第77話 ゴールデン・ハインド号、大坂へ
「大坂に着きましたぞ」
「うぅむ、聞きしに勝る繁栄ぶりだ」
「凄い!」
義久らは船で大坂に着いた。
瀬戸内海を通らず、四国沖から直接大阪湾へ向かう旅である。
トーマスらの航海術を学ぶ為、多くの者を搭乗させた。
それは彼らの反乱を未然に防止する意図もある。
『何だあの町は!?』
『ロンドンよりも大きいんじゃねぇか?』
眼前に広がる大坂の町の巨大さにトーマスらは言葉を失った。
海岸線に沿い、家々が無数に立ち並んでいる。
イングランド王国のロンドンは元より、世界を回る中で見てきたどの町よりも大きいと感じる。
辺境の小国とばかり思っていた日本が、よもやここまで発展している国とは思わなかった。
『こんな国が大西洋に移動してきたというのか?』
『島が動くとか未だに信じらねぇけどよ……』
寄港地で耳にした噂は本当であった。
大西洋に突如として現れた島があると。
それが日本である事は、臼杵で出会ったポルトガル人に聞いている。
『早く帰って本国に知らせる必要がある!』
『見上げた忠誠心だが、どうやって帰るつもりなんだよ?』
『そ、それは……』
今は囚われの身だ。
兵器と船の取り扱い法を教えれば解放されそうだが、言葉が通じないので確証はない。
解放されても船を没収されていれば帰国は叶わない。
『隙を見て船を奪うつもりだったが……』
『あれを見ちまうとな……』
臼杵の町で繰り広げられた戦闘を思い出し、トーマスらは体をブルっとさせた。
『神話にある狂戦士とはアレかと思ったくらいだ』
『奴ら、死ぬのが怖くねぇのか?』
島津兵の戦いぶりは異常に思えた。
家久の命令に従い、死地にすら嬉々として飛び込んでいく、そんな印象があった。
おかしいのはそれだけではない。
『迎え撃つ方も相当だと思う』
『確かに。当初は互角だったんじゃねぇか?』
守る大友兵も見事であった。
『スイスの傭兵団も凄いと聞くが……』
『どっちが強ぇんだろうな?』
フランス軍の中で確かな戦力を誇っていたスイス傭兵。
精強さと雇い主への忠誠心、規律の良さで有名であった。
『もしも我が国で島津兵を雇えれば、来たるべきスペインとの戦争で有利になると思う』
『俺もそう思うが、どっちにしても今は無理だろう?』
『それはそうだが……』
トーマスは考える。
そして思いついた。
『オオサカとやらにはスペイン船が来ているらしい。その船に数名でも潜り込めれば母国へと戻り、陛下に助けを求める事が出来るかもしれない』
『そう上手くいけばいいけどよ……』
手をこまねいて何もしないよりはマシであろう。
トーマスらは秘かに計画を練る。
「詳細な地図の作成だと?」
「そうです。街道がどこを通っているのか、田畑はどこにあるのか、家々は村のどの位置か、川の流れなどを正確に記した地図でございます」
療養中に考えていた事を勝二は述べた。
この時代の地図は大まかな物しかなく、住血吸虫被害調査の時にも苦労している。
GPSのない地域を回る事も多かった勝二は、詳しい地図の有難さと有用性を理解していた。
「これからは船で外海を行き交うようになるでしょうし、どこを通れば安全に航海出来るのかを記した海図も必要になるかと思います」
「海図?」
「はい。満潮では大丈夫でも干潮では危険な暗礁もあるでしょう。そのような危険な箇所がどこになるのかを記した、いわば海の地図です」
「成る程」
信長が頷く。
納得出来る提言であった。
「して、それらはどのようにして作るのだ?」
「陸の地図は方位磁針と、鎖で出来た距離を測る道具で可能ですが……」
「どうした?」
歯切れの悪さにその先を察する。
案の定の答えが返ってきた。
「十年以上の月日を費やす事業となる筈です」
「そこまでか?!」
「はい」
詳細な日本地図を作った事で有名な伊能忠敬は、およそ16年の歳月をかけて地図を完成させている。
徒歩で移動する事もそうであるが、正確な距離を測定する事が難しいのだ。
伸びず、かつ縮まない素材で作られた巻き尺が必要だが、当時手に入るのは鉄製の鎖くらいしかない。
縄でも出来ない事はないが、強く引っ張れば伸びてしまうので適さない。
しかし、鉄で出来た鎖は長くなると重くなるので、短い距離しか測れないのである。
時間の掛かった原因だった。
「して、誰に任せるというのだ?」
勝二が出来ないのなら他の者にやらせるしかない。
しかし見当が付かなかった。
「好きこそ物の上手なれと申します。計算や計測が好きな人を集め、任せるのが適当だと思われます」
「ほう? しかし、どうやってそれを知る?」
意図は分かるが方法が分からない。
それぞれの趣味嗜好など把握している筈がないからである。
「お触れを出し、大坂の町の地図を作ってもらいましょう。出来の良い者には報償を与えるとして」
「その者に地図作りを任せるという訳か」
「まさしく」
信長が想定していたのは家臣の誰かであった。
しかし、勝二の発案に誰でも良いと思い直した。
そんなところに報せが入る。
「お館様!」
「どうした蘭丸?」
「光秀様から報告が入りました!」
「何事だ?」
それは驚きの物だった。
「島津義久公自ら、お館様に会って話がしたいと大坂に参られたそうです!」
「何?」
思わぬ人物であった。
「陸路で来るなら毛利公から報せが入りそうなものだが?」
まず思ったのはそこである。
同盟を結び、その辺りは連絡を密にする事を確認している。
不備があったのかと疑ったが、それは杞憂であった。
「いんぐらんどの船に乗って海路でこられたとか」
蘭丸がそれを否定した。
聞き慣れない単語に思い出す。
「いんぐらんどは確か、ふらんすの向かいにある島国だった筈だな?」
「その通りです」
問われ、勝二は頷いた。
地図を見せただけで位置関係を覚えてしまったらしい。
流石だと思った。
とは言え、イングランドと薩摩とは、これまた妙な組み合わせだなと思う。
幕末の生麦事件、それに端を発する薩英戦争でもあるまいし、この時代に島津と英国がどう関係しているのかと。
「豪気な事だ」
義久の説明に信長が笑う。
事の顛末を聞かされ、島津のやり方に半ば呆れていた。
一方の勝二は呆然自失である。
話を盛っているとばかり思っていたひえもんとりもそうであるが、九州で行われているらしい奴隷の売買も捨て置けない。
しかし、一番の驚きはイングランドとの関わりである。
島津との間で行われた戦闘はこの際置いておくとして、重要なのはこの時代におけるかの国の意味だ。
大航海時代を制したスペインが、徐々にその輝きを失っていくのと対照的に、新興国として英国とオランダがその地位を高めていく事になる。
目の前では信長と義久の話し合いが進んでいる。
九州に覇を唱えたい義久と、琉球の取り扱いまでもどうにかしたい信長の意向が重なったようだ。
信長が禁じた奴隷売買を行っている大友宗麟をどうするか、島津だけに九州を支配させたくはない信長の意向もあり、交渉は一日では終わりそうにない。
今日はここまでとなり、勝二は意を決して口を挟む。
「イングランド人の話を聞きたいのですが……」
「それは構わぬが、奴らの言葉は分からぬぞ?」
思っていたよりも交渉が捗り、機嫌の良い義久である。
「幸い、彼らの言葉は理解出来ます」
「本当か!?」
それは彼にとっても朗報であった。




