第53話 農具
「住血吸虫対策の一環として、皆さんにはミヤイリガイの駆除をして頂きたいと思います」
「みやいりがい?」
「病の原因である虫は、幼い間はその貝の体内で育つのです」
「ほ、本当だか?!」
勝二は前もって採取し、桶に集めていた物を村人へ見せた。
生物学者ではないので確実にそうなのかは分からない。
ただ、被害の激しい水域と出ていない水域に生息する巻貝とを比べ、まず間違いないだろうとの目星を付けた。
「改めて言いますが、ミヤイリガイを捕る為とはいえ川の水には浸からないで下さいね。川岸から見える範囲で構いませんので、必ず道具を使って捕らえるよう、徹底の程を。また、貝を殺す際には体液が自分の体に付着しないよう、厳重に注意するようお願いします」
「気ぃつけるだ!」
柄杓の柄を長く伸ばした道具を手渡す。
これを使い、水中の貝だけを浚うのだ。
「また、川に舟を浮かべて貝を捕る事も出来るでしょう。その時も出来るだけ水に触らないようお気をつけ下さい」
「へえ!」
これである程度は駆除出来るだろう。
目で見える範囲などたかが知れているが、ミヤイリガイの個体数を減らせば、住血吸虫の生息密度も下がる筈である。
そうなれば、不意に川の水に触れようとも、病気に感染する危険性は少なくなろう。
「それと共に水路を堰き止めて田畑を乾燥させます。住血吸虫に汚染されているであろう流域を見定め、清浄な地点で川の水を断ち、下流に棲む貝と虫を同時に干上がらせるのです!」
「分かりましたでごぜぇます!」
甲斐全域が住血吸虫に汚染されている訳ではない。
ミヤイリガイは止水域の泥を好む貝なので、流れの早い本流には生息せず、清浄さが保たれている。
多発しているのは湿田や沼地、流れの穏やかな小川である。
「人の力で出来る事には限りがありますが、これ以上病気で苦しむ者を出さないで済むよう、一致団結して事に当たって下さい!」
「おぉぉぉ!」
集まった村人達は頬を上気させて応えた。
今も病に臥せ、死の恐怖に苦しむ家族や友人知人は多い。
これまでは甲斐に生まれた者の宿命として諦めていたが、その理由が分かった今、胸にあるのは目には見えない住血吸虫への強い怒りである。
そして、病気の原因を教えてくれた勝二が、その対策までも示してくれた。
憎き宿業を打ち破らんと、その決意は固く意気盛んである。
「それに合わせて新しい農具も用意しました。異国で見た物を独自に改良したのですが、使って下さい」
「ありがてぇ!」
重秀に目配せし、出してもらう。
「まずは土を起こすのに便利な鍬です」
「見た事ねぇ形だべ」
勝二は4本の爪に分かれた鍬を頭上に掲げた。
備中鍬である。
歴史的には今の岡山県で開発され、江戸時代に全国へと広まったらしい。
「田起こし鍬とでも呼んで下さい」
「田起こし鍬……」
それまでの平鍬と比べ、田の土を掘り返す作業が格段に早くなる。
次に移る。
「千把扱きです」
「何だべ?」
巨大な櫛が取り付けられたような道具であった。
勝二はその前に立ち、重秀から渡された稲わらを手に持つ。
「千把扱きは脱穀に使います。束ねた稲わらの穂先を尖った先に当て、引き抜けば、籾だけが下に落ちるという寸法です」
「か、考えた事もなかっただ!」
動作を交えつつ、使い方を示す。
その稲わらには籾が付いていなかったが、農作業に精通した者には用途を容易に想像出来た。
「それでも落ちない籾には唐棹です」
「それも何だべ?」
それは長い棒と短い棒の先端が縄で連結されている道具であった。
勝二は手に持っていた稲わらを地面に広げた筵の上に並べ、唐棹を掴む。
長い方を両手でしっかりと握り、足を肩幅くらいに開いた。
そして剣道で面を打つように、勢いを付けて振りかぶり、地面へと叩きつける。
遠心力が働き、それ以上の速度で短い方が稲わらを打った。
「唐棹も脱穀の道具です。千把扱きでは取り切れなかった籾を落とします」
「分かったべ」
唐棹も説明されれば理解出来る道具である。
「最後に唐箕です」
「ちっとも分からんべ」
唐箕は何に、どうやって使うのかさえ分からない代物だった。
木で作られた高さのある細長い箱で、横から見ると四角と丸がくっついているように見える。
丸い部分の中心からは取っ手が伸びており、手で回せるように思える。
「これは脱穀した籾と稲わら等のゴミを分離する道具です」
「どういうことだべ?」
村人はよく理解出来なかった。
「使ってみるのが一番でしょう」
勝二はそう言い、使う物を持って来てもらった。
「これは昨年のお米です」
俵が運ばれ、その中から籾を取り出す。
村人によってゴミは綺麗に取り除かれており、余計な物は入っていない。
「籾とゴミを分ける作業は大変ですか?」
「丁寧にやらねぇと混ざっちまうだよ」
「どうやるのか見せて頂けませんか?」
「構わねぇだ」
村人の一人がやってみせた。
籾を箕に取り、敷いた筵の上で高く掲げ、空中から籾を少しづつ落としていく。
「普通は風のある日にやるだが、そうすっとゴミだけが飛んで籾は筵に落ちるだよ」
「成る程」
それはアフリカでもよく目にした作業だった。
豆でも何でも、同じ行程を経て食べる部分とゴミとを分離する。
「では、分かりやすくする為にゴミを混ぜます」
言うなり勝二は千把扱きで出た細かな稲わらをむんずと掴み、籾の中に混ぜた。
「何するだ?!」
村人が怒ったような声を上げる。
折角取り除いたのに、どうしてそんな事をするのかと言いたいのだろう。
「ゴミが入っていないと分かりにくいので」
澄ました顔で取り合わない。
「籾を唐箕に投入する際は二人一組で、一人が先に取っ手を回して下さい。回す事で風が起こり、籾とゴミを分ける事が出来ます。先に投入してから取っ手を回し始めても遅いですよ」
言いつつ柄を握り、回し始めた。
「回す方向は墨で書いている通りです」
現代風に言えば時計周り、本体部分に矢印が書かれている。
「お陽、籾を入れてもらえますか?」
「へ、へぇ!」
勝二に指名され、喜びに満ちた顔で取り掛かった。
ゴミの混じった籾を唐箕の投入口へ入れる。
すると箱の前側に開いた穴からゴミが吐き出され、下に開いた口から籾が出てきた。
敷いた筵の上に籾が積みあがっていく。
「籾だけでねぇか!」
見たところ、綺麗に分離出来ているようだ。
「実は皆さんがやっている事と原理は同じです。カラクリを用いているので、風が吹いていない時でも出来るというだけの事です」
「言われてみれば!」
確かにその通りであった。
「やらせてくんろ!」
たちまち列が出来る。
勝二は柄を握らせ、注意点を教えた。
「早く回し過ぎると風が強くなり、籾まで飛んでしまいます。適度な早さで回して下さい」
その説明にフンフンと頷き、回す手に力を込める。
お陽と交代した一人が籾を投入し、ゴミの吹き出し口と籾の排出口には多くの者が集まり、一心不乱に作業を見つめた。
「出てきただ!」
「不思議だべなぁ」
興味津々な顔である。
「籾も一緒に出てきたぞ!」
「回すのが早過ぎだぁ!」
不味い時には即座に声が上がり、修正が図られた。
難しい理屈は必要ないので習熟は直ぐだろう。
「一回だけでは不十分ですので、何度か繰り返して下さい」
「分かったべ!」
それは彼らの方こそ理解している筈だ。
「これらの道具で、これまでよりも農作業に時間を掛けずに済む筈です。浮いた時間を住血吸虫対策に費やし、桑の栽培や蚕の管理に当てて下さい。また、田畑を失った者で、手先の器用な者は道具の製作を担当し、他の者は街道整備に当たってもらいます」
こうして大体の説明を終えた。
「これは……」
それは諸作業の進展を見守り、ある程度目途が付いた時だった。
住血吸虫の症状と思しき、発熱と血便を伴う下痢が襲ってきたのである。
「遂に来ました、か……」
甲斐に赴いてから幾人もの末期患者を看取り、自分の場合は慢性ではないと心に言い聞かせてきたが、いざ症状が始まってくると、体内で虫が卵を産んでいるだと実感し、おぞましさに寒気が走る。
住血吸虫に効く薬があればと改めて思った。
「勝二様?」
異変を鋭く察知したお陽が顔色を変える。
「真に病気の実証が済んだようです」
心配いらないとの意を込め、笑った。
※唐箕
著者:日下部金兵衛
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)




