第40話 諸侯会議その二
「叔父上、織田の天下で宜しいのですか?」
夜となり、それぞれの諸侯は用意された屋敷に泊まった。
毛利輝元が叔父である小早川隆景に尋ねる。
今回の会談において信長は上座に座り、集まった諸侯の上に立つ存在であるかのように振舞っていた。
和睦はしたが負けた訳ではないと思っていた輝元は、このままで良いのかと叔父の考えを質したかったのだろう。
「この大坂の町を見て、尚も敵対出来ると考えておるのか?」
「そ、それは……」
隆景の返答に途端に口ごもる。
「織田は我が毛利とのみ争っていた訳ではない。上杉や武田、本願寺とも事を構え、波多野や荒木にも対応しておった。それでこの繁栄ぶりだぞ? 信じられぬわ!」
憤懣やるかたないといった風に隆景は言った。
大坂の町の大きさ、人の多さには開いた口が塞がらなかった程である。
輝元も同じ事を思ったので、反論は出来ない。
「戦を続けるには物資も金も必要だ。毛利は銀に困らぬが、物がなければ買う事も出来ぬ。長期戦になれば織田には敵うまいよ……」
その発言は叔父の素直な心情に思われた。
「毛利は天下を望まず」
「え?」
突然、耳にタコが出来る程に聞いた言葉を口にする。
「父上の口癖であったが、この状況でこそ活きる言葉であろう。下手に戦を続けて国を荒らし、勝てぬ相手に徒に領土を減らすよりも、ここで手を結んだ方がお家の為となろう」
「はぁ」
将来はどうなるのか分からない。
今はそういう事にしておこうと輝元は思った。
「それより、大友宗麟は南蛮商人より大砲を手に入れ、島津に勝ったと言う。信長の耳に入れておいた方が良かろうな」
「確かにそうですね」
毛利の宿敵の状況も気になるところだ。
島津を蹴散らし、日向を支配するまでになったと聞く。
「大友はポルトガル商人相手に奴隷を売っていると聞きますが」
「信長という男は敵には無慈悲だが、そういう潔癖さがある。上手く利用して大友を潰す方向に持っていこう」
「流石叔父上です」
叔父の政治手腕に期待した。
「兼続よ、首尾はどうだ?」
「学ぶ事ばかりです」
上杉家の宿舎にて、景勝が兼続に近況を尋ねた。
兼続が越後より出て暫く経つ。
その能力に頼っていた事に改めて気づいた。
これではマズイと、人材の登用に努めている。
「港は兎も角、越後の開発支援とは何なのか聞いておるか?」
「湿地対策に秘策がおありのようです」
「秘策だと?」
気になる情報であった。
「スペインより取り寄せました、作物の種でございます」
翌日、情報の共有という趣旨で、新しい野菜の種子が勝二によって紹介された。
「味をみてみたいが、料理はあるのか?」
「まずは種を増やさねばならなくなったので、試食は来年への持越しとなりますた」
「なぬ?」
船が着いて直ぐならば、積み込んだ野菜類も残っている。
しかし、既に相当な時間が経過し、食べられる物はない。
「これは来年も来なければならぬな」
「全く」
特にカボチャは長期保存が出来ると言う。
そうならば冬に備え、大事な野菜となるだろう。
また、サツマイモは蒸して干せばこれまた保存が出来、しかもそのまま食べる事も可能という事で、戦の携行食に適していよう。
薩摩と何か関係があるのか尋ねる者もいたが、偶然だと強弁する勝二であった。
「これらは全て畑で栽培する作物ですので、土に水分があり過ぎると生育に良くありません」
「我が越後は湿地が多いのだぞ?」
景勝が不満そうに言った。
越後の土地には合いそうにない。
「その対策として、湿地の排水計画を立ててみました」
「排水計画?」
「これでございます」
勝二の合図で部屋に大きな道具が運び込まれる。
「何だこれは?」
「踏車にございます」
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それは水が流れる力を使って回す水車ではなく、人が踏んで回すタイプの水車であった。
低い位置の用水路から田に水を入れる際に使う農機具である。
竜骨車なる同じ用途の物が中国より伝来していたが、高度な機械であって破損しやすく、広くは普及しなかった。
踏車は構造が単純で、壊れても農村で修理が可能である。
「これで何をするのだ?」
「低い位置の用水路から、田に水を汲み上げるのでございます」
「竜骨車や水桶の付いた水車と同じか」
「まさしく。それを人力で行う物です」
「ふむ」
形を見ればおおよそが知れる。
その場にいる誰もが、ほぼ正確にその光景を頭に思い浮かべる事が出来た。
「越後は湿地で困っておるのに、更に水を汲んでどうするのだ?」
勝二の意図が掴めず、景勝はその目的を問うた。
初めはこれが兼続の言っていた秘策かと思ったが、水を汲むのであれば違うのだろう。
そんな景勝の反応に、勝二はそっと信長の様子を伺った。
誰かさんなら怒り出しているだろうなと思ったからだ。
「何だ?」
「いえ……」
視線に気づいた信長にギロリと睨まれ、慌てて下を向く。
「儂を試すつもりか?」
「いえ、滅相もございません!」
ムッとしているのが分かり、畳に頭を擦り付けた。
「ふんっ! 普通の地では水汲みに、湿地では逆に使うのだろうが!」
信長が吐き捨てるように言った。
「普通の地では水汲みに、湿地では逆?」
景勝が反復する。
そして気づいた。
「そうか! 湿地の水を川に汲み上げるという事か!」
「ご明察通りでございます」
頭を下げたまま言う。
「これで排水するにしても、どれだけ設置するつもりだ? あの土地には雀の涙ではないのか?」
越後の土地を見ている信長が素っ気なく口にした。
それを分からぬ男ではない事は分かっていたが、その考えが読めない事に腹が立つ。
「もっと大型にすれば、この踏車とは比較にならない水量を排水する事が可能ですし、風車を作って風の力で回すようにすれば、人の力も必要ありません」
「風か!」
信長は思わず膝を叩いた。
越後には終始風があった事を思い出したからである。
何でも天変地異後、常に風が出るようになったそうだ。
「西洋のオランダは海面よりも低い土地が多く、運河を張り巡らせて土地の排水を図り、風車を多数設置してその水を運河に捨てているのです」
「何? 同じような国があるのか?」
呆気に取られて景勝が尋ねた。
勝二は謝罪する。
「実はこの装置、カルロス殿から教えて頂いた物なのです」
「そうだったのか」
その経緯をざっと説明する。
「オランダでは風車を使って排水している事は把握していたのですが、肝心のカラクリは知りませんでした。現地調査に行かなければと思ってカルロス殿に相談したところ、スペインでも使っている事が判明したのです。その機構はご説明した通りで、人が踏めば容易く水を揚げる事も出来ると気づきました」
「成る程」
勝二は踏車の事は前から知っていた。
カルロスから風車の仕組みを聞き、同じ原理だと気づいたのだ。
「申し訳ございません。初めからそう説明しておけば良かったのですが……」
「良い。順序でしかなかろう」
景勝は何事もなかったかのように水に流した。
隠すつもりがない事は分かっている。
それに、自分の頭で考える者でなければ人材として登用は難しい。
人にそれを求めるには、まず自分がそうであらねばならないだろう。
謙信公と違い、愚かな自分は頭の回転が悪いが、心構えだけはしておかねばなるまいと思っている。
「排水ついでに手押しポンプの試作品もございます」
「何だそれは?」
またも見た事がない道具を持ち出してきた。
「これは井戸などに設置し、この柄を動かす事によって水を汲み上げる装置にございます」
「何?!」
再び頭が混乱する事を言い出す。
景勝は自分の決意を若干後悔し始めていた。
「お館様!」
どうした事か、状況を弁えている筈の蘭丸が主を呼んだ。
その顔には焦りが浮かび、ただ事ではない様子が見て取れる。
信長も直ぐにそれに気づいたのか、蘭丸に視線を注ぐ諸侯に御免とだけ言い残し、場を中座した。
「一益から?!」
衝立の後ろから信長の声が漏れる。
諸侯は何事かと耳をそばだてた。
すると、何を思ったのか信長は舞い戻り、皆を接待せよと勝二に指示を出して足早に部屋を出ていった。
ドタドタと廊下を急ぐ音がする。
残された者達は互いの顔を見つめ、何が起こったのだろうと話しあった。
面白そうだと興奮を隠さない者、我関せずと興味を示さない者、その反応は様々である。
勝二は内心で焦りを感じながらも、主人の命令を果たそうと口を開いた。
「で、では、風車を使った排水設備網についてご説明したいと思います」




