第67話 五代商事の商売
短めです。
「お?!」
見知った顔が飯屋高瀬の前を足早に通り過ぎていった。
手頃な値段で腹が膨れる高瀬は、独り身の源太行きつけの店である。
今日は酢味噌で和えた浅葱と里芋の煮っころがしでご飯をかっこみ、満腹になって店を出ようとしたところ、目の前を知り合いが横切ったのだった。
源太は急いで後を追う。
脇目も振らずに先を進む友人権蔵に向かい、大きな声で呼びかけた。
「権さん!」
「なんや、急いどるのに……って、源さんやないか!」
不機嫌そうに振り返った権蔵であったが、自分を呼び止めた相手が源太である事に気付き、破顔した。
二人は古くからの友人で、年に数回は酒を飲みに行く仲だった。
独り身の源太とは違い権蔵は所帯を持っており、大好きな酒を思うようには飲めない事を愚痴る事が多い。
酒を浴びる程飲むには稼ぎが足りないからだが、腕が特別良い訳ではない大工には無理な注文だった。
通りを急いでいた権蔵に源太はその理由を尋ねる。
「そないに急いでどこに行くんや?」
「煎餅を買いにやで」
「せんべい?」
「なんや、知らんのかいな!?」
権蔵は源太の言葉に驚いた。
「噂でもちきりやで?」
「せやかてワイは知らんなぁ」
源太は煎餅とやらを耳にした記憶がない。
「新しい酒なんか?」
「ちゃうで。五代様んとこで売り出した、団子を薄くして焼いた菓子やで」
「五代様? あの?」
「そうや」
流行り物に疎い源太であっても五代勝二の名前は知っていた。
真っ黒い肌をした大男が家臣にいたり、織田信長の妹で、美人で名高いお市の方を娶ったりと、噂好きな大坂の町を大いに騒がせている人物である。
お市の方が大坂にやって来ると聞いた時には、権蔵の一家と共に見物に行ったくらいだ。
遠目で見てもお市の方は美しく、終始鼻の下を伸ばしていた源太だった。
権蔵は嫁の前という事もあり、自分の腿をつねって厳しい顔をしていたと酒の席で聞かされた。
最近では剣聖上泉信綱の弟子、槍の宝蔵院と剣の柳生を招き、道場を開いたそうだ。
「あかん、源さんと話しをしてる場合やない」
しまったという顔をして権蔵が言った。
「さっきから何をそないに急いでるんや?」
「早う行かんと売り切れるんや。ワイはもう行くで」
「ちょ、ちょい待ちーな」
歩き出した権蔵を源太が追う。
「そないに人気なんか?!」
「そうやで。買えへんかったら嫁から説教や」
「権さんの嫁はん、容赦ないもんな」
源太は権蔵の嫁を思い出してブルっとした。
一の不平を言ったら十の正論で返される、そんな口達者だった。
この場合、もしも買えなければお遣いも出来ないのかと非難されるだろう。
どうしてか聞かれ、自分と話していたと分かれば、寄り道するなと怒られるのは確実である。
権蔵が怒られないようにする為にも、源太はその足の送りを早めた。
「今日は煎餅だけで助かったわ」
「今日は? 他にもあるんか?」
思い出したように権蔵が呟いた。
よくよく考えれば、お店の売り物が一つだけという訳もあるまい。
源太の推測は当たったようで、権蔵が他の商品を説明し始める。
「女用の褌やいうてパンツ、乳に付けるブラジャーやら、けったいなモノもあるんやで?」
「女用の褌ぃ?!」
「通りで言わんといてぇな、恥ずかしい……」
大声で叫んだ源太に権蔵はキョロキョロと周りを見渡した。
行き交う者達がギョッとして権蔵らを見ている。
気づいた二人はそそくさと先を急いだ。
「女に褌が必要なんか?」
「ワイに聞かれても知らんがな」
小声で源太が尋ね、権蔵も小声で答えた。
「それになんやったか、ぶ、ぶら……」
「ブラジャーや」
「そう、そのブラジャーってのはなんや? 乳に付ける?」
何やら猥雑な響きがする。
源太は真剣な顔で尋ねた。
「乳が揺れるのはあまり体に良くないらしいで? やからブラジャーを付けて乳の揺れを防ぐそうや」
「なんやて?!」
その説明にビックリする。
全く知らない事だった。
「形を整える効果もあるそうや」
「そうなんか?!」
それは良い事だと思った。
尚もブラジャーの事について聞いていると、源太の耳に奇妙な囃子が届いてくる。
「何や聞こえてきたで?」
「団子三姉妹の歌やな」
「団子三姉妹?」
何だそれはという顔をする源太に権蔵は呆れた。
「ホンマ、源さんは流行り物を知らんのやなぁ」
だからモテないのだろうと思った。
次話から薩摩に舞台を移します。
数話の予定ですが主人公は出ません。
当時、浅葱を酢味噌で食べていたのかは分かりません。
間違えていたらすみません。




