第47話 周知
「この病は川の水の中に棲む、目には見えない小さな虫が体の中に入り込み、増える事によって生じる病気です。虫の名を住血吸虫と申します!」
「な、何だってぇぇぇ」
旧武田家家臣も多数見守っている中、織田信長の命により派遣されて来た、一見すると武士には見えない頼りなさ気な男、五代勝二が大声で叫んだ。
甲斐に広がる奇病、風土病の説明会である。
躑躅ヶ埼館の城下、大人数が詰めかけられる場所に、農民から庄屋、商人から武士に至るまで集まってきている。
「どうして私がこの病を知っているかと申しますと、異国でも同じ症状に苦しむ者を見てきたからです!」
勝二は漂流の果てにインドに渡り、苦労して帰ってきた自分の経歴を簡単に述べた。
そんな数年単位の帰国劇に、集まった群衆から大きなどよめきが起きた。
初めて聞くインドやマカオといった国々、そんな国々を巡って帰ってきたという勝二の話は、まるでおとぎ話にある冒険譚に思えたのだ。
ここにいる者の多くが生まれた甲斐の国から出た事がなく、出た事があったとしても戦で隣国くらいが精々だった。
都に出た者さえ数える程であれば、海の向こうにある異国の地を見てきた者などいる筈がない。
度肝を抜かれるのも当然であろう。
昌幸に従い話を聞いていた幸村などは、あんぐりと大きく口を開けて驚いていた程だ。
観衆が驚いている間に、勝二は住血吸虫に苦しむ者を見たとの嘘を混ぜた。
どこの国のどの川で見たのかツッコまれると都合が悪い。
「この甲斐まで来て下さった客人を疑う訳ではない。ないのだが、見えない程の小さな虫が水の中にいるとは到底信じられぬ! ましてやそれが体の中に入って来るなどと!」
昌幸であった。
言葉遣いが違うのはそういう場、そういう立場だからなのだろう。
彼の指摘には頷く者も多い。
「その疑念は当然ですが、今は直接証明する手立てがございません!」
「直接?」
出来ないときっぱり言い切る勝二に面食らう。
「それに、その事を証明出来なくても構わないのです!」
「どういう意味なのか?」
更に不思議に思った。
「目に見えない虫が原因だと証明出来なくても、これ以上病気を出さなければ今はそれで良いからです!」
「む、むむ」
そう言わてみればそうかもしれない。
大事なのは病に苦しむ者が一人でも減る事だろう。
勝二は続けた。
「言い伝えは見当違いの事も多々ありますが、時に真実を言い当てている事があります!」
「言い伝えが?」
顔を上げた昌幸に向かい、尋ねる。
「この地方では、貧しい小作人だけが病気に罹ると言われているそうですね?」
「ま、まあ、そうだ」
聞き取りの結果、豊かな家の者でお腹が膨らむ者は殆ど出ていない。
「また、病人の出る村には偏りがあり、高台の村では出ていないと」
「それもあっている」
結果でも偏りははっきりと出ていた。
「皆様が良く知るそれらを頭において、聞き取りの結果をお聞き下さい!」
「病人の出た村長に聞いた話を纏めたのだな?」
「はい」
勝二は控えていた重秀にそっと目配せする。
阿吽の呼吸で補助が為された。
「まずその前に、これは甲斐の村の位置関係を地図にしたモノですが、間違いありませんか?」
「間違ってはいない」
勝二は重秀が用意してくれた地図を特注の掲示板に貼り付けた。
半紙を何枚も張り合わせ、遠くからでも読み取れるようにしている。
「ここに患者の出た村を、患者数に応じて色分けしていきます。出ていない村は白のまま、十人以下は薄墨、十人以上二十人以下は一段濃い色、
二十人以上は黒としていきます」
聞き取りの結果を元に、次々と色分けしていく。
暫くかかり、それを終えた。
「絵で表すと一目瞭然です。患者の出ている村にははっきりとした偏りが生じています!」
「た、確かに偏っている!」
聞く限りでは何となくであったが、地図で示すと良く分かる。
患者の発生している村と発生していない村には明瞭な差があった。
「これでは漠然としておりますので、一番患者数を出している村を詳細に調べた結果をご覧下さい!」
誰もが固唾を飲んで見守る。
とんでもない秘密が明かされようとしているのだと感じていた。
「まず、これは村全体の見取り図です!」
その村を知る者には見知った図だ。
「先ほどと同じように患者数に応じて色分けしたいと思います!」
筆と墨壺を持ち替え、瞬く間に塗っていく。
「ご覧下さい、村の中でも患者に偏りが生じているのです!」
「おぉ!」
言う通り、狭い村の中でさえも患者の発生にはばらつきがあった。
「次に、この村における湿田と乾田の分布図を見て下さい!」
「何?」
それは昌幸達が検地で集めた情報を可視化したモノだった。
両方を見比べると気づいた事がある。
「先ほどと似ている?!」
その指摘に誰もがアッと息を飲んだ。
湿田が広がる場所で患者が多く、比較的乾いた田では患者数が少ない。
「これに田の取水口と水利状況を書き加えれば……」
「特定の川から引いた水で病気が発生しているのか!?」
その結果にはギョッとする程だった。
村には二つの川があるのだが、湿田でも取水口の違い、つまり水を引き入れる川によって患者の発生に差が生まれている。
片方の川から引いた湿田では患者が少ないのに、もう片方では明らかに多い。
「思い出して下さい!」
勝二の声にハッとする。
「貧しい小作ばかりが病気となり、その発生には偏りがあるという事を。聞き取りの結果はまさにそれを裏付けるモノとなりました。死者を多く出しているのは、特定の地域における泥の深い湿田ばかりです!」
聞く者は黙ってコクコクと頷く。
勝二の気迫に疑問や否定を差し挟む事など出来そうにない。
「病気の事はひとまず置いておいて、泥の深い湿田と貧しい小作人には何か関係がございますか?」
勝二は昌幸を見据え、鋭く尋ねた。
彼を含むこの時代の支配層を、殊更に悪く思う訳ではない。
しかし、割を食って苦しむのは常に貧しい者、弱い立場の者という悲しい現実を眼前に叩きつけられ、言いようのない憤りを抱いていた。
それをどうにか出来る程、自分には力がないという無力感と共に。
豊かさを象徴する飽食の時代でさえ、不正や犯罪に泣き寝入りをする者は絶えなかったのだから。
勝二に問われた昌幸は暫し考え、答えを出した。
質問者の心中には気づいていた。
甲斐への道中で感じた、彼の武士らしからぬ在りように、その出自も推し量れる。
「貧しい者は条件の悪い湿田しか選べぬ」
似た境遇であったのかそれを悲しみ、かつそのような世を怒っているのだろう。
青臭い男だと昌幸は思った。
けれども、好感の持てる青臭さである。
現実の厳しさに打ちのめされつつも、それでも尚正しい道を追い求めようとあがいている、そんな男に見えた。
昌幸の感想を知らない勝二は観衆に向かう。
「貧しい小作人ばかりが病気になるという言い伝えは、間違いではありませんが正しくもありません。正確には、特定地域の湿田で耕作する者ばかりが病気になり、そのような湿田しか利用出来ないのは貧しい小作人という事です!」
「何と!」
その言葉に人々はどよめいた。
何故かストンと理解出来る。
「そして、多く病気を出す村でもその発生には偏りがありました。詳しく見ればどうやら川に違いがありそうです!」
「おぉぉぉ!」
そう考えざるを得ないだろう。
「目には見えない小さな虫が川の中にいる事は、残念ながら私には証明出来ません。ですが、そう考えれば全てが説明出来るのではありませんか?」
「た、確かに……」
言う通りに思えた。
「その虫、住血吸虫は甲斐の全ての川に棲んでいる訳ではなく、特定の地域にしかいないと考えれば、村によって偏りが出るのも当然です。また、腰まで浸かるような湿田では、それだけ水に触れる時間が多くなるのですから、住血吸虫に肌を晒す事が多くなってしまいます。流れの早い川では小さな虫は流されやすく、小川や沼のような場所でばかり病人が出るのも頷けます」
「な、成る程……」
否定するだけの根拠を持つ者はいない。
「それでもやはり信じる事が出来ぬ!」
昌幸が精一杯の感情論を試みた。
「では、目には見えないけれども目に見える形で実験致しましょう」
「目には見えないが目に見える形で、だと?」
勝二の言葉に誰もが首を傾げた。
村に二つの川が流れており、片方では病気があるのに片方では出ていない。
主人公に都合の良い、物語上の設定です。




