第4話 那覇が変
「おきなわ、じゃない、琉球に着きましたよ!」
勝二らを乗せたガレオン船は飲み水などの補給の為、那覇の港に着いた。
船に備え付けの小舟を下ろし、上陸する。
空港からゆいレールに乗って訪れた那覇の町は、所々亜熱帯だなと思う景色はあったものの、いたって普通の都市であった。
それが今は、まるで太平洋に浮かぶ南の島のようで、自然にあふれた情緒ある風景が広がっている。
海にはサンゴ礁が広がり、陸にはバナナの葉が風に揺れていた。
港で働く者達に地名を聞けば泊だと言う。
泊といえば、沖縄本島から渡嘉敷、座間味などへフェリーが出ていた場所である。
泊っている船の種類は違うが、時代を超えて同じ光景が広がっており、何となく嬉しくなった。
まくとぅそーけーなんくるないさを耳にし、本当に日本に帰ってきたのだと実感する。
思えば本当に長い旅であった。
「琉球って日本?」
感慨深げに周りを眺めている勝二にヤスーキが聞いた。
「琉球は明の冊封国ですが、尚氏王の治める国ですよ」
「どういう事?」
難しい言葉を言われても理解出来ない。
「別の国です」
「フーン」
沖縄から考えれば九州よりは台湾の方が近い。
薩摩藩の支配を受けるまでは、中華の王朝と深い関係を持っていた。
『必要な物資を補給したらすぐにでも出発するようですよ』
『分かりました』
ヴァリニャーノが予定を言った。
マカオを発って数日なので、そこまで水も食料も減っていない。
とはいえ、全てが手作業なので時間が必要だ。
大型船が直接接岸出来る埠頭もないので、小舟に乗せて移し替えねばならない。
少しの荷物であっても大変な作業である。
暗くなっても作業が終わらなかったので船室で夜を越し、明日の作業が終わるのを待つ事になった。
『あれ? おかしいな……』
煌めく星空を眺めていた船員が呟いた。
船の荷物が盗まれたりしないよう、監視する夜番である。
『どうした?』
相棒が尋ねる。
夜番は一人では行わない。
『いや、北極星の角度が違う気がするんだ』
『何?』
相棒の指摘に空を見上げる。
町にも船にも余計な光がない当時、夜空はうっすらと明るく見える程だ。
北を探す。
『北斗七星はあそこか』
おおぐま座を構成する七つの明るい星を見つけた。
北斗七星は神社の手水舎に置いてある、柄杓とも形容される。
北極星は水を汲む杓の方、柄から一番遠い二つの星の延長線上にある。
『5倍した距離にあるのが北極星、つまりアレか』
一際輝く北極星を見つけた。
『確かに角度が高いな』
『だろ?』
当時の航海術では北極星が重要で、その角度で現在地の緯度を判定する。
北極星は地球の自転軸を延長した先にある、天の北極に一番近い恒星で、見かけは殆ど動かない。
北極では頭の真上90度の位置にあるが、赤道に近づけば近づく程に角度が低くなっていく。
『マカオは北緯22度、琉球は26度の筈だがな……』
『だよな、明らかにちがうよな』
北極星の角度から、現在地の緯度は26度以上ある事が見て取れた。
『どういう事だ?』
どうにも意味が分からない。
今すぐ船長に伝える事ではないと思ったが、朝になったら伝えようと思った。
そして次の朝、異変は日本中の者の前に訪れた。
最も早くその事に気づいたのは、千島列島に住むアイヌである。
『何だぁ?』
『太陽が昇る方角が違うぞ?!』
季節の移ろいの中で暮らし、朝の早い彼らは、それぞれの季節で朝日の昇る位置を正確に覚えていた。
それが昨日までと違うとなれば真っ先に気づく事だ。
そして、そんな声が全国で続々と上がり続ける事となる。
そんな中、真っ先にアイヌが気づいてから1時間もしないうちに、琵琶湖を見下ろす安土城の天守閣でその事に気づいた者がいた。
その男は小さな髭を口の上に蓄え、細見の体を豪華な衣装に包んでいる。
「何事だ?」
昨日は東を向いた窓から朝日を見た筈なのだが、何故か今朝は違っている。
理由が掴めずたちまちにして苛立った。
顔を歪め、近くに控えていた小姓を呼びつける。
「何が起きたのだ蘭丸!」
「私には分かりかねます!」
主に問われ、控えていた若者が即座に答えた。
分からないと言う者にそれ以上聞いても仕方がない。
安土城の当主織田信長は一計を案じた。
「城下に問い、此度の出来事の知恵を集めよ!」
一方の那覇では、朝日の方向が違うという事よりも、更に大きな騒ぎとなる事件が起きていた。
『どうされたのですか?』
騒ぐ船内の様子を不思議に思い、勝二は部屋の前を通りかかった船員に尋ねた。
『スペインの船が来たんだよ!』
その男は慌てたように叫ぶ。
それが慌てる事かと勝二は思った。
ポルトガルとスペインは敵対関係にない筈である。
『マニラからの船ですか?』
当時のフィリピンはスペインの植民地となっており、マニラとメキシコのアカプルコとを結ぶ、ガレオン貿易が盛んに行われていた。
マニラと沖縄はそこまで離れている訳ではない。
沖縄からマニラまでは、沖縄から紀伊半島までの距離と同じである。
マニラから出た船が、舵の故障などで流れ着く事もあろう。
しかし、男は驚くべき答えを口にする。
『ハバナからセビリアに行く船なんだよ!』
『ハバナからセビリアですって?!』
男の説明に勝二はオウム返しで応えた。
それだけビックリしたからだ。
ハバナはカリブ海に浮かぶキューバの港町で、当時はスペインの植民地である。
メキシコ一帯にまで広がっていたスペイン副王領において重要な港であり、本国にあるセビリアとを結んでいた。
そのハバナから出た船が、どうして那覇にやって来るのか分からない。
仮に遭難したにしても、南米を周り、太平洋を超えて来なければならない筈だ。
『一体どういう事なのですか?』
想像がつかずに男に尋ねた。
問われた男も答えを持ち合わせていない。
『それで皆騒いでいるんだ!』
そう言い残して男は去っていった。
『我々も行ってみましょう』
やり取りを聞いていたヴァリニャーノが言った。
朝日の事も北極星の事も既に耳に入っている。
知恵を授けて欲しいと神に祈っていた所だ。
三人は部屋を出て、大きな騒ぎとなっていた甲板に向かった。
『マカオから来たなどと!』
見知らぬ男が声を張り上げていた。
『それはこちらの台詞だ! ハバナからなどと!』
負けじと大声で怒鳴っているのは、長旅の間ですっかり顔を覚えた船長だ。
船の隣に同じようなガレオン船が2隻横付けされており、スペインの旗を掲げている。
小舟でこちらに乗り込んできたのだろう。
ポルトガルとスペインは隣り合った国であり、言語も似ている。
船乗りは別の国の船に乗る事もあるので、互いの言葉を話せる者を介し、質問の応酬をしていた。
相手も船長なのかもしれない。
話が噛み合わずに段々とヒートアップし、険悪な雰囲気となっていく。
不味いと思ったのか、ヴァリニャーノが慌てて進み出た。
『まあまあ、落ち着きなさい』
イエズス会士は特徴的な黒い服を身に纏っている。
神父の登場に、睨み合っていた両者の間に冷静さが戻った。
『どうか初めから話を聞かせてくれんかね? 我々は5日前にマカオを発ち、昨日この那覇に着いたのだが?』
その言葉に乗り込んで来た男達の間に動揺が走る。
まさか神職にある神父が嘘をつくとも思えない。
互いの顔を見合わせ、小声でささやき合う。
代表して一人が口を開く。
『神父様、我々は3週間前にハバナを発ち、アゾレス諸島を目指していたのです』
『アゾレス諸島?!』
ヴァリニャーノの驚いた声が船上に響いた。
議論は平行線を辿った。
双方共にしっかりと航海日誌を付けており、これまでの航海の様子を遡って確認出来る。
天測の数値も正確で、間違いはないように思えた。
だから尚の事不思議である。
どういう事だと互いの頭を突き合わせて考える中、勝二は今朝からの異変を思い出す。
「朝日が昇る方角を突然に変え、北極星が那覇の緯度ではない角度を示し、キューバからスペインに向かっていた船がやって来た」
それがどういう事なのか、一つの仮説を立てればスッキリと解決する。
「沖縄が大西洋に移動した?」
自分の言葉にそんな馬鹿なと思わず笑う。
しかし、馬鹿な事は既に自分の身に起きているのだ。
タイムスリップである。
勝二の脳裏に老婆の言葉が蘇った。
「まさかこれなのですか?!」
天の導きとはこの事かと理解した。
初めはタイムスリップの事かと思ったが、序章に過ぎなかったのだ。
「沖縄だけでなく、日本列島全てが大西洋に移動した?」
どうしてかは分からないが、何故かそう思った。
本当にそうであったら恐ろしい事だ。
この時代のヨーロッパは大航海時代で、領土の拡大を求めて狂奔している真っ最中である。
大西洋に移動した日本に起こりうる様々な可能性が頭に浮かび、冷や汗がどっと流れた。
どうすればそれを防げるのか頭をフル回転させて考える。
とはいえ早急に事実関係を確かめねばなるまい。
『神父様! 私に考えがあります!』
『何だね?』
勝二の記憶力や思考力の鋭さに内心で舌を巻いていたヴァリニャーノは、何か良いアイデアがあるのかと思い、ホッとして尋ねた。
勝二はその場にいた全員に聞こえるように言う。
『この場の誰も嘘を言っていません!』
その言葉に互いの顔を見合わせる。
言っている意味が分からなかった。
『だったら何が起きてんだ?』
船長が思わず聞き返す。
それが分からない。
『我々の目的地であった日本が大西洋に移動したのです!』
力強く断言する勝二に誰もが呆気に取られた。
『ショージ、何を言っているんだい?』
我に返ったヤスーキが尋ねた。
『私が言っているのはタダの仮説です! しかし、その実証は容易い!』
『どうやって?』
『まず我々全員で長崎に向かいます! その際、緯度も方角もこれまでの数値とは違っている筈です。那覇の緯度は26度でしたが、今は約36度で10度ずれています。という事は長崎の緯度も10度足した位置にある筈です!』
勝二は説明していった。
『次に、朝日の方角がずれていた件も考慮に入れねばなりません! 島が約22度南に傾いていますので、長崎もその角度分ずれている筈です!』
これまでの緯度、方角を参考にしては辿り着けない。
仮説に従って進路を取り、それで長崎に着けば仮説が正しかったとの証明になろう。
『俺達はスペインに帰る途中なんだが?』
スペイン船の船長が異議を唱えた。
至極尤もな意見であったが、勝二は一喝する。
『もしも日本が大西洋に移動したなんて事になったら、あなた方にどれだけの影響があると思っているのですか!』
『と言うと?』
ピンとこずに問い返す。
『ハバナとセビリア間の途上に物資の補給基地が出来るという事です!』
『な、成る程!』
『それだけではありません!』
『何だ?』
他にもあるのかと思わず尋ねた。
『日本には巨大な市場があります! わざわざスペインにまで帰らなくても商品を売る事が出来るという事です!』
『そ、そうなのか?』
日本の事は名前くらいは知っていたが、そこまで詳しくはない。
『神父様、どうなのですか?』
自分が言っても信じてもらえないだろうとヴァリニャーノに任せた。
勝二の意図に気づき、言う。
『日本の繁栄ぶりは確かですよ』
『そ、そうなのですか!』
ヴァリニャーノ自身まだ行った事はないが、仲間のイエズス会士の報告書で知っている。
イエズス会の神父に言われ、スペイン人の船長も納得した。
勝二が駄目押しをする。
『何より国王陛下に報告しなくてどうするのですか!』
『確かに!』
正体不明のまま不意に接触してしまえば、偶発的にしろ不幸な事件が起こらないとも限らない。
今のスペイン国王はフェリペ2世であり、太陽の沈まぬ帝国と讃えられる、王国の版図を最大にした偉大な王だ。
アメリカ大陸に持つ領土と本国を繋ぐ絶好の位置に日本が現れた訳で、ここでこの事を隠した所でいずれ知るだろう。
だったら早目に話を進めた方が良い。
それも日本が不利益を被らないように、だ。
友好的な関係を作った方が互いの利益になるとし、平和的な交渉を心がけてもらう。
この船長にそれをしっかりと吹聴しておけば、本国の決定にも影響を与えよう。
しかし、対する日本側は群雄割拠の戦国時代で、国の統一もされていない上に天皇に権力はない。
国を代表して交渉する者がいないし、何よりこのような馬鹿げた話を信じる者がいるのかと疑問に思えた。
「あの織田信長ならば或いは、この話を信じてもらえますかね?」
神経質だが合理主義というのが、漫画などで親しんだ信長の性格である。
持参した地球儀を示し、地球は丸いと説明する宣教師の言葉を、その場ですんなりと受け入れたのも彼の筈だ。
日本史にはそこまで詳しくない勝二だったが、信長が本能寺の変に斃れるのは1582年であり、今から3年後の話である。
信長の後継者である秀吉にも、秀吉の後継者である家康にも、今回の話が通じるようには思えなかった。
「急いで会わないといけませんね……」
ヴァリニャーノはイエズス会士として信長に謁見している。
早く長崎に行き、信長に会えるよう段取りを付けねばならなかった。
※各港町の位置関係
諸般の事情があり、日本は東西南北が若干傾いて大西洋に移動しています。
その地図は次話で載せたいと思います。
航海の日数は以下のサイトを参考にして数値を決めました。
正しくない場合は全て私の責任です。
『バイオウェザー・お天気豆知識』より