第88話 もぬけの殻
前話を一部修正し、島津の旗と共に旭日旗もある事にしています。
「一足早く到着していたのですね」
「船足が早いというのは本当だったな」
「旭日旗は遠くからでも目立つし、サイコーだぜ!」
既にセビリアの港に鎮座していたゴールデン・ハインド号を見て勝二らは口々に言った。
丸に十字の島津と共に、白地に赤の旭日模様が風になびき、目に映える。
この時の為にわざわざ用意した、日本船籍を示す旗である。
『待つ手間が省けたね』
『そうですね』
カルロスが嬉しそうに言う。
もしも嵐で遭難、沈没していたら、到着を待つ時間が無駄となる。
航海に危険はつきもので、いちいちその心配をしていたらキリがない。
『確認に行っても問題ありませんか?』
『君達は陛下の招いた大事な客人だよ? 日本から使節がやって来る事は、セビリアを治めるマニャーラ候も十分に承知しているから、直ぐに歓迎のセレモニーでも始まるんじゃないかな?』
セビリアの港に着岸する際、その所属などは既に伝えてある。
対応した者の顔色が変わり、大慌てで出ていったので、ここを統治する役職には連絡がついているだろう。
『噂をすればだ。マニャーラ候御自らお出迎えだよ』
カルロスが何やら棘のある言い方で指指した。
その意味を尋ねる暇もなく、港が急に慌ただしくなる。
集まった見物客を蹴散らしながら、大勢の武装した兵を引き連れ、派手な衣装を着た者が馬に乗ってやって来た。
それを見て信長らも目の色を変える。
「戦か!?」
「早速面白くなってきやがった!」
荒事が滅法好きらしい。
「勘違いしないで下さい! あれが歓迎の正装です!」
「何だ、つまらん!」
勝二の説明にそっぽを向く。
そうこうするうち、その者が馬から降りて声を掛ける。
『これはこれは、陛下のご信任も篤いカルロス殿ではないか! 遠路、無事に帰る事が出来たのか! 神の祝福に感謝だな!』
表面上は嬉しそうだが、言葉の端々に嫌味が感じられた。
カルロスは顔色を変えず、対応する。
『マニャーラ様自らのお出迎え、誠に感謝です。早速ですが、打合せ通りに歓迎の式典を願います』
『それは重々承知しておるよ。して、その客人は?』
興味津々な様子で尋ねる。
しかしそれは不躾な好奇心に感じられた。
例えるなら詮索好きな隣人に、部屋の中を覗き込まれた感覚であろうか。
『こちらです』
とはいえ、カルロスも隠す事は出来ない。
信長一行を紹介する。
『ほう? この方々があの日本からの客人か!』
そして愉悦に顔を染め、言う。
『やはり珍しい髪形だな!』
やはりという言葉から、先に到着したゴールデン・ハインド号の事を知る。
この男は既に島津の者と会っていると。
それはそうと、やけに馬鹿にされていると感じた。
信長はスペイン語を学び、ある程度は理解出来る。
言葉通りに受け取れば侮辱されている訳ではないが、勘の良い者であれば感じとれよう。
そして信長のそれは大変に鋭い。
ハラハラして勝二は君主を見つめた。
そんな勝二の心配などどこ吹く風と、マニャーラが続ける。
『身につけている物は随分と派手だな!』
信長を上から下へとジロジロと見回し、言った。
堪らずカルロスが口を出す。
『失礼ですよマニャーラ候! それに、彼らは我らの言葉が分かっているのですよ!』
『言葉が分かるのか?! それはさぞ猛勉強したのだろうな!』
カルロスの注意も意に介していないようだ。
言葉が分かると知り、直接に信長に声を掛ける。
『遠いところをご苦労でしたな。私はこのセリビアを治める、ミゲル・マニャーラと申す者です』
一応は礼儀を弁えているようだ。
信長も挨拶を交わす。
『それは何で出来た履物ですかな?』
草履の事を知りたいようだ。
しかし信長に説明出来る程の語彙力はない。
「勝二、説明致せ」
「ははっ!」
平素と変わらない声が逆に恐ろしい。
『主に代わりご説明させて頂きます』
『ほう? 流暢だな』
勝二のスペイン語を褒めた。
ありがとうございますと感謝を述べ、説明を始める。
『スペインでは米を栽培していると聞いております』
『そうだが』
米を使った料理としてはパエリアが著名であろう。
『草履は、その米の茎を編んで作った物になります』
『米の茎とな?! 草ではないか!』
勝二の説明にマニャーラは驚き、後ろに控えるお供の者らと大声で笑った。
流石にそれは捨て置けない。
『何かおかしい事でもございましたか?』
『これは失敬。それは何から出来ているのかと疑問に思っていたのでな』
悪気はないと言いたいらしい。
いい加減にしてくれとばかり、カルロスが言い募る。
『この方達は陛下が招いた客人です! 相応しい態度を願います!』
『そのような物言い、滅相もない事だ!』
『どの口で……』
反論に呆れた。
更にマニャーラが言う。
『日本の産物は素晴らしい。フランスでも神聖ローマ帝国でも引く手あまた、見れば陛下もお喜びであろう。そんな日本と我が国が交易を始めれば、我が国の利益は益々大きくなるのが確実だ』
『それが分かっているならどうして……』
カルロスは理解出来なかった。
『しかしだ!』
『しかし?』
何を言うのか伺う。
『全てはこのセビリアの繁栄あってこそではないのかね?』
『どのような意味でしょう?』
その意味を問うた。
『我がスペイン帝国の繁栄は、このセビリアあってのモノだという事だよ。逆に、セビリアが苦境に立たされる事は、帝国の繁栄も危ういモノとなろう。国庫に入る税収が減り、陛下の威光に傷がつく事になりかねん』
『それは否定しませんが』
カルロスは理解した。
リスボンへの移転を唱えている自分に反感を持っているだけで、日本人に対して何かある訳ではないのだと。
それはそれでどうしようもないが。
一方の勝二も状況を把握した。
既得権益を守る為に必死なのだと。
どこかが儲かる事になれば、どこかが損をするのが常である。
しかし、セビリアからマドリードへのルートは、自分達にとって甚だ都合が悪い。
申し訳ないが損をしてもらう事になると、心の中で謝った。
『ところで、あの船は我々の仲間の物なのですが、乗員達はどうしておりますか?』
話が進まないので話題を変える。
ゴールデン・ハインド号を指し、言った。
『仲間だと!?』
勝二の言葉にマニャーラが語気を荒くする。
『あの船は我が国の宿敵、イングランドの海賊船ではないか!』
怒りを露わにして叫んだ。
スペインの港に、元イングランド船が入港する危険性については、出航する前からある程度は予想していた。
海賊船だと分からないのではという意見もあったが、念には念を入れて外見に手を入れ、一目見ただけではゴールデン・ハインド号だと判別出来ないようになっている。
とはいえトーマスらの存在は隠せないので、カルロスに頼んで身元保証書を書いてもらい、乗り込んだ島津家久に預けた。
バラバラとなり、先に着くような事があればそれを出せという策であったが、どうやらバレてしまったらしい。
『私の書いた書状で全て説明してある筈です!』
『書状? はて、何の事かな?』
『何ですって?!』
とぼけているなら大した役者だ。
後ろに控える者らに知っているかと大声で尋ね、それらしき物などなかったという答えが返ってきた。
カルロスが思い出し、気づく。
『まさか、なかった事にしようと!?』
マニャーラも口にしていたが、ゴールデン・ハインド号に載せた日本の産物を見せれば、リスボンへの移転にフェリペ2世の心が動くかもしれない。
移転に反対しているマニャーラであれば、是非とも阻止したいところだろう。
『滅多な事を言うでない! イングランドの海賊が我が国の船を襲っているのは本当の事であろうが! 何の証明書も持たぬ海賊を捕らえて何が悪い!』
それには何も反論出来ない。
海賊船の被害は大きく、その対策もあって日本との同盟だからだ。
それに、身元保証書を握り潰されてはどうにもならない。
カルロスもそこまでの事は想定していなかった。
確かに提出したという証拠でもあれば別だが、そんな力技に出るとは考えていなかったので用意しなかったのだ。
今から思えば、セビリアの知り合いに仲介人になってもらい、証明書をマニャーラに提出する事も出来た筈である。
『それでその者らは今どこに?』
海賊は縛り首だ。
使節団の関係者だとはマニャーラも分かっている筈で、そこまでの事はしないと思うが、油断は禁物であろう。
『海賊は全員牢に入れた! 荷は城で管理している!』
命と引き換えに荷は諦めろとでも言いたげだった。
ミゲル・マニャーラはセビリアの貴族ですが、名前だけ借りております。
当時のスペインの統治方法が分からないのでイメージです。




