第76話 島津の反撃
その日、臼杵の港は平常と変わなかったという。
異変以後、南蛮であるポルトガル船が多数来航するようになり、活発な商活動が行われ、活気に満ちた町となっていた。
戦などで囚われの身となった者達が南蛮商人に買い取られ、臼杵から運ばれていく。
出航まで彼らが食べる食事や、2ヵ月にも及ぶ航海に備えた食料は膨大で、それを扱う日本の商人の儲けは大きかった。
儲けのあるところには人が集まり、その者らの生活に付随した商売が始まる。
その商売に必要な物資を揃えるにも人が必要で、活気が活気を呼んで町が発展していた。
「あの南蛮船はどこのだべ?」
港から少し離れた場所でイワシを獲っていた漁師が呟いた。
網を海に向かって放り投げた際、偶然目に入ってきたのだ。
その船は3本マストに帆を張り、風を一杯に受けて海上を走っている。
地元に帆柱が複数ある船はない。
南蛮船だ。
最早珍しい光景ではないが、ある筈の物がない事に気づく。
「旗がねぇだが」
聞いた話だが、船に掲げた旗はその所属を表すらしい。
「忘れたんだべか?」
どこの世界にもおっちょこちょいはいるのだろう。
「隣の吾平みたいだべな」
網を忘れて漁に出た事のある、愛すべき隣人を思った。
そんな時だ。
大きな爆発音が響いたのは。
「な、何だべ?!」
驚き、その方向を見れば白煙が上がっている。
通り過ぎた船の脇腹から大量の煙が立ち上っていた。
「大筒を撃ったんだか?!」
寄港したポルトガル船が、船に積んだ大砲を撃ったところは見た事がある。
その音の大きさに誰もが肝を潰し、数か月もその話題で持ち切りになった程だ。
「また撃っただ!」
再び大音響が響いた。
海上が真っ白な煙に包まれる。
煙が晴れた時には驚きの光景が広がっていた。
「南蛮船が壊れてるだ!」
砲撃を受け、船体に穴が開いたのだろう。
港近くに泊めてあった南蛮船が傾き始めていた。
「あ、ありゃあ……」
更に驚く物を目にした。
「島津だべ!」
港に入って来る時には何も掲げていなかったのに、今は丸に十字が風にはためいている。
「島津が攻めて来ただ!」
漁師はすぐさま漁を止め、舟を漕いで家に逃げ帰った。
『ポルトガル船を発見!』
メイン・マストの上から見張りが叫ぶ。
港の近くに停泊する商船が見えた。
薩摩を出発し、ようやく大友領に到着である。
「いつでも撃て」
甲板上の家久が口にした。
大友に武器を売りつけているポルトガル商人は、島津にとって敵だ。
『船長、どうするんで?』
ドレーク亡き今、船長となったトーマスであった。
『止まる前に相手を叩きたい。良く狙え』
『了解!』
船の上には完全武装の島津兵が多数乗り込んでいる。
命令に従わなければ殺されるだけだろう。
それにポルトガルもスペインもイングランドの敵国であり、世界一周の途中で海賊行為を働いた相手である。
特段、躊躇する心はなかった。
『撃て!』
トーマスの命令でゴールデン・ハインド号の大砲が火を噴いた。
「天にまします我らの父よ」
十字架の前で跪き、一人の男が祈りを始めたところに邪魔が入った。
「殿、一大事でございます!」
「今は祈りの時間であるぞ!」
宗麟が怒鳴る。
しかし家臣は怯まない。
たった今やって来た早馬の報告を主に伝えた。
「臼杵が島津に攻撃されただと!?」
寝耳に水である。
道雪に任せた島津攻略部隊は順調に戦果を上げ、遂に宮崎城まで落としている。
「どうやって臼杵に?」
自分達に知られず日向を抜ける事など出来る筈があるまい。
「南蛮船に乗ってやって来た!?」
更に驚く。
島津と南蛮船が結びつかない。
「島津め、どこでどうやって船を手に入れた!」
大砲ですら高額である。
船となったらいくらになるのか見当もつかない。
「アントニオを呼べ!」
ポルトガル商人である彼に問い質す事にした。
「まさかその方ら、島津に船を売ったのではあるまいな?」
宗麟は現れたアントニオに詰め寄った。
猜疑心と嫉妬心が混在している。
どれだけアントニオに船を求めても、首を縦には振らなかったので、それが出来た島津への妬みがあった。
「誤解デス!」
アントニオが抗弁する。
「我々ガ取引シテイルノハ貴方様ダケデス!」
臼杵の事を聞き、宗麟以上に驚いたのが彼である。
そんな中、更なる悲報が入る。
「龍造寺が筑後へと侵攻を開始しました!」
「何?!」
龍造寺は肥前の大村、有馬を攻めていた筈である。
「攻め終えたか!」
占領し、こちらに兵を振り向ける余裕が出来たのかもしれない。
「道雪を呼び戻せ!」
宮崎城を落とした今、道雪がいなくても問題はないと判断した。
「殿より宮崎城から引き揚げよとのご命令です!」
「何故?!」
薩摩の攻略方法を練っていた道雪は、宗麟からの意外な命令に戸惑った。
散々に島津を討てとの指示を受けている。
「南蛮船に乗った島津の軍勢が臼杵に現れました!」
「それは誠か!?」
停泊していたポルトガル船を大砲で破壊し、上陸した島津家久軍によって城が焼き払われたというのだ。
「それだけではありません! 龍造寺が筑後に侵攻を始めたのでございます!」
「何ぃ?!」
悪い出来事は連続して起こるのかと道雪は思った。
「ここまで来て!」
宮崎城を落とした時点で十分な成果であるが、まだ足りないと感じていた。
「道雪殿、どうなさるのです?」
共にここまで戦ってきた紹運が問う。
男児のいない道雪は、紹運の息子宗茂を婿に迎え入れたいと願っていた。
それは兎も角、宗麟の命令ならば従うのみ。
「已むを得まい。戻るぞ紹運」
「致し方ありませんな」
城を守るのに十分な兵力を残し、道雪は宮崎城から引き揚げた。
「家久よ、よくぞ成功させた!」
「有り難きお言葉!」
内城で義久に向かい、家久が頭を下げた。
混乱を与えるのが目的であって、攻撃後は直ぐに引き返している。
「いんぐらんどの大筒は如何であった?」
「ははっ! その威力、目を見張る物でございました!」
その時の様子を事細かに伝える。
大友を蹴散らした大砲の力に、城内は喝采に包まれた。
「ここで信長と組み、大友の息の根を止める!」
義久の言葉に一同がどよめく。
どよめきは直ぐに興奮へと変わった。
四国は長宗我部が制覇したと聞く。
九州は島津がと、誰もが奮い立った。
「家久よ、大坂までの案内を頼む!」
「ははっ!」
家久は上京した事があり、信長の配下である光秀と伝手がある。
ゴールデン・ハインド号で向かう事にした。
歩いていくより大幅に早い。
「義弘は引き続き軍を率いてくれ」
「畏まりました」
道雪が引いた今、大きな脅威はないだろう。
「父上、お願いがございます!」
「どうした豊寿丸?」
豊寿丸(10)は家久の子、関ケ原での捨て奸で有名な豊久である。
父が大坂に向かうと知り、真剣な面持ちで願い出た。
「大坂を見とうございます!」
こうして大坂行きの人員が増えたのだった。




