第29話 上杉へ
「只今帰りました」
「待ちくたびれましたよ!」
加賀に辿り着いた勝二を迎えたのは、その帰りを今か今かと待っていた氏郷だった。
「早速ですが宜しいですか?」
互いの無事を喜ぶのも束の間、そそくさと要件を切り出そうとするが、返ってきた答えは無情である。
「申し訳ありません。これから直ぐに上杉領に向かわないといけないのです」
「え?!」
呆気に取られた。
勝二がすまなそうに説明する。
「武田方が徳川領に攻め入り、織田からは援軍と討伐軍が出た事はご存知ですよね?」
「聞いております。参加出来ないのが悔しいくらいです!」
氏郷はさも残念そうに言った。
武功を立てる折角の機会であるのに、その場に居合わせる事が出来なかった自分の不運を嘆くばかりだ。
悔しさを滲ませる氏郷に言う。
「それに関し、上杉家が武田側に加勢しないよう牽制しに行けと、信長様のご命令です」
「上杉へ!?」
それもまた驚きの内容だった。
織田家の北陸方面軍である柴田勝家は1577年、手取川の戦いで上杉謙信に敗れている。
翌78年に謙信が急死し、後継者を巡って上杉家で内紛が勃発した隙を突いて加賀、能登、越中を手中に収める事が出来た。
しかし、内紛を制した上杉景勝は徐々に力を整え、再び越中へ進出しようと画策しているという。
そんな上杉家にノコノコと出向き、無事に帰って来れるとは思えない。
信長の命令であれば有難く頂戴し、死ぬと分かっていても立派に果たすのが家臣の務めだが、この場合は若干懸念が残る。
「もしも勝二殿に何かあったら硝石丘法はどうするのです!」
思わずそんな声が出てしまった。
結果として勝二が死ぬのは止むを得まい。
それとて信長の考えの内かもしれないからだ。
しかし正直に言えば、硝石丘法や醤油の他にも知識を持っていそうで、ここで死なすには勿体ないと思う。
それを分からぬ信長ではないとして、どんな対価を用意しているのか。
「やはり厳しいですか?」
氏郷の言葉の裏を思い、勝二は尋ねた。
死にに行くつもりはないが、問答無用で切られる可能性も排除出来ない。
信長の意向はしっかりと聞き、提示出来るモノも詰めてきたが、相手に通じない事も十分にありそうである。
この交渉について第三者の意見が欲しかったが、傍から見ても無謀なようだ。
「条件次第でしょうが……」
勝算もなしに信長が使者を送るとは思えない。
相当な対価を用意しているのだろうが、どれだけのモノがあれば上杉が受け入れるのか。
それに、仮に交渉が成ったとしても当座を凌ぐ方便に過ぎない。
情勢が変われば当然のように破棄される類のモノだ。
武田を攻め滅ぼした暁には、残る織田の敵は上杉と毛利くらいである。
それを分からぬ相手ではあるまい。
「景勝公の右腕である直江兼続さんは、話の分かるお方だと伺いましたが……」
名君で名高い江戸時代の藩主、上杉鷹山。
彼が手本としたのが直江兼続の政策で、愛の兜でもお馴染みだろう。
傾奇者で知られる前田慶次と親交を結んだ事も有名だ。
勝二にとっての勝算は、その兼続だった。
上杉に示せる条件は、領民を想う者ならば首を縦に振る話だと確信する。
「そんな話をどこで知ったのです?」
氏郷は不思議そうな顔で言った。
謙信から景勝に代替わりした事は知っていたが、その右腕など知る筈もない。
「お城でちらと耳に致しました」
「流石お館様!」
信長が持つ忍の仕事だとの勘違いを、勝二は敢えて訂正しなかった。
勝二は話を変える。
「それはそうと硝石丘法と醤油はどうなっていますか?」
「それです!」
待っていましたとばかりに氏郷は反応したが顔色は暗い。
「見て頂きたいですが、無理です、ね……」
「残念ながらそうですね」
生憎そのような時間はない。
気落ちする氏郷を励ますように言う。
「とりあえず、何月何日に何をしてどうなったか、しっかりと観察して記録して下さい。整理して報告書にまとめ、それを見て助言する形にしましょう。醤油作りの資金は確保出来ましたので、計画通りに進めて下さい」
「分かりました」
宗久に出してもらっている。
「報告書は例によって信盛さんにお願いします」
「心得た」
勝二は居並ぶ者の中から指名した。
彼にも色々と頼んでいる。
「文書の楷書化はどうなっていますか?」
「順調に進んでおるよ」
「それは良かった」
数枚を見せてもらい、読める事を確認した。
やはり読めないと意味がないと思う。
「文書の型はどうですか?」
「いくつか出来ておる。これがそうだ」
出来上がった書類のサンプルを手に取る。
蔵から出し入れした品物の管理票であった。
一目で分かるように整理されている。
「良い塩梅ですね!」
「だろう?」
「この調子で引き続きお願いします!」
「承知した」
その仕事ぶりを褒められ、信盛の顔も明るい。
「五箇山の方はどうですか?」
「まずは村全体で始めるとの事」
盛政が答えた。
既に生産された硝石をいくつか受け取っている。
「相手は自然ですから無理は禁物です。急かさないであげて下さい」
「承知」
下々からは絞れるだけ絞ろうとするのが武士である。
しかし、醤油もそうだが微生物が相手の商売は、彼らが働きやすい環境を整え、後は根気よく待つ事が肝心となる。
下手に急ぐと全てを失う結果となりやすい。
急ぐ要件は確認し終わり、勝二は加賀を発つ事にした。
「では、上杉に行って参ります」
「ご無事で」
氏郷らは勝二を見送った。
戦場では己の力量で生死が決する。
しかし、相手の中に入って行う交渉の場では全ては相手次第だ。
戦に出るよりも余程胆力がなければ務まらないと思った。
「お呼びですか、景勝様?」
「兼続か。織田からの使者が来たそうだ」
「織田から?! 武田への援軍を阻止する目的でしょうか?」
「恐らくはそうだろう。しかし、このような時に来るとは、また別の意図があるやもしれぬ……」
「勅旨ですか?」
「分からんが……」
春日山城に上杉景勝はいた。
偉大な先代、謙信の跡を辛くも継いだ景勝の悩みは尽きない。
家内を二分して争った御館の乱は制したものの、未だ各勢力の統率を取れているとは言い難い状態である。
毘沙門天の化身として強烈な指導力を発揮し、越後を纏めて上洛を確信させるまでになっていた先代。
カリスマを失った越後は脆く、越中奪還の目標を掲げてようやく安定しつつあった。
それは、軍神の後釜としての手腕を示す機会であると同時に、己の器量を計られる場でもある。
失敗は許されない。
しかし、そんな時分に天変地異が襲い、勅旨を経て領民に至るまで大いに動揺している。
織田が出させた事は明白で、その内容から混乱を呼んでいた。
そんな時分に訪れた、当の織田からの使者である。
景勝が悩むのも無理はあるまい。
「どうされるのですか?」
「会わない事には判断がつかぬ」
「同席しても宜しいですか?」
「その為にお前を呼んだのだ」
こうして景勝と勝二の会談は成った。
私用が立て込んでおりまして、次話は遅くなるかもしれません。
景勝と勝二の会談、道雪の島津領への侵攻、カルロスの日本到着を予定しております。




