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第44話 賊

 「一息つくか」


 見通しの良い場所で発せられた重秀の言葉に、勝二はヤレヤレという顔をした。

 ここ数日は凸凹でこぼことした山道を歩き通しであり、一服の休憩すらも待ち遠しくなっている。

 座るのに適当な場所を探し、どっと腰を下ろした。

 腰に付けた瓢箪ひょうたんを手に取り、栓を抜いて中の水を口に含む。

 上等なワインを楽しむようにちびりちびりと飲んでいった。

 火照った体の熱を吸収し、生温い水が喉の渇きを癒していく。

 口に含んだ分を全て飲んだところでホッと息をついた。

 それ以上は飲まない。

 飲み過ぎれば汗が余計に出て、体力を消耗させてしまう事を知っていたからだ。

 そんな勝二を見て重秀が言った。 

 

 「余裕がありそうだな」

 「何とかですが」


 遅れがちではあるが列の進みを遅らせる程ではなく、どうにかこうにか付いていけている。


 「たった数か月なのに見違えるようだぜ」

 「恐れ入ります」


 勝二は随分と逞しくなった己の足を見た。

 数日間歩き詰めであるが、これ以上無理などと弱音を吐く事もなく、足を動かし続けていられている。

 会社勤めの頃と比べれば大きな変化であった。

 アフリカでも良く歩いたものだが、流石に一日中歩いた事などない。

 それが、この時代では朝も早くから出発し、宿となる場所が見つかるまで暗い中を進む事も普通だ。

 初めの頃は足が棒のようになり、一歩も進めないと悲鳴を上げたものだが、近頃はそういう事もなくなってきた。

 今日も結構な距離を歩いているが、まだまだ歩けるぞとの自信がある。

 体が長距離歩行に慣れてきたのであろう。

 

 また、草鞋わらじの縄が皮膚に食い込み、足を動かす度に顔を顰めていたのが過去のようだ。

 靴に守られてきた現代人の足に草鞋は優しくなく、乗り越えるのには工夫を要した。 

 それに草鞋は直ぐに破れてしまうし、防寒用の足袋たびを履かねば寒さを防ぐ事も出来ないので改善の余地が大いにある。

 ジャングルに生えるゴムの木から天然ゴムを採取し、足袋の底に塗り付けて地下足袋を開発せねばなるまい。

 家畜を増やし、その皮で靴の製造にも取り掛からねばならないだろう。 

 やる事はいくらでもあった。

 思考を巡らせる勝二に重秀が告げる。 


 「そろそろ進むぞ」

 「行きましょう」


 慌てて現実に戻り、よいしょと腰を上げた。



 

 常緑樹が茂る、薄暗い山道に差し掛かった時だった。 


 「待って」


 前を歩いていた弥助が小さく声を発し、その足を止める。

 緊張が伝わってきた。


 「どうしました?」


 追い付いた勝二はささやくように問いかける。 

 弥助が森の中を指さした。


 「人がいる」

 「どこです?」

  

 弥助の指の先を見てもまるで分からない。


 「ほら、あそこ」

 「うーん、私にはさっぱり……」


 どれだけ目を凝らしても木々が並んでいるだけに見えた。


 「弥助さんの目は凄過ぎますからね……」


 勝二は匙を投げた。 


 「正体は分からねぇが、道の先に集団がいるみてぇだな」 

 「うん」

 「この距離で気づくとは流石だな」

 「運が良かっただけ」


 重秀と弥助が会話を交わす。

 勝二に出る幕はない。


 「元清さんは分かりますか?」

 「いえ、残念ながら」


 見えないのは自分だけでないと知り、少し気が楽になる。

 尤も、元清は気を利かせて見えないと言っただけなのだが、疲労が蓄積しつつあった勝二に、そこまで頭を働かせる余裕はなくなっていた。

 

 「いっちょ確認してくるぜ」

 「お気をつけて」


 肩の荷を降ろし、重秀は音もなく森の中へと消えて行った。

 見てくるだけなので鉄砲は置いてある。


 「賊、でしょうか?」

 「既に甲斐の国に入っておりますので、織田家の迎えという可能性もありませんか?」


 心配気な勝二に元清が言う。

 早馬は出してあるので、その可能性も十分にあるだろう。

 しかし用心に越した事はない。

 その場で重秀を待つ事にした。




 「ありゃあ山賊だな」

 「そうですか……」


 重秀は帰って来るなり素っ気なく口にした。


 「迂回するか?」

 「出来ますか?」

 「日が傾き始めてやがるから、出来れば避けたいがな」


 既に昼は過ぎ、夕刻に近づきつつある。

 夜の山道でさえ危険であるのに、道なき道を進む事は躊躇われた。


 「ざっと見たところ賊の数は12。伏兵はなさそうだから、やれと言われればやるぜ?」


 重秀は地面に置いてあった鉄砲を手に取り、にこりともせずに言った。

 無理な事は無理だとはっきり言う彼であるので、この場合もそうなのだろう。

 山賊を野放しにしてはおけない。 


 「手慣れた感じでしたか?」

 「いや、そうでもないな。大方、前の戦で負けた武田の残党じゃねぇか?」

 「成る程」


 見る目確かな重秀の見立てに頷いた。 

 根っからの悪党であれば容赦は出来ないが、敗残兵であれば事情は少し異なる。

 

 「交渉するのはどうでしょう?」

 「何を交渉するってんだ?」


 揉め事を嫌う勝二の性格は、これまでの経験からも十二分に承知している。


 「今回、私が甲斐でやる事は、街道整備の人足にんそくを雇う事だと言えます。敗残兵らしき皆さんが平穏な生活を望むのであれば、人足として受け入れるのにやぶさかではありません」

 「敗残兵にしろ、賊が頷くかよ?」

 「信長様の領地で山賊など自殺行為です。そこのところを懇切丁寧に説明すれば、きっと納得して下さると思います」


 勝二は将来的な甲斐の帰属先を知らない。

 当然、信長が統治するものだと思い込んでいた。


 「しかし、賊かもしれねぇ奴らと交渉しようなんざ、正気とは思えんぜ?」


 重秀は呆れ顔で呟いた。

 道の先にいる事を事前に掴んだのであるから、先手を打つ方が早いし確実である。

 わざわざ自分の身を危険に晒す意味が分からない。


 「盗人にも三分の理。彼らにも已むに已まれぬ理由がある事もありますよ」

 「それは否定しねぇが」


 戦、飢饉、流行り病など、故郷を捨てなければならなくなる者は多い。

 身を寄せる親戚でもあれば別だが、ないからこそ山賊でもやっているのだろう。


 「大将の方が坊さんみてぇだな」


 重秀がしみじみと言った。

 領主の圧政や信徒への弾圧に抵抗する為とはいえ、殺生を禁じている筈の僧が武器を取り、戦の主体を担っていた。

 そのような僧兵はやがて増長し、酒を飲んでは肉を喰らい、寺院に女を連れ込むまでに堕落するのだが、そのような者達をずっと見てきている。

 それに比べ、常日頃から金儲けの事ばかり口にしている今のあるじの方が、余程清廉潔白な生活をしていると思った。

 重秀の評価に対し、誤魔化すつもりで言う。


 「伴天連の教えに、人はパンのみにて生きるにあらずというモノがあります」

 「パン?」

 「パンとは、まあ、こちらで言うおにぎりですね。人はおにぎりだけで生きているのではない、というような言葉です」

 「ほう?」


 どういう意味かと重秀は勝二の顔を見る。 


 「衣食住の充足だけを求めても心の平安は得られないので、神の教えをこそ求めるべきだというような意味ですね」

 「向こうでもこっちの坊主みてぇな事を言うんだな」


 どこの国でも同じなのだなと思った。


 「問題は、今日を生きるのに必死な者には、そのような有り難い言葉は届かないという事です。山賊にとっては、今日のおにぎりこそが必要なのですから」

 「成る程」

 「ですので私は、誰もが今日のおにぎりを心配しないで済む生活こそ、求めるべき尊いモノだと考えます。私が追うべき世界の姿です」

 「山賊との交渉はその一環だと言う訳か」

 「まさしく。まずはおにぎりですからね」


 ゲリラの持つAK47の銃口を突きつけられながら、地道な労働の道を熱く語った事を思い出しつつ勝二は話した。

 アフリカのゲリラも、内戦で故郷を追われた者達が多く、家族や部族を養う為に仕方なく武器を取る事があった。

 僅かではあるが、定期的な収入の得られる仕事を提供する事によって、盗賊稼業から足を洗ってもらった事がある。

 

 「それに、誰もが豊かになってこそ、売る方の儲けは大きくなります。味方だけではなく敵方にも物を売りつけてこそ、望ましい商人の道ですよ」

 「敵にも売るのかよ?」

 「武器は例外ですが勿論です」

 「ならいいんだが、話す相手は選んだ方がいいと思うぜ」

 「そう言えばそうですね。気を付けます」

  

 聞く者によっては危険視されかねない発言かもしれない。

 気を付けてくれよと重秀は思った。


 「一応俺は姿を隠し、鉄砲で狙える位置にいるからな」

 「危ない時には頼みます」


 重秀は手に馴染んだ愛用の鉄砲を肩に担ぎ、弾などの入った袋を懐に入れて森の中へと向かった。

 途中、弥助の前で足を止める。


 「弥助、全力で守るんだぜ?」

 「分かってる」


 弥助は力強く頷いた。


 「客人である元清さんは」

 「構いませんよ、自分の身は自分で守れます」


 勝二の心配を遮った。

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