第64話 訪問客
「ショージ、結婚おめでとう!」
「ありがとうございます」
「しかし、どうして私に式を挙げさせてくれなかったのだね?」
巡察師であるヴァリニャーノ、京都で布教しているオルガンティノ両神父が勝二の屋敷を訪ねて来た。
色々と忙しくて顔を出す機会もなく、結婚の報告は手紙に止めている。
勝二が帰宅している事を聞きつけ、直接祝福を述べに足を運んでくれたようだ。
中へと案内し椅子を勧める。
自分用に床張りで椅子を使う部屋を作っていた。
「妻も私も信者ではありませんので……」
神の前で永遠の愛を誓う結婚式だが、信徒でもないのに挙げる事は出来ない。
「君が洗礼を受ければ済む話だよ」
「考え中です」
ヴァリニャーノには何度も洗礼を受けるように勧められたが、その度に言葉を濁してきた。
面倒なので話題を変える。
「妻を紹介致します」
「是非」
勝二はお市を部屋に呼び、二人の神父は夫婦を祝福した。
「聞いたよ、我が身を呈して村人を救ったそうだね?」
「誤解です。救ってなどいません」
「それは何と言ったか、そうだ、謙遜だ! 自らの功績を謙遜し、誇らない。博愛の精神といい謙遜といい、まさにキリスト者に相応しい態度だよ!」
甲斐での顛末を耳にしたようだ。
博愛の心はアガペーとして、キリスト教では最上位に位置する愛の概念である。
本能的な愛であるエロス、友人間で抱くような愛情フィリア、家族愛であるストルゲーに対し、自己犠牲を厭わないような博愛の心アガペー。
彼らがキリストと仰ぐイエスは、人類への深いアガペー故にゴルゴダの丘で磔に遭ったとされている。
「計算もあったのですがって、聞いてないですね……」
半ばウットリとした表情を浮かべている二人に呆れてしまう。
人は聞きたい事だけ聞ける便利な耳を持っている。
信仰心篤い者は特にそうだった。
どれだけ神の存在を否定するかのような出来事に出くわしても、変わらず信頼し続ける事が出来る強靭な精神力の持ち主である。
また、幼い頃の夢を叶えるような者も、出来っこないという外野の声に惑わされず、自分を信じ抜く事が可能な存在であろう。
柔軟性があるのは長所であるが、反対意見に易々と従っていては初志を貫徹する事は難しい。
「己を曲げない固い信念があるからこそ、危険な航海を押して異国へと布教の旅に行けるのでしょうが……」
キリスト教には布教せよという崇高なミッションがある。
イエスが口にした教義であり、神の子イエスの名を会の名前に頂くイエズス会士としては、絶対不可侵にして神聖な使命だった。
世界中で宗教に起因する不幸を目にしてきた勝二としては、イエスが余計な事を言わなければと思ってしまう。
キリスト教に布教というミッションがなければ、どれ程の不幸が起こらなかったのだろうと。
「逆に今よりももっと酷かった可能性もありますしね」
それは分からない。
宗教がなくても大航海時代は始まっていただろうし、そうなるとアメリカ大陸の蹂躙に歯止めが効かなかったかもしれない。
曲がりなりにも現地住民の奴隷化批判が宗教界から起こり、インディアンの諸権利を認めるべき等の論争が起きている。
人の欲望に際限はなく、神の名の下に強制しなければ制限出来ないのかもしれない。
そんな神学論争を脳内で繰り広げていた勝二にオルガンティノが言った。
「君がうちの教会に来て話でもしてくれたら、信徒達も喜ぶのだが……」
「今は信長様のご好意で体を休めている最中ですので、快復しましたら伺わせて頂きます」
「そ、そうかね……」
その答えにガッカリとしていた。
一方のヴァリニャーノは、勝二の振る舞いを教皇に報告せねばと考えていた。
イエスの愛を実践する者がいる事例として、本腰を入れて布教に力を注がねばならないと。
「それはそうと、スペイン語の話者を教育する機関についてなのだが、どうすれば良いのだろうね?」
オルガンティノが尋ねた。
織田領での布教の許可と引き換えに、スペイン語の出来る人材を育てる約束となっている。
神学校で教鞭を取った経験もあるが、今回の物は勝手が違うので想像がつきかねた。
「日ノ本に外国語を学ばせる学問所を作れる者などおりません。全て皆さんにお任せします」
「いや、任せると言われても困るよ。予算だって必要なのだよ?」
「それは信長様も重々承知の筈です。城へ出向いて尋ねてみて下さい」
勝二も知らないので答えられない。
「学問所はショージがやらないのかね?」
「お助け出来る事があれば喜んで尽力致しますが、生憎学問所に携わる時間がないと思われます」
「それは残念だ……」
身は一つである。
移動するだけでも大変なこの時代、あれもこれもは無理な相談だ。
「今日のところはこれで失礼するよ」
「洗礼を受けたくなったらいつでも呼んでくれ給え」
二人は屋敷を後にした。
「ご無沙汰しております」
「御自ら?!」
訪ねてきた相手に驚いた。
信長の城入りに合わせ、大坂の本願寺に戻って来ていた顕如その人である。
高名な僧侶の出現に町は大騒ぎとなり、大勢の者が屋敷を取り囲んだ。
その光景に庭で修業中の幸村と信親は度肝を抜かれ、隙を見せるなと重秀から手酷い洗礼を受けた。
二人の悲鳴に苦笑を浮かべ、顕如が言う。
「厄介な病気を患ったと聞きましたが、臥せっている訳ではないようで安心しました」
「時々下痢と熱がぶり返しておりますが、お陰様で寝込む程ではありません」
「それは良かった」
小康状態なだけかもしれないが、万全とは言えないまでも体調は良くなりつつある。
「それにしても、信長公の妹君を娶られるとは驚きましたよ」
「ええ、私もビックリです」
夫と死別後のお市の行状は顕如も耳にしていた。
性格に少々の難ありとはいえ、再婚させない理由もない。
「余程勝二殿を買っておられるのでしょう」
「滅相もない!」
勝二は慌てて否定した。
「本日はどのようなご用件で?」
話題を変えようと尋ねる。
まさか顔を見に来ただけではあるまい。
「いえ、同じ大坂に住む者同士、ご挨拶に伺っただけですよ」
「それはご丁寧に」
その真意は掴みかねたが、本当の事は言っていないと分かった。
「拙僧は新しく建てております本願寺にてお勤めしておりますので、偶には顔を出して下さいな」
「暇を見つけて伺います」
ここでは言えない話もあろう。
日本最大の宗教団体を束ねる顕如である。
何かと協力を仰ぐ事もあろうし、無碍には出来ない。
帰る顕如を見送った。
「ご本人に尋ねられましたか?」
「忘れてました……」
お市の質問に頭を掻く勝二であった。




