第42話 諸侯会議真打
「余計な者が消えたので、各々方と今後について話し合いたい」
大坂城主が居並ぶ諸侯に向かい、言った。
城の主が指す人物は、滝川一益の統治する甲斐に向け、既に出発している。
仕える主君の出した交換条件を飲まなければ、これ以上の住血吸虫被害を防ぐ事は出来ないとの止むを得ない判断である。
心苦しさと心躍らせる相反する思いを抱き、甲斐への道を急いでいた。
「信長公はあの者を重用していると思いましたが?」
おやという顔をして家康が口にする。
余計な者とは勝二の事で、信長はその能力を随分と買っているのだろうなと思っていた。
盟友からの問いに静かに答える。
「材にも向き、不向きがあろう」
「あの者の不向きとは一体?」
少し考えたが思い当たらず、更に尋ねた。
弁が立ち、それぞれの利に配慮し、将来に希望が持てるような提案をする者であった。
こうして毛利、上杉と席を同じにする状況は、あの者なくしては実現しなかった事だろうと思う。
「荒事には向かぬな」
表情も変えず、信長は答えた。
「そう言えばあの者は、何か戦働きがあるのですかな?」
「ない。それどころか抜いた刀を持っただけで震え出す始末」
「そうですか……」
家康は何故かその言葉に納得していた。
鬼気迫る表情で戦場を駆け回るような男には到底思えない。
寧ろ、兵糧の管理に心血を注いでいる姿が似合っていると思えた。
そうであるなら、信長の言う今後の事とは見当が付く。
「戦ですかな?」
「左様。四国、九州、東北の扱いだ」
「成る程」
他の諸侯も頷いた。
彼ら戦国大名にとり、昨日の敵は今日の戦友である。
自国に有利なら昨日まで戦っていた敵とも手を結び、利がなくなれば平気で手を切った。
輝元も景勝も昨年までは信長軍と戦火を交えてきたが、今はこの同盟関係を最大限に活かす事こそすべき事である。
尚も油断は出来ないが、織田という後門の憂いがなくなった今、それぞれの勢力が目を向けるべき相手は明確だった。
それぞれの目がギロリと光る。
「上杉殿はまず領内の掌握に努め、いずれは越後全域、佐渡の接収に努めて欲しい」
「心得た」
信長に言われるまでもない。
内乱を制したばかりで家内は揺れているし、越後の国人衆も侮りがたく、北部地域に景勝の影響力は及んでいない。
佐渡には金山もあり、ゆくゆくは手を伸ばすつもりであったので好都合である。
「関東こそ南蛮が真っ先に立ち寄る地となろう。北条殿には房総半島まで領地を拡大してもらう」
「房総までも?!」
氏政は耳を疑った。
そんなところまで領地を広げるつもりなどなかったからだ。
驚く氏政に信長が地図を使って説明する。
「この湾を西洋に押さえられると不味いのだ」
「い、言われてみれば!」
信長が指しているのは今でいう東京湾である。
北条に敵対する房総半島の領主が西洋諸国と手を結び、東京湾に西洋の軍艦を置かれると宜しくない。
そういう事態を防ぐ為、氏政に一帯の占領を求めた。
「徳川殿は上杉殿、北条殿に援軍を出してくれ」
「承知」
武田が滅んだ今、家康の周りに敵はいない。
「見返りは武田領の一部だ」
「ふむ」
妥当な線であろう。
問題は、どれだけの領地を獲得出来るか、それである。
「さて毛利殿であるが」
「ええ」
自分へと向き合う信長に輝元はやや緊張した。
雰囲気は若干違うが、まるで祖父と対峙しているようである。
一瞬の油断も出来ない感じがし、祖父の事は苦手だったのだが、それがにわかに思い出される。
そんな心の動きを見透かされた訳ではなかろうが、信長は輝元が狼狽する事を告げた。
「小勢力が乱立する今の状況では南蛮からの切り崩しに遭おう。四国一か国、九州は二か国程度で治めるのが適当と考える」
「そ、それは?!」
長年、毛利家は九州北部にその領地を確保してきた。
しかし、信長の口ぶりではそれを許さないという風に聞こえる。
まだ若い輝元が狼狽えるのも無理はないだろう。
そんな領主を眺め、隆景は内心で渋面を作っていた。
詳しい内容も聞かずに軽はずみであると。
「毛利殿には我らと共に三好を攻めてもらいたい」
「し、しかし!」
そんな事で声を荒げるなと輝元を叱りたい気分だった。
焦る輝元に信長が言う。
「その見返りは門司一帯の地だ」
「え?」
呆気に取られた。
何の感情も籠っていないような顔で信長は続ける。
「関門の両岸を押さえ、瀬戸内に繋がる海峡の安全を確保してもらいたい」
「わ、分かりました……」
拍子抜けしたように輝元は頷く。
信長が提示したのは、守るべき毛利の権益そのままだった。
隆景は内心ホッとすると共に、毛利家の将来に対しいくばくかの不安を抱いた。
上に立つのが輝元で大丈夫かという心配である。
強大な西洋諸国と近くなり、毛利家は難しい選択を迫られる事が多くなるだろう。
今は自分が後見人として当主を支える事が出来るが、それが出来なくなったらどうなるのだろうと思う。
有能な者が揃う織田家を見るに、毛利家のこれからを案じた。
「顕如殿には」
「信徒にお願いし、戦に必要な資金をいくらか工面致します」
「頼む」
それ以上は協力せぬと言わんばかりの顕如であったが、信長も今のところはそれで十分である。
「領地の境界はこのようにしたいと考えている」
「ほう?」
信長は新たな地図を示し、諸侯はそれを覗き込んだ。
※境界線のイメージ
「父上、真ですか!?」
長宗我部元親(40)の言葉に長男信親(14)が尋ねた。
元親が興奮気味に答える。
「信長殿より書状が届き、四国統一の軍を興すとの事だ」
「とうとう始まりましたか」
「うむ」
元親の正室は光秀の家臣斎藤利三の異母妹で、その関係から元親は信長と誼を通じていた。
その母より産まれた信親は、元服時に信長からその字を頂いた経緯がある。
幼い頃から聡明で、文武に長けた我が子に長宗我部家の将来を託していた元親は、全国より学問と武芸の師を集め、息子の教育に当たらせていた。
信親は父の期待に大いに応え、かつ家臣からの信望も厚い。
誰に対しても礼儀正しい態度から領民にも慕われている。
氏郷や兼続と並ぶ、完璧超人の一人と言えるだろう。
この度の四国統一軍も前もって予見していた。
息子の予想が的中し、元親は大いに鼻が高かった。
「良し、早速事を始めるぞ」
「はい、父上!」
四国をその手にせんと、長宗我部家の戦いが始まる。
「くそっ、戸次め!」
島津16代当主義久(47)は、届いた報せを読んで吐き捨てるように呟いた。
南蛮の武器を手に入れた大友軍の勢いは凄まじく、瞬く間に日向の地を失う事となってしまった。
耳川の戦いでは大いに打ち破った相手であったが、戸次道雪の指揮の巧みさに自軍は翻弄され続けている。
また、大友の動きに呼応するかのように龍造寺も南下を始め、島津家の領地を侵しているので軽々しく大軍を動かす訳にはいかない。
ジリジリと押し込まれる圧力を感じていた。
「雷神の名に相応しい戦ぶりよ!」
大友軍が用いているのは南蛮製の大砲であるらしく、威力が桁違いであるそうだ。
特に城攻めには威力を発揮し、閉じた城門を遠くから破壊してしまうという事である。
そのような状況で抗い続ける事は、徒に犠牲を大きくするだけだ。
早めに撤退させていたが、それも限度があった。
悩む当主に兄弟の一人が言う。
「兄上、織田と手を組み、大友に対抗する為の武器を手に入れられては如何です?」
弟義弘(45)であった。
祖父より雄武英略を以て傑出していると評された、島津家随一の猛将である。
その猛将が支える兄も、薩摩大隅日向を治めるに材徳自ら備わっているとされ、その版図を大いに広げた名君だった。
義弘は信長の畿内制圧、スペインとの同盟という話は聞いていたが、伴天連を通じて大友と手を結んだとは掴んでいない。
「まだ早い! このまま織田と手を結べば島津の名折れ!」
義久の決意は固かった。
「北条に備える為、我らは一層手を結ぶべきだと考える」
常陸の大名、佐竹家18代当主義重(33)が集まった者達を見回して言った。
義重の眼前には宇都宮国綱、那須資晴、結城晴朝、蘆名盛氏がいる。
多くが北条の圧力に晒されている者達であった。
甲斐の武田勝頼は織田信長に破れ、遂に滅びている。
その信長を間に挟み、あろう事か北条と上杉が手を結んでしまっていた。
「義重殿の言う通りだと思う」
「織田と手を結んだ北条に対抗するには、我らが同盟を結ぶしかあるまい」
こうして北関東にて反北条同盟が結成された。
「盟主は義重殿しかおらぬ」
その言葉には誰からも異論が出ない。
「この義重、佐竹の名に懸けて北条には屈せぬ!」
その決意は揺るぎなかった。
※武田が健在時の関東の大まかな勢力図
「どうすんだ大将」
「どうすると言われましても……」
道すがら重秀に問われ、勝二は思わず口ごもった。
未だ決心はついていない。
織田家の支配する大坂と諸侯らとの町を結ぶ、馬車による往来を想定した街道を整備するのに、住血吸虫に苦しむ甲斐の村を雇う代わりにカナダへの移住を求められた。
いくら大西洋の真ん中に日本が移動したとて、この時代で異国への移住事業は困難を極めるだろう。
まず第一に、海を渡る手段がないに等しい。
スペインと同盟を結び、彼らの造船・操舵技術を学べる事になったとはいえ、習得して自分のモノにするにはある程度の時間がかかるだろう。
街道の整備も直ぐには終わらないだろうが、専門の船大工が安全に航海出来る船を作り、選抜した船乗りが外海の荒波を越える技術を身に付けられなければ、村人達にとって命を懸ける航海となろう。
住血吸虫という厄介な病から完全に逃れる為とはいえ、そのような冒険を冒させるのは躊躇われた。
また、無事に航海が出来たとて、目指す先はインディアンが住まう土地である。
快く受け入れてくれるのか、敵対してしまうのか分かりかねた。
メイフラワー号が長い航海の末アメリカの地に辿り着いた時、現地の住民が労わりの心を以て迎え入れてくれた事は知っている。
作物を分けてくれ、寒さを凌ぐ獣の皮を用意してくれ、息も絶え絶えとなっていた移住者達が、慣れぬ地で生き延びる事を可能にしてくれたそうだ。
その後、ヨーロッパの白人が引き起こした惨劇は周知の通りだが、それを日本人が繰り広げてしまうとも限らない。
なんせ移住するのは農民とはいえ、彼らは同時に足軽でもあるからだ。
彼らは金を目当てに参加した戦の主力であり、敗走兵を狩り立てては止めを刺し、身に着けていた装備品を剥いで金に換える、何とも強かな連中と言える。
武器で劣るインディアンを侮り、敵対的な行動に出る可能性もあるだろう。
それとも、最早自身の願望とも言えるが、同じモンゴロイド同士、共に協力して発展の道を目指す事が出来るのかと秘かに興奮する心もある。
当時、ヨーロッパの国々、特にイギリスとフランスは、北米大陸にそこまで足を踏み入れていない筈だ。
ここで日本がインディアンと協力していく事が出来れば、将来の北米大陸において大きな権益を得られるだろう。
商社マンにとっては夢のような将来に思われた。
「ショージ、何を悩んでいるんだい?」
「まあ、色々と……。しかし弥助さんの日本語は随分と達者になりましたね」
すっかりと会話に不自由しなくなった弥助であった。
驚くべきはその身体能力である。
大きな荷物を背中に抱え、それでも足の速さに衰えはない。
荷の少ない勝二が置いて行かれがちになる程だった。
「武芸の方は如何です?」
「まあまあ、かな」
おどけたように笑って言う。
重秀は呆れた顔で述べた。
「弥助の踏み込みの速さは異常だぜ。一足で間合いを詰めやがるから並の相手は対応出来ねぇよ」
「そうなのですか?!」
初めて聞く話であった。
筋力があり、瞬発力にも優れているとは思っていたが、重秀が舌を巻く程とまでは思っていない。
更に驚く事を口にする。
「この前なんか宝蔵院胤栄(59)に手合わせしてもらいやがってよ」
「宝蔵院って、あの宝蔵院ですか?!」
勝二はビックリして弥助を振り返った。
宝蔵院胤栄は宝蔵院流槍術の創始者であり、柳生宗厳(53)と共に剣聖上泉信綱の弟子である。
そんな有名人と試合した事など全く知らなかった。
「胤栄さんは凄い強かったよ」
「弟子に来るかと誘われやがったんだぜ?」
「えぇっ?!」
さっきから驚きっぱなしである。
まん丸とした目で自分を見つめる勝二に、弥助が笑いながら言った。
「僕の使命はショージを守る事だからね。弟子になっちゃったらそれが出来ないでしょ?」
「うーん……出来れば宝蔵院と柳生で道場を開いて欲しいですが……」
金儲けの道がまた一つ開けた気がした。
「宝蔵院とは凄い話です」
「あっ、申し訳ありません」
「いえ、お構いなく」
客人の事をすっかりと忘れていた。
穂井田元清(29)、毛利元就の四男である。
毛利にも住血吸虫があると隆景が言い、甲斐の様子を確認させようと同行していた元清を寄越したのだ。
宝蔵院流槍術の事は元清も耳にしていたので、何気なくその名が出たので驚いたのだろう。
大坂に来てからそういう事ばかりである。
「兎も角、今は急ぎましょう」
一行は甲斐への道を急いだ。
境界線はあくまでイメージです。




