第31話 織田軍の越後進攻
「今日はこの日本を取り巻く、西洋諸国の事情を説明致しましょう」
「宜しくお願いします、勝二先生」
勝二は直江兼続らを相手に講義を行っていた。
兼続は直ぐに勝二へ敬意を払い、先生扱いをしている。
また、勝二の知識を重要視し、景勝に訴えて上杉家の前途ある者を列席させもした。
当初はこれから展開される貿易の展望についてや、取引されるであろう品目、越後でも手を付けられる加工品等の話であった。
貨幣経済の基礎についても既にレクチャーしている。
一を聞いて十を知る兼続に触発され、持てる知識からこの時代に伝えられる事全てを教える事にした。
とは言え未来予知とはならないよう、厳重に気を付けている。
「西洋の歴史を語る上でローマ帝国は欠かせません」
「ローマ帝国ですか?」
「そうです。ローマ帝国が今の西洋諸国に大いに影響を与えたからです」
「成る程」
全ての道はローマに通じるとも言う。
「帝国とは大まかに、多民族、多人種、多宗教までも含めた巨大国家であると言えます。我が国は人種的には同じですが、蝦夷地のアイヌ、琉球は民族的に若干違うと言えましょう。また、日蓮宗と真言宗、一向宗は違うと言えば違いますが、仏陀を開祖とする仏教としては同じ系列です。しかし西洋での主流は唯一神を信じるキリスト教であり、一方の中東にはキリスト教を補完し、完成された教えであるとするイスラム教が優勢です」
「そのような違いがあるのですね。宗教についてもお教え頂けますか?」
「では、次回は世界の宗教について話しましょう」
「よろしくお願いいたします」
話している間に次の講義の内容が増えていった。
勝二は自ら描いた世界地図を示し、ローマ帝国を説明していく。
「ローマ帝国の起源である王政ローマは、今から約2400年前(紀元前8世紀)、ロムルスによって建国されたと言われています。王政ローマはその後イタリア半島を支配し、周辺諸国を軍事的に征服する事で帝国として成立しました。最盛期には地中海に面する地域は元より、今のブリテン島であるブリタニア、メソポタミア地方にまで及ぶ巨大な地域を支配しています。ローマ帝国の名は我が国にも大秦として伝わっており、正倉院に収められている宝物のうち、ローマより伝わった物もあるそうでございます」
「何と!」
古典にも通じた兼続には驚きの説明であった。
正倉院収蔵のガラス製品である瑠璃は、ローマガラスの可能性がある。
「イタリア半島の一部地域を支配していた頃は王政で、半島全体を治め、周辺国を支配していく頃には元老院が主導する共和制となっており、広大な地域を治める手法を編み出していく過程において、絶対的権力者である皇帝を擁する帝政へと移行します」
「ふむ」
興味深いと兼続は頷いた。
「王政における王とは、今の我が国において考えれば、それぞれの諸大名に当たるでしょうか。血統による世襲であり、徴税や軍事的な命令を下す権限を持っております」
「成る程」
身近なモノに例えてもらえると理解しやすい。
注意せねば勘違いを生むが。
「しかし王の失政によって民の不満は爆発し、王政は廃されて共和制へと変わります。共和制においては執政官を中心とし、貴族が集まって話し合いを行い、政策を決める形を取りました。その際、元老院という組織が力を発揮します。共和制は、我が国における平安貴族の政治に似ていると言えましょうか」
「ほほう」
兼続は文献で知るのみだが、貴族による政治の知識は持っていた。
「しかし徐々に平民の力が増していき、貴族の持つ特権と衝突し始めます。注意せねばならないのは、平民と言っても我が国における民とは意味合いが違う点です。ローマにおける平民は兵士の主体であると言え、我が国においては平安貴族に仕えた武士の原形と言えましょう」
「侍は貴人の傍に在る事を意味する、さぶらうがなまった言葉ですね」
博識な兼続であった。
「我が国では武士が貴族に取って代わりましたが、ローマでは貴族と平民の協議によって国の運営をするようになりました」
「成る程」
民主主義の原形は古代ギリシアで既に見られる。
「しかし共和制は、我が国くらいの大きさであれば十分に機能したのでしょうが、ローマが周辺諸国を飲み込んでからは機能不全に陥ります。人口が増えて代表者を増やしたはいいですが、今度は議会が紛糾して決まる物も決まらなくなります」
「船頭多くして船山に上る、ですね」
理解が早くて助かると勝二は思った。
「そんな共和制ローマに、偉大な政治家であり卓越した軍人でもあるユリウス・カエサルが現れます」
「ユリウス・カエサル……」
兼続はその名を口にした。
「戦に強い者が人心を集めるのは、古今東西で共通した人の常です。カエサルの戦功は凄まじく、共和制ローマの版図を大幅に広げました」
「おぉぉぉ」
勝二はカエサルによって広がったローマの領土を地図で示した。
その大きさに兼続らは言葉を失う。
比較として描かれた日本の大きさを、はるかに超える広大な領域であった。
「しかし、強すぎる光には生まれる闇も濃くなると申します。ローマが持つ力全てをその手に収めんとするカエサルに、共和制の危機を感じた反対派は暗殺という手段に訴えます」
「強すぎる者には反発が……」
兼続は信長包囲網を頭に描いた。
同時に勝二も、この先起こるかもしれない本能寺の変の事を考えていた。
明智光秀が裏切った理由は定かでないが、信長による天下統一まで後一歩であった事は確かである。
カエサルと同じと言えるかもしれない。
「そして、カエサルの養子であったオクタウィアヌスが内戦を制して初代皇帝となり、その後に続くローマ帝国が完成します。その際、尊厳ある者という意味のアウグストゥスとの称号を贈られ、以後、ローマ皇帝はカエサルと共にアウグストゥスの称号を得る事になります」
「襲名ですか……」
「まさに」
兼続は自分達と似たような西洋の習慣に驚いた。
「ローマ皇帝の権限は以下のようなモノがあります。一つには全軍の最高指揮権、執政官への命令権、皇帝属州総督の任命権、自身の不可侵権、議案提出権と拒否権などです」
「ほう?」
初めて耳にする異国の統治手法に兼続は感心した。
それらの権限が持つ意味を理解出来た。
「しかしオクタウィアヌスは賢明でした。実質的な帝国の支配者となっても、表だってその権力を誇示するような振る舞いはせず、元老院を尊重したのです。そのお陰もあって権力と権威を皇帝に集める事に成功し、中央集権体制を確立しました」
「能ある鷹は爪を隠す、ですか」
兼続の言葉に勝二は首を縦に振った。
「とは言え、賢明で偉大な皇帝が生まれ続ける筈もございません。暴君や暗愚なる皇帝がその地位に就く度に、帝国は揺らぎました」
「他人事ではありませんね……」
兼続は室町幕府の将軍職を思い、溜息をついた。
「やがて混乱を収束する為、帝国を分割して統治する手法が取られます。二人の皇帝を置いたのです」
「まるで南北朝のようですね」
「ローマ帝国の場合はどちらも正統な皇帝ですし、一人で両方の地を治める者もいるので、南北朝と同じでは……」
「そうなのですか?」
帝国を二つに分けても、どちらも日本よりは大きい。
事情は違うだろう。
「またこの時代は、オクタウィアヌス帝の頃、ユダヤ属州の地に生まれたイエスによって開かれたキリスト教が、ローマ帝国の国教に決定された時期でもあります。今から約1200年前の事です」
「そんな昔に……」
伴天連の歴史を思った。
「それは兎も角、ローマ帝国はコンスタンティノポリスを首都とする東ローマと、ローマを首都とする西ローマに分かれます」
「はい」
「けれども西ローマ帝国はゲルマン人の侵入に耐えきれず、建国100年を待たずに崩壊しました」
「え?!」
唐突な終止符に呆気に取られた。
二分されたとは言え西ローマ帝国の版図は大きく、易々と攻め滅ぼされる事はないと思った。
勝二は感慨深げに口にする。
「盛者必衰でしょうね」
「はぁ……」
栄枯盛衰とも言う。
「兎に角、西ローマ帝国が崩壊し、その後を継ぐ形で生まれたのが現在に繋がる西洋諸国の始まりです。彼らはローマ帝国の正統な後継者を自認し、かつての栄光を取り戻そうと考えているようです」
「ほう?」
西ローマ帝国崩壊後の実態は複雑で、簡単には説明出来ない。
勝二は話を進めた。
「西ローマ帝国の残した遺産として大きな物に、伴天連として知られるカトリック教会があります。今のスペイン国王はカトリックを信奉して国を纏めていますし、カトリックの威光をあまねく世界に広めようとしています」
「成る程」
それは鎌倉幕府を開いた源氏の後継を誇称する、戦国大名と似ているのかもしれない。
「一方、東ローマ帝国はその後も長く続きますが、主体がローマ人からギリシア人へと移り、公用語をギリシア語とし、カトリックの最高位聖職者たるローマ教皇と対立した事によって国教を東方正教会と変え、区別する為にビザンツ帝国とも呼ばれます」
「ふむ……」
その辺りは良く分からない。
実感が沸かなかった。
「そしてローマ帝国の正統な後継者であるビザンツ帝国も、今から約140年前、イスラム教を信奉するオスマン帝国によって滅ぼされます」
「成る程……」
兼続はその歴史を思った。
他国の事とは言え、大変に感慨深い。
「面白い事にイスラム教を信奉している筈のオスマン帝国も、東ローマ帝国の後継者を自称しています。それだけローマ帝国という巨大国家は魅力的なのでしょうね」
「ふむ……」
「また、西ローマ帝国崩壊後、フランク王国のカール大帝がローマ教皇によって戴冠されてローマ皇帝に即位、神聖ローマ帝国が成立しています」
「な、成る程!」
複雑そうだ。
「こうして西洋諸国は今に至っております」
「地図で見ると動きが良く理解出来ますね」
勝二の説明は分かり易かった。
「今日も大変勉強になりました」
「至らない点が多いですが、参考になりましたら幸いです」
頭を下げる兼続に勝二もホッとする。
学校で学んだ事と社会に出てから仕入れた知識を総動員し、出来るだけ詳しく伝えたつもりだ。
大西洋の真ん中に移動してしまった今、西洋への知見は必須だろう。
西洋諸国の力関係に、否が応でも巻き込まれる。
「大将、帰らねぇで大丈夫なのか?」
兼続に用意してもらった屋敷に戻り、寛いでいる所に重秀が言った。
短気で疑い深い信長は、ちょっとした家臣の動きを怪しんでしまう。
思い込みも激しいようで、一旦そうと思いこんだら最後、他人がそれを覆すのは難しい。
今回の事態も、どう思われているのか心配ではある。
「それは確かに気になりますが、我々がここにいる事で武田への援軍を思い止まらせているとも言えます。人に物を頼むのに謝礼は欠かせませんが、上杉家にとり、今は織田と武田を天秤に掛けているのかもしれませんね」
「それはそうかもしれねぇが、武田は風前の灯火で、上杉だって最早織田には敵わねぇ状態だぜ?」
それも正しいのだろう。
国力の差は歴然で、信長が本気になれば上杉家とて危うい。
今の織田家の力を以てすれば、毛利と敵対しつつ武田と上杉を同時に相手にしても、戦いを優位に進められそうである。
それを分からない景勝や兼続ではありまい。
「私に任せて頂けていると思いたいですが……」
「いや、問題は時間が掛かり過ぎている事だろ?」
「それを言われると何も言えません……」
勝二は天を仰いだ。
「遅い!」
重秀の心配は的中し、安土城の信長は気分を害していた。
スペイン王の使者であるカルロスは既に到着している。
カトリックの宣教師に通訳を頼んだので、カルロスとの会見は問題なくやり過ごせているが、同盟に関する話し合いの場を異国の者に同席させる気にはならない。
信長が勝二の性格を買っているから尚更であった。
「勝二はどこで油を売っているのだ!」
任せた事の重さを忘れ、怒りを込めて信長は叫んだ。
額に汗を浮かべた蘭丸が駆け付け、言う。
「お館様! 勝二殿より報告が届いております!」
「何?! 寄越せ!」
差し出された手紙を信長はひったくるように奪い、直ぐに目を通す。
「上杉家への講釈で遅くなるだとぉ?!」
こめかみをプルプルと震わせている。
相当に怒っていると蘭丸は肝を冷やした。
突如、信長はすっくと立ちあがり、蘭丸に命じた。
「直ぐに馬を用意しろ!」
「ははっ!」
気が立っている信長へ口を挟む行為は命に係わる。
嫌な予感がしたがすかさず首肯した。
「して、どちらに向かわれるのですか?」
しかし目的地を確かめない訳にはいかない。
恐る恐る主君に尋ねた。
信長はニヤリと笑い、告げる。
「あの南蛮人を越後に案内してやろうと思ってな」
蘭丸は聞いた事を後悔した。
ローマ帝国に関する説明は話半分でお願いします。




