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第8話 岡崎へ

 「私一人で徳川家に伺うのですか?」


 勝二が尋ねた。

 電話でアポが取れる訳ではないし、向こうに知っている者がいる筈もない。

 突然に訪ねた所で、お前は何者だで終わるだろう。

 下手をすれば捕まり、尋問を受けかねない。

 当然過ぎる勝二の訴えに信長は思案し、答える。


 「秀政!」

 「ははっ!」


 傍に控えていた堀秀政ほりひでまさ(26)を呼んだ。

 

 「この者を連れて徳川に行け!」

 「畏まりました」


 小姓として13歳から信長に仕えた秀政はその才を発揮し、初めは奉行職を、次第に戦場でも活躍するようになり、側近としての地位を固めていた。

 なので、詳細は語られずとも信長の意図する所を理解し、己の為すべき事を心得た。


 「お願いがございます!」


 家臣の中から突然に声が上がった。

 信長は誰だといぶかしみ、目をやる。


 「どうした氏郷?」


 自身の次女を嫁がせた蒲生氏郷がもううじさと(23)であった。

 幼少時にその並々ならぬ器量を見抜き、娘婿とする事で一門に迎えている。

 信長の目は確かだったようで、既に数々の武功を立てていた。 

 その氏郷が頭を下げ、言う。


 「私めもお供させて頂きとうございます!」


 勝二に付いて行きたいという願いであった。

 僧侶との間で交わされた問答を聞き、勝二に興味を持ったのだろう。

 怪談や戦での出来事など、話好きな一面を持つ氏郷である。 

 インドから帰ってきたという冒険を知り、外の国の事など、もっと詳しく聞きたいと思ったのかもしれない。


 「許す、行け」

 「ありがたき幸せ!」


 一門に加えた者に何かあっては一大事であるが、ここは先の事を考えた。

 そもそも徳川への使者の派遣は、突然に現れた勝二という男の素性を探る為でもある。

 その話を全面的に信じた訳ではなく、合理的だと判断しただけだが、では何故自分の所に現れたのか、その目的が不明確であった。 

 伴天連の宣教師に連れられて現れたのであるから、伴天連であるかと思えばそうではないと言う。

 インドで宣教師に出会い、連れて帰ってもらった恩がある割には、その話しぶりから察するに、伴天連には良い思いを抱いていないらしい。

 奴隷の話を聞けば納得もするが、どうもそれだけではないと感じる。

 南蛮人が押し寄せるという危機意識も、無知な者が抱く漠然とした恐怖とは違い、過去に起こった具体例を挙げて予想してみせた。

 その視点が大局的なのだ。


 自分の家臣を含め、多くの者が目の前で起こっている事にしか注意を向けない。

 どうしてそれが起こったのか考えさせても、大抵はそうに違いないと決めつけて終わるだけだ。

 様々な可能性を思い、その一つ一つについて考慮を巡らせ、更に遡ってその理由までも追求する者など稀である。

 それがこの男は出来ていると感じた。

 その視点から伴天連も含め、物事を判断しているのだと思った。

 知識の確かさといい、事実と想像を峻別する態度といい、並みの者ではないと思う。

 そんな男が自分の下に現れた理由が、この天変地異に対しての憂慮であるなら、自分が為すべきはそれに備える事であろう。

 これから起こる事が予想出来るなら、それを利用して天下布武を進めるだけだ。

 

 南蛮人の持つ強力な武器をいち早く手に入れる為、打てる手を打っておく。

 勝二の言う通りに彼らがこの国へとやって来るなら、まずは関東か東北の海岸に現れるだろう。

 その地域の者は、南蛮人に会った事すらない筈だ。

 要らぬ摩擦が生じて争いとなり、この地まで来ない可能性もある。

 予め情報を伝えて穏便に事を運び、伊勢湾にでも船を進めて安土城まで来てもらわねばならない。

 彼らの持つ大砲、それを備えた船は、喉から手が出る程に欲しい強力な武器だ。

 他の者に渡す訳にはいかない。

 伴天連を通じて交渉すれば、良い条件で同盟なりを結べるだろう。 

 その下準備をさせる為の勝二の派遣である。

 優秀な秀政を付ければ、如才なく物事を進める筈だ。

 同時に勝二の素性も探るだろう。

 氏郷の身の安全は若干心配であるが、これしきの事を無事に乗り切れない者に、織田家の未来は託せないと考えるしかあるまい。




 「して、マラッカとはどのような国なのです?」


 道すがら、目を輝かせた氏郷が尋ねた。

 インドやマカオなど、全く知らない国の話に興味津々で、次から次へと質問をしていく。

 どんな問いにも淀みなく答えていく勝二に、氏郷のテンションは上がりっぱなしだ。


 同行する秀政も、二人の会話にじっと耳を傾けている。

 内容もそうであるが、それを話す勝二の様子にも注意を向けていた。

 何か隠している事はないか、話に矛盾はないかなど、その素性と目的を推し量る為である。

 絶え間なく氏郷が聞き続けているので、もっぱら聞き役に徹していた。

 

 「マラッカは航路の要衝でありながら、大変に狭い海峡です。両側に迫る島々をすり抜け、慎重に船を進めねばなりません。風によっては船が流されてしまいますから、船乗りにとっては一瞬の油断も出来ない危険な海域です」

 「何と!」 


 船で大海を渡る。

 氏郷にとり、大いに心躍る冒険に思えた。 


 「食べ物はどんな物があるのです?」

 「その地域は熱帯と申します。熱帯で穫れる作物と言えば、バナナやパイナップルといった果物が有名でしょうか。パイナップルは元々カリブ海が原産ですから、スペイン船が苗を運んでいるかもしれませんね」

 「パイナップルですか! 食べてみたいですぞ!」


 輸送に時間が掛かるので、新鮮な果物を食べる事は無理である。

 砂糖漬けならば可能かもしれない。

 尤も、船でカリブ海に向かえば近いのだが。


 「そう言えば、勝二殿は南蛮船に積んである大筒おおづつを撃った事があるのですか?」


 それも気になる所だ。

 九州の大友家には国崩しという大筒があると聞く。

 南蛮から購入したそうだが、噂だけで現物を見た事はない。

 戦で使える物ならば、是非とも撃っている所を見てみたいと思う。 


 「残念ながら私は撃った事がありませんが、撃っている所は見た事がありますよ」

 「そうなのですか! どのような感じなのです?」

 「それはですね」 


 岡崎までの道のりは始まったばかりだ。

 一向の足取りは軽い。 




 「殿、雨が降らずに百姓が嘆いております!」


 空を見上げる家康(37)に、家臣の大久保忠世おおくぼただよ(47)が言った。

 雨の気配が全くない、青い夏の空である。

 例年であれば大雨が降る月なのだが、今の所数える程にしか降っていない。 

 枯れるまではいっていないようだが、このままでは稲の育ちが心配だった。


 「一体どうしたというのだろうな。お天道様がおかしくなったと思えば雨が降らんとは……」


 太陽の向きが変わった事は、城下だけでなく城内でも騒ぎとなっている。

 しかし、その理由については誰も分からず、まことしやかな噂だけが広まっていた。


 「信長公が異教を許した事で、天が怒っていると喧伝している輩がおるようですぞ!」

 「一向宗か……」


 家康の治めていた西三河では一向宗(浄土真宗本願寺派)が盛んで、1563年に大規模な一揆が起きている。

 配下にも信徒はおり、家臣団を二分する程の争いに発展した。

 どうにか争いを収めた家康は一向宗を禁じたが、隠れて信じる者までも完全に排除する事は出来ない。

 そういう者達はこういう機会を捉えて民衆の不安を煽るのだが、為政者にとっては誠に厄介な存在であった。

 宗教の恐ろしさを身に染みて実感した家康だった。


 「伴天連の良い噂も聞かないが……」

 

 ポルトガル商人との交易の旨味は理解しているが、注意せねばならない存在である事は確かである。 

 そんな家康に別の者が報せを持って来た。

 

 「殿、信長公の使いである堀秀政殿が参られました」

 「そうか、通せ」

 「ははっ」


 自身も来客を通す部屋に向かう。




 「馬鹿な!」

 「我らを愚弄するか?!」

 「あり得ぬ!」


 使者の口上に家臣達が叫んだ。

 家康も耳を疑い、その真意を計るが、使者の顔は真剣その物である。

 冗談で言っている訳ではないと感じた。


 「信長公はご存知なのか?」


 家康は秀政に問うた。

 信長の側近として彼が重用されている事は知っている。

 何度か顔を合わせていた。  

 

 「あくまで仮説としてですが、この者の論を受け入れられたようです」

 「左様か」


 秀政の答えに考え込む。

 頭を下げている男は、日本の島々が大西洋に移動したという、驚くべき話を持ってやって来た。

 大西洋、太平洋という言葉自体に馴染みがないが、言いたい事は理解出来る。

 北極星と緯度という概念の説明も分かりやすく、太陽の方向が変わった理由も納得出来た。

 しかし、そうは言ってもにわかには信じられない。

 信長が頷いたというのは何となく想像出来るが、だからといって自分が受け入れねばならない道理はないだろう。

 と、ここである事を思い出し、使者である勝二に尋ねた。


 「勝二と申したか、雨が降らないのはそれが理由なのか?」


 思いつきであったが、勝二の持って来た話を考えるとそうとしか思えない。

 案の定、頷く。


 「緯度を考えると、同じくらいにあるポルトガルの気候に近づいたと考える方が無難です。ポルトガルの気候ですが、夏の雨が極端に少ない事が特徴です」

 「何と!」


 恐ろしい宣言であった。


※ポルトガルの都市リスボンの気候(挿入している図は気象庁のサイトを加工して貼り付け)

挿絵(By みてみん)


 「ただ、そうは言っても四方を海に囲まれていますから、夏から秋にかけてはハリケーンが来る筈です」

 「針剣?」


 熱帯低気圧はその発生場所で名称が異なる。

 大西洋から太平洋北東部で発生すればハリケーン、南太平洋からインド洋ならばサイクロン、北西太平洋であればタイフーン、台風と呼称される。

 とはいえ、そんな事を彼らに説明しても仕方がない。


 「夏から秋にかけてやって来る、大雨を伴った強い風の事です」

 「野分か?」

 「はい」


 勝二は頷き、続けた。


 「その野分ですが、ポルトガルには殆ど行きませんので、大西洋に移った我が国の雨の降り方は、周年で考えねばならないかと思います」

 「さ、左様か……」


 雨は減ったが全く降らない訳ではない。


 「そのポルトガルだが、米を作っておるのか?」

 「我が国と比べれば少ないですが、作っております」

 「左様か!」


 ひとまず安心した家康だった。


 「して、北条にもこの事を伝えに行くのか?」

 「はい」


 確かにこのような情報は、自国のみに留めるべきではないと思う。

 南蛮船が来るかもしれないとは、聞いておいて良かった報せである。 


 「来年は米を作る量を減らし、雨が少なくても大丈夫な麦を増やすべきなのかもしれません」

 「う、うむ……」


 飢饉への備えとすればすべきであるが、年貢を考えると難しい問題である。

 

 「気候の変動は重大な問題ですから、細心の注意を以て推移を見張るべきです」

 「うむ」


 早速手を打とうと思う。

 

 「つきましては北条家への顔つなぎをお願いしたいのですが……」


 秀政が言った。


 「康政!」

 「はい!」


 家康は榊原康政さかきばらやすまさ(31)を呼んだ。

 

 「頼んだぞ」

 「うけたまわりました」


 一行は東に向かう。

誰が付いて行けばいいのか想像がつかないので、有名どころに出演してもらいました。


ポルトガル、リスボンの気候は夏の雨が壊滅的です。

ポルトガルの夏は北から風が吹くようです。

そのせいか北部の都市ポルトはリスボンに比べて雨が多いようです。

挿絵(By みてみん)

比べてアゾレス諸島の西、日本が移動した辺りには、南西からの強い風が吹いています。

温かく湿った空気が日本の山脈にぶつかれば雨となりますので、リスボン程に雨が降らない事はないと思われます。

ただ、その程度が分かりませんので、米の収穫量で3割減くらいの影響とさせて下さい。

日本全国で見ればまた偏りがある筈ですが、そこまでは考慮しきれませんので、全国平均でという事にさせて頂きます。

色々と足りない考察ですが、ご容赦下さい。


誤字報告ありがとうございます。

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[気になる点] この時代は台風では通じないかと 野分ですね
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