第50話 対策その二
「この病は治せねぇだか?」
ふとそんな声が上がった。
一番知りたい事かもしれない。
皆が勝二をじっと見つめる。
「残念ながら」
悲し気に首を振った。
正確には効く薬を知っているが、自分には作れないから同じ事だ。
漢方薬、民間療法に効く物があるとも知らない。
場が一気にシーンと静まりかえる。
どうしようもないので先に進む。
「住血吸虫対策の続きです。今現在症状に苦しんでいる患者だけでなく、一度でも感染した事がある者の糞便には虫の卵が入っている可能性があります。それが川に流れ込み、虫を増やすのです」
「何?!」
人の体内で成長した住血吸虫は大量の卵を産み、その卵は宿主の出す糞便と共に体外へと排出される。
それが河川に流れ込み、孵化した幼体がミヤイリガイに寄生、その体内でセルカリアへと成長し、再び人に寄生するというサイクルを繰り返すのだ。
住血吸虫感染を防止するなら、まずは川の水に触れない事を徹底し、川から住血吸虫を減らす対策が求められる。
「今日から大小に係わらず、用を足す場合は必ず厠を使用するようにして下さい。厠には桶を設置し、川に流す事のないように。また、患者の糞便は別にし、乾いた場所に深く穴を掘り、そこに埋めるようにします。その際、石灰を撒けば尚良いでしょう」
数を減らす第一は、産み出された卵の拡散を防止する事であろう。
たとえ新たな感染者を出そうとも、患者から排出される虫の卵が川に行かなければ、住血吸虫から見た宿主の増加数は実質的にゼロである。
石灰を撒くのは殺菌効果を期待してだ。
ただ、虫の卵まで殺すのか、それは勝二にも分からない。
「肥溜に溜めた下肥はかならず発酵させ、最後まで田畑に撒くようにし、決して川に流さないで下さい」
下肥は普通、時間を掛けて発酵させてから使うので、住血吸虫の卵が生き残る事はない。
仮に生き残っても、下肥を川に流さない限り大丈夫であろう。
これが回虫であれば厄介だ。
回虫の卵の抵抗力は強く、塩分濃度の高い漬物の中でも死なないくらいである。
卵のついた野菜を生食したりして口から摂取し、胃酸に反応して初めて殻が溶け、幼体が這い出すという適応ぶりだ。
十分に発酵させればその発酵熱で卵も死ぬが、発酵が不十分であったりすると回虫の拡大に繋がる。
人糞尿を使用する間は寄生虫の撲滅は難しいが、化学肥料が登場するまでその使用を禁止する事は出来ない。
「住血吸虫には牛も馬も感染します。感染した牛馬の糞にも虫の卵がありますので、それが川に流れないように気を付けないといけませんが……」
「そっだらこと!」
「出来っこねぇ!」
「ですよね……」
人は自分で気を付ければ管理出来るが、動物の場合はそうもいかない。
農耕の後は牛を川で洗うが、それは牛への感染を許すと同時に、もしも以前に感染していれば、川の中で垂れ流す糞尿から卵が拡散する。
動物に厠を使えというのも無理な話なので、難しい問題だ。
「手はいくつか考えられます。清浄な川から水を引き、そこしか使わない。牛を洗うのも井戸水を使う、などです」
甲斐でも全ての川で病気が出ている訳ではない。
上流は汚染されていないので、そこから水路を引いてくれば解決する。
「水路を引くとなると大きな事業となるが……」
昌幸が語尾を濁した。
その費用、人員はどうするのかという問いであろう。
事業に人手を割けば田畑で働く者が減り、年貢の減少に繋がりかねない。
「その辺りは信長様も考慮されております。病に苦しむ地域は、年貢の負担を軽くしようと」
「そ、それはありがたい!」
一益には既に伝えてある。
正式に下知されるだろう。
「そりゃそうと、田んぼはどうなんだ?」
「そうだ! 川の水に触れずに稲は作れねぇだ!」
農夫の仲間内で話す声が聞こえた。
重要な事を思い出したのであろう。
生活の中で住血吸虫を防ぐ方法は分かったが、肝心なのは生業である。
水田で稲を育てる限り、川の水と無縁ではいられない。
遂にきたかと勝二は腹を括る。
「病気の多発している集落では、住血吸虫対策として稲作を止めて下さい」
「な、何だってぇぇぇ?!」
やっと言えたと安堵した。
予想もしない策に、その場に集まっていた農民達は驚きを隠せない。
「川の水に触れなければ病気にはなりません。ですが米を作る限りそれは不可能です。ならば米を作らなければ良い」
「それは、そうだが……」
淡々と言う勝二に昌幸も二の句を継げない。
「干拓を進め、沼や湿田を畑に変えます。米の代わりに麦を植えて下さい。年貢は別の物で納めて頂く事になります」
「別の物とは何だべ?」
農民の一人が問うた。
頭の切り替えが早い者がいて助かる。
「絹です」
「絹?!」
「そうです。それに合わせ、桑を植えて蚕を飼って下さい」
蚕の飼育には絹以外の意味もある。
「また、蚕の糞も年貢の一部とします」
「蚕の糞だか?!」
五箇山の製法を他へ広める予定だった。
「とはいえ、桑や麦では今の村人の数は養っていけない筈です」
水稲に比べ、単位面積当たりの麦の生産力は低い。
粗放的に育てる等、理由は多々あるようだ。
「織田家では、同盟を組んだ毛利、上杉、徳川、北条へと通じる街道を整備する計画です。この村で食べていけない人は、街道整備の人足となる事で家族を養って頂きたいと思います」
「街道を作り終えたらどうなるだ?」
何事も終わりはやって来る。
定期的な改修は必要だが、人手は多く必要としない。
「実は、絹を年貢とし、街道の整備にこの村の人を雇うには条件があります」
「条件?」
とうとう交換条件を伝える時が来た。
緊張して口を開く。
「住血吸虫被害が激しい今の村を捨て、全くの別の土地で、新たな皆さんの村を一から作って頂く事です」
と、勝二が思うような反応は返ってこなかった。
ポカンとしてこちらを見ている。
内容を理解していないのだろうかと怪しんだ。
もう一度説明しようかと思った矢先、年貢を別物にする際にも応えてくれた男が問うてくれた。
「それはどこだべ?」
有り難いとそれに乗っかかる。
「カナダです」
「加奈田?」
カナダと言われて分かる筈がないだろう。
「海を越えた先にある国です」
申し訳なさに異国とは言えなかった。
「海を越えた先?」
「そうです。船で渡ります」
「四国だか?」
それ以上は苦しい。
「そんな先の事ぁいいべ!」
「そうだぁ! 今年の年貢が先だぁ!」
邪魔が入ってホッとした。
後は一益に任せる。
庄屋達に城へ集まるように言った。
「どうしてあのような事を為されたのですか?」
部屋で二人、昌幸と勝二が向き合っていた。
昌幸の口調が変わり、戸惑う。
「あのような事とは何でしょう?」
とはいえ何の事か分からず、尋ねた。
「住血吸虫のいる水に腕を浸けた事です。実証するにしても、死罪にする罪人を使えば良かったでしょう?」
「その事ですか」
罪人を使う方法は、確かに一度考えた事である。
動物実験でも良いし、自分が被験者となる必要は全くない。
止めてくれたお陽には、一度や二度では重症化しないと嘯いたが、人により、たった一度の感染でも重い症状となる事もあるのだ。
それに体内で成長した住血吸虫は、数年で死滅する事もあれば二十年近く生き、慢性疾患に苦しめられる事もありうる。
軽挙だったかと後悔しがちな心があるが、得られる効果もあると思う。
「その病が怖いから川に入るな、米を作るなと、病気に罹る恐れのない者が言っても説得力がありません」
「確かに、米を作るなというのに農民は黙っておった……」
普通であれば一揆を心配せねばならないようなお触れの筈だ。
それを言ったのが、自らの体で病の原因を証明した勝二だから、農民は何も言わなかったのかと昌幸は得心した。
「人は石垣、人は城、人は堀。情けは味方、仇は敵なり」
「それは信玄公の!」
独り言のように呟いた勝二の言葉に、昌幸は飛び上がって驚く。
それは敬愛する信玄の口癖であった。
「日ノ本が大西洋に移ってしまった今、この国の中で争っている場合ではありません。早急に統一し、西洋に備える必要があります」
「それは?!」
密偵によってその情報は掴んでいる。
ふざけた話だと笑い飛ばしたのが勝頼であったが、信玄であればどう判断を下しただろうと思った。
少なくとも目の前の男は、貧しい民の為に己の身を危険に晒し、自身の言葉を証明してみせている。
昌幸はスッと姿勢を正し、真っ直ぐに勝二を見つめ、言った。
「貴殿に倅を預けたい」
「は?」
何を言っているのだろうと勝二は焦った。
「貴殿の下にいれば、倅は大いに学べるだろう」
「あ、いえ、そんな事はないと思いますよ!」
慌てて否定するも昌幸は聞いていない。
「幸村、盛清、おるか?」
「おうよ!」
傍に控えていたのだろう、昌幸の呼びかけに即座に応え、二人が姿を現した。
幸村は勿論知っているが、もう一人は知らない顔である。
「お前は人質として五代殿の下に行け」
「分かったぜ!」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
勝手に話が進んでいく。
「私は下っ端なのでそのような事をされても困ります!」
「大丈夫ですよ。困らないように致しますから」
「そのような意味ではなく!」
まるで話が通じなかった。
埒が明かないと幸村を向いたが、幸村は幸村で何やら燃えている。
「俺は日ノ本一の兵になる男なんだろ?」
「え、ええ、まあ、確かにそう言いましたが……」
嫌な予感で冷や汗が流れた。
「だったらいいじゃねぇか! やってやるぜ!」
「駄目だこれは……」
思った通りだった。
ガックリとしている勝二に昌幸は追撃を繰り出す。
「そして、この者は出浦盛清(34)」
幸村の後ろに控える男を紹介した。
「三ツ者を率いる頭領として貴殿の役に立つでしょう」
「好きにして下さい……」
勝二は抵抗を諦めた。
「この者らの働きで、住血吸虫の情報自体は事前に掴んでおりました」
「そ、そうだったのですね」
流石は戦国時代を代表する名将、武田信玄の配下であると思った。
一方、勝二の泊っている屋敷に一人の女性が訪ねて来る。
「下女として五代様にお仕えしとうごぜぇます」
お陽であった。




