第33話 信・景会談
「織田信長である」
「上杉景勝なり」
春日山城にて両者の会談が開かれた。
初めは偽者と考えた上杉家であったが、本物と知って驚き、急遽開催する運びとなっている。
「猛き越後の龍、雄々しき甲斐の虎は天へと昇り、余を囲っていた包囲網は既に破れた。この度起きた天変地異への備えを考えれば、貴公も天下の趨勢に従うが良かろう」
信長が、和睦と言う名の降伏勧告をした。
「謙信公の掲げた義を尚も求めるなら、民の望まぬ戦を続けている場合ではあるまい」
「義昭公を擁する毛利公が控えているのに、我らが降りる訳にはいかぬ!」
景勝はそれを拒否した。
石山本願寺と武田勢は破れたものの、中国地方を支配する毛利の力は依然として大きい。
そもそもこの度の信長包囲網は、信長によって京から追放された最後の将軍、足利義昭の呼びかけに応じて形成されている。
その義昭を匿う毛利が信長に対峙している限り、戦いもせずに和睦する選択肢は取れなかった。
それこそ信義に反しよう。
「その事だが、毛利公とは既に和睦したぞ?」
「何ぃ?!」
あっけらかんと言う信長に景勝は言葉を失った。
信じられない。
「あの南蛮船に乗って領地を訪ねた所、快く承諾してくれた次第」
「あり得ぬ」
「では、これでも読め」
信長は懐より文書を取り出した。
毛利輝元との間で交わされた、織田家と毛利家の合意文書である。
「馬鹿な……」
その内容に景勝は呻いた。
停戦に合意して互いの領地を定め、以後は協力関係を築いていく旨、連名で書かれている。
「義昭公の処遇は?」
ふと思いつき、景勝が尋ねた。
それについては何も書かれていない。
しかし、織田と毛利に都合が悪いからと、彼の存在を無視するのも不義であろう。 それまでは両者共、その権威を存分に利用してきた筈なのに。
「それは余のあずかり知らぬ事」
「無常なり……」
室町幕府の終焉を思い、景勝は瞑目した。
「小早川隆景に船を見せたら青い顔をしておったな」
「そのような事が……」
思い出し笑いなのか、にこやかに笑う信長が説明した。
景勝との会談を終え、用意された屋敷に留まっている。
勝二はその時の隆景の心中を察した。
景勝同様、まさか信長本人が現れるとは思っていまい。
「慌てて吉川元春へ報せの馬を走らせたようだ」
「元春公は山陰が領地でしたか」
尼子氏の領地を引き継いだ筈だ。
「左様。なので馬関を回り、山陰に着いた頃には待ち構えておった。大層緊張した顔をしておったぞ」
さもおかしそうな口ぶりである。
「南蛮船に手痛い目に遭った物と思われまする」
「元就公の時代、門司城だったな」
信長と共に現れた男が発言した。
短気な信長の信頼を得ているように感じる。
才気溢れる見た目であった。
因みに二人が言及したのは門司城の戦いである。
1561年、毛利方が占領する門司城に対し、大友宗麟の軍が奪還に向かった。
その際、宗麟は付き合いのあったポルトガル商人に頼み、門司城へ砲撃を加えてもらっている。
日本で初めてとなる、艦砲射撃であった。
戦況には影響を与えなかったが、毛利方の肝を大いに冷やしたという。
「そちらの方は……」
不思議に思い、勝二が尋ねた。
「光秀、こやつが勝二よ」
「ははっ!」
「何ですと?!」
勝二は驚いた。
まさかあの光秀かと思った。
「手前、明智光秀と申す」
「ご、五代勝二です!」
やはりであった。
慌てて頭を下げる。
信長と言えば裏切り者の光秀と半ばセットだが、まさかそのセットで越後にやって来たとは。
とは言え、未来にするかもしれない行為を以て、今を判断する事は出来ない。
往々にして人は出来心で過ちを犯してしまうが、それは偶々巡り合わせが悪くて起こしただけの場合もあり、巡り合わせ次第では何も起こさないからだ。
会社の売り上げを横領した職場の者がいたが、それまでの勤務態度は至って真面目で、まさかそんな事をするとは思わなかったと誰もが口にした。
横領する事態に陥ったのも、調べれば不幸な偶然が重なった結果に思われた。
口さがない者はボロクソに言っていたが、それまでの彼を知っていただけに、生来の悪者だと断ずる気にはなれない勝二だった。
「書式と申す物、この目で見せて頂いた。成る程、定型にすると読みやすく書きやすい。楷書にするというのも納得であった」
「ありがとうございます」
史実での謀反について考えているとは知らない光秀は、加賀で目にした勝二の仕事を褒めた。
その言葉の裏に打算があるとは思えないが、かと言って光秀も戦国の世を生き抜いてきた武将の一人だ。
裏切り裏切られが普通の世界で、現代人の感覚は通用しまい。
そもそも、今のこの状況こそが命の危機ではと思う。
「信長様が越後におられる今、よからぬ事を考える者達も出てくるのではありませんか?」
流石に暗殺という単語を使う事は出来なかった。
当然過ぎる勝二の懸念に対し、信長は不敵に笑う。
「策は万全よ」
「策、でございますか?」
想像も出来ず、質問が口を突いて出た。
「これよ」
信長は屋敷の庭に向けてその手を挙げた。
どういう事だと首を傾げていると、屋敷からは見えないものの、沖に停泊しているスペイン艦隊の方角から大砲の音が響いてきた。
屋敷まで空気の震えが伝わってくるような音である。
何事かと肝を潰し、庭に転がり出てきた上杉家の面々が見えた。
「戦を始めるのですか!?」
勝二も驚き、叫ぶ。
しかし信長は笑うばかり。
十数発くらいの音が止んで初めて口を開く。
「心配するな。空砲である」
「空砲ですか?」
意味が分からず、その顔をマジマジと見つめた。
「我を害しようと思うなよと、警告のつもりだ」
「な、成る程……」
その説明にドッと疲れを感じた。
心臓に悪い。
「兎に角、とっとと交渉にケリを付け、とっとと安土城に帰るぞ!」
「加賀ではなくて安土ですか?」
その発言の意図が読めない。
加賀での仕事も途中だが、越後派遣は武田への援軍を阻止する事も重要な目的の筈だ。
そんなやり取りに痺れを切らしたのか、怒気を込めて信長が言う。
「貴様がおらんと南蛮人との交渉が進まぬ!」
「そう言えば、今まではどうやっておられたのですか?」
「伴天連の宣教師に頼んでおったわ!」
それきり話は出来なかった。
仕方がないので勝二は部屋を去る。
「宜しいか?」
「構いませんよ」
夕刻、光秀が勝二の部屋を訪ねてきた。
「勝二殿のお知恵を深く拝聴したいと思い、参った次第」
「知恵だなんて、そんな……」
重秀や弥助は空気を察し、そっと部屋を後にした。
一応、何事か起きても直ぐに対応出来る位置にいる。
部屋を出ていく弥助を目にして光秀は驚いた様子だったが、声に出すまではしなかった。
「あの書式なる物は勝二殿のご発案ですかな?」
「ええ、まあ。ああいうモノがあれば便利だなぁと思いましたので……」
こうして勝二と光秀は言葉を交わした。
と、そんな時だ。
誰も部屋にはいないのに光秀はチラッと辺りを伺い、小声でそっと囁いた。
「ここだけの話、お館様から頂戴した一文が読めずに勘違いし、後で冷や汗をかいた事があるのだ」
「そ、それは?!」
その告白に衝撃を受けた。
それが謀反を起こした理由なのではと思ったからだ。
光秀が信長を攻めた原因については諸説あるが、未だ決定的と呼べるモノはない。
もしかして信長の書いた手紙が読めずに内容を勘違いし、本能寺の変に繋がったのではないかと勝二は思い至った。
そうは書いていないのに書いてあると読み違え、想像を膨らませて謀反しかないと思い込んでしまったのではと。
目の前の光秀は生真面目そうな印象で、思い込んだら一直線な感じがした。
元同僚にも同じような人がいたので既視感がある。
仕事は優秀であったが若干妄想が激しく、飲み屋の女性に運命を感じてしつこく言い寄り、遂にはストーカーと化して警察沙汰にまでなったのだ。
見た目だけで即断は出来ないが、第一印象の通りであったという経験も多くある。
勝二は話を合わせた。
「私なんて信長様の書いたモノだけでなく、加賀にあった文書の殆ども読めませんでした!」
「それは、何ともご苦労な事だ……」
光秀は呆れたような、同情するような顔をした。
「今の境界を以て織田と上杉の国境とする」
「承知した」
時を置かずして織田家と上杉家の間で和睦が成った。
それと共に堺から瀬戸内を抜け、山陰、敦賀、越後、蝦夷地を結ぶ交易港を開設する事が決定されもした。
また、越後の領地を整備する為の支援金が、信長から贈られる事となった。
「織田家の者を越後に留めたのだ。今度はそちらの者を我が領地に招待してやろう」
「なぬ?!」
一通り終えた所で信長が口火を切った。
ぐるりと場を見渡し、一人の男に目を止める。
「その方、名は?」
射殺そうとでもいうような鋭い視線であった。
信長の威圧を真正面から受け、些かも怯む事なくその男は名乗る。
「直江兼続と申します」
凛とした声が響いた。
「兼続か。その方を賓客として我が安土城に招いてやろう。来るか?」
挑発するような物言いだった。
来るかと問いながら、来る事など出来まいと言いたげだった。
兼続が上杉家の中でも景勝に近い地位にいる事は、その座る場所を見れば明らかであるし、景勝が心配げな顔をしきりと送っている事から、彼の信頼を集めている事も容易に知れる。
そのような家臣を、死地かもしれない信長の下に送り出せるのか、景勝の判断を図る。
それと共に、虎児などいないかもしれない虎穴に自ら入る事が出来るのか、兼続の度胸を試した。
勝二を引き留めた事の報復という意味もあったのかもしれない。
兼続は暫し考え、答えを出す。
「ご招待、有難くお受け致します」
「兼続!?」
景勝が思わず叫んだ。
危険だと顔に書いてある。
あの信長ならば難癖をつけ、腹を切らされる事にもなりかねない。
「殿、ご心配には及びませぬ」
思わず見惚れるような、見る者を安心させる姿であった。
「勝二殿を無理に引き留めたのは我らです。その償いを果たして参ります」
「し、しかし……」
景勝の言葉を遮るように兼続は続ける。
「それに今は上杉家の飛躍にとって大事な時です。株式をしっかりと学んで参ります」
「そ、そうか……。頼むぞ」
「お任せあれ」
こうして兼続の安土城行きが決まった。
『ショージ!』
『カルロスさん!』
ようやくカルロスとの面会となった。
航海の無事と再会を祝う。
『日本の自然は美しいな!』
『気候が変わると、この自然がどうなるのか分かりませんが……』
それが一番恐ろしい。
『それはそうと、頼まれていた野菜の種苗だ』
『ありがとうございます!』
待っていた物の到着だった。
『ジャガイモ、サツマイモ、トマト、トウモロコシ、トウガラシ、カボチャ。探すのに苦労したよ。植物園にまで行ってようやく見つけたくらいさ』
『カルロスさんには日本人を代表して感謝致します』
勝二は深く頭を下げた。
『しかし、君もよくこんな作物を知っていたね?』
その顔は不思議そうだ。
アメリカを植民地にしているスペインの、高級官僚である自分でさえ、新大陸の作物はそこまで把握していない。
『ええ、まあ、色々と』
勝二は曖昧に誤魔化した。
『とは言え、これで飢饉への備えが出来ます!』
早速上杉家にも分けてあげなければなるまい。
ついでに北条家にも送ってもらう算段を付ける。
上杉家は度々関東に侵攻し、北条へ通じる道には精通している。
イングランド船に乗った政宗らは長い航海の末、遠い水平線の向こうに島影を見た。
「あれがブリテン島?」
「遂に着きましたか!」
二人は喜びに手を取り合った。
「島津が何ほどぞ!」
撤退する島津軍を遠目に見据え、道雪が吼えた。
耳川での屈辱を見事に雪ぎ、大友の失地を取り返している。
ポルトガルの大砲の威力は凄まじく、島津軍の抵抗はないも同然であった。
城に籠っていた島津軍にとってみれば、何が起こっているのかも分からない間に瞬く間に城門を破られ、慌てて撤退を決めたのだった。
「勝鬨を上げよ!」
道雪の言葉に、大友全軍が歓喜で応えた。
政宗らの時系列がおかしいですが、同時進行という訳ではないとご理解下さい。




