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第63話 束の間の休息

前回はお騒がせしてすみません。

まだまだ続きますので、お付き合い頂けましたら幸いです。

 「良い湯ですね」

 「そうですわね」


 勝二の言葉にお市が微笑んだ。

 ぬるめの湯が心地よい。 


 「夫婦でのんびりと温泉に浸かれるなんて思わなかったですわ」

 「信長様のお陰です」

 「兄様の?」


 その意味を確かめようと、お市は夫の顔をマジマジと見つめた。

 湯で火照り、何とも言えない色気を漂わせた妻に気恥ずかしくなり、堪らず湯で顔をバシャバシャと洗う。

 気を落ち着かせて妻に向き直った。


 「甲斐で罹った病を考慮され、今は休めとおおせでした」

 「まあ?! それは感謝せねばなりませんわね!」


 兄の計らいにお市は喜んだ。

 再婚したは良いものの、夫は忙しく諸国を歩きまわり家に帰る暇がない。

 その分自由な時間があるとはいえ、流石に寂しく思っていた。

 そんな妹の事を心配し、休息を取れと夫に言ってくれたのかもしれない。

 表向きは勘当された体だが、今でも手紙でやり取りしている。


 「体の調子は宜しくて?」

 「ええ、随分と良くなりましたよ」

 「それは良かったですわ」


 家に帰り着いた夫の顔色は優れなかった。

 聞けば甲斐で厄介な病気になったという。

 難しい病気で、詳しい事は教えてもらえなかったが、中々治らずに症状だけが長く続くのだそうだ。

 湯治で病が軽くなった経験から、こうして近い温泉にやって来た次第である。

 表情が明るくなった夫の様子に、お市は来てよかったと心から思った。


 「旦那様には頑張って稼いで頂かないといけませんもの」

 「そ、そうですね。部下も増えましたし、頑張らないと……」


 妻の言う事は尤もである。

 ここでしっかりと体を休めて鋭気を養い、新しい取り組みを成功させないと不味い。


 「余り気負いなさらず。健康を損ねたら元も子もありませんわ」

 「ありがとうございます。でも、そうも言ってはいられませんよ」


 自分の家族は元より、自分の下で働く者らの生活もある。

 妻の気遣いには感謝するが、世の中はそう甘くはない。

 そんな勝二の様子にお市は何かを思い出し、尋ねた。

 

 「旦那様の尽力により、兄様は労せずして大坂城と大坂の町を支配下に出来たのですわよね?」

 「私の力などではありませんよ」


 妻の言葉を否定する。

 史実でも顕如は抵抗を止め、城を明け渡した事になっている。 


 「何を謙遜なさっているのです? 町の方々が口々に仰っていましたわ!」

 「そ、そうなのですか?」


 それは初耳であった。

 確かに史実を知らねば、そう思ってしまうのも無理はないのかもしれない。

 

 「たとえ周りがそう思っても事実は違いますから。佐久間様のお膳立てがあってこそです」

 「それは違うと聞きました」

 「え?」


 思わず妻の顔を凝視した。

 間違ってもそのような事を口にすべきでないと感じたが、それを言わせない雰囲気がある。

 何を根拠にしているのかと不思議に思った。

 そう顔に書いているのだろう、お市が訳を言う。  


 「旦那様でしたから顕如様も大人しく城を明け渡したのですわ」

 「まさか」


 そんな筈がないと否定する前に妻が続ける。


 「町には一向宗の信徒さんも多いのですわよ?」

 「それは、そうでしょうが……」


 考えてみれば大坂城に籠っていた信徒達は、どこから来てどこへ行ったのか。

 常識的に近辺から集まり、戦が終わって元の村々へ戻ったのであろう。

 一番多いのは大坂の町である筈だ。

 あの時の城の内情を知る者が多くいても不思議はない。


 「いや、しかし、仮にそうであっても何の意味が?」


 実際、抵抗を選べば攻撃されていただけである。

 そうなれば織田軍にも犠牲は出ただろうが、一向宗側の死者は想像を絶する数になっていただろう。

 それでも結論は変わらず、大坂は信長の支配下だ。


 「大違いですわ!」

 「え?」


 お市の断言に戸惑う。

 そんな夫に、ここだけの話だとでも言いたげな顔で口にした。

 

 「兄様に反発する者らは城を焼くつもりでしたのよ?」

 「そ、そんな!」


 熱湯に突き落とされた芸人ばりに驚いた。


 「どうせ殺されるのならと、灰燼に帰すつもりだったと聞きましたわ」

 「比叡山の逆ですか……」


 根切りに遭った長島の件もある。

 双方共にそうする可能性はあったのかもしれない。


 「交渉したのが旦那様だったからこそ、兄様は城も町も無傷で手に入れる事が出来たのです」

 「俄かには信じられませんが……」


 確かめるには重秀に聞けば良いのだが、正直には答えないかもしれない。

 考え込む夫を妻が元気づけた。


 「ですので、どうにも困ったら素直に兄様に頼めば良いのです! 焼けなかった城、町の価値はいくらかと!」

 「な、成る程!」


 自分よりも余程交渉が上手いと思った。

 それは長湯でのぼせたか、出来た妻への惚気のろけなのか。




 「なぁに見てやがんだ?」

 「な、何も見てねぇだ!」


 そんな二人を見守る人影があった。


 「オメェ、本当に恩だけで大将に付いて来たのか?」

 「あ、あたりめぇだ!」


 重秀の質問にお陽が怒ったように答える。

 しかし顔は青ざめ、噛みしめた唇に血の気はない。

 バレバレな態度にヤレヤレと天を仰いだ。


 「あの大将は側室すら持たねぇだろうし、ましてや農民のオメェが出る幕なんざねぇぞ?」

 「そ、そんな事分かってるだ!」


 言うなりお陽は後ろを向いて駆け出した。

 若いねぇと思いながら見送る。 


 「どうすんだ?」


 お陽の姿がすっかり消えたところで誰にでもなく呟いた。


 「どうすると言われましても……」


 周囲を警戒していた盛清であった。


 「身寄りのない奴は三ツ者になるんじゃなかったのか?」

 「それは信玄公で、勝頼様は我らを重視されていませんでしたので……」


 姿は見せずに声だけである。


 「大将もあれだけ伴天連を批判しておきながら、やってる事は伴天連の教えに沿ってるんだよな」

 「私は好ましく思いますが」

 「ま、そりゃ否定しねぇけどよ」


 一向宗でも口では偉そうな事を言いながら、金に女に執着する坊主はいた。

 それに比べたら随分と人が出来ていると思う。

 

 「あれだけ熱心に看病してもらいながら、お陽の気持ちに気付いてねぇ筈がねぇんだがな」

 「お優しいだけで朴念仁ではありますまい」


 長湯し過ぎたのか湯から上がり、二人仲良く並んで腰かけ、風に当たっている夫婦を見て二人は言った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読者に愛されてますなぁ [一言] 引き続き楽しみにしてます
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