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第37話 マザコン

 「お父様」

 「どうしました?」


 お市の娘、浅井三姉妹が揃って部屋に顔を出した。

 この三人の仲は良く、いつも一緒である。

 母の輿入れに従って大坂に移り、勝二の新たな家族となった。

 新居には警護を兼ねて重秀や弥助も住んでおり、広くて人も多い。

 現代のように家族といえども常に一緒という訳ではなかった。

 彼女らの世話は共に越してきた彼女らの侍女がしており、勝二は何となく寂しいような、ホッとしたような気持ちでいた。

 いきなり出来た小さな子供達と親しくしたいという気持ちと、女の子との接し方が分からないという不安だ。

 それに、彼女らは歴史上の有名人でもある。

 信長の妹の娘という事もさる事ながら、寧ろ彼女らが生む事になる子供達こそ問題であった。


 長女の茶々(10)は秀吉に嫁いで秀頼を生み、次女の初(9)は京極高次に嫁ぎ、三女の江(6)は徳川秀忠に嫁いで家光を生んでいる。

 特に問題となるのが三女の江で、彼女の生んだ子らが勝二のいた時代の天皇家の先祖となるのだ。

 彼女らは、日本の歴史にとって大変に重要な存在だった。

 しかしながら、こうも思う。

 既に勝二の知る歴史からかけ離れたモノとなっており、今更本来の歴史がなどと心配する必要はないのだと。

 つまり、茶々らの嫁ぎ先を自分が先回りして考える事はないと。

 勘当した妹の娘とはいえ、信長が考えるだろうと思った。

 新しい父親がそんな事を考えているとは思わない三姉妹は、期待に満ちた目をキラキラと輝かせてお願いをする。  


 「異国のお話をして下さいませ」

 「勿論」

 「わぁい!」


 勝二の肯定に三女の江が歓声を上げた。

 幼女という表現がぴったりな感じの、誠に可愛らしい姿である。

 上の二人も喜んではいるものの、勝ち気な茶々は当然とでもいうような表情をしており、万事控え目の初はいつも以上にニコニコとしている。

 三者三様な喜びようで勝二も頬が緩んだ。

 

 「では、弥助さんと出会った時の話を致しましょうか」

 「弥助とぉ!?」


 弥助は彼女らにも気に入られている。 

 体が大きくて気は優しく、織田家の中でも比類なき力持ちであり、尚且つ見た目が特別な彼は、大坂の町でも人気者となっていた。

 彼が町を歩けばゾロゾロとした行列が続き、庭で剣術や鉄砲術の鍛錬をすれば人垣が出来る程だった。

 サービス精神旺盛な弥助は重い物を軽々と持ちあげて観衆の度肝を抜いたり、その身体能力の高さを活かしてサーカス紛いの事をし、見物客の喝采を集める事を楽しみにしていた。

 勝二の経歴も知られており、その話を聞きに集まる者も多い。

 さながら勝二の新居は、大坂民の娯楽場と化していた。

 当然、集まった者に物を売る良い機会となり、新商品の開発も担う事となっていく。 




 「市っちゃん」

 「……しょーちゃん」


 妻の反応に夫は相好を崩す。

 子供達は寝静まり、夫婦水入らずの時間である。

 しかし、勝二にそれ以上を求める余裕も度胸もない。

 これは何かの罠ではないかと、心のどこかで疑っていた。 

 妻の方は、子供ですかと内心呆れている。

 しかしまあ、幸せそうなので今は好きにさせておく事にした。

 

 「詳しくお聞きする事が出来ませんでしたが、お母様の下にご挨拶に伺わなくても宜しいのですか?」


 気になっていた事をお市は尋ねた。

 夫の素性は大体の事しか聞いていない。

 この年まで嫁を取ったがない事は結婚してから初めて知ったのであるし、生まれがどことか、家族の事については殆ど耳にしていなかった。

 そんな相手に妹を嫁がせた兄にも驚くが、自分もよくぞ決心したモノだと思う。

 大坂民の関心を集め、商売に繋げる夫の手法にはいたく感心し、正しい選択だったとは思っているが、それにしてもである。

 せめて結婚の報告くらいはするべきだろうと思う。

 妻の問いかけに、夫は途端に暗い顔となる。


 「私には帰る故郷も、帰りを待つ家族もおりません……」

 「まぁ!?」


 一体どういう意味かと重ねて尋ねた。

 勝二は、設定上の物語に本当の事を織り交ぜ、身の上を話していった。

 

 「私は、南海に浮かぶ孤島の小さな村で生まれました。小さな村で、今となってはどこの領主様が治めていたのか、思い出す事も出来ないくらいです」

 「そうなのですね」


 海で嵐に遭い、異国に流れ着いたらしいと噂で聞いている。

 だからその話は理解出来た。


 「父は私が小さな頃に死んでしまい、どのような人だったのかは余り覚えておりません。以後、母と兄とで過ごしてきました」

 「お兄様もいらっしゃったのですね」


 気の毒だが死が身近な当時、そのような話はいくらでもある。


 「兄は父親に良く似ていたそうで、優しく頭も良く、父を深く愛していた母の生き甲斐でした」

 「まぁ!」


 自分の兄の姿に重ねてしまう。

 しゅうとめの気持ちが何となく分かった。 


 「ですが母の関心は兄に限定され、私は家の中でも蚊帳の外でした」

 「まぁ……」


 悲しい事だがそういう話もザラにある。

 跡継ぎが絡む大名家でそうなると、家を二分する騒動に発展する。


 「そんな母でしたが、兄は私にも何かと気を掛けてくれ、優しかった……」

 「素晴らしいお兄様ですね」

 「はい……」


 だから、兄を好きで良いとの言葉に繋がるのかとお市は思った。

 その続きを話そうとしている夫の顔が更に暗くなる。

 何を話すのか固唾を飲んで待った。


 「あれは私が12歳になった時です。兄が事故で亡くなったのは」

 「まぁ!」


 半ば予想はしていたが、やはり不幸な展開であった。

 そして、溺愛していた息子を失った母の心中を思う。

 夫が思いつめた表情をしているのを見て、まさかとまだ続きがあるのかと呆気に取られた。

 案の定、夫は悲痛な顔で言葉を紡いでいく。 


 「生き甲斐を失った母は、体調を崩して寝込んでしまいました」

 「お母様の悲しみは理解できますわ……」


 十二分に共感出来た。


 「実は私は、母がそうなって嬉しかった」

 「嬉しかった?」

 「はい」


 夫の告白にお市は訝しんだ。

 そんな性格には思えなかったからだ。


 「母が私一人のモノになった、そう感じたからです。これで元気になれば私を見てくれるだろう、そう思いました」

 「そ、そうですわね」


 お市はその続きを想像して気が重くなった。

 幸せな展開にならない事は、夫の顔を見れば一目瞭然である。

 お市は、フラグが立つという表現は勿論知らないが、直感でそれに気づいていた。


 「ですが、私の看病も空しく、母は自ら命を絶ってしまいました」

 「そ、そんな事を……」


 懸念は的中したが、正直外れて欲しかった。


 「もしかして、しょーちゃんというのは……」 

 「……はい。父が生きていた頃だと思うのですが、私にも優しかった頃に母がそう呼んでくれた記憶が残っています」

 「そうだったのですね……」

 

 お市は得心した。

 そんな妻を見つめ、迷った末に勝二は言う。


 「お市様は母に似ているのです」

 「まぁ!」


 お市にとり、思ってもみない告白だった。

 勝二にとっても、勇気を振り絞った言葉である。

 前の世界であれば、まず間違いなくマザコン認定されてしまうだろう。

 お市に伝える気になったのは、価値観の違う世界に住んで命の儚さをマジマジと感じたからかもしれない。

 命の軽さはアフリカで嫌という程目にしてきたが、他の国の悲しい現実くらいにしか思えなかった。

 しかし、民族的には同じ日本人である戦国武将の生き様に、自分も後悔をしたくないと強く思ったのかもしれない。

 マザコン認定が怖くてそんな事は口に出す事も考えなかったが、誰かに聞いて欲しいとずっと思っていたのである。


 「お市様に母の面影を見たと言ったら気持ち悪いですか?」

 「そんな事はありませんわ!」


 真剣な眼差しの夫に、お市も真剣に応える。  

 冗談めかして言う気にはならない。


 「親が子を慈しみ、子が親を慕うのに理由はありませんわ!」

 「ありがとうございます……」


 勝二は、初めて口にする相手がお市で良かったと思った。

 気を取り直して話を続ける。


 「そんな訳で母も亡くした私は家族を失い、偶々乗った船が嵐で遭難して異国に流れ着きました。親戚も知人もおりませんでしたから、帰る故郷もありません」

 「そうだったのですね……」


 そこの所は嘘である。

 同僚も上司も心配しているだろう。

 もしかしたら反政府組織に誘拐されてしまったのかと、日本中で騒ぎとなった可能性もある。

 もしもそうなら迷惑を掛けて申し訳なく思うが、帰る家がないと感じていたのも偽らざる気持ちだ。

 世界中を飛び回る商社マンとなったのも、帰るべき自分の家を探す為であったのかもしれないと今にして思う。

 出世にも財産にも興味がなかったのは、持ち帰る場所がないと思っていたのやもしれない。


 「ならばここが勝二様、いいえ、しょーちゃんの帰る家ですわね!」


 そう言ってお市は笑った。

 その笑顔は幼い頃確かに包まれていた、家族が揃う団らんの温もりを思い出させた。

 勝二の頬を涙が伝う。

 

 「はい」


 ただ一言、そう答えるだけで精一杯だった。

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