第52話 元清の疑問
「勝二殿、ちょっと伺いたい事があるのですが……」
「あ、はい」
暇を見つけたのか、元清が声を掛けてきた。
幸村は庭で弥助と稽古をしており、重秀が縁側でそれを見守っている。
時々思い出したように物を投げつけては邪魔をし、周りにも気を配る訓練としているようだ。
盛清には配下の中から忍びの術に優れた者を選ばせ、屋敷で術の披露をしてもらう。
その中で出来れば十人を選抜し、名を与え、真田十勇士を結成しようと画策している。
幸村の意向は全く聞いていないし、大坂に帰るので真田とも関係ない気がするが、讃岐でないのに讃岐うどんのようなモノだろう。
名乗った者勝ちとする。
「一体何でしょう?」
お陽の持って来た茶をすすり、勝二は元清に向き直った。
元清は湯呑を持ったまま口を開く。
「毛利にもここと同じく住血吸虫の被害がありますが、勝二殿と同じようにしないといけないのでしょうか?」
「と言いますと?」
漠然とし過ぎた質問の意味を逆に尋ねる。
対処はその地に合ったモノとなるので、同じようにはならない筈だ。
「いえ、この身で証明するなど出来れば勘弁して欲しいのですが……」
「成る程」
思いつめた顔の元清に合点する。
病に苦しむ患者の姿を思うと、自分から感染するような真似など、とてもではないが出来ないのであろう。
「勘違いして頂きたくないのですが、病が恐ろしいのではありません。病によって動けなくなり、毛利家の為に働けなくなる事が恐ろしいのです」
「分かっております」
武士にとり、戦場で命を散らせるのは寧ろ本望だが、病に倒れて戦働きが出来なくなる状況こそ恐怖の対象なのかもしれない。
末期の患者達のお腹は大きく膨れ、自分の足で立ち上がる事さえ出来なくなっていた。
戦に出る事など叶うまい。
「ご心配なく。あのような事をする必要は全くありませんよ」
「そうなのですか?」
勝二の答えを聞き、元清はホッと吐息を漏らした。
「私が自分の身を使ったのは、時間がない事が一番の理由です」
「時間がない?」
「そうです」
勝二は説明を続ける。
「村人との間に信頼関係を築くまでの時間、私の指示で川の水を使わず、病気の予防効果が現れるまでの時間、村を捨てる事への納得を得られるまでの時間、大坂へと帰るまでに残された時間、全てが足りませんでした」
元清は黙り込んだ。
暫くその意味を考え、言う。
「村人に信頼されていなければ見えない虫の事など信じてもらえず、説明もせずに川の水を使うなと命令すれば要らぬ反発と混乱を招き、隠れて使う者によって予防の効果は現れず、益々勝二殿への不信を生むと」
「はい」
勝二は頷いた。
「そんな中で米を作るな、村を捨てろと言うのは、想像したくない結果しか招きませんね……」
「良くて甲斐だけの一揆、最悪を考えるなら織田領内全土に噂が広がり、各地で反乱へと発展するでしょう」
二人は引き攣った笑みを浮かべ、互いの顔を見た。
織田も毛利もその領地は広い。
民衆の間に広がる根も葉もない噂により、国が不穏になる恐れは他人事でなかった。
特に織田では昨年まで反乱の鎮圧に当たっていたのであり、燻る不満の火種は消えていない。
毛利の支配も盤石ではなく、第二の宇喜多直家が現れる可能性もある。
抱える不安は脇に置き、勝二が言った。
「甲斐は昨年まで武田領です。武田家を滅ぼした織田家がこの地に乗り込み、原因不明の奇病の事を説明した所で本気にしてくれるでしょうか?」
「ましてや相手は見えない虫ときている」
馬鹿な事をで終わりそうだ。
「予め信頼関係が築けていればそうではないでしょう。また、時間を掛けて調査出来るなら、生活用水に井戸水を使う集団と使わない集団とに分け、罹患の差を見る事も可能です。そこに差があれば説得力も生まれましょう」
「確かにそうですね」
言葉だけで説明する事は難しい。
確かに違うという実感が必要だろう。
「しかし、兎に角時間がありませんでした。その中で出来る事を考え、取ったのが、自分の体を使う方法です」
「成る程」
元清は頷いた。
「誰もがあのような病気になどなりたくはありません。特に、苦しむ者をその目で多く見てきている甲斐の者はそうです」
「確かにそうでしょうな」
全くその通りに思えた。
自分だってあのような恐ろしい病になど罹りたくはない。
それ故、勝二に問うたのである。
「だからこそ私の体を使う意味がありました」
「え?」
意味が分からなかった。
戸惑う元清に言う。
「彼らには信じ難い事をやったからこそ、私の言葉が伝わったのだと思います。保身を図って罪人を用いたりしていれば、果たして今のように信じてもらえていたでしょうか?」
「そ、それは……」
元清は言葉に詰まった。
そのようにも思われるし、そうではないようにも思える。
勝二は説明を加えた。
「安全な立場から物を言っても、危険に晒されている者には届きにくい。これは戦の先陣を切るのが大将であるかどうかを考えると分かりやすいのでは?」
「確かに軍を率いる者が先陣を切れば、確実に士気は上がりますね」
それは実感を持って理解出来る。
元就であれ隆景であれ、一族郎党を率いる者が前面に出ている戦場は、まず軍の勢いが違った。
「それはどうしてでしょう? 命を張っているのは自分達だけではないと肌で理解するからではありませんか?」
「そうですね」
頷ける説明だった。
それで理解する。
「つまり勝二殿は、ご自身の体を使う事によって甲斐の村人の立場に立ったという訳だ」
「まあ、そういう事になるのでしょうか」
勝二は曖昧に頷いた。
概ねその通りだが、その狙いを知られたら疑われかねない。
洗脳のテクニックの一つだからである。
これまでの価値観を大きく揺さぶられる相手に出くわすと、人はその相手の言う事を無批判に受け入れてしまいがちとなる。
カルト教団だと社会から隔離し、自己否定を繰り返させ、教義を反復させて洗脳状態を強化するから厄介だが、これくらいなら問題あるまい。
直ぐに疑問が湧き、何が正しいか自分達で考えてくれるだろう。
住血吸虫が川に棲む事は確かなので、水に触れなければ病気に罹る事はない。
これまでは漠然とした印象だったモノが、しっかりと意識される筈だ。
「それは兎も角、毛利公の領地と甲斐では事情が違い過ぎますので、同じ方法を取る必要はありませんよ」
「そう聞いて安心しました」
元清はホッと胸をなで下ろした。




