第57話 気候の変化?
北条家、小田原城。
「殿、一大事にございます!」
「一体どうした?」
慌てた家臣の様子に氏政はただならぬ気配を感じた。
その者は一息おいて報告する。
「桜が一斉に咲き始めたとの事です!」
「まさか?!」
領内のあちこちから開花の報せが届いているとの事だった。
梅もそうだったが例年に比べて随分と早い。
普段であれば春の便りに心躍らせるのであろうが、今年は事情が違う。
花の時期が早まった理由に心当たりがあった。
「本当に季節が変わっている?」
「今年は雪も降っていませんし、寒さも厳しくなかった気がします」
「その通りだ」
家臣の言葉に氏政も頷く。
例年のような冬ではなかったと思う。
雨ばかりで雪は見ていない。
温かくてありがたいと感じるよりも、これから先は大丈夫なのかという不安の方が大きかった。
季節が変わった事によって天候も変化し、雨の降り方が変わってくれば田畑の一大事である。
もしも作物の収量に影響があれば、飢饉への不安から領内情勢は危うくなろう。
状況は隣国も同じであろうし、仮に不作にでもなれば戦を心配せねばなるまい。
「あの男は甲斐だったな」
「大坂に戻られてなければ、そうかと」
こうなる危険があると予言していた者を思い出し、氏政は言った。
ある程度覚悟はしていたが、実際にそうなるとやはり心細い。
「急ぎ甲斐に人をやり、勝二を呼べ」
「畏まりました」
人一人が来たくらいでどうにかなる問題ではなかろうが、南蛮からもたらされた作物の種がある今、意見を求めたい気分であった。
小田原から甲斐は近い。
それ程時間はかからないだろう。
氏政の指示から日を置かず、城に吉報が届く。
「殿、勝二殿が小田原へ参られました!」
「馬鹿な! 早すぎるだろう? 本人なのか?」
いくら何でも早すぎる。
どういう事だと確かめた。
「元からこちらに向かわれていたようです!」
「そういう事か!」
それなら納得である。
「城に来ているのか?」
「殿をお待ちです」
「良し、直ぐに会おう」
氏政は廊下を急いだ。
「顔色が悪いぞ?」
「実は体調を崩しておりまして……」
大坂で会った時に比べ、随分と違って見えた。
血色が悪く生気に薄れ、座っているだけなのに若干息が荒い。
聞けば発熱と下痢が続いているとの事だった。
「どうした? 住血吸虫であったか、それに罹ったのではあるまいな?」
氏政は冗談めかして口にした。
気候が変わったという不安は城内にも領内にも広がっている。
そんな中で現れた、それを予言していた本人の姿に安心し、つい軽口を叩いてしまったのだろう。
しかしそれは一瞬にして勝二の顔を青ざめさせる。
「まさか?!」
噓から出た実、氏政は呆気に取られた。
「実は……」
勝二は居住まいを正し、経緯を説明し始めた。
その間、何度か席を外して厠へ籠っている。
「説得力を持たせる為とは言え短慮が過ぎるぞ!」
その話は驚きの一言であった。
時間がないという事情は分かるが、それにしてもである。
「何かあればどうするのだ!」
「申し訳ありません……」
自分の体を実験に使ったのは優しさからなのだろうが、その身は本人が思っている以上に重要になっている。
今回も勝二だからこそ必要とされた。
「して、本当に大丈夫なのだろうな?」
「初めての感染で、ごく僅かな間しか水に浸けていませんので、そこまで重くなる事はないと思います」
「それならいいのだが……」
その病気の事が分からない以上、知っている者の言葉を信じるしかない。
と、勝二が何か思い出したように言った。
「私にご用があったのではありませんか?」
「そうだった!」
氏政は本題を話し始めた。
「そのような話は甲斐でも耳にしましたが、やはりそうですか……」
天候の変化は大坂から甲斐への間でも、甲斐から小田原までの道中でも噂となっていた。
その都度、出来るだけ詳しく対策を説明したつもりである。
「新しい農具を考えました」
「何?!」
勝二は唐箕などの図面を見せた。
「農作業に掛かる今の時間を短縮し、他の作物を管理出来れば飢饉に強くなる筈でございます」
「成る程、確かにそうだな」
米しか植えなければ、米が穫れない時には飢饉となる。
いざという時に備え、米以外にも色々と植えるべきであろう。
「新しい作物の試作をお願いいたします」
「分かっておる」
その手筈は氏政も整えていた。
百姓の中から研究熱心な者を選び、栽培を任せる事になっている。
「稲作において試して頂きたい農法がございます」
「申してみよ」
氏政は興味を惹かれ、どのような事だと先を促した。
「この技術は大まかに分けて5つです」
勝二は説明していく。
「一つ目は1株1本植えの疎植である事。二つ目に発芽後10日前後の若い苗を浅植えする事。三つ目に入念な除草をする事。四つ目に穂が出来る頃から間断灌漑にする事。最後にたい肥を使った土作りです」
SRIという農法をマダガスカル島で知った。
細やかな管理が要求されるが、几帳面な日本の農民であれば効果を発揮するであろう。
「間断灌漑をする事によって水の節約となります」
間断灌漑は常に水を張るのではなく、一定程度は水を抜き、土を乾かす管理法である。
土が乾く事によって土中に酸素が行き渡り、稲の根を健やかに保つ。
「この前はそのような事など、一言も言っておらなんだぞ!」
「ふと思い出したのでございます」
「そう言われれば仕方ないのぅ」
氏政の抗議は通じなかった。
一度に全てを思い出す事はなく、折に触れて浮かんで来るのだろう。
「試験を行い、効果がある場合にのみ普及を図って下さい」
「指導はせんのか?」
「異国で見聞きしただけにございます。私には出来ません」
無責任だが仕方がない。
知識だけで実践した事はないのだから。
それに合わせてもう一つ。
「ゆくゆくは関東平野の開発をお願い致します」
「それは前々から考えておる。まずは領内が安定してからだな」
北条家と関東諸国は争いが続いている。
それが片付かない限り、おちおち新田開発も行えない。
「私から言える事は以上です」
「参考になった」
氏政は礼を言った。
「歩いて帰るのか?」
「船を使う予定です」
「急ぐのであろうから引き留めぬが、くれぐれも無理をするでないぞ」
「お気遣い頂きありがとうございます!」
氏政の優しさに感激する。
信長であれば容赦なく次の役目を言い渡しそうである。
北条家はホワイト企業なのだなと強く思った。
「では、これにて失……」
「どうした?」
去り際の途中でその動きを止めた。
不審に思った氏政が顔を覗き込む。
「白目を剥いておる?!」
勝二は意識を失っていた。
傍に控える家臣に命じる。
「医者を呼べ!」
「ははっ!」
直ぐに手配がなされる。
「やはり無理をしておったか」
氏政はヤレヤレという顔をした。




