第54話 天下統一への意志
「天下を一つとする!」
信長が高らかに宣言し、大坂城に詰めかけた織田の家臣達は恭しく頭を下げた。
家康ら諸大名は既に自国へと戻っている。
「群雄が割拠し、相争う今の世を我らの手で終わらせるのだ!」
臣下は変わらず頭を下げたままである。
武田が滅び、毛利、上杉との間で和議が成立した今、九州の一部から関東に至るまで、織田家が主導する巨大な同盟関係が出来上がった。
これまでの彼らであれば、たとえ信長が天下布武と口にしたところで、その意味するところは想像の外だったであろう。
自分に与えられた領地の維持、一族郎党の安寧、命じられた指示の完遂に必死で、
未来に思いを馳せる事など皆無であった。
それがここにきて、ようやく天下統一という言葉への実感が湧いてきていた。
意識の変化が生じていた。
「スペインと結んだ同盟により、今年から南蛮船の来航が増えよう。日ノ本が海を越えて移動したなど、未だに信じられぬ者もここにはおろうが、目に見える違いが現れる年となろう」
単なる期待か冷徹な計算か、その顔に浮かべている色は分からなかった。
切れ者にして激情家でもある信長の下で出世していくには、その発言の意図を正確に理解し、状況の変化にも柔軟に対応しないと難しい。
言われた事を唯々諾々とこなしているだけでは十分でなかった。
今回の場合、その狙いは未だはっきりとしない。
どういう意味かとその本心を推し量り始めた重臣達に対し、告げる。
「勝家!」
「はっ!」
間髪入れずに応えた。
遅れて返事をしただけでも不興を買いかねない。
「そちは引き続き越前の統治に当たれ。新たに手に入った加賀、越中、能登も任せる」
「有り難き幸せ!」
領地の大幅拡大であった。
「五箇山、硝石丘法の成否が今後の行方を占おう。急がせず弛ませず、慎重に事を進めよ。また、敦賀は蝦夷との交易の拠点となる地。準備せよ」
「承知致しました!」
硝石の生産は最重要課題である。
スペイン船を見学し、信長もその事はしっかりと認識していた。
「光秀!」
「ははっ!」
指名は次々に為される。
「その方は丹波、丹後、山城を治めよ」
「畏まりました」
それらは京都に近い要地である。
「国人共を纏めよ」
「しかと承りましてございます」
丹波は長年に渡り抵抗を続けた波多野氏が根拠地にしていた。
表向きは臣従しているが、何か事が起きたら容易く歯向かう事となろう。
「サル!」
「ははぁっ!」
自分も領地が増えるに違いないと内心でほくそ笑んでいたが、表に出す事はない。
「播磨、但馬、摂津を任せる」
「仰せのままに」
案の定であった。
療養していた黒田官兵衛の復帰も近く、人材確保に忙しくなりそうである。
「瀬戸内は海上交通の要衝となる。港を整えよ」
「肝に銘じました!」
以上、重臣への指示が終わった。
「当面は領土の拡大をせぬ! 各々の領地を治め、国を発展させよ!」
家臣の中に驚きが広がる。
統一といっても、織田家で日本全土を支配する訳ではない事は理解していたが、四国では長宗我部が勢力を拡大中であるし、九州もごたついている状態で静観する道を選ぶとは思えなかった。
「武を用いずとも方法はある」
その言葉に益々困惑する。
しかしそれ以上の説明はない。
「町を結ぶ街道を整備し、行き来が容易くなるようにせよ」
勝二が説明した内容だった。
光秀がふと疑問に思い、声を上げる。
「お館様」
「何だ?」
「計画の立案者である勝二殿がおりませぬが?」
越後からの帰り道、国を発展させる為には流通を円滑にする必要があり、街道の整備は欠かせないと力説していた勝二の姿が浮かぶ。
しかしそれは信長の勘気に触れた。
「あ奴がおらねば道を作る事も出来ぬと申すか!」
「め、滅相もございません!」
怒鳴る主君に冷や汗を流しながら頭を下げる。
確かにその通りではあった。
「ならば良し! 各々、励め!」
「ははぁ!」
幸い、それ以上の怒りはなかったようである。
こうして勝二の在不在に関わらず、天下統一への道は進む。
「勝二殿はどうされるのですか?」
夜、蘭丸は気になっていた事を主君に尋ねた。
「あの者に領地を与えれば自由が利かぬ。このままで良い」
「家臣をお持ちの筈ですが……」
気になったのはそこである。
家臣を持つ者は、その者らが暮らしていけるようにしなければならない。
彼らにも家族はおり、食い扶持が確保出来なければ主の下を離れていく。
無料で戦働きまでする者など滅多にいないのだ。
「儂の預かり知らぬ者を配下にしておるに過ぎぬ。儂が知らぬのだから好きに賄えばよかろう」
「そんなご無体な……」
相変わらず無茶を言うと思い、勝二の身を案じた。
蘭丸から心配された勝二は甲斐に在り、大坂への帰還を考えていた。
住血吸虫とみられる症状は出ているが、絶対安静でいなければならない程ではない。
症状が安定し次第、この地を発とうと思っている。
「水路を引く場所はどこがいいのでごぜぇましょう?」
そんな中、今日も村の長らが意見を求めに来ていた。
「少なくともこの地点よりは上流にして下さい」
地図を見ながら指示する。
病気の発生状況から安全だと思われる水域を指定、それ以外から水を引く場合は厳重注意とした。
水路が交わらぬよう、水が混じらないよう徹底する事を求めた。
「私は水利の事は分かりませんので、村々でよく話し合って決めて下さい」
「へぇ。心得ております」
農業用水の利用は非常に難しい問題を孕んでいる。
干ばつの恐れがある時など、水路を流れる水を巡って血の雨が降る事は珍しくない。
部外者が安易に立ち入るべきではないと考え、村人の自主性に任せた。
それから数十日が経過した。
甲斐のこれからについて、ある程度の目途が付いたと感じ、自身の症状も落ち着いている。
「そろそろ帰りましょう」
勝二は出立を決意した。
その声に弥助と稽古をしていた幸村が手を止める。
すかさず重秀が木片を投げつけ見事命中、悲鳴を上げた。
「オラも行くだ!」
おでこを押さえて悶絶する幸村は目に入らぬのか、決意に満ちた顔でお陽が申し出た。
盛清の時には引っ込みがつかなかった可能性も考慮し、冷静に考えるように何度も言い聞かせている。
それでもそうと決めたのなら仕方ない。
最終的な確認をする。
「甲斐には二度と帰ってはこれないかもしれませんよ? この地にはご両親が眠っておられるのではありませんか?」
「構わねぇ! お父とお母には別れを言っただ!」
お陽の意志は揺るがなかった。
「で、どうすんだ大将?」
そんな事には興味がないとばかり、いつもと変わらぬ様子で重秀が尋ねた。
どういう意味かと視線を向ける。
重秀は手の中の物をいじりつつ、庭を向いたまま答えた。
「症状は重くなさそうだが、それでも山道は無理じゃねぇのか?」
「そう、ですね……。ここから小田原に抜け、船で大坂を目指しましょう」
言われてみればその通りだと思い、帰路を変更する。
甲斐で披露した農具を氏政にも教えられるので、一石二鳥だ。
「幸村君はどうしますか? 人質はなかった事にしても問題ないと思いますよ?」
悶絶から生還した幸村が重秀を睨みながら答える。
「何言ってんだ! 宝蔵院も柳生もいるんだろ? 行かねぇ訳がねぇ!」
猿飛佐助は未だ見つかっていない。
期限は大坂に帰るまでとしたので、真田十勇士は一から作り上げねばならないようだ。




