第74話 生き残りを懸けた戦い
「死合は大太鼓を千回、打ち鳴らすまで!」
義久の宣言に場は歓声に包まれた。
薩摩代表に選ばれたのは、町に住む庶民にも名の知れたタイ捨流の達人ばかりであり、アッと言う間に異国人を全滅させる未来を予感させた。
「始めぃ!」
開始の合図に合わせ、どおんと大太鼓の音が辺りに響く。
途端、イングランド代表は薩摩側に背を向け、一目散に走り出した。
「奴ら逃げ出しやがったぞ!」
「臆病者め!」
見守る観衆は口々に罵声を浴びせた。
薩摩兵による一方的な殺戮劇を期待していたのに、これでは興覚めである。
正々堂々、潔く戦って死ねと大声で訴えた。
そんな民衆の反応とは違い、義久らは感心する。
「迷う事なく逃げを選んだか。思い切りが良い」
「あの者の指示でしょうな」
義弘が指し示すのは、イングランド代表を指揮しているトーマスである。
『逃げて逃げて逃げまくるんだ!』
大声で仲間に指示する。
腕っぷしに自信がある訳ではないが、作戦を練って自ら名乗り出た。
剣を鞘に収めさせ、早く走れるだけ走らせる。
「追うぞ!」
「俺の獲物だ!」
全力で逃げるイングランドを薩摩も追う。
一番槍の名誉を享受する為、競うように走った。
しかし足の速さには個人差があり、徐々に差が付き始める。
それを見て義久が気づく。
「間隔が広がってきた?!」
「まさか!」
二人はハッとした。
それと同時であった。
『今だ!』
トーマスは仲間に向きを変えさせ、剣を抜いて逆走し始める。
狙うは薩摩の先頭集団を走る者、一点のみ。
「何ぃ?!」
突然の方向転換に先頭の者は狼狽えた。
慌てて刀を構えるが、どんな達人といえど、10人同時に相手をする事は出来ない。
「伊三郎、忠義がやられたぞ!」
トーマスらの猛攻を受け、薩摩側の二人が倒れた。
「未熟者め! 相手を侮っていては勝てる戦も勝てんぞ!」
怒りを込めて義久が言う。
トーマスには生き残って欲しかったが、家臣が無様な姿を晒す事も許し難い。
「開始早々に十対八とは!」
義弘は驚いた。
予想外の展開である。
「敵を誘い込み大勢で叩く。我らの得意とする釣り野伏であろう!」
「異人共め、やりますな!」
その作戦を褒めた。
しかし状況は直ぐに変わる。
「先制は成功したが、当然追っ手も追い付くぞ」
「こうなっては、おいそれと逃げられませんな」
追い付いた8名との乱戦に発展した。
数で勝るイングランド代表であったが、優勢だったのは初めだけで、次第に劣勢へと追い込まれていく。
『やはり強い!』
船で感じた通り、薩摩兵の技量は驚く程に高かった。
片手剣の自分達とは違い、両手を使って巧みに操っている。
これまでに味わった事のない、変幻自在の剣技と言えよう。
まともにやり合えば不味いと悟る。
『守りに徹するんだ!』
それは勝二が見れば、三百人のスパルタ兵を思い起こさせたろう。
互いの死角を補い、守りを固めた。
「笑止!」
一人の薩摩兵が刀を大きく振り上げる。
「きぃえぇぇぇ!」
裂帛の気合を込め、掛け声と共に振り下ろす。
正対していた者はその声にビクッとし、反応が一瞬だけ遅れた。
慌てて受けようと剣を持ち上げたが時既に遅し。
鎖骨から心臓にまで達する傷を負い、悲鳴を上げる事もなく絶命した。
『糞っ! ジョーがやられた!』
隣の男が叫ぶ。
しかし悲しんでいる余裕はない。
『奴らの振り下ろしを片手で受けるんじゃねぇ!』
仲間に指示する。
それを受け、トーマスが作戦を変更した。
『ばらけて密着して戦うんだ!』
退いて守りを固めたら相手に大振りを許してしまう。
両手で振り下ろす攻撃を片手で捌くのは難しい。
ならばそれをさせない事だ。
『相手の剣は長い! 接近すればこちらが有利な筈だ!』
狭い船の上で、敵との白兵戦を繰り広げてきたイングランド代表である。
多数が入り乱れての戦いはお手の物だった。
『隙あり!』
「ぐおっ?!」
遊軍となっていたトーマスが薩摩兵の隙を突き、一人に手傷を負わせた。
刀を落してその場にうずくまる。
致命傷ではないが、これで戦列から脱落するだろう。
『副船長! 太鼓は100だぞ!』
『100だと?!』
固唾を飲んで見守っていた仲間達が経過時間を知らせる。
先の長さに眩暈がした。
これでは不味い。
『逃げるぞ!』
『どうやって?』
囲まれているので逃走出来る道はない。
『ぐあっ!』
『ベェェェン!!』
そうこうするうちにまた一人、仲間が倒れた。
『切り拓く!』
言うなりトーマスは薩摩兵が落とした刀を拾い、奇声を上げながら突進し、無茶苦茶に振り回した。
まともに受ければ刃がこぼれる。
薩摩兵が一歩退いた。
追い打ちに手の刀を投げつけ、逃げる隙間を作り出す。
『行くぞ!』
死んだ仲間のサーベルも使い、追っ手を振り切った。
『走れ走れ!』
トーマスが檄を飛ばす。
『もう駄目だ!』
『諦めるな! 死ぬ気で走れ!』
弱音を吐く者を叱咤する。
『良し! 石を拾え!』
小石が多く落ちているところを見つけた。
『奴らを近づけさせるな!』
「小癪な!」
石を投げ、薩摩兵の接近を阻止した。
数で言えばこちらが8、薩摩は7だ。
出来ればこのまま時間が過ぎて欲しい。
トーマスは心からそれを願った。
「身近に利用出来る物を利用する。兵法に叶うやり方であるな」
「奴ら、戦い慣れております」
一連の流れを見て義久が評した。
感心する戦いぶりである。
『200!』
まだそれだけか、トーマスはそう叫びたい心を必死に押し止めた。
指揮する者が弱音を吐く事は出来ない。
『当たってくれ!』
仲間の一人が放った石が相手の腹に命中する。
くぐもった叫び声を上げ、膝を付いた。
これで8対6。
『石がねぇぞ!』
しかしそれ以上、投げるのに適当な石はなかった。
小さ過ぎるか大き過ぎる。
『戦って生き残れ!』
トーマスは再びの乱戦を指示した。
「大太鼓が千回。これにて終了!」
義久が死合の終わりを宣言した。
「約束通り、その者らの拘束を解いてやれ」
「ははっ!」
義久の指示に従い、イングランド人を拘束していた縄を解く。
『副船長!』
自由の身となった彼らは、いの一番にトーマスの下へと駆けだした。
『大丈夫か!?』
『お、お前達?』
仲間の姿を認め、ようやく状況を理解する。
『他の者は?』
気になったのはその事だ。
一人倒れ、二人倒れたところで散開を決め、残りを逃げる事に集中させた。
しかし、返ってきたのは悲しい答えだった。
『助かったのは副船長だけだぜ』
『そう、か……』
声にならない。
自分の指揮がもっと上手ければと思った。
悲しみに沈む彼らに義久が声を掛ける。
「よくぞ生き残った! その戦いぶり、天晴である! 約定に従い、そなたらの命は保障しよう!」
何を言っているのかは分からない。
しかしトーマスは義久の顔に朗らかな笑みを認め、助かったのだと知った。
ホッとすると共に極度の疲労が襲いかかる。
そのまま意識を失った。
示現流は江戸時代に成立した流派なのですね。
「ちぇすとぉぉぉ!」
「チェストだと?! 奴ら英語を使うのか?!」
というネタを挟もうかと思いましたが止めました。




