第60話 保温折衷苗代
「では保温折衷苗代について説明したいと思います」
「一体なんだべ?」
集まった篤農家達の目が勝二の口元に釘付けされた。
発せられる言葉を一つとして聞き逃すまいとしている。
「その前に、作物の種が発芽する条件をご存知でしょうか?」
思わぬ質問に農民達は面食らった。
まず言葉の意味が分からない。
「はつがって何だべ?」
「すみません。種が芽を出すには何が必要でしょうか?」
慌てて勝二は言い直す。
「種が芽を出すには?」
「水に浸ければ芽を出すべ」
「んだ」
仲間内で囁き合う。
米も大豆も水に十分浸して土に蒔けば芽を出す。
それ以外に何が必要なのだろうと思案する。
「種を水に浸ければ芽吹くのであれば、雑草の種は冬の雨や雪で芽を出すのではありませんか?」
「そう言えばそうだべ」
「出るのもあるべ?」
「だけんど大抵は春になってから芽が出るべさ」
言われてみれば確かにそうである。
冬にも雨はあるが、種が濡れたからとて草が生えてくる事は少ない。
「冬、稲の種籾を水に浸けて芽が出るでしょうか?」
「そんな事やる筈がねぇ!」
「芽が出ても寒さで枯れるべ!」
彼らは抗議した。
発芽しても寒さで苗がやられるのは必至で、それは種籾の無駄である。
種籾が足りなくなれば作付けが出来ず、収獲も覚束ない。
たちまちにして飢えがやってこよう。
いくら彼らが研究熱心とはいえ、わかりきっている事に割く労力はなかった。
「また、水に浸けたままでも芽が出ますか?」
「それも無理だべ」
「んだ。水に浸けるのは10日だぁ」
種籾を発芽させる場合、水に浸けて吸水させるのだが、あまり長い時間浸けたままにしておくのも良くない。
「以上の事から種が芽を出すのに必要な物、それは温かさと十分な水、空気です」
勝二は結論付けた。
厳密に言えばその種子に最適な温度、最適な水分含量、酸素である。
「水があっても寒ければ芽を出さず、温かくても水がなければ芽を出しませんし、水に浸けたままでも駄目です」
「当たり前の事を言ってる気がするべ……」
改めて言う事なのかと思う。
「では発芽した後、苗に必要となるのは何でしょう?」
「苗に?」
再び質問が為される。
「苗に霜が降りたらどうなりますか?」
「枯れるだ」
春先の霜は要注意である。
発芽した野菜などの芽が寒さでやられ、枯れてしまう。
「苗に筵を被せてしまったら?」
「黄色くヒョロヒョロになっちまうだ」
堆積した草などを取り除いた場所には、長細く伸びた草が生えている事がある。
日光が当たらずに徒長したからだが、それを利用したのがモヤシやウドだ。
「また、水が上げなければ?」
「それも枯れるべ」
即答である。
水がないと作物も動物も生きてはいけない。
「以上から、苗を育てるには日の光、温かさ、水が必要です」
「んだ」
「肥料分も必要ですが、それは次の機会にしましょう」
「必ずだべ!」
肥料に関しては是非とも聞かねばならない話である。
そしてようやく本題に移った。
「健全な苗を短期間で育てる為の保温折衷苗代は、今までの苗代に一工夫加え、油紙で保温する点に違いがあります」
「油紙で?」
庭に置かれていたそれを見やる。
油紙とは紙に油を沁み込ませて水に強くした代物だが、それで苗を育てると言われても想像がつかない。
「習うより慣れろです。どんな物か実際にやってみましょう」
勝二は農民達に指示を出す。
「田はありませんが、とりあえず今まで通りの苗代を作っていただけますか?」
「ええだよ」
「畳1枚分くらいの大きさでお願いします」
「分かったべ」
指示通りに苗代を作っていく。
土を耕し、土塊を細かく砕き、畦を作るように周囲に土を盛り、水を溜められるようにする。
淀みなく手慣れたモノだった。
そして井戸から汲んできた水を注ぎ、土と練り合わせ、氏政の庭に畳1枚分の水田を出現させる。
「出来ただよ」
「ありがとうございます」
準備は出来た。
「ではこれから一工夫です。竹ひごを半円形に丸め、苗代をすっぽりと覆うようにして地面に突き刺すのですが、畳1枚分の長さであれば7本、均等に間隔を空けて刺して下さい。まずは両端、次に真ん中、そしてそれぞれを3等分です」
「こんなもんか?」
「だな」
てきぱきと作業していく。
瞬く間に出来上がった。
「長い方向に竹ひごを通し、それぞれの間隔を保って紐で固定します。必ず内側に通して下さい」
「へぇ」
「地際、頂上を固定すればそれで構いません」
「出来ただよ」
やはり仕事が早い。
「斜め方向にも筋交いを入れて紐で結びます」
「こんな感じだべか?」
「上出来です」
これで頑丈になった。
「最後に外側に油紙を貼って完成です。両端は地面に刺したまま貼れるでしょうが、間の竹には貼り辛いかもしれませんので地面から抜いてひっくり返し、作業して下さい」
「へぇ」
障子紙を貼る要領で油紙を竹ひごに貼っていく。
糊を竹に塗り、紙を押し当て接着する。
「糊だと弱いので裏から紙を当て、補強して下さい」
「出来たべ」
「両端にも油紙を貼り、締め切って下さい」
「へぇ」
こうして、鉄パイプで骨組を組み、ビニールを貼り付けたビニールハウスならぬ、竹の骨組に油紙を貼り付けただけの、油紙トンネルハウスが完成した。
「この油紙は保温の為です。実験してみましょうか」
「実験だべか?」
効果を実証する。
「お一人地面に寝そべって下さい。その上に出来た油紙トンネルハウスを被せれば体感出来る筈です」
「と、とんねる?」
「異国ではそう言います」
面倒なので命名は英語のままにした。
「オラがやるだ!」
好奇心に溢れた一人が名乗り出る。
すぐさま庭に横たわり、仲間がその上にトンネルハウスを被せた。
「あったけぇけど、横から冷てぇ風が入って来るだよ」
「というように、隙間が開いていると意味がありません。畦を作るように盛り土し、油紙との間の隙間を塞いで下さい」
「へぇ」
大至急土を盛り、隙間を埋める。
「こりゃあったけぇ!」
中から驚いた声が響いた。
「代わってけろ!」
次々と身を以てその効果を確かめた。
「種から芽が出るには春の温かさが必要ですが、この油紙トンネルハウスを使う事で種蒔きの時期を早める事が出来ます。芽が出たら昼間はトンネルを外し、日の光を当て、日が傾く前に再び被せて夜間の寒さに備えます。そうすれば苗も早く成長しますので、田植えを早める事が出来ます」
「そ、そういう事だべか!」
保温折衷苗代の説明を終えた。
「良い苗を育てるには良い種籾を使う必要があります」
「そりゃそうだべ」
登熟の不十分な種は発芽率が悪く、その後の成長も芳しくない。
水に浮くモノは省いたりしてある程度は選別していた。
しかし限界があった。
「塩水選という方法があります」
「そりゃどういうもんだべ?」
最早勝二の言う事は何でも聞き入れる勢いの農民達である。
「十分に熟した種は重く、塩を溶かした水にも沈みます。溶かす塩の量を調整する事で種の選別をするのです」
「そっだらこと初めて聞いただ!」
目を輝かせた。
「塩の量は水の重さに対し……」
勝二は塩水選のやり方を説明していった。
「作物は肥料も必要とします」
「んだ」
それも大事である。
「作物が多く必要とする肥料分は3つあります」
「3つだか?」
「窒素、燐酸、加里の3つです」
「ちっそ、りんさん、かり……」
それを肥料の三要素と言う。
カルシウム、マグネシウムを入れて5大要素となる。
「窒素は作物の育ちに最も影響を与えます。葉っぱや茎を作るのに必要とされる重要な肥料分です。また、燐酸が足りないと花の付きが悪くなり、加里が不足すると根の育ちが悪くなります」
アフリカの貧しい農民の助けになればと、勝二は農業技術について調べていた。
「窒素が足りないと下の葉から黄色く変わっていきます。ただ、多すぎるのも良くありません。葉や茎ばかりが大きくなり、実が付かないといった事になってしまいます」
「蔓呆だべ!」
キュウリなど、蔓が茂るばかりで肝心の実が生らない現象に農民達は膝を叩いた。
「窒素は尿に多く含まれますので、葉物を育てる際には多目に撒くと良いでしょう。また、尿は直ぐに効果が現れますので、少しづつ撒くのが無難です」
お金を出して肥料を購入せずに済むよう、身近で利用出来る資源にも造詣が深い。
尤も、人糞尿を利用する事は現地の者に受け入れられなかったが。
「燐酸は骨や海鳥の糞に多く含まれています」
酸性に傾きやすい日本の土壌では、燐酸が不溶化して植物が吸収する事が難しくなる。
燐酸の補給は大切だった。
「加里は木灰に多いです」
薪を使っているので加里は問題がないだろう。
「もっと教えて下せぇ!」
農民達が訴えた。
「うーん、どうしましょう?」
チラッと氏政を見るとウトウトしている。
面白くない話が続いてしまったせいであろうか。
このまま続けても体調には問題ない気がしたが、一日で終わる話でもない。
それに、窒素や燐酸といった基本的な話ならば伝えても問題はないだろうが、農法になってくると、実践して効果を確かめてからでなければ弊害があろう。
「実は異国で見聞きした事ばかりなので自信がないのです。この国に合うのかどうか試してみないと……」
そんな勝二の言葉に一人が解決策を思いつく。
「お前んとこの倅は出来がええ。勝二様のお屋敷に奉公に行かせればええだ」
「それがええ!」
こうして勝二の知る農業知識を習得する為、一人の若者が弟子としてやって来る事になった。
風が吹けば吹っ飛ぶと思います。
そんな感じねという受け取り方でお願い致します。
次話、大坂に帰ります。




