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第85話 信長、渡欧を決断す

時間が飛んでます。

 「行きたくないです!」

 「ダダをこねるんじゃねぇ!」


 嫌がる勝二を重秀が叱った。

 スペインへと旅立つ日にちが決まったのに、ぐずぐずと文句ばかりを言って一向に準備を始めない。


 「気持ちは分かるよ。僕だって行きたくないし……」

 「新婚のオメェは兎も角、奴は子煩悩だからな」


 弥助の呟きに幸村が頷く。

 目の中に入れても痛くないとは、勝二にこそ相応しい表現だと思っている。

 それ程までに我が子を可愛がっていた。


 「お市様に似た、可愛らしいお子様ですしね」

 「勝二様ご不在の間は、我が命に代えましても龍太郎様をお守り致す!」


 信親がニコニコした顔で言った。

 自分も行けるので嬉しいのだ。

 未知なるモノへの興奮で夜も眠れない。


 盛清も決意に漲っている。

 かつて三ツ者だった者達は続々と大坂へと集まり、家を得て所帯を持った。

 彼らを率いていた長として、勝二にはいくら感謝しても、し足りない。

 盛清は三ツ者を使い、諸国を巡り歩かせて各地の情報を集めていた。

 時に見破られ、部下を失った事もしばしばである。

 三ツ者には女もおり、その者が間者とバレた時は特に酷かった。

 罪状と共に晒された遺体は顔以外原形を留めておらず、拷問の凄まじさを物語っていた。

 申し訳なさと、それでもやらねばならないという義務感との板挟みであったのだが、勝二が現れてからはそれも終わった。

 今では自分も含め、皆楽し気に働いている。

 あの頃からは考えられない環境の変化だった。 


 煎餅で儲けた資金を用い、勝二は薬を売り歩く商売を始めていた。

 アフリカなどの貧しい農家に教える為、タダで手に入る材料で病気を防ぐ方法には詳しい。

 山間部の農民にそういった薬草を栽培させ、買い取り、それで薬を作った。

 それと共に保健の知識を広めている。

 風邪は万病の元という。

 手洗い、うがいを周知し、予防を心掛けさせた。 


 手洗いには特にこだわっている。

 それには理由があった。

 我が子が生まれるという時になり、出産環境の不衛生さに愕然としたのだ。

 こんな事ではいけないと、慌てて部屋を掃除させて清潔な寝具を用意し、産婆となる者には風呂に入らせ、その後、勝二自らその手を念入りに洗うのだった。

 経験豊富な産婆に頼んだのだが、皺がれた婆さんが思わず頬を染めてしまう程である。 

 そして無事生まれたのが、勝二にとって初めての我が子である龍太郎(幼名)だった。

 龍のごとく強く育って欲しいという願いを込め、名付けた。

 元服すれば名前を変える。

 立場上、信長の一文字を貰う事になるだろう。

 正直に言えば遠慮したいと思っているが、出来そうにない。 


 「龍太郎様に是非とも洗礼を!」

 「いやいや、一向宗こそ相応しいですぞ!」


 カトリックへの入信を勧めるヴァリニャーノを頼廉が牽制した。

 信長のヨーロッパ訪問に当たり、二人も同行する事になっている。

 ヴァリニャーノはイエズス会日本管区長として、一行をバチカンまで案内する事になった。

 頼廉は顕如の代理として、ヨーロッパのキリスト教会を視察する。


 「龍太郎様はオラの野菜、喜んでくれるだかなぁ」


 文三が期待を込めて言った。

 五代家の庭の畑は随分と立派となり、みずみずしい野菜が育っている。

 離乳はまだまだ先だが、その時の為にも作物の種類を充実させたい。


 「トマトもトウモロコシも美味かったべ。きっと喜んで下さる」


 お陽が励ますように言った。

 弥助と夫婦になったのは、ついこの間である。

 勝二への思いは断ちがたかったが、弥助の優しさに情が傾いた形だ。

 百姓の出であるので、やはり畑の具合は気になっている。


 「お父上、龍太郎は我々にお任せ下さい!」

 「そうですわ! ご心配なく!」

 「うぅぅぅ、皆いい子だ!」 


 茶々と初の言葉に涙した。

 三姉妹にとり、初めて出来た弟でもある。

 喜んで世話し、可愛がった。


 「醤油煎餅で元気を出して下さい!」 

 「あ、ありがとう。これも食べ納めですか……」


 江の出した醤油煎餅にかじりつく。

 バリバリと音を立てて食べていく。

 

 「やはり美味い」


 五代商事の看板商品をゆっくりと味わった。

 醤油の製造は軌道に乗りつつあり、安定した量の確保が整いつつある。

 それまでの高級品とは違って比較的安価だが、庶民にとっては未だ高嶺の花。

 その為、醤油を使った加工品を作り、売った。

 醤油味の煎餅である。

 それならば一つずつ買う事が出来るので、醤油そのものは無理だがその味を求める客を満足させた。

 

 スペイン船が来航するようになり、アメリカで穫れた砂糖も出回るようになっている。

 流通量が増えて価格も下がり、加工品に使う事が出来ている。

 お祭りの日など、たまの贅沢には庶民も砂糖を使った菓子を楽しむようになった。

 砂糖醤油を塗って焼き上げた煎餅が飛ぶように売れた。


 「スペインですか……」


 勝二が呟く。

 1582年、織田信長はスペイン国王、フェリペ2世を訪問する事を決意した。

 その決定には勝二の思惑も働いている。  

 史実では信長はその年、本能寺に斃れているからだ。

 今更歴史の修正力もなかろうが、用心の為にヨーロッパ訪問を決めてもらった。

 バチカンまで行けば年内に帰る事は出来ないだろう。

 代わりに、信長のいない日本がどうなっているのか分からないが、関東以西は今の体制で安定しているようだ。

 そこまで大きな変化はないモノと思う。


 「うぅぅ、やはり行きたくない……」


 とはいえ、生まれたばかりの我が子と離れるのは辛かった。

 行ったら直ぐに帰れるという訳ではない。

 現代であればその日のうちに用事を済ませ、無理して帰国便に乗る事も出来たが、今回は信長のお供である。

 何に興味を示すか分からない。

 飽きるまで何かを観察するやも知れず、帰国にどれだけの時間が必要か図りかねた。


 「龍太郎も私と離れ離れは嫌でちゅよねぇ」


 微妙に赤ちゃん言葉になっている勝二だった。

 そんな夫に妻が檄を飛ばす。 


 「いい加減に致しませ! 妾だって西洋に行きたいのを我慢しているのでございますよ?」

 「うぅ、わ、分かりました……」


 愛する妻の言葉に渋々頷いた。

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