をしていた。
また何か口を動かし、通訳がそれを伝える。
『我らは武人です。自ら求めた事によって何か問題が生じようとも、貴殿らに何らかの責任が発生する事はありません』
『それなら良いのだが……』
その言葉に集まった貴族らはホッとした。
『タンジェの状況はどうなっているのですか?』
勝二はこの地を治めるセウタ伯に尋ねた。
『城門を破壊して町に侵入した反乱軍は、依然として町を占拠したままだ。また、港を見下ろす要塞を押さえられているので、迂闊に船で近づけない』
地図で示す。
タンジェも港町で、セウタと同じように港近くに軍事的な施設があった。
『作戦はどうなっているのですか? 差し支えなければで構いませんが……』
一応、敵のスパイに気を付けておく。
『それは問題ない。定期的に兵を差し向け、城門の修理が出来ないようにはしている。諸侯らの軍も集まった事だし、陸路で町に向かい、正面から一気に叩くつもりだ』
『小細工はないという事ですね』
『そういう事だ』
セウタ伯は自信に満ちた顔で断言した。
と、何か思い出したのか、表情を少し曇らせる。
『それはそうと、反乱軍は少数にも関わらず、やけに組織立って戦っているそうだ』
『それは?』
その意味を考えた。
ここで思い出す。
『今回の反乱にはイスラムも混じっているそうですね?』
『オスマン帝国の差し金だと?』
『いえ、可能性としてあり得るのかなと思いまして……』
世界史を知る勝二にしても、世界情勢をつぶさに把握している訳ではない。
1571年、レパントの海戦でスペインに敗れ、オスマン帝国は地中海での権益の相当程度を失っている。
しかし当時のオスマン帝国は超大国で、現在でいえばアフリカの地中海沿岸部から紅海周辺、黒海からカスピ海に至る巨大な領土を維持していた。
『いや、それにしては規模が小さいし、わざわざタンジェで事を起こす事はない筈だ』
『それもそうですね』
対オスマン帝国では彼らの方が当事者だ。
当時者がそう言うならばそうなのだろう。
『もしもオスマン帝国が裏で手を引いているなら、我々が動けば必ず動くだろう。それもあって陸路を進み、船はセウタに置いておく。セウタからタンジェまで歩いて二日の距離だ。何か起きても直ぐに対処出来る』
『分かりました』
そして軍が動く事になった。
スペイン軍はセウタ伯の言葉通り、タンジェの町を正面から攻めた。
閉めた城門は形だけで、第一陣の攻撃によって粉々に破壊され、鎮圧部隊は町の中へと入っていく。
信長は軽装で町から直ぐの高台に陣取り、その様子を興味深げに観察した。
「見ているだけで宜しいのですか?」
疑問に思った勝二が尋ねる。
元々は反乱軍を蹴散らし、トーマスらイングランド人の罪を帳消しにするのが目的だった筈だ。
「まあ見ておれ。手薄になったセウタを攻められやしないかと心配しつつの行軍だ。必ずどこかでボロが出よう。打って出るのはその時だ」
「そ、そういうモノですか……」
勝二にその辺りの機微はさっぱり分からない。
戦国武将の勘に任せた。
そして信長の勘は的する。
「大将!」
上ずった声で重秀が叫ぶ。
「やべぇぜ!」
幸村が指さした。
見れば町から火の手が上がり、スペイン軍の一部が退却している。
退却している中から反乱軍が躍り出てくるのが見えた。
逃げるスペイン兵に追いすがり、切り捨てている。
瞬く間に鎮圧軍の一画が崩れた。
「あれは?!」
その反乱軍の装備に見覚えがあった。
「日ノ本の武士じゃねぇのか?」
暑いタンジェで兜はしていないが、胴体を覆う鎧は日本の物だった。
持っているのも刀らしい。
遠目にも反り返った白刃が煌めいている。
「どういう事だ?」
重秀が困惑する。
「密貿易で手に入れた物かもしれません」
どこかの大名が秘かに売っているのかもしれない。
ああでもないこうでもないと下々がわめく中、信長が呟いた。
「黒髪ならばラテン系か」
確かにその反乱軍は黒い髪をしていた。
信長に言われ、初めて勝二は気づく。
「あれは恐らく日ノ本の者です!」
「何?」
その理由を述べる。
「ラテン系は鼻が高く彫りが深い顔つきですが、我々は平べったい傾向にあります!」
「言われてみればそうだな」
信長が頷く。
「この反乱は帰る国を失ったポルトガル商人が焚きつけたと聞きました。もしかしたら大友家の残党かもしれません!」
「ふむ」
奴隷の売買を行っていたポルトガル商人は日本から追い出したが、禁止したとて徹底出来る筈もない。
また、大友宗麟を樺太へと追放したが、全ての家臣達が追従した訳でもない。
豊後を継いだ道雪の息子に反発し、さりとて宗麟の下に行く気もせず、こんなところで暴れ回っているのかもしれなかった。
「時機だな」
膝を打ち、信長が立ち上がる。
「聞けい、島津の兵達よ!」
イングランド人と共にいた島津家久らに向き合い、大声を出した。
「時は来た! これより反乱軍を攻める!」
その言葉に島津から歓声が上がる。
その反応に笑みを浮かべ、言う。
「この戦で南蛮人共は知るだろう。これが日ノ本の兵なのだと!」
それは戦国日本の世界デビュー戦と言えようか。
一足早く反乱軍がデビューしているようではあるが。
「お前達の戦働きを通し、日ノ本全体を評価するのだ!」
その先陣を切るのは、数は少ないといえど島津である。
「臆病者が一人いれば日ノ本は臆病者の集まりだと噂され、卑怯者が一人いれば日ノ本は卑怯者だとそしられるだろう!」
一部の悪行が全体の評価になるのはよくある事だ。
「命を惜しむな名を惜しめ!」
そうでこそ戦場で活躍出来よう。
「名を上げた者には帰国後、儂自ら褒美を与えよう!」
信賞必罰である。
「いざ行かん。日ノ本の兵の恐ろしさ、南蛮人共に見せつけてやるのだ!」
信長の歩みに従うように、皆がその一歩を踏み出した。
※参考資料
オスマンの勢力図(パブリックドメイン)
(Power figure of Ottoman.) OttomanEmpireIn1683.png から日本語化。
(The Japanese meaning from OttomanEmpireIn1683.png .)
投稿者:斎東小世(Saito chise)




