第34話 勝二の嫁取り
「帰りも船ですか?」
「いや、五箇山に寄るので陸路だ」
「五箇山に?!」
信長の言葉に勝二は驚いた。
てっきり船で帰るものと思っていたからだ。
戦国の世を制するのに欠かせない硝石が気になるのは分かるが、冬の五箇山は、例年であれば雪に覆われている。
気候の変化を知りたい気もするが、そこまでの行程が大変そうだ。
「この時期の五箇山に徒歩で向かうのは困難が伴うと思われますが……」
「決めた事だ。勝二、案内せよ」
「分かりました」
間髪入れずに頷く。
反対すれば命に係わりそうである。
「ご命令ですので承りましたが、私は一度しか行っておりませんので詳しくはありません。お詳しいのは信盛さんでございますよ?」
「構わぬ。五箇山は貴様に案内させよと信盛が言うたのでな」
五箇山の硝石増産関係は信盛に任せている。
左遷された当の本人としては汚名返上の機会の筈だが、冬の山道を案内する事を考えてこちらに回したのかもしれない。
難しい仕事になるのは確実で、信長の怒りを招くポイントが多そうだ。
「信盛さん……逃げましたね……」
「何ぞ言うたか?」
「いえ、何も」
涼しい顔をしてギロリと睨む信長をやり過ごした。
一方、兼続は肩を落としている。
「南蛮船に乗れないのですか?」
「申し訳ありませんが、またの機会という事になりますね」
「五箇山には是非とも訪れたいと思っていましたから構いませんが……」
それもあって上杉家では越中への侵攻計画を立てていた。
硝石を買うのは高くついたので、何としても五箇山を手に入れたかったのだ。
けれども信長と和睦した今、その必要度はそこまで高くない。
越後の支配を確かなモノにする戦いには、織田軍を相手にする程の装備は不必要である。
信長一行は陸路、五箇山に向かった。
スペイン艦隊は荒れた海を平気な顔で戻っていく。
「和睦したとはいえ、上杉の者を五箇山に連れて行くとか正気かよ?」
道中、重秀が不満げな顔で尋ねた。
本願寺でも秘中の秘であったのだが、こうもあっさりと外部の者を招いてしまう状況を憂いたのだろう。
その価値を理解しているのかと怪しんだのかもしれない。
「重秀さんの懸念も分かりますが、私の予想では近い将来、膨大な量の硝石が必要となります。なので、越後でも硝石を作って貰いたいと思っております」
「越後でも?! どこと戦を起こそうってんだ!?」
五箇山の硝石で石山城と尾山御坊の使用分を賄っていた。
それで足りないとは、どんな規模の戦争をするつもりなのかと思った。
「我が国は島国です。これからは海の上で戦う事になる筈です」
「南蛮船か!」
重秀は合点がいった。
南蛮船備え付けの大砲の試射を見せてもらったが、鉄砲とは比べ物にならない使用量だった。
しかも、的に中々当たらない。
何発か撃ってようやく命中するような体たらくである。
動いていない的を、動いていない状態で撃ってこれなのであるから、互いに動いている船同士が戦えば、一体どれだけの火薬と弾を浪費するのか頭が痛くなった程だ。
そんな戦いをするには、硝石はいくらあっても足りないだろう。
「成る程な。あの船同士でやり合うなら、越後でも作ってもらわねぇといけねぇな」
「培養法を他国に教えて下さいなんて、五箇山の住民の方に殺されかねないお願いですけどね……」
「まぁな」
培養法があるからこそ、貧しい土地柄ながら年貢も収められている。
もしもその技術が他へ広まれば、五箇山の価値は低下して元の貧しい山村に戻ってしまいかねない。
技術の漏洩は死活問題だった。
「しかし、それを押して実現しないと西洋諸国とは渡り合えません」
「違ぇねぇ。あの船に積んであった火薬だけでも、俺達が一回の戦で使う分くらいはあったからな」
重秀は己の目に焼き付けた記憶を思い出した。
西洋人の持つ力を、心底恐ろしいと感じた瞬間だった。
あの南蛮船は、戦う為だけに作られた船だと聞いている。
そんな船に、日本では国同士での戦いで使うような分量の武器弾薬を所狭しと積んでいた。
目的に特化し、無駄を排除するその姿勢に仰天したのだ。
戦う事しか考えていない、その純粋性を怖いと思った。
一旦戦火を交えれば、敵を殲滅するまで動きを止めないのではと。
「我らと彼らでは、そもそもの物量が違います。船での戦いには技量もありますが、まずは数を揃えないと太刀打ちする事すら不可能です」
「成る程な……」
勝二の言葉は重秀の心胆を寒くした。
圧倒的な力の前に手も足も出ずに沈められていく、毛利や織田水軍の姿を思い浮かべ、体がブルっと震えた。
しかし重秀も、数多の戦場を潜り抜けてきた猛者である。
手強い相手に恐怖しても、次にはどうやったら勝てるのか考えていた。
第一、自分が仕える目の前の男は、それらの国に対抗しようとしてこれまで動いている。
硝石の事も西洋に勝つ為の計画なのだ。
それを思うと先ほどまでの恐怖は消えていた。
代わりに、言い得ぬ安堵感と武者震いがある。
この男の下で存分に暴れてやると心に誓った。
「ま、南蛮人が相手でも、俺に出来るのは戦働きくらいだしな」
「戦の事はさっぱりなので、重秀さんに全てお任せ致します」
「顕如様と同じかよ……。船での戦はやった事がねぇが、どうにかなるだろ」
この先に待ち受ける大きな戦に心を燃やしつつ、旅は続いていく。
「越中だ!」
「国境に着きましたか」
弥助が指さす方向には、信長の到着を出迎える織田勢の姿が見えた。
五箇山、氏郷の硝石丘法の視察を無事に終え、信長一行は安土城に到着していた。
安土城を見た兼続の感想は、ただ一言「凄い」であった。
加賀の状況は文書で報告を受け、把握に努めている最中である。
カルロスとの交渉も順調で、スペインとの同盟を結ぶ条件は整った。
そんな師走も終わりに近づいた頃、安土城に朗報が次々ともたらされる。
「羽柴様が領地に帰られたそうです!」
毛利との和睦が成り、最前線で対峙していた秀吉が帰ってきたようだ。
「信忠様、武田勝頼の首を討ち獲ったとの事です!」
武田を駆逐する為、甲斐に進軍していた信忠であった。
見事勝利したようだ。
「毛利、上杉とは和睦が成り、遂に武田ともケリがついたか。南蛮国との同盟もあるし、今年の正月は賑やかになるな」
いつもは厳しい目つきの信長も、この日ばかりはにこやかであったという。
正月、織田家の主だった面々が信長へ挨拶をする為、続々と安土城を訪れていた。
「信忠、良くやった」
「勿体ないお言葉です、父上!」
今年の功第一と言えば、長男信忠による、武田勝頼の討ち取りであろう。
織田にとって武田は宿敵であり、遂に目の上のたん瘤が取れたと言える。
進軍した飛騨には滝川一益が残り、残りの武田領は徳川、北条、上杉が切り取っているらしい。
「サルもご苦労」
「全てはお館様のお力あっての事ですぎゃ」
秀吉がヨイショするように言った。
事実、南蛮船を使った信長の圧力がなければ、毛利との争いはもっと長引いていただろう。
毛利の両川のうち、武闘派の吉川元春は秀吉の事が嫌いであり、結ぶ相手は織田家とは言え、秀吉と和睦など断固反対の立場であった。
そこに現れたのが信長で、元春としても面目が立ったのだ。
「兄様、新年おめでとうございます」
「おぉ! 市か!」
戦国一の美女と名高い、妹お市の方であった。
信長による天下統一も間近となり、兄を慕う身として真っ先にお祝いに来たかったのだろう。
「お館様におかれましては、ご機嫌麗しく」
家臣達も挨拶をしていく。
時をまたぎ、宴となった。
安土城の大広間にて、賑やかな祝宴が開かれる。
「勝二、この度の天変地異と西洋の事情を皆にざっと説明せい!」
「畏まりました」
余興でもなかろうが、信長が勝二を指名した。
先の説明会で使った地図などを使い、大まかな流れを述べる。
また、これから同盟を結ぶスペインという国がどういう国家なのか、分かり易く話した。
「質問がございます」
「お市様? 何でございましょう?」
声を上げたお市に向き合う。
分からない事があれば、その場で聞いてもらう方がありがたい。
しかし、信長は気に入らなかったらしい。
「これ市、皆の前だ、控えよ」
「折角の機会なのに嫌でございます」
窘めるもお市は聞く耳を持たない。
その態度が癇に障ったのか声が大きくなった。
「市、出過ぎた真似をするな!」
「でも兄様!」
怒り心頭で大声で怒鳴る。
「儂は下がれと命じたのだぞ!」
「ですが!」
お市の抵抗に堪忍袋の緒が切れた。
「まだ言うか! 儂の言葉が聞けぬなら織田家にいる事は罷りならぬ! 出ていくがいい!」
短気な信長とは言え、流石に肉親を切って捨てる事は出来なかったらしい。
勘当であった。
しかし、怒ったのはお市も同じ。
「あぁ、そうですか。ならば妾は今日から織田家の者ではないという事で、金輪際兄様の言う事を聞く必要はないという事でございますわね?」
「そうだ! 今日から兄でも妹でもない!」
吐き捨てるように言った。
勝二はハラハラして二人を見守る。
仲裁に入りたい所だが、この二人の間に立つのは厄介極まりない。
それは他の者も同じようで、どうなる事かと心配げな顔をする者、自分は見ていないと素知らぬ顔をする者、その反応は様々である。
そんな家臣達を置いてけぼりにして、二人の喧嘩はあらぬ方向に進んでいく。
「では、妾の再婚相手も妾の勝手という事でございますわね?」
「儂の知った事か!」
「良かった!」
信長の言葉を受け、何を思ったか喜色満面の笑みでお市は振り向いた。
そんな状況ではないと思いつつ、勝二はその笑顔に見惚れてしまう。
他にも鼻の下を伸ばしている者は多かったが、そんな彼らにお市は言った。
「この場のどなたか、妾を遊ば……娶って下さるお方はおりませんか? 出来れば財に余裕のある方が良いですわ」
その言葉に場はざわついた。
どういう意味だと隣の者らと囁き合う。
娶るとはお市の方をかと、酒に酔った頭でどうにか理解した。
あの美人をかと驚いて見つめれば、とろけるような微笑みが返ってくる。
思わずデレデレとなる男達に、冷や水を掛ける声が響く。
「この女の再婚相手など儂にはどうでも良いが、遊んでいるだけの穀潰しを娶る織田家の者がおるとは思わんな。仮にいたとしたら先の見えぬ者である事は確実、この先織田家での出世は望めぬと思うが良いぞ。それに随分と懐に余裕のある者だろうから、来年はどれだけ働いてくれるのか楽しみだ。信盛のように」
その呟きに誰もが凍り付いた。
たちまちのうちに酔いが醒めてしまう。
誰もが立身出世を夢見て泥水を啜っているのである。
いくらお市の方が絶世の美女だとはいえ、出世を捨てる訳にはいかない。
それに、財に余裕のある者という条件も気になる。
「ええぃ! 誰か妾を娶る富豪の者はおらぬのですか!」
「富豪って、遊んで暮らしたいという本音が駄々洩れなんじゃ……」
「何でございますか勝二様?」
「いえ、何でもありません……」
つい口を出た勝二のツッコミに、お市はキッと睨んで黙らせた。
誰も申し出る者がいない事に腹を立て、お市は直接名指しする。
「確か柴田様は妾を娶りたいと言っていたとか?」
「あ、いや、何と申すか、我が領地は物入りが多く……」
勝家は口ごもった。
折角越前を任されたのに、信盛のように全てを取り上げられて追い出されては敵わない。
下を向いた勝家に痺れを切らし、今度は秀吉を睨む。
「羽柴様は如何です?」
「ねねに愛想を尽かされるぎゃ!」
ブルブルと震えていた。
「あけ」
「無理です」
お市が言い終わる前に光秀は拒否した。
問答無用である。
「心が狭く、懐の寒い殿方ばかりですこと!」
大袈裟にお市は嘆いた。
当てが外れてショックを受けているようだったが、深刻そうではない。
「仕方ありませんわね!」
何か考えがあるのか、静々とした足取りで歩を進めた。
勝二はお市の優雅な姿に目を奪われる。
そして、彼の目の前で足を止め、流れるような動作で正座し、両手をついて頭を下げつつ言った。
「勝二様、不束者でございますが、これから宜しくお願いいたします」
「へ?」
お市の言葉に呆気に取られた。
言っている事が理解出来ない。
「ほう? 勝二、貴様、覚悟は出来ておるのだろうな?」
「ええっ?!」
信長の発言で更に混乱する。
頭を整理する為にお市に尋ねた。
「お市様、これは一体どういう事でございましょう?」
「ですから、妾の再婚相手になって下さいまし!」
「何ですって?!」
ようやく状況を理解したが、理解した所で意味が分からない事に変わりはない。
アタフタしている勝二に構わず、二人はニコニコとして言った。
「ククク。勝二よ、来年は昨年以上にこき使ってやるからそう思え!」
「出世は望めませんが、妾と子供達だけでも余裕のある生活が出来るよう、兄様の下で必死に働いて下さいまし!」
「そんな勝手な……」
勝二の意見を聞く事もなし、二人はドンドンと話を進めていく。
夫婦の住まいの話が、いつの間にやら信長の住まいへと変わり、安土城は信忠に譲る事にし、石山城に居を移す事が決定した。
名を大坂城と変え、スペインとの同盟並びに交易に備える事にまで話は及ぶ。
家臣達から驚きと歓声の声が響き、勝二は我に返った。
「これって出来レースなんじゃ……」
全てが疑わしい。
家を追い出すとか、妹でも兄でもないとか、先ほどまで繰り広げていた喧嘩は一体どうなったのかと思った。
初めから仕組まれていたのではと。
しかし、その理由など思いもつかない。
何より、信長の親族となる事が恐ろしい。
「いや、お市様が勘当されたのですから、一門とは無関係なのでしょうか?」
そうであれば良いのにと思った。
『ショージ、結婚おめでとう!』
『ありがとうございます……』
カルロスの祝福にも心は晴れない。
『暗い顔をしてどうしたんだい? あんな美人を嫁に出来るなんてショージは幸せ者だよ?』
『西洋人のカルロスさんから見ても、お市様は美人なのですね』
妙な所で感心した。




