第66話 五代商事
勝二は茶々らへ敬語を使っています。
君主の親族である事と本人の性格からです。
ご理解頂ければと思います。
「待ちくたびれましたよ」
「長い間留守にして申し訳ありませんでした」
現れた宗久に頭を下げる。
「大坂へ帰って一度お屋敷に伺いましたが、加賀に行かれていると」
「あれから何度も往復しております」
「そうだったのですね」
あれからとは醤油作りの事であろう。
「経過はどうです?」
「彼らが言うには順調だそうです」
「それは良かった!」
大まかな作り方だけ伝え、後は全て味噌作りの職人達に任せた。
味噌と醤油は原料も製造工程もほぼ同じで、水を入れて仕込むのが一番大きな違いである。
とはいえ水が多くなれば発酵の具合も変わってくるので、味噌と同じ管理をしていたら失敗するだろう。
その辺りの機微は勝二もさっぱりで、だからこそ任せたのだが、初挑戦にも関わらず期待に応えてくれたようだ。
経験豊富な者だからこそ可能な業であろう。
「醤油が出来上がれば単体での販売は勿論の事、様々な加工品が作れますよ」
「それは一体?」
その言葉に宗久が即座に反応する。
儲けの匂いがプンプンとしていた。
「団子を平らにして焼いた物を煎餅と呼びますが、焼く時に醤油を塗れば香ばしさが倍増です」
「それは売れそうだ!」
煎餅は草加で団子屋を営んでいた、おせん婆さんが考え出したと言われている。
ある日、お祭りに合わせて沢山の団子を作ったはいいが、突然の雷雨で客足が遠のき、大量に売れ残ってしまった。
嘆くおせん婆さんに、雨宿りがてら団子を食べていた侍がある事を提案したらしい。
団子を平らにして焼けばいいのではないかと。
次の日には固くなってしまう団子も焼けば食べられる。
丸いままでは焼くのが手間だが、平らにすれば火の通りも早い。
それはありがたいと早速作ってみたところ、客の評判は上々。
作り過ぎた団子が無駄になる事もなく、おせん婆さんの餅、おせんべいとして名物となった。
こうして生まれたのが草加煎餅だそうである。
「醤油が出来るまで、塩と味噌で味付けした物を売りましょう」
「それは良いですな!」
と、二人して盛り上がっているところに主を呼ぶ盛清の声がした。
勝二は宗久に断り、中座する。
「どうしました?」
「三ツ者が数名、帰って参りました」
小声で尋ね、そう返ってきた。
屋敷に着き次第連絡するように言っておいたので、来客に構わず自分を呼んだのだろう。
それで正解だ。
「宗久さん、ちょっとだけ待って頂いても宜しいですか? 別の要件もありますので……」
「それは構いませんよ」
次はどんな儲け話なのだろうと思う宗久が帰る筈もない。
「お待ちの間、新たに開発した農具を、図面ではありますがご紹介したいと思います」
「何ですって?!」
宗久は畳から飛び上がらんばかりに驚いた。
そんな話まであるとは思っていない。
「重秀さん、説明の方を頼みます」
「引き受けた」
その場は道具の事を良く知る者に任せ、帰ってきた三ツ者達が待つ部屋へと進んだ。
勝二を待っていたのは10代から20代と思しき若者達5名であった。
男が2人に女が3人、皆痩せており、あまり血色が良くないように見える。
男の衣服は粗末で穴が開いていたが、女の方はマシだった。
聞けば女は歩き巫女として諸国を巡り、祈祷や託宣をして村々を渡り歩いていたそうだ。
多くが身寄りのない者達で、忍びの訓練を施されて各地へと派遣されていたようだ。
また、その地で家族を持った者は呼んでいないと聞いた。
一番の年長者らしい伊助が尋ねる。
「貴方様が五代勝二様でございますか?」
「そんな大層な者ではありませんが、名前はそうですね」
身分の違いには未だに慣れない。
出来ればフランクに接して欲しいと思っていたが、この時代では無理であろう。
勝二の答えに伊助以下、全員が揃って頭を下げた。
畳に額を擦り付けんばかりの勢いだった。
「甲斐を救って頂きありがとうございます!」
「え?」
体を震わせている。
一体どうしたのだと不思議に思い、理由を聞いた。
「我らの多くはあの病で親を亡くし、孤児となったのでございます!」
頭を上げて勝二を見据え、伊助が答えた。
頬は紅潮し、目には涙を浮かべている。
他の者もまた、そうだった。
「我らにとり、あの病は憎んでも憎みきれない程の相手です!」
振り絞るように声を出す。
女の中には嗚咽を堪え切れない者もいた。
親の死を思い出したのかもしれない。
甲斐の子供達が戦以外で親を亡くす理由、その大きなモノが住血吸虫だった。
「勝二様は、御身を危険に晒してまで病の原因を突き止め、なおかつ病にならないで済むように取り計らって下さったと!」
誰から聞いたのか、話を盛っていると思った。
「買い被り過ぎです。私の提示した対策は不十分なのです」
「それでも!」
名君と言われる武田信玄でさえ、住血吸虫には無力であった。
その原因も対策も全く分からず、甲斐の宿業として諦めていたのである。
伊助の両親もお腹を大きく膨らませ、絶望の果てに苦しみ抜いて死んでいった。
貧しい小作人にはそれが当たり前だった。
なのに目の前の男が現れた事で、長年の謎であった病気が、川に棲む虫のせいだと判明した。
それだけでも凄い事であろう。
証明するのに自分の体を使ったというのだから尚更である。
しかも不十分であろうが、どうすれば病気にならないのかまでも教えてくれ、その為に色々と取り図ってくれたという。
昨日までは敵であった織田家の人間が、だ。
だから伊助らは強く思う。
「我ら、命を懸けて勝二様に尽くす所存です!」
「えぇぇぇ?!
その目は真剣その物で、冗談で言っているようには見えない。
目を丸くした勝二に本気にしていないと思ったのか、更に言う。
「死ねと言われれば喜んで死にましょう! 何なりとお申し付け下さい!」
「いや、そんな、働いてもらう為に来てもらったのですから、死んでもらっては困ります!」
「ならば死ぬまで働きます!」
駄目だこれはと思った。
故郷の恩人だと思い込んでいる自分に出会い、感極まって正常な判断が出来ないのだろう。
忍びと言えば死んで当然、そういう風に教育されているのかもしれない。
「働く事はとりあえず置いておき、皆さんに心得て頂きたい事があります」
「何でしょう!」
伊助の反応は見なかった事にする。
「皆さんの使命は住血吸虫という病に克つ事です」
「あの病に克つ?」
伊助は意味が分からなかった。
「使命を全うするには所帯を持ち、子供を儲けて下さい」
「ど、どういう事でしょう?」
益々分からない。
何の繋がりがあるのかさっぱりだ。
「病に負けずに子孫をつなぐ。それが住血吸虫という病魔に打ち克つ、今は唯一とも言える方法です」
「子孫をつなぐ……」
川に堰を設け、水を止めて干上がらせ、中間宿主であるミヤイリガイを殺す方法もある。
コンクリートと鋼鉄製の水門がない現状、それは選択出来ないが。
「軽々しく死ぬなどと言ってはなりません。皆さんの味わった苦しみ、悲しみを二度と繰り返さない為にも、生きて世の中を良くする努力を続けて下さい」
伊助らは言葉を失ったように黙りこくっている。
生きるのに精一杯の時代、世の中を良くするという意識は生まれにくいのかもしれない。
「我らは何をすれば……」
戸惑ったように口を開く。
理解出来なかったようだ。
それも仕方ないと、まずは当面の計画を話す。
「皆さんには五代商事の社員になって頂きます」
「勝二様の社員?」
「商事違いです」
勝二は会社を設立する事にした。
自分の名前を付けるのは少々面映ゆいが、他に良いアイデアも思いつかない。
「社員とは何をするのですか?」
会社を知らない彼らに社員とはと説いても仕方あるまい。
「まずは煎餅の製造、販売から始めましょう」
「せんべい? 何ですかそれは?」
「ひとまず試作、試食が必要ですね」
費用は宗久に出してもらう。
何なら投資という形に持っていこう。
「父上、私達もやりたいです!」
話を盗み聞きしていたのか、茶々らが部屋へとなだれ込む。
「勿論構いませんよ。皆でやりましょう!」
「やったぁ!」
姉妹で手を取り合って喜ぶ。
その光景にある事を思いついた。
「煎餅三姉妹は語呂が悪いですね……。団子三姉妹として団子と共に煎餅を、歌と併せて売り出せば……」
団子、団子、団子三姉妹である。
こうして五代商事の歴史が始まった。




